第九十話 若き女王
イゾルデ・ガレアは、かつてアロナ島の統一を成し遂げた古のガレア王国、その王家の血統を受け継いでいる。少なくとも彼女自身はそう信じている。幼い頃より、自分たちはガレア王家の末裔であると父から教えられて育った。
イゾルデの父はアロナ島の地主家の一人息子として生まれ、若くして受け継いだ農場を他人に売ると、得た金を使って大陸へ渡り、武具を揃えて傭兵となった。もうすぐ帝国は崩壊する。そうすれば、支配者が不在となったアロナ島でガレア王国を再興し、先祖が一度掴んだ栄光を取り戻すことができる。そのためには、来たるべき日――アロナ島における帝国支配が完全崩壊する日までに相応の武力を備えていなければならない。そのような考えのもとで、己を団長とする傭兵団を組織した。
イゾルデの一族には、先祖より家宝として伝わってきた青銅の鏡がある。極めて精緻な結び目文様の中心に、ガレア王家の象徴だったと言われる竜の意匠が記された鏡を、父は王族のみが所有することを許されるものだと語っていた。
父がその鏡を披露し、己の出自を語ると、父自身の精強さや聡明さも説得力を生み、少なからぬアロナ人傭兵がその話を信じた。帝国支配下の故郷に息苦しさを覚え、帝国軍への反感を抱いて大陸で傭兵となった彼らは、英雄の末裔である父を慕い、忠誠心を抱いた。イゾルデが十歳になる頃には、父に付き従う傭兵は百人に届こうとしていた。
結局、父は自らがガレア王国の再興を果たすことは叶わなかった。病が父の身体を蝕み、帝国がアロナ島を放棄したことを知って間もないうちに、彼は世を去った。ガレア王国を取り戻せ。それが、イゾルデに向けられた父の最期の言葉だった。
イゾルデは十五歳で傭兵団長の座を継いだ。アロナ人傭兵たちは、まだ小娘と呼ぶべき若さのイゾルデに喜んで忠誠を誓った。成人男性にも劣らぬ長身と、鮮やかな黄金色の髪。周囲から「芸術家が手がけた彫刻のよう」と評される、美しさと精悍さを兼ね備えた顔立ち。そして、古のガレア王家の血統。それらを併せ持つイゾルデを、配下たちは我らが女王と仰いだ。彼らはイゾルデが自分たちに栄光を与えてくれると信じていた。
イゾルデの指揮の下で、配下たちはアロナ島へと渡る準備を整えた。百二十人まで増えていた配下とその家族、総勢で二百人に届く集団が、大陸商人から力ずくで奪った六隻の輸送船に乗って海峡を越えた。ガレア王国再興の起点として定めたのは、アロナ島中央部の平原だった。
イゾルデは見た目や血統だけを己の価値とする人間ではない。戦士として、軍事指導者としての才覚は父に劣らないと自負していた。その才覚を存分に発揮し、己を信奉する配下たち――彼らは戦士団という呼称を与えられた――に支えられながらガレア王国を再興。着実に版図を拡大し、今に至る。
それでも、イゾルデは満足していなかった。王国再興を果たしたことで己の能力に確固たる自信を得た彼女は、ガレア王家にとって最大の栄光――アロナ島統一の栄光を再現したいと考え、そのための準備を進めてきた。
統治の足場となる直轄領の民には、人気取りのために比較的軽い税を課した。対照的に、服従させた領主たちには重い上納税を課した。重い課税に反発する領主に対しては、戦士団の武力を以て罰を与え、黙らせた。
領主たちから奪った富を使い、戦士団を増強した。新たな戦士を募って鍛え、それと並行して大陸に残っているアロナ人傭兵に己の血統と功績を喧伝し、島へ帰還させて臣従させた。その結果、イゾルデに使える戦士は総勢三百人を超えた。
統一暦四一六年の秋には、南に位置していた隣国へ侵攻した。敵側も懸命に抵抗してきたが、精強な戦士団を中核としたガレア王国軍は、質と数の両面で敵の軍勢を圧倒し、勝利した。それから二年弱が経った四一八年の春、南東部諸国が争乱に臨もうとしていることを知ったイゾルデは、この機を逃さず新たな行動を起こすことにした。南東部の連中が喧嘩に夢中になっている隙に、兵力を北西部国境に集結させ、北西の隣国アクルード王国へ侵攻することを決断した。
四月の中旬には、ガレア王家が館を置く都市――元は大きな農村だった場所を発展させた、人口一千人に届こうとしている都市への兵力集結が概ね完了した。
「王国南部から集まった兵力は、貴族たちとその家臣、民兵を合わせておよそ一千人です。どの貴族家も、命じられた通りの規模を動員しています」
ガレア王家の居館、その付近に置かれている戦士団の訓練場。隅の長椅子に腰を下ろして休憩していたイゾルデに報告したのは、傭兵時代からの最側近であり、今は戦士団の長を務めている、錆色の髪と髭が特徴の壮年戦士。
元々は自身の父に付き従っていた、自身とは親子ほども歳の離れた側近の言葉を受け、若き女王は満足げな笑みを浮かべる。
「人口二万人の南部から本当にこれだけ兵力が集まるのなら、征服した甲斐があったわね。徴兵を頑張った南部貴族たちは後で褒めてあげないと」
一昨年に征服した旧ルテラン王国の推定人口はおよそ二万人。現在はガレア王国南部となっているこの地域の貴族たちに、イゾルデは領地人口の二十分の一にあたる兵力を集めるよう命じた。
外征にこれほどの兵力を投じるのは相当な負担であるはずだが、それぞれ身内を人質に取られている南部貴族たちに反抗の余地はない。一昨年ガレア王家に誓った忠誠を行動で示せ、という自分の求めに彼らが応えてくれたことを、イゾルデは心から喜ばしく思っている。
「北部の兵力はもう集結を終えているから、後は進軍準備を済ませて侵攻を開始するだけね……カドワロン、報告はそれだけかしら?」
「いえ、もう一点あります。こちらは悪い報せです……敵の陣営に、新たにリンダム王国の軍勢が加わった模様です。先に加勢に入っていたベルノニア王国と同じく、王家の旗が掲げられているため、エドウィン・リンダム国王が自ら援軍を率いているものと思われます。リンダム王国軍の加勢により、敵側の兵力は一千五百人を上回りました」
「……そう。まだ我が軍の方が多いけど、数の差はかなり縮まったわね」
一転して冷ややかな声でイゾルデが語ると、名をカドワロンと言う戦士長も同感を示すように頷いた。
こちらが領土をさらに拡大する意思を持っていることは、おそらく周辺諸国も察している。帝国軍人上がりだというブレドリック・ベルノニア国王が、アクルード王国が征服されれば次は自国が狙われる番だと考え、敵側となって参戦してくることはイゾルデも可能性のひとつとして予想していた。
しかし、今のところはカレド山脈の山道を介して平穏に交流しているリンダム王国までアクルードに加勢するとは。直接会ったことはないエドウィン・リンダム国王の、自分とよく似た出自を思い出しながら、イゾルデの顔には不敵な笑みが浮かぶ。
「アクルード王家がわざわざリンダム王家にまで助けを求めたとは考えづらいから、ブレドリック王がエドウィン王を誘ったのかしら? あの二人は仲が良いという噂だったけれど、余所の戦争への介入にも一緒に臨むほどとは思わなかったわ……まったく、余計なことをしてくれる」
吐き捨てるように言いながら、イゾルデは手にしていた戦斧を地面に突き立てる。刃を潰してある訓練用の戦斧は、地面に深々と刺さり、持ち主が手を離しても直立したままとなる。
「まだ襲ってもいないのに、わざわざ私に敵対してくるのなら臨むところよ。兵力差が縮まったのなら、これまでと同じように練度と戦術で勝ちを掴めばいい。アクルードの軍勢ごと一網打尽にして、下手に首を突っ込んだことを心の底から後悔させてやるわ……もし今回の戦いで彼らを殺すか捕えることができれば、後の征服が楽になるわね」
「ブレドリック王もエドウィン王も、過去の戦いでは自ら軍勢の先頭に立って戦ってきたと聞こえています。今回も王たちが自ら援軍を率い、戦場の最前面に出てくる可能性は高いでしょう。そうなればこちらとしても狙いやすい」
側近と言葉を交わしながら、イゾルデは立ち上がり、実戦さながらの激しい訓練を行っていた戦士たちの方へ歩み寄る。
「聞きなさい! 我が忠実なる戦士たち! 私の可愛い息子たち!」
これまでの領土拡大で大いに活躍した精鋭の戦士たちは、女王の呼びかけを受けて訓練の手を止め、振り返る。
まだ若い女王から「息子たち」と呼ばれることに、彼らは疑問や違和感を覚えない。彼らにとってイゾルデは、ガレア王国という巨大な家族の長であることに間違いない。
「喜ばしい報せが届けられた! 今回敵側にいるのはアクルード王国だけではない! ベルノニア王国と、さらにはリンダム王国までもが参戦してきた! 西の三国は徒党を組んで、ガレア王国に対抗する姿勢を示してきた……だが、恐れるには値しない!」
戦士たち一人ひとりに視線を巡らせるイゾルデの声は、訓練場に広く鋭く響き渡る。
「三国の兵力を合わせても、ガレア王国の軍勢には及ばない! そして、こちらはただ数が多いだけではない! 我が軍にはお前たちがいる! ガレア王家の誇る精鋭、女王の戦士団であるお前たちが中核を成せば、我が軍は必ず勝利する! そうだろう!」
イゾルデの声に含まれる覇気が、それを聞く者たちの心の内に高揚を生み出し、かき立てる。女王が期待した通りに、戦士たちは力強く応える。
「軍勢は揃った! この後は敵地へ向けて進軍し、待ち構える哀れな敵軍を打ち破るのみだ! 私と共に栄光への歩みを進めよう! ガレアは偉大なり!」
「「「ガレアは偉大なり!」」」
剣を掲げて吠えるイゾルデに、戦士たち皆が続いた。




