第19話 直しでは、誰も振り向かない
調べる、と言うのは易しい。調べるのは難しい。
庫から下げ渡された端切れ——礼服と同じ頃の古い絹を、燭台の火で焙る。焦がしては、織の目がどう死ぬかを、指で確かめる。三日で私は絹を七枚焦がした。お直し部屋に焦げた匂いが居ついた。
分かったことが、二つある。
一つ。焼けた織は、繕えない。当て布で伏せれば、焼けた際から必ず攣れる。生きた布と死んだ布は、引く力が違うからだ。
二つ。繕えないなら、継ぐしかない。焼け切れた経糸を、一本ずつ、糸そのものから継ぎ直す——織り継ぎという古い技法がある。
祖母のノートに頁があった。
麻布張りの、厚い帳面。祖母の技法ノートだ。図と、実物の針目見本が貼ってある。『織り継ぎ』の頁には、細かい字で、こうあった。
『経を一本継ぐのに、上手で四半刻。焦るな。織はお前より年上だ』
見様見真似の一本目は、継ぎ目が玉になった。二本目は張りが揃わずに攣れた。図のとおりに撚りを合わせ、三本目でようやく、指の腹で撫でても引っかからない継ぎ目ができた。四半刻どころか、半刻かかった。
焦るな。織はお前より年上だ。
帳面の字にもう一度言われる。
一本で、四半刻。上手で、だ。礼服の焼け切れた経糸は、ざっと見立てて——数えるのを、途中でやめた。数えると、針が重くなる。
頁をめくる手が、ふと止まった。織り継ぎの稽古布として貼られた見本の絹が——深い、紫紺だったからだ。
偶然だろうか。祖母は市井の小さな家で、いったい何の織を継ぐつもりで、この稽古を重ねていたのだろう。
もう一つ、重い問題があった。継ぎに使う糸だ。古式の撚りの金糸と、先染めの細い平絹。今の織りの糸では、太さも艶も合わない。合わない糸で継げば、直した場所だけが若く光る。それは直しではなく、継ぎ接ぎという。
「リディアさま、今日の字、これにしました」
ポレットが、字の稽古の帳面を差し出した。拙い、大きな字で——『継』。
「難しい字を選びましたね」
「だって、いちばん要る字でしょう、いま」
針十回で、字一つ。この子の帳面は、いつの間にか、お直し部屋の日誌のようになっている。
*
夜半、扉が鳴った。
マダム・ジョゼットだった。建国祭の夜から、マダムは時々、燭台を一つ提げて現れる。広間の仕事を終えたあとの、いちばん疲れているはずの刻限に。来て、しばらく手元を見て、黙って帰る。それが常だった。
その夜は見ているだけではなかった。
私が試し布に緞刺しを打っていると、マダムは黙って隣に立った。それから、手を出した。
「針を」
渡した。
金糸を寝かせ、留めて、面を埋めていく。御旗の花の一輪が、見る間に形になっていく。正確で、速い。何より——針目が、若かった。勢いのある、まっすぐな針目。
この手はこれを何百回も打った手だ。
「……マダム。直しを、なさっていましたね」
私は手元から目を離さずに言った。
「それも、長く」
縫い目は筆跡。打たれた一輪に、若い日の癖が、そのまま残っていた。隠していても、針は覚えている。
マダムはしばらく黙って、花を留め切ってから、針を置いた。
「十五で、この衣装室に見習いに上がりました。……ちょうど、火事の翌年です」
燭台の火が、小さく揺れた。
「あの頃の衣装室は、直しという言葉に触れることさえ嫌がりました。『銀の指貫』の名は、戒めだったのです。——ああなりたくなければ、新を縫え。直しの上手は、身を滅ぼす、と」
戒め。
祖母の二つ名は、三十年、そんなふうに使われてきたのか。壁の印だけを残して、名を消されて、あとに残った音だけが、若い針子を脅すために使われて。
「それでも私は、直しが好きでした」
マダムの声は硬いままだった。硬いままで正直だった。
「若い頃は、隠れてずいぶんやりました。頼まれれば断らなかった。……一度だけ、直しで泣かれたことがあります。亡くなった母君の外套を仕立て直した、若い官吏に。——あの涙より重い礼を、私は新作では、一度ももらったことがありません」
針を置いたまま、マダムは自分の手のひらを見た。
「それでも、新を選びました。直しの功は台帳に残らないのです。名も呼ばれない。新作は一着ごとに縫い手の名が残るのに、直しは何十着直しても、帳面の上では『繕い』の一行。……生きていくというのは、そういうことだと、思っていたので」
「直しでは、誰も振り向かない。——三十年、そう思って生きてきました」
私は何も言わなかった。言えることが、なかったからではない。この人の三十年に、私が足していい言葉が、まだなかったからだ。
マダムは、置いた針を、もう一度取り上げた。
「先だっての夜、あなたの針を見るまでは」
それだけ言って次の一輪に取りかかった。
「広間の仕事は、回します。筆頭ですから。そのうえで——夜は、この部屋に来ます」
「マダム。それは」
「王家の御直しに、手が足りないでしょう」
言葉を探している私に、マダムは横目もくれなかった。
「緞刺しの起こしは、私が引き受けます。あなたは、織り継ぎに専心なさい。……言っておきますが、貸しですよ。私は、借りも貸しも、踏み倒さない主義です」
燭台の灯りが、二人ぶんの手元を照らしていた。
裁ち台を挟んで、マダムの針と私の針が、同じ布の上で鳴っている。祖母が去って三十年——この部屋に、直しの針が二本になった夜だった。
隅の椅子では、ポレットが糸巻きを抱えたまま、船を漕いでいた。三本目の針はもう少し先だ。
*
夜明け前、書き出した材料の紙を、マダムが検めた。
古式の撚り金糸。先染めの平絹。上等の裏絹。張りのある芯。読み終えてマダムの眉が曇った。
「……あなた、これ、どれも商会筋ですよ」
紙を裁ち台に戻してマダムは低く言った。
「王都で、布と糸は——バルトルドを通らずには、動きません」
窓の外が白み始めていた。私は最後の試しの一輪を留めて、糸を、ぷつりと切った。
お読みいただきありがとうございます。
お直し部屋の針が、二本になりました。
次話——宮内府から、正式の沙汰が下ります。王命の指名。そして、最初の妨害。
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