第九十三話 ガレア王国軍迎撃②
イゾルデはガレア王国軍の戦列の只中に立ち、丘に並ぶ敵軍を見やる。
戦場に立つと、いつも思うことがある。
これは本来、父が見るはずだった光景なのだと。父がどれほど、王として軍勢を率い、この光景を見たかっただろうと。
古のガレア王国の再興は、そのための備えに人生を懸けた父こそが成し遂げると思っていた。しかし、結果として成し遂げたのは自分だった。神々は、先祖たちは、この自分を選んだ。
かつてガレア王国が滅びてアロナ島が帝国の支配下となった後も、王家の血統は連綿と受け継がれ、父を経て今は自分の内に流れている。自分は継承者として、かつて王国が得た覇権を、王家が得た栄光を、再び掴み取らなければならない。
イゾルデは周囲を、己に仕える忠実な戦士たちを見回しながら、口を開く。
「勝利を決定づけるのはお前たちだ! 栄光を手にするのはお前たちだ! あの小細工を粉砕し、我が国に敵対した愚か者たちに報いを受けさせろ! ガレアは偉大なり!」
高々と戦斧を掲げながら叫ぶと、戦士たちは雄叫びをもって応えた。
彼らの頼もしい反応を受け、若き女王は満足げな笑みを浮かべると、連合軍を名乗る敵の軍勢を再び睨む。
敵軍が戦列の両翼に遠距離攻撃を為すための兵力を置いていることは、布陣の前にイゾルデ自身が確認して把握していた。こちらが敵の戦列に向けて前進する間、そしておそらくは敵の戦列と激突してからも、木柵と護衛の歩兵に守られた両翼の遠距離攻撃部隊が左右から矢や投槍を放って損害を強いてくるつもりなのだろうと容易に予想できた。
敵軍の右側面は大きな森に守られ、そして左側面には騎兵の一群が置かれているので、回り込んで側面攻撃を行うのは難しい。となると正面から攻めかかるしかないが、ただがむしゃらに突っ込めば敵両翼から攻撃を受け続け、敵の戦列を粉砕する前にこちらの戦列が限界を迎えて崩壊してしまうだろう。
敵の弓兵や投槍兵も厄介だが、イゾルデが最も警戒しているのはクロスボウという武器。元々はリンダム王国が使い始めたというこの武器について、イゾルデは数年前にその存在を知り、噂を頼りに職人たちに模造させ、その有効性を認めてガレア王家でも徐々に量産を進めてきた。
敵軍はおそらく相当数のクロスボウを備えているはずで、そこから放たれる大量の矢を浴びれば、たとえ前衛に盾を装備させても相当の損害を被ることは避けられない。
こちらから突撃を為さず、敵軍が痺れを切らして前進してくるのを待てば、木柵による防御を失った敵両翼の遠距離攻撃部隊を容易に攻撃することができるが、それは敵側の君主たちも当然分かっているはずなので、そう簡単には陣地を出ないだろう。こちらは南東部諸国が争乱に臨んでいる隙を突き、王国社会に多大な負担を強いて大軍を動員しているので、あまり戦いが長引けば敵軍より先に軍勢を維持できず退くことになる。のんびりと睨み合いをしている余裕はない。
なのでイゾルデは、損耗してもあまり惜しくない戦力――一昨年に征服した南部から強引にかき集めた民兵たちを、肉の盾として用いることにした。南部民兵を前衛として横に広く並べ、敵両翼の遠距離攻撃から後衛の主力を守る壁としながら突撃させ、こちらの精鋭戦力を温存しつつ敵戦列に肉薄する。敵両翼に対してはそのまま民兵を張りつかせて牽制を為し、その間に後衛中央から前進した精鋭戦士たちが猛攻をもって敵の戦列を突き破り、そのまま敵軍全体を壊走に追い込む。そのような作戦で臨むことを決断した。
「全軍前進! ガレア王国軍の勇ましさを敵軍に見せつけろ!」
若き女王の号令が、彼女に仕える戦士たちによって軍全体に伝達され、そしてガレア王国軍は前進を開始する。総勢でおよそ二千人の軍勢が、中腹で待ち構える敵軍の戦列を目指して緩やかな丘を進む。
・・・・・・
「……動き出したな。クロスボウ兵、射撃用意を始めろ。弓兵たちも攻撃命令に備えろ」
連合軍の戦列、その右翼側。ガレア王国軍の前進を認めて言ったのは、リンダム王家に仕える戦士ジュリアンだった。
彼は主君エドウィンより、王家直轄領から動員された民兵たちの指揮を任されている。発された命令は、補佐役として従っている十人ほどの戦士によって伝達され、それを受けて総勢八十人ほどにもなるクロスボウ兵たちが弦を引く。
そうして攻撃開始に備えるリンダム王家の兵力の隣では、同じく右翼側に配置されているエストラド伯家の兵力や、ベルノニア王国とファーガス王国の遠距離攻撃兵力のうち半数が、それぞれ動き出す。クロスボウ兵たちは弦を引き、弓兵は最初の矢を手に取り、投槍兵たちは手元に備える槍の具合を確認する。木柵の防御を成す歩兵たちは、未だ自分たちの出番はないと分かりながらも気を引き締める。
今頃は戦列の左翼側でも、エストラド家を除く五伯家の兵力や、ベルノニア王国とファーガス王国の遠距離攻撃兵力のもう半数が攻撃の用意をしているはずだった。
「……」
徐々に距離を詰めてくるガレア王国軍、その前衛に並ぶ粗末な装備の民兵たちを、ジュリアンは無言で睨む。クロスボウの弦を引き、矢まで番えた民兵たちが、木柵越しに敵軍を狙いつつ射撃開始の命令を待つ。
精鋭の職業軍人を並べるのが常道である前衛に、しかしガレア王国軍が貧弱な装備の民兵を大勢並べていることは、連合軍側が放った斥候によって事前に確認されていた。敵側の将であるイゾルデ・ガレア女王はおそらく、征服地であるガレア王国南部から強引に徴集した民兵を肉の盾として使うことで、主力の損耗を押さえつつこちらへ肉薄するつもりだろう。主君エドウィンのそのような推測を、ジュリアンは開戦前に聞かされている。
敵が捨て駒の前衛をけしかけてくるのであれば、それを全滅に追い込み、あるいは壊走せしめた上で後衛の主力までを打ち倒してやればいい。そのような心持ちで、ジュリアンたち遠距離攻撃部隊はこの戦いに臨んでいる。
先に攻撃を開始したのは、戦列の両翼を合わせて百人強いる弓兵たちだった。職業軍人のうち弓を得意とする者や、狩りなどで弓を使い慣れている民兵をかき集めて編成された弓兵部隊が、後衛から矢を曲射し始めた。
放物線を描いて戦場の空を飛翔した矢は、迫りくる敵軍の戦列の只中へ落下する。弓兵の絶対数が少ないために敵軍の前進を止めるには至らないが、それでも着実に兵力の損耗を強いる。
さらに接近した敵軍の先頭集団が、事前に設置されていた目印――そこからがクロスボウの有効射程内であることを示す大きな石を踏み越えたことを確認し、ジュリアンは口を開く。
「クロスボウ兵、放て!」
その命令を受けて、王家が動員しているクロスボウ兵のおよそ半数、四十人が一斉に引き金を引いた。ほぼ同時に、隣のエストラド家の兵や、リンダム王国よりは少ないがクロスボウを保有しているベルノニア王国の兵たちも、それぞれ射撃を開始する。
その一斉射は、視覚的に分かりやすい成果を上げた。敵前衛の民兵たち、その先頭集団が、大量の矢を真正面から食らって次々に倒れた。敵軍の前進が止まったわけではないが、その速度が明らかに鈍った。
「次の命令は待たなくていい! 装填が済み次第放て! 一本でも多くの矢を敵に食らわせろ!」
ジュリアンが声を張るその周囲で、王家に動員されたクロスボウ兵たちは次々に矢を放つ。四十人ずつ前後二列になっているクロスボウ兵たちは、列を替えながら攻撃していては時間がかかるため、筋力や体力に自信のある半数が後列で装填作業を行い、残りの半数が前列で敵を撃つ、という役割分担をしながら攻撃を為している。
王家のクロスボウ兵と並んで戦うエストラド家のクロスボウ兵たちも、そのような運用を真似ている。
「いいか、細かく狙いを定める必要はない。的は一面に並んでいるのだから、敵の群れ目がけて矢を放てば誰かには当たる。とにかく撃ちまくれ」
目の前に並ぶクロスボウ兵たちにそう指示するのは、グリフィズ・エストラド伯当人。彼は自家が動員した六十人ほどの兵力のうち、戦士の多くを王家に預けて戦列中央の補強に回し、自身は主に民兵を伴ってこの戦列右翼側に身を置いている。
リンダム王国の各貴族家は、この数年でクロスボウの量産を推し進めてきた。リンダム王家に従属したことで、細かな改良が重ねられてきたクロスボウの製造知識の提供を受け、着実に保有数を増やしてきた。
当然、エストラド家もその例に漏れない。この数年の軍備増強の成果が発揮される様を、グリフィズは落ち着いた態度で見守る。元は商人であるが、今の立場を確立するまでに少なからぬ戦いを経験してきた身。戦場の只中でも普段の冷静さを崩すことはない。
敵前衛の民兵たちは、木板を適当に繋ぎ合わせた粗末なものではあるが、盾を装備している者も少なからずいる。おそらくは慈悲として与えられたものではなく、肉の盾として少しでも長く持つように配られたのであろう盾を正面に構え、あるいは頭上に掲げ、敵民兵たちはこちらのクロスボウや弓から放たれる矢を防ごうとする。
実際それらの盾に阻まれる矢もあるが、その数はそう多くはない。構え方もおぼつかない間に合わせの盾の防御を潜り抜けた矢によって、敵側の死傷者が増えていく。
さらに敵軍が接近すると、今度はクロスボウ兵たちのすぐ後ろに並んでいる投槍兵たちも攻撃に加わる。民兵の中から槍の投擲が上手い者を選抜し、遠距離攻撃の手数を増すための補助兵力として編成された投槍兵の部隊は、太い枝の先端を鋭く尖らせただけの簡素な槍を敵の戦列目がけて放り投げる。
矢と投槍による猛烈な攻撃が、ジュリアンやグリフィズのいる連合軍の戦列右翼側と、同規模の兵力を有する左翼側からくり出される。ガレア王国軍が前衛として並べた肉の盾を、着実に削っていく。
一方で、敵軍の戦列からも矢が飛来する。連合軍の両翼と対峙する敵前衛の左右から、曲射された矢が木柵を越えて襲い来る。それによって連合軍側に損害が出るが、しかし飛来する攻撃の手数は限定的。連合軍の両翼は、敵側の反撃にもあまり怯むことなく猛攻を続ける。
それでも、敵前衛の民兵たちは壊走しない。盾を持っていない者は、倒れた者から盾を剥ぎ取って。一部の者は死んだ味方の身体を抱えて盾としながら、連合軍の戦列に迫りくる。
・・・・・・
「……やはり、後ろから戦士たちに追い立てられているのだろうな」
家臣たちと共に戦列中央の一角を守るエドウィンは、眉根を寄せながらそう呟いた。
敵側の弓による遠距離攻撃は、前衛両翼の最後尾あたりから行われている様子。おそらくはそこに民兵の指揮や監視を為すための兵力も置かれ、そうして職業軍人が最後尾を塞ぐことで、敵前衛の民兵たちは後退を封じられ、前へ前へと追い立てられているのだろう。
敵民兵が肉の盾として使われるようだと斥候から聞いた時点で、その後ろに逃亡を阻止して前進を強いるための兵力が置かれるであろうことはエドウィンも予想していた。脆弱な民兵を活用する手段として有効であることは理解しているが、エドウィン個人の感性においては好ましい戦い方ではなく、見ていて気分が良いものでもなかった。
多くの犠牲を払いながらも前進を続けた敵前衛の民兵たちは、既に先頭集団の表情が分かるほどの距離に迫る。それを受け、エドウィンは鋭く声を張る。
「盾の壁!」
王の命令を受け、戦士たちは一斉に円盾を構える。エドウィン自身も、王家の紋章たるウロボロスの意匠を敵軍に見せつけるように構え、凶悪な笑みを浮かべる。
前進しながら徐々に速度を上げた敵前衛の民兵たちは、最後は突撃と呼ぶべき勢いで迫りくる。恐慌の色と血の臭いを纏い、やけくそじみた喊声を上げながら、連合軍の戦列中央と両翼へ同時に襲いかかる。




