第八十五話 競争の結果
アンナの結婚とエストラド家の正式な従属、それに伴うティリス川以南の征服宣言から数日後。王の館の広間で、エドウィンは重臣たちと今後の統治に関する話し合いに臨んでいた。
「……では、アイヴァー川下流の橋は昨日見た候補地に建設することで確定させますぅ」
「ああ、それで頼む」
祭司長フィオナと話しながらエドウィンが向き合っているのは、テーブルの上に広げられた地図だった。
昨年の旧ファーマス王国征服の後、エドウィンは御用商人ロイドや祭司たちの力も借りながら、リンダム王家直轄領のある程度詳細な地図を作成した。距離などは不正確だが、どの位置に人里や主要な地形があるかは把握できる地図の、今はアイヴァー川下流に視点を定めている。
王国の北の国境にあたるティリス川から南へと枝分かれしているアイヴァー川は、その上流にのみ、かつてのタイウェルの領地とガレスの領地を繋ぐように木造の橋がかかっている。中流は大森林に覆われており、下流には橋はない。そのため渡河する際は、かつては小型の荷馬車程度ならば余裕をもって乗せられる大きな筏が、現在はそれに加えて王家の輸送船が使用されている。
帝国支配の時代と比べて商業が大きく衰退している現在は、人が行き来する機会もそれほど多くないため、これまでは筏や船を使って人を運んでいれば特に問題はなかった。しかし、リンダム王国の巨大化に伴ってティリス川以南のますますの商業復興が進み、直轄領の拡大によって都への民の往来も増えるであろう今後は、橋があった方がいい。その方が便利であるし、王の都のある南西端とその他の地域を行き来するために、わざわざ船などを使わなければならない状況が続くのは格好が悪い。そう考えた結果、エドウィンはアイヴァー川下流への橋の建設を決断した。
建設位置は、都の真東の辺り。都の南東に位置する船着き場よりも少し北側。輸送船が都よりも北へ遡上することはないので、その位置を橋で塞いでしまっても問題はない。普段は橋に見張りの戦士を配置し、敵が攻めてきた場合などは橋を防衛線とするか、最悪の場合は焼いて壊してしまえばいい。
「建設はそれほど急がなくていい。新しい館や古参農民たちの新居に優先的に人手を割きつつ、橋は来年中に完成するのが理想……ということにしておこう」
「では、大工の皆さんにはそのように伝えておきますぅ」
王の意向を受けて、温和な祭司長はいつも通りのおっとりとした口調で返した。
「……それにしても、こうして地図で見ると、つくづくこの都の立地は都合が良いな。平時は交易に向いていて、戦時は防衛に向いている。一国の中枢としてこれほど好条件が揃っている土地も珍しい」
言いながら、エドウィンの顔には笑みが浮かぶ。
王の都のすぐ傍らにあるアイヴァー川は、南の海に繋がっているため、物資輸送に水運を利用できる。実際これまでは、他勢力との交易や、税として集めた麦や家畜の運搬に水運が活用されてきた。これから都を政治と経済の中枢として発展させていく上でも、この利点は極めて大きい。
そうして平時の有利がある一方で、戦時は守りやすいのがこの地の特徴。王の都は領土の南西端の奥まった位置にあるため、大規模な敵軍がこちらに気づかれずに北や東から接近することは極めて難しく、西と南は海に守られている。そのため、都が陸路での奇襲を受ける可能性は皆無と言っていい。
船による襲撃を為されても、西と南の海岸から都までは多少の距離があるため、こちらは都へ迫られる前に戦闘態勢をとることができる。場合によっては、無防備に上陸中の敵軍へ先制攻撃を為すこともできる。敵側がアイヴァー川の遡上を試みても、船着き場より南に鎖を張って船の通過を阻止できる設備が昨年から置かれているので、問題なく対応可能。ティリス川と繋がる北側は森に覆われている中流の地形が不安定なので、敵がそちらから船で下ることはできない。
陸路でも海路でも、百人単位の大軍で迫るのは一苦労。そんなティリス川以南の南西端に、そうとは知らず上陸して拠点を置けたのは僥倖だったとエドウィンは考えている。
「運命の女性がこのような場所に暮らしていたことも、きっと神々の導きだったんだろうね」
「そうですね、エドウィン様。私たちはきっと、生まれたときからここで王と妃になることを運命づけられていたんですわ」
エドウィンが語りかけると、王妃として話し合いに同席しているクレアは恍惚とした笑みを浮かべながら身体を寄せる。エドウィンの腕を胸に抱き、エドウィンの肩に頭をもたれさせる。
重臣たちが呆れるほど仲睦まじい国王夫妻のやり取りを挟みつつ、議題は次に移る。
「戦士団の領境の拠点としては、やはりファーマス家とバーデン家から奪った館を使うのが最善だろうな」
言いながらエドウィンが指差したのは、かつてダグラス・バーデンの拠点だった大きな農場と、ロドリ・ファーマスの拠点だった村。
王家の直轄領の規模が拡大し、王の都から東の領境へ一日のうちに行軍するのが難しくなった現状を受け、エドウィンは戦士団を領境付近に分散配置することを決めた。二百人にまで増えた戦士のうち、数十人ずつを旧バーデン領と旧ファーマス王国に常駐させる。以前より側近たちとそのような計画を話し合い、昨年から今年にかけての訓練で新参の戦士たちも最低限は使い物になったことを受け、この話し合いの場で正式に決定した。
「駐留させる人数も、これまで話していた通りで進めますか?」
「それでいい。駐留させる戦士は都で暮らす者と定期的に入れ替え、両拠点に騎兵も数騎ずつ常駐させるとして、指揮官は……やはり、親衛隊の中でこの仕事に向いていそうな者から選ぶのがいいだろう。レオフリック、オズワルド、ジュリアン、ウォルフガング、それに――」
戦士団の増強に併せ、勤勉さや功績を見て人員を増やした親衛隊の顔ぶれを思い出しながら、エドウィンは数十人規模の部隊管理を任せるに足るであろう指揮官候補を挙げていく。聡明さではなく腕力や威圧感を見込んで親衛隊に任ぜられているウォーレスや、王妃の警護役として現状替えの利かない人材であるジルヴィアなどの名前は出ない。
「それでは冬明けから一度目の徴税をする夏までの半年と、二度目の徴税をする秋から越冬をするまでの半年に区切り、それぞれ二十人から三十人程度を両拠点に駐留させる体制を整えます」
「よろしく頼む。これまでよりも戦士団の運用が複雑になって、色々と大変になるだろうが……」
「何、これが戦士長の仕事ですから。親衛隊の連中も補佐してくれますし、レオフリックやオズワルドも指揮役として育っていますから、大した苦労はないはずです」
頼もしい返答をくれるジェラルドに「それならよかった」と微笑を返したエドウィンは、その後もいくつかの事項について重臣たちと話し合う。そして、最後の議題――ティリス川以南を完全征服したことを周辺地域に知らしめる件について話した後、満足げな表情で椅子の背に身体を預け、口を開く。
「……ブレドリック王との競争は僕の勝ちだろうな。リンダム王国領土がカレド山脈に達し、ティリス川以南の征服が成されたという報を受ければ、奴は泣いて悔しがることだろう。できることなら直接見たかった」
そう語る若き王の顔には、ひどく意地の悪そうな笑みが浮かんでいた。
ベルノニア王国がティリス川以北を完全征服した、という報がエドウィンのもとに届けられたのは、それから数日後のことだった。
・・・・・・
一昨年のエドウィン・リンダムとの会談後、ブレドリック・ベルノニアはティリス川以北の完全征服を目指し、ますます奮起した。エドウィンは競争の提案には乗ってこなかったが、こちらより早くカレド山脈に到達すればどうせ勝ち誇ってくるであろうと考え、彼に先んじるために征服行を急いだ。
ベルノニア王国の強みは、元帝国軍士官であるブレドリックの指揮能力と、その知識や経験を活かして鍛え上げられた常備兵力の精強さ。ロドニア帝国軍に倣って正式名称をベルノニア軍団とされ、普段は単に「軍団」と呼ばれる武門の家臣団は、ブレドリックの征服行において常に主力として活躍した。
アロナ人を含む旧帝国北部の民族は軽量な円形盾を好んで使うが、ブレドリックは軍団の中でも精鋭の者たちに、ロドニア風の長方形の大型盾を装備させている。ブレドリックがアロナ島に残る決断をした際、元帝国軍人だけでなく武具職人も幾人かが付き従っており、盾職人たちが日々増産に努めているおかげで軍団は十分な数の大型盾を保有している。
またブレドリックは、エドウィンが活用しているクロスボウという武器に関する噂を聞くと、その情報を集めた。クロスボウの有効性を理解すると、生意気な若造に倣うことへの不愉快さを抱きながらもその模造と量産に努め、主に民兵の武器として自身も活用した。
戦闘の序盤でクロスボウ兵が敵の戦列を攻撃して弱らせ、その後の白兵戦では大型盾を装備した前衛の精鋭軍団兵たちが防御力で敵軍を上回り、先に限界を迎えた敵の戦列を打ち破る。そのような戦法で他勢力の軍勢を次々に撃破し、そして統一暦四一四年の春、ティリス川以北の統一を果たした。
「我ブレドリック・ベルノニアによるティリス川以北の完全征服を、今ここに宣言する。以後、この地は王と元老院議員によって統治される。この場に集う諸卿は元老院議員として、各々の所領を治め、徴税と徴兵を為し、そして王の開く元老院会議に参加する特権を有する。この特権は、王と王家への忠誠と引き換えに永久に保障されるものである」
ティリス川以北の西側、ベルノニア王家直轄領にある居館の広間で、ブレドリックは従属させた旧敵対勢力の支配者たちを前に堂々と語る。
ベルノニア王家の拠点は、かつてブレドリックが司令官として管理していた帝国軍の砦を流用したもの。部隊の撤退後、砦を焼き尽くすという最後の任務をブレドリックは遂行せず、そのまま己の拠点とした。
空堀と土塁と丸太柵によって守られ、木造の兵舎と倉庫と厩舎、そして石造りの司令部から成る砦は、周囲に築かれた商人や職人や労働者たちの居所と共に、帝国支配の時代と概ね変わらない形と機能を保っている。人口こそ帝国軍撤退後の混乱によって減ったものの、砦を中核とした小都市として今も在り続けている。
「我が宣言を受け入れる者は、王への忠誠を示すがよい」
「ブレドリック王に栄光あれ!」
ブレドリックが命じた直後、その傍らに立つ帝国軍時代からの側近が高らかに叫ぶ。ブレドリックの前に立ち並ぶ「元老院議員」たちも、それに倣って斉唱する。王を讃えるいくつもの声が広間に響く。
ベルノニア王家に従属した支配者たちに与えられた元老院議員という称号は、ロドニア帝国の伝統的な称号に倣ったもの。本来は皇帝の諮問機関の一員を示していたが、末期にはその役割は形骸化し、人数ばかりが増え、単に貴族と同義となった。ブレドリックはこの地において己が帝国に代わる支配者であることを強調するため、彼ら王国貴族たちをそう呼ぶことにした。
今や王家の館と化している砦の、主屋として使われている旧司令部の広間で、称賛を浴びながらブレドリックは思案する。
エドウィンが複数勢力の連合軍による侵攻を受け、しかし迎撃を果たして逆にそれらの勢力の支配者たちを従属せしめ、ティリス川以南の大半を掌握したという情報が入ったのが昨年の秋のことだった。以降、ブレドリックは征服行を急いだ。エドウィンがティリス川以南を完全征服するよりも早く、自分がティリス川以北を掌握して勝ち誇るために。
冬が明け、やや強引な侵攻によって最後の数勢力を従属させにかかったブレドリックは、勝利した末にこうして完全征服の宣言を為しながら、安堵を覚えている。なんとかエドウィンに先んじてカレド山脈までの全域を征服することができただろうと考えている。
後は、この事実をエドウィンに伝えるのみ。自分より先に北の隣人が王国を完成させたと知ったら、彼は泣いて悔しがることだろう。欲を言えば、その様を直に見たかったものだ。
そう考えながら、ブレドリックの口元には自然と笑みが浮かんだ。
リンダム王国がティリス川以南を完全征服した、という報がブレドリックのもとに届けられたのは、それから数日後のことだった。




