忍びの印
且元に捕まり、源治は夜番に当たるのが少し遅くなってしまった。水は時間より早く行動する人なので、おそらくもう持ち場についている。
そう思ったのだが、持ち場には誰もいなかった。水が勝手に行動したのだろうか。それとも、何か異変があり、持ち場を離れたのだろうか。
「お!源治!」
「村田。お前、昼番だっただろう?水は見ていないのか」
村田は駆け寄ってくるなり、周りを警戒しながら源治に水のことを話した。村田が宿舎に戻る最中、水が一人で持ち場を離れていたというのだ。
「交代したのお前じゃないのか?なんで呼び止めなかったんだ」
「すぐ後に、三の丸連中が笑いながら宿舎に戻ってきたんだよ。もしかして、水に何か言ったんじゃないかと思って、源治を探したんじゃないか、この遅刻野郎」
源治は村田に警護を頼むと、水が向かった方へ走り出した。
少し走れば、今はもう使われていない北東の門の前に水はいた。そして、何やらしゃがみ込んで地面を見ている。源治に気付くと、水は石を拾って立ち上がり、源治に向き合った。
「水!ダメじゃないか!勝手に持ち場を離れて!」
「?遅刻してきたのは源治様ではないですか」
「うっ」
水の頭の回転の速さは凄まじい。相手が男だろうと先輩だろうと、言葉の切り返しが上手すぎる。
「そんなことより、なぜここにいるんだ」
「……持ち場の変更と言われました」
「誰に?」
「それは……」
水は口を閉じてしまった。自分が騙されていたのが分かったのだろうか。そして、小さな声で「申し訳ありません」と源治に言う。
「三の丸の連中か?」
「……」
聞いても、水は応えようとしない。告げ口するようで言いたくないのかもしれない。あまり水を詰め過ぎない方が良いだろうか。
「水、前にも言ったが、ここは夜は人通りがないから警護はしていないんだよ。だから持ち場に戻ろう」
「……はい」
「君は覚えもいいし仕事もよくできるけど、まだ私が教育係なんだ。私以外の話は、一回私に確認してほしい」
「……分かりました」
水は源治の顔しばし見つめると、ちゃんと頷いてくれた。
持ち場に戻る最中、水から声を掛けてきた。
「源治様、この石に見覚えはありませんか」
「え?」
水は、先ほど拾ったらしい石を源治に見せてきた。別に変わったものではない。水は石の収集でも好きなのだろうか。源治が顔を顰めていると水がもっと源治にそれを近付けてくる。自然と、水との距離も縮まった。
「もっとよく見てください」
「……ん?」
よく見ると、横に一本の線、それに交差する形で3本の斜線が刻まれている。何かの呪いだろうか。
「……何か掘られているな。これがどうかしたのかい」
「何もなければ良いですが、忍びがよく使う手口です。‘ここはもう確認済だ‘という仲間への意思共有です」
それを言われ、源治は体が固まってしまった。本当に、そんなことがあるのかーー?こんな事態に対面したこともなければ、そもそも地面に落ちている石ころを隈なく見つめたこともない。
「源治様、これは落ちていたのではなく、‘置かれた’石です。多分」
水は源治の思考が読めているのか。それなら三の丸連中にももっと上手く対応してくれ、などと思ったが、もしこれが謀反だったらどうしようか。強いては、徳川家の策略の一つであれば、と思うと背筋が凍る。水はその石を握りしめたまま、その夜は警護に当たっていた。
翌朝、夜番が明けたあと、源治は水を連れて且元の屋敷を訪ねた。
「相分かった。この件は私のほうで調べよう」
水が石の件を且元に報告するのを、源治は後ろから見ていた。水は順序よく且元に報告していた。年頃の娘なのに、話を順序良く伝えられるのは、仕事が出来る証だろう。源治が知る同年代の娘といえば、どうも感情的だし、一喜一憂して、そして気まぐれ、という印象がある。
「水、どうしてその門にいたのだ」
「……」
水は口を開きかけたが、閉じてしまった。嫌がらせを受けていることを黙っておくつもりなのだろうか。
「源治と行動することになっているだろう」
「東市正様、申し訳ありません。私からの伝達が上手く届かなかったようです。今後は気を付けます」
今度は源治が且元にジロリと見られる番だった。そもそも、昨夜に源治に対して次の剣術稽古が云々と話してきた且元が原因で、遅刻する羽目になったのではないか……!
且元は納得したのか、「もう良い、下がれ」と二人に言い放った。
「源治様、ありがとうございました」
「何がだい」
「黙っていてくださったことです」
帰り道、水が隣で源治に言った。初めて会った時は、水は源治の後ろに付いていたが、今日はちゃんと横を歩いてくれている。
本当は、三の丸警護隊のことを言いたかった。だが、水が言わないのであれば、源治が口出しすることではないだろうし、過保護にしすぎるのも、逆に良くないかもしれないと思ったのだ。
「水、明日に剣術稽古をすることになったから、今日は一日休むんだぞ」
「私の相手をしてくださるんですか?」
「ははっ……残念ながら、警護隊の全体でやるんだ。本丸の一番大きな庭で朝から実施するから、準備しておくんだ」
「そうですか」と水は前を向いてしまった。自分と稽古をしたがってくれていたのなら、それはそれで嬉しいことだ。それに、少しだけ業務的なやり取りも減った気もする。




