第13話 捨てるドレスはございません
朝いちばんに筆頭衣装係の部屋を訪ねた。
マダム・ジョゼットは、八着ぶんの裁ち図の上に定規を置いて、こちらを見もせずに言った。
「手短に。見ての通り、衣装室にいま、暇はありません」
「納戸の二十七着を、お使いください」
定規が、止まった。
「建国祭の足りない三着を、あの山からの仕立て直しで立てます。生地は上物、仕立ての手も確かです。意匠を替え、寸法を合わせ、新しい三着として納めます。外の工房に、出さずに済みます」
「直し?」
マダムは立ち上がった。声が、一段低くなった。
「貧乏くさい。王宮の衣装室が、継ぎの当たったドレスを式典に出したとあっては、末代までの恥です」
「継ぎは当てません。仕立て、直します」
「言葉遊びを」
「マダム。あの三着が外の工房に行けば、検分の届かない縫い目が、王家の式典に上がります」
マダムの目が、初めてまっすぐ私を見た。怒っている。けれどその怒りの底に、別のものがある気がした。
「……直しでは」
声が、ふっと落ちた。
「直しでは、誰も振り向かない。誰も、褒めない。それでも新しいものには敵わないのだと、あなた、思い知る日が来ますよ」
それは、私に向けた言葉にしては、妙に——年季が入っていた。長く使い込まれた鋏のような言葉だった。
マダムは自分の言葉を振り払うように、裁ち図をまとめた。
「持ってきなさい。今夜ひと晩あげます。一着、仕立て直してごらんなさい。恥かどうかは、この目で見て決めます」
*
納戸から選んだのは若草色の一着だった。袖の膨らみが二年前の流行のまま。それ以外はどこも死んでいない。
「ポレット。今夜は弟子の初陣です」
「はいっ!」
まず、解く。
古い縫いを解くときは、糸を切らない。縫った順の逆をたどって抜いていく。縫い手がどこから針を入れ、どこで急ぎ、どこで丁寧に返したか——解いた糸の道筋が、そのまま、次の針の地図になる。
「切ったほうが、早くないですか?」
「早いわ。でも、地図を失くすの」
袖を落とし、膨らみの山を殺して、いまの形に付け替える。余った共布で、腰の切り替えに細い襞をひと筋。真珠はもとの半分に減らして、残りは糸目の陰に沈めた。
夜明け前に糸を切った。ちん、と小さな音がした。
*
マダムは若草色の一着を衣桁に掛け、ルーペを取り出し、燭台を三度動かした。襟。袖山。裾。それから、裏。長い、長い検分だった。
ルーペが、置かれた。
「……これは、直しです」
心の臓が、ひとつ跳ねる。
「ですが——恥では、ない」
マダムは衣桁から目を離さずに言った。
「三着、お任せします。意匠替えの図は、私が引きます。文句は言わせません。それから」
初めてこちらを向いた。
「これは、借りを返すのとは別勘定です。衣装室の算段として道理だから、通す。それだけのこと」
「はい、マダム」
「返事だけは良いのね」
宮内府の裁可はその日のうちに下りた。局長の署名の脇には、『金貨四十枚の減』と一行だけ添えられていたそうだ。
*
午後、ポレットと納戸で選定に掛かった。二十七着のうち、寸法と格の合う候補が七着。
うち一着は、裾裏に虫。一着は、前の直しで裁ち込まれていて布が足りない。一着は葡萄酒の染みが芯まで届いていた。
「三着は、だめ……」
「無理をさせれば、着る人が恥をかきます。直せないと見立てるのも、直しのうちよ」
残る四着のうち、三着を建国祭に割り当てた。
最後の一着の前で、ポレットが首をかしげた。
「これ、きれい……なのに、古くさい?」
銀鼠の絹。裾にぐるりと、金糸の緞刺し——糸を寝かせて面を埋める、古い刺繍だ——で花の文様が回っている。膨らみのない、まっすぐな肩線。いまの流行から見れば三代は昔の——いいえ。
私は裾の文様を燭台に寄せた。
これは古いのではない。古いものの、写しだ。建国のころの様式を、知っていて写した一着。仕立ては七着の中でいちばん丁寧で、そして、肩線がひどく小さい。若い姫君の寸法だった。
札には、返された日付だけ。袖を通した跡は、ない。
「今回は、着る方の寸法が合いません。……山へ、戻します」
私は白布を掛け直した。埃だけは吸わせないように。
「なんだか、もったいないですね」
「ええ。——でも、置いておきましょう。捨てるドレスは、ございませんから」
*
その夜から、お直し部屋は三着の工房になった。マダムの意匠図が届き、ポレットが糸を巻き、私が解く。解いては裁ち、裁っては縫って——夜なべの十日あまりが、糸のように過ぎた。
仕上げを前にして、足りないのは材料だった。古い番手の金糸。厚手の裏絹。張りのある芯。いまの納入品には、もう入ってこないものばかり。
「庫の奥なら、あるかもしれません」
ポレットの言葉に私は帳面を閉じた。庫の奥。ゴットフリートの領分だ。
畳んだ三着の上に、明日の段取りを書いた紙を載せる。布を畳む音が、ふす、と柔らかく鳴って、その日の灯りを消した。
お読みいただきありがとうございます。
直せないと見立てるのも直しのうち、の回でした。銀鼠の一着は、山に戻りました。
次話——庫の奥。白い布の掛かった、封印棚。
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