第八十七話 発展と安定の日々①
リンダム王国によるティリス川以南の統一は、目覚ましい発展と安定の日々をもたらした。
エドウィン・リンダムという一人の王が圧倒的な権力を以て君臨するようになったことで、戦争が起こらなくなった。すなわち戦死者や、後遺症を抱えるような戦傷者が発生しなくなった。一方で、時の流れと共に子供たちは育つ。その結果、各人里の労働力は増した。新たに子が生まれることで、人口そのものも増えている。
農業生産力の拡大に伴って社会全体に余裕が生まれ、治安も安定したことで、経済の復興も一段と進んだ。帝国支配の時代には未だ及ばないものの、商業活動の規模は年々増している。活動を再開した、あるいは新たに活動を開始した行商人が各人里を巡るようになり、王家直轄領と各貴族領の交易も、それぞれの支配者だけでなく商人たちを介して活発に行われるようになった。
リンダム王国と周辺諸国の交易や交流も、着実に進められている。
南西部に限らず、各地で勢力の統合が進んだ結果、現在のアロナ島は数万の人口を有する王国が幾つも並び立つ状況となっている。その中でリンダム王国は、特に近隣の国々と政治的にも経済的にも繋がりを築いてきた。
元々は余所者のキラケス人である自分は、話の通じる理性的な為政者と見られるよう努力するべき。そう考え、戦いの際にも大義名分を重視してきたエドウィンの振る舞いは功を奏したようで、周辺のアロナ人君主たちはリンダム王家を殊更に敵視することはなく、少なくとも現状においては穏便な態度を示してくれている。
最も緊密な交流を為しているのは、やはりと言うべきか、ティリス川を挟んで北隣に位置するベルノニア王国。国王ブレドリック・ベルノニアの気質を個人的に気に食わなく思っているエドウィンとしては、この事実を認めるのは癪だが、アロナ島南西部を北と南に山分けして共存共栄を実現しているかの国とは、ある意味で運命共同体と呼ぶべき関係にある。噂によると、他地域の国々からも、リンダムとベルノニアは兄弟国のような関係性として認知されているという。
このように、アロナ島全体を舞台として各国の王家が外交を行うようになり、その中でリンダム王家が安定した立ち位置を築く一方で、王家の膝元たる「王の都」の発展も進んでいる。
王家のために一から建てられた新しい館は、今では主屋の周辺の家屋群や倉庫、厩舎なども全てが完成している。その敷地の全体が丸太柵で囲まれ、門の上には物見台も置かれ、親衛隊戦士たちが王家の居所を日々守っている。
館から広場までの土地は、元々は何もない空き地だったが、現在は戦士や古参農民たちの住居が並び、王国社会の有力者たちの暮らす区域として確立されている。
都の中心たる広場では、月に数回ほど市場が開かれるようになった。広場の周囲には、王家の御用商人ロイドが開いた常設の商店、来訪者のための宿屋、そして酒場などが並び、王国経済の中核を成している。
仕事を求める若い職人が移住してきたり、御用鍛冶商人デリックが大陸から連れてきた弟子たちが独立し、自分たちもまた弟子を取るようになったりしたことで、都の工業力も拡大した。商業と工業の両面で発展が進み、機能の点でも都市化は着実に進んでいる。
都の人口そのものも増え、既に七百人を超えた。エドウィンが目標としている人口千人に届く日も、そう遠くないものと見られている。
こうした社会の安定と発展に支えられ、王家の戦士団も強化されている。総勢二百人まで規模を拡大していた戦士団は、年単位の訓練を重ねた結果、平民から登用された新参の戦士たちもある程度あてにできる戦力へと育った。
騎兵部隊も、新参も含めた戦士の中からまともに馬に乗れる者が選抜されて鐙を用いた訓練が施され、質の面ではばらつきがあるものの、数の上では四十騎まで増えた。これだけの規模となると軍馬の維持費がおそろしく高く、とはいえ騎兵部隊にかけられる費用にも限度があるため、エドウィンは現状の規模をひとまずの上限と考えている。
装備の面でも強化が進んでいる。武具鍛冶職人の数が増えたことで鉄製装備がより迅速に量産され、貴族たちから上納される税にそうした装備も含まれていることも助けとなり、既に戦士団の半数弱が鎖帷子と兜を備えている。王家の戦士団は今や、アロナ島において稀に見る重装備の常備兵力となった。
軍事、政治、経済。全ての面でリンダム王国の統治は極めて安定しており、平和な年月の中で社会は着実に前進している。
覇道とは、武力を以て支配を為すことを示す。その意味では、領土拡大を終えた後もエドウィンの覇道は続いており、生涯終わることはない。
時は統一暦四一七年の秋。エドウィンが連合軍に勝利を収めてティリス川以南を統一し、新たな王の館に居を移してから、およそ三年の月日が流れていた。
・・・・・・
「……訓練を始めて三か月にしては上出来だね」
ある日の午後。政務を一段落させたエドウィンは、館の裏庭に赴き、そこで親衛隊戦士ジュリアンを相手に木剣を振るう嫡男エゼルウルフを眺めながら呟いた。
「父親譲りの器用さに加えて、戦闘の感性自体が優れています。体格も若様が八歳の頃より一回り良い。若様以上の戦士になるのはほぼ確実でしょう」
「はははっ! それは何よりだ。子が親を超えるのが我が家の伝統だからね」
傍らに立つ戦士長ジェラルドの言葉を受け、エドウィンは上機嫌に笑う。今年三十歳になり、そろそろ「若き王」と称するのは厳しくなってきたエドウィンだが、しかしジェラルドをはじめとした一部の側近たちは、他の者の目がない場面では変わらず「若様」と呼んでくれる。
エドウィンたちの故郷キラケス地方では、七歳までは幼子と見なされ、八歳頃から本格的に仕事を学び始めるのが通例。これまでは幼子扱いで、遊びの延長の稽古程度しか行ってこなかったエゼルウルフは、八歳となるこの年の夏より、より本格的な訓練を施されるようになった。
「この調子なら、そろそろ見習いたちの訓練に参加させても大丈夫そうか? 元々は冬頃からが適当かと思っていたが」
「教官役の指示も素直に聞いていますから、明日からでも臨ませて問題ないでしょう」
「では、そのように頼む……それにしても、エゼルウルフがもう見習いの仲間入りか。子供の成長は本当に早いものだね」
戦士たちの息子は皆、そして希望すれば娘も、八歳になると訓練を始める。身近な大人から指導を受けて最低限の基礎を身につけると、戦士見習いという扱いで皆が集められて訓練を施され、十分な能力を身につけたと認められると正式に戦士団の一員となる。
エドウィンの教育方針として、エゼルウルフも戦士たちの子女と同じ過程を辿ることが定められていた。とはいえ、我が嫡男はまだまだ子供だという気がしていたエドウィンとしては、その成長の速さに大きな感慨と少しの寂しさを覚えてしまう。
「今から二十年くらい前は、俺も若様やレオフリックたちの成長を見ながら同じことを思ってましたよ」
ジェラルドがにやりと笑いながら言うと、エドウィンの表情は微苦笑に変わった。
エドウィンと共に歳を取り、既に齢五十を超えたジェラルドは、白髪は増えたものの肉体的な精強さは全く衰えず、今もなお王国最強の戦士として君臨している。若い頃に父を亡くしたエドウィンにとって、昔から自分を支え、ときに年長者として導いてくれる彼は、忠実な最側近であると同時に第二の父親のような存在となっている。
間もなくエゼルウルフの訓練は一段落し、指導してくれたジュリアンに丁寧に一礼した八歳の王子は、父である王のもとへ駆け寄ってくる。
「父上! ぼくの戦いぶりはどうでしたか!」
「始めたばかりにしてはなかなかのものだよ。この調子で頑張れば、優れた戦士になれるだろう……だが、あくまで頑張ればの話だ。これからも精進して、才覚を活かしなさい。明日からは見習いの者たちと一緒に訓練に臨むといい」
やや控えめな称賛をエドウィンが語ると、この数年ですっかり少年らしくなったエゼルウルフの顔に輝くような笑みが浮かぶ。
「本当ですか! やったあ! ぼく、頑張ります! 強くならないと、父上のあとを継いだときにせっとくりょくがないですから!」
「素晴らしい心がけだ。父として君の成長に期待しているよ……相変わらず、歳のわりに難しい言葉遣いが好きだな、我が息子は」
少しの呆れを含ませた笑顔でエゼルウルフの頭を撫でたエドウィンは、次いで視線をジュリアンの方へ向ける。
「ジュリアン、指導役ご苦労だった」
「恐縮です、陛下……王子殿下はとても飲み込みが早くていらっしゃる。教官役としても、教え甲斐があって楽しい一時でした」
柔和な笑みを浮かべながら、今や側近の一人に数えられるようになった古参戦士は語った。彼は穏やかな気質もあって見習い戦士や民兵の訓練指導を得意としており、その能力や実績を見込んで王子の教官役の一人に選ばれている。
そのままエドウィンが嫡男や側近たちと語らっていると、そこへ新たに声がかけられる。
「ちちうえ~!」
元気に言いながらエドウィンのもとへ駆け寄ってきたのは、今年五歳になった第一王女アリスだった。その後ろには二歳の第二王女セレンを連れた王妃クレアが続き、さらに後ろには、その護衛や世話を担う数人の女性家臣が並んでいる。
「アリス、遊びにきたのかい?」
「ちがうよ! わたしもね、おにいさまみたいに、くんれんをしにきたの!」
数年前までのエゼルウルフを思わせる、お転婆な性格の第一王女は、布に綿を詰めて作られた戦斧型の玩具をぶんぶんと振り回しながらエドウィンの問いに答える。
「わが妹よ、前も言ったじゃないか。訓練はもっと大きくならないとできないんだよ」
「えーっ! まだだめなの? いつまでまたないとだめ?」
「次の次の次の夏くらいまで待ちなさい。それまでは、危ないから木剣は渡さないよ!」
「ぶぅー」
エゼルウルフの断言を受けてアリスが頬を膨らませる横で、大人しい性格のセレンは我関せずと言った様子で地面にしゃがみ込み、虫の観察を始めている。
「まったく、いつものことながら、我が子供たちは見ていて飽きないね」
「ええ、本当に。この子たちのおかげで、退屈とは無縁の毎日ですわ」
それぞれ個性の表れた子供たちの振る舞いを前に、エドウィンとクレアは顔を見合わせて笑い合う。結婚から九年が経ち、互いへの愛は変わることなく、むしろ深まり続けている。
家族は皆が仲良く、治める国は平和そのもの。この日々が生涯、それが難しいのであればできるだけ長く、続いてほしいとエドウィンは願っている。




