第九話 穏便な話し合い①
農場に拠点を置いて数日が経ったある日の午前。エドウィンは館の裏庭にいた。
地面に座り込むエドウィンの前に置かれているのは、真新しい円盾。通常、盾の表面には色が塗られていたり意匠が描かれていたりするが、この盾の表面にはまだ何も描かれていない。
「さてと、それじゃあ……早速描いていこうか」
エドウィンはそう言って、傍らに置かれた筆を手に取り、顔料をつけ、盾に塗り始める。エドウィンの隣にはクレアが座り、作業の様子を興味深そうに見つめている。
成人男性の上半身を覆える程度の直径を持つ円盾は、キラケス人の戦士にとって最も基本的な装備のひとつで、極めて高価である鎖帷子を買えない大半の戦士にとっては防御の要。適切な大きさで十分な強度を備えた上質な盾を所有し、正しく使いこなせることこそが戦士の強みであり、職業軍人たる戦士とただの民兵を隔てる最大の要素とも言われる。
その構造は洗練されているからこそ単純で、木板を接着剤で繋ぎ合わせて大きな一枚板にした上で円形に切り、全体の強度を高めるために表面に麻布を貼り、縁を生革で覆って作られる。木板は中心が丸く切り抜かれて穴が開けられ、背面に持ち手が取りつけられる。表面には中心の穴を塞ぐように盾芯と呼ばれる金属製の突起が付けられ、この盾芯は持ち手を握る手を保護する機能を果たすと同時に、盾を構えて敵に体当たりする際の武器にもなる。
麻布と生革で保護された木製盾はなかなかの強度を誇るが、必ずしも敵の攻撃を弾き返すわけではなく、ひびが入ったり、刃先が貫通したりすることも少なくない。しかし、大抵の攻撃はそこで止まるので、使用者の身体は守られる。そんな盾の特性を利用し、あえて攻撃を受け止めて敵の武器を盾に食い込ませ、そのまま盾を引いて武器を奪い取るような戦法が用いられることもある。
そのため、戦士の集団は大抵、盾の破損に備えて予備を用意している。エドウィンたちも、アロナ島に何十枚もの予備の盾――金属製の盾芯や縁を覆う生革はなるべく再利用するとして、円形の一枚板に麻布を貼り、中心に穴を開けて背面に持ち手を取りつけた盾の原型を持ち込んでいる。
先日の盗賊との戦いで自身の使っていた盾に亀裂が入り、まだ使えないこともないが強度が落ちている上に見栄えが悪くなってしまったため、エドウィンは盾を新調した。予備の盾の原型を一枚使い、自らの手で盾芯と生革を付け替えて新しい円盾を完成させた。ちなみに、亀裂の入った盾は黒いウロボロスの意匠を塗りつぶした上で木製の盾芯が取りつけられ、訓練用に使われる予定。
そして今、エドウィンは最後の仕上げを手がけているところだった。盾の表面を覆う麻布に下地となる色を塗り終えると、今度は黒い顔料を使い、自身の象徴である黒いウロボロスの意匠を少しずつ描き進めていく。
「エドウィン様はとても多才なのですね。絵までお上手だなんて」
「はははっ、上手く描けるのは自分の意匠だけだよ。父に練習させられて、子供の頃から何度も描いてきたからね……盾の塗装は、キラケス人の戦士にとって重要な儀式でもあるんだ」
黒い蛇の姿を盾の表面に生み出しながら、エドウィンは語る。
「重要な儀式、ですか?」
「そうだよ。戦士たちは必ず、自分自身の手で盾に色を塗ったり、それぞれの意匠を描いたりするんだ。これは自分の意思で戦場に立つという覚悟を、世界や神々に示す儀式なんだ。だから僕も、父上から受け継いだ僕の象徴を、こうして僕自身の手で描くんだよ」
「なるほど、そのような大切な意味があったのですね」
クレアと語らいながら着実に手を動かし続け、意匠を描き終えた頃。人が近づいてくる気配がしてエドウィンが顔を上げると、歩み寄ってきたのはレオフリックという名の若い配下だった。
ジェラルドの息子である彼は、父親に似て背が高く、強さと賢さを兼ね備えている。若い配下たちのまとめ役のような役割を担っており、エドウィンにとっては一歳上の幼馴染であると同時に、信頼できる側近の一人でもある。
エドウィンの前で立ち止まったレオフリックは、こちらも父親によく似た生真面目な表情で口を開く。
「若様。そろそろ正午になります。周辺の人里の代表者たちも到着して、今は館の前で待たせてあります。話し合いを始めますか?」
レオフリックの言葉に、エドウィンは空を見上げる。太陽は丁度、空の天辺にあった。
「ああ、もうそんな時間だったのか……ちょうど盾の塗装も終わったところだし、始めよう」
そう言って立ち上がったエドウィンは、隣にクレアを、一歩後ろにレオフリックを伴って館の正面に向かう。
アイヴァー川下流域の西側を領土として建国するには、その一帯にある全ての人里を服従させなければならない。なのでエドウィンは、配下の中ではあまり強面に見えないレオフリック他数人を使者とし、ドーラに道案内を頼み、支配下に置くつもりの六つの人里へ送った。自分がキラケス人の元傭兵であること、四十人の配下とその家族を伴ってアロナ島南西部へ移り住んだこと、この地を荒らす盗賊団を討伐したこと、この地に国を建てて王になるつもりであること、その件について話し合いの場を設けたいので代表者を寄越してほしいことを、それぞれの人里に伝えた。
いきなり軍勢を連れて踏み込み、服従しろと要求すれば話は早いが、まだ王を名乗っているわけでもない身であまり強硬な手段は取りたくない。根無し草の傭兵上がりに過ぎない今は、各人里にまずは穏便に接触して自分が礼儀を重んじる人間であることを示したい。たとえそれが表面的なものだとしても。
そう考えたからこそ、エドウィンはこうして話し合いの場を設けた。
「代表者は三つの村から二、三人ずつ来ました。他の人里からは誰も来ていません」
「そうか。まあ仕方ない。向こうからすれば、得体の知れない余所者から呼び出されるのは気に食わないか、怖いんだろう……三つの人里が応えただけで今はよしとしよう」
報告を受け、エドウィンは苦笑交じりに言う。
エドウィンの指定した話し合いの日時は、今日の正午。太陽が天辺に上るまでに代表者が来なければ、話し合いに応じなかったものと見なすと各人里には伝えてあった。エドウィンとしても、全ての人里を応じさせるのは難しいだろうと考えていたので、特に焦りや苛立ちは覚えない。
エドウィンが館の前に行くと、そこには三つの村の代表者たちが総勢で七人、集まっていた。人里の代表を務めるだけあって、農場の小作農たちよりも整った身なりをしている彼らは、館の周囲にいるエドウィンの配下たちからじろじろと視線を向けられ、とても居心地悪そうにしていた。
「やあやあ、皆よく来てくれた! 僕が君たちをこの農場へ呼んだエドウィンだ! 見ず知らずの男の呼び出しに応じてくれて感謝するよ!」
エドウィンは両手を広げ、笑顔で彼らを迎える。優しくて話の分かりそうな人間に見えるよう、努めて明るく振る舞う。
それに対する客人たちの反応は、何とも複雑なものだった。おそらくは「大陸からやって来た武装集団の頭領」と聞いて想像したよりも若くて接しやすそうな人物が出てきたからか、幾らか安心した様子で。同時に、エドウィンを得体の知れない人間だと感じたのか、どこか怯えたような表情で。おそらくは敬意ではなく恐れから、エドウィンに一礼した。
「さあ、館の中に入ってくれ。昼食を用意させているから、腹を満たしながら話をしよう」
エドウィンに手招きされ、代表者たちは恐る恐るといった様子で館に入る。




