第14話 封印棚の白い布
物品庫の奥は、三十年ぶんの静けさでできていた。
手前の棚には、いまの納入品。奥へ進むほど、棚の木の色が濃くなる。ゴットフリートは鍵の束を鳴らしもせず、迷いもせず、その濃い色の中を進んでいった。
「古い番手の金糸。厚裏の絹。張りのある芯」
私が挙げた品を、老人は一度も聞き返さなかった。
「どれも廃りものだ。いまの商人は、持って来ん」
棚の奥から、油紙の包みが三つ。それに裁ち台一枚ぶんの厚裏が一巻き。金糸は芯棒に巻かれたまま、三十年眠っていたとは思えない照りをしていた。
「よく、残っていました……」
「残したのだ」
ゴットフリートは包みを私の腕に載せた。
「持っていけ。使う手が来るまで置いておくのが、庫番の仕事でな」
使う手が来るまで。
私は包みを抱え直した。腕にかかる重みのぶんだけ、確かに信を預けられた気がした。
*
帰りかけて足が止まった。
いちばん奥の壁際に他と違う棚があった。
観音開きの扉に縄が掛けてある。縄の結び目には、黄ばんだ封印紙。宮内府の、古い印だった。そして扉の隙間から、中に掛けられた白布が、ほんのわずかに覗いていた。
白布の端が、ずれている。長い年月のうちに、布が自分の重みで滑ったのだろう。その隙間に——焼け焦げた織が、見えた。
金糸の織地だった。豪奢な、おそらくは大礼服の。焦げは裾から胴へ這い上がって、途中で止まっている。そして、めくれた裏襟の内に、銀糸の刺繍が——
息が、止まった。
指貫の図案。針箱の蓋裏で、毎日見ているものと、同じ。
「それに触れるな」
声は鞭のように来た。振り向くと、ゴットフリートが立っていた。いつもの寡黙な庫番の顔では、なかった。
「……申し訳ありません。触れては、おりません」
「東翼の火事の、残りだ。三十年前の」
老人は私と棚の間に体を入れ、白布の端を、手袋をした手で元通りに直した。焦げた織も、銀糸も、白の下に消えた。
「沙汰があるまで、開かぬ棚だ。忘れろ」
忘れろ、と言うその声が、一日も忘れたことのない者の声だった。
私は頭を下げて包みを抱え直した。針箱の蓋裏の図案が、頭から離れなかった。偶然かもしれない。偶然でないかもしれない。——どちらの糸もいまは引かない。引くなら、切れない太さになってからだ。
*
庫の表へ出ると、昼の光がやけに白かった。
広間の前が、騒がしい。商会の工房から、目玉の御衣装の仮縫いが上がってきたのだった。祭りまで、あと五日。
衣桁に掛けられたそれは、なるほど、王都でいちばん新しい意匠なのだろう。深紅の絹に、金のモール。肩から裾へ流れる飾り紐。人だかりの後ろからでも、目を引いた。
「お直し係。検分にお入りなさい」
マダムが私を呼んだ。番頭ふうの男の眉が、あからさまに動いた。
私は近づいてまず布に手の甲を当てた。それから縫い代を返して、織の目を燭台に透かした。
——打ち込みが、甘い。
縦の糸に対して横の糸が足りていない。手触りは絹の照りでごまかせても、透かせば目が粗い。そこへこの金モールの目方が掛かる。
「マダム。この生地は、飾りの重さに負けます」
人だかりが、静かになった。
「肩線と、飾り紐の付け根。動くたびに、縫い目が生地ごと開きます。せめて力布を——力のかかる所に、裏から当てる布を入れませんと」
「あら、聞き捨てなりませんこと」
絹擦れの音がしてステラ様が進み出た。
「王都一の商会の品に、お直し係が難癖ですって?」
「難癖では。織の目のお話です。透かして御覧に——」
「結構よ」
扇が、ぴしゃりと閉じた。
「殿下の御意向で誂えた、王女殿下の御衣装よ。繕い屋の出る幕ではないの。ねえ、そうでしょう?」
番頭ふうの男が、揉み手で応じた。王都で一番の新しい織でございます、手前どもの品に限って、と。
マダムは何か言いかけてやめた。目玉の御衣装は、商会の管轄。衣装室に、検分の権限はない。それが「殿下の御意向」の仕組みだった。
「……力布のこと、工房にお伝えだけはなさい」
マダムの精一杯が、それだった。番頭は、はいはいと二度うなずいた。
二度うなずく者は、一度も聞いていない。
*
夜、お直し部屋で、三着目の袖を付けた。
古い金糸は素直だった。三十年眠っていたのに、針を恨まない。庫の奥の暗がりと、白い布の下の焼けた織を、私は針目の間に一度ずつ思い出して、そのたびに手元へ帰ってきた。
祭りまで、五日。
三着は間に合う。それは確かだった。確かでないものが、ただ一着——あの深紅だけが、広間の衣桁に掛かっている。
糸を替えるために小鋏を入れる。ちん、と鳴った音が、いつもより硬く聞こえた。
お読みいただきありがとうございます。
庫の奥の白い布と、透かせば分かる織の目の回でした。
次話——建国祭前夜。最後の仮縫いで、それは起きます。
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