第八十四話 感慨②
花嫁の兄として自身も大勢から祝いの言葉をかけられたレオフリックは、怒涛の挨拶や歓談に疲れて広場の北側に置かれた長椅子に座り、休息を兼ねて一人静かに酒の杯を傾けながら、宴の喧騒を眺めていた。
すると、分かりやすく酔っぱらった様子のオズワルドが足元をふらつかせながら近づいてきて、隣にどかりと座り込んでくる。
「いやー、まさか俺が早飲み対決で敗けるとはな。とんでもねえ強敵だアルフォス伯は。さすがは元盗賊の首領」
「まったくお前は……貴族たちは王家に次ぐ支配階級ってことになってるんだからな。俺たち戦士階級の方が格下だ。あまり調子に乗って絡むなよ」
「大丈夫だって。勝負を仕掛けてきたのはあっちだぜ? それに、酒を飲み交わしてみたら、貴族どもも意外と気のいい連中だよ」
呆れ顔のレオフリックが窘めても、オズワルドは全く気にする様子もなくへらへらと笑う。
オズワルドとアルフォス伯ほど打ち解けている例は珍しいとしても、宴では貴族たちと王家の重臣たちの交流もなされている。女性であるエルメン伯とグローサー伯は、祭司長フィオナと、今は王女を抱きかかえたままの王妃クレアも交えて和やかに語らっている。キドウェル伯とコールフォード伯は、今はジェラルドとエストラド伯と歓談に興じている。レオフリック自身も、既に彼ら貴族との挨拶は済ませていた。
「それで、花婿の兄殿は何でこんなところでぼうっとしてたんだ?」
「おい、酒臭いぞ。もっと離れろ……別に、大勢と話して疲れたから休んでただけだ」
肩を組んできたオズワルドの顔をぐいっと押して離した上で、レオフリックは答える。
「そうかよ。まあ、お前はこういう場で賑やかに話すのがあんまり得意じゃねえからな……それにしても、あのアンナが本当に結婚しちまったなぁ。まだまだ子供だと思ってたのによぉ」
「ああ。我が妹のことながら、未だに実感が湧かないな」
しみじみと言ったオズワルドに、嘆息交じりに返したレオフリックは、しばしの間を置いてさらに言葉を続ける。
「……俺も結婚するか」
「おっ!?」
唐突な呟きを受け、オズワルドは飛び上がって驚く。
「何だよ、そこまで驚くことか? お前ら皆、とっとと結婚しろと俺を急かしてたじゃないか」
「いや、まあそうだけどよぉ……いきなり結婚つっても、相手は決めてんのか? まさか、俺たちに隠して仲良くしてる女でもいたのか?」
「別にそういうわけじゃないが……ほら、俺と結婚したいっていう女性は多いから。その中から誰か良い相手を選ぶさ」
微妙な表情で頬をかきながら言うレオフリックを見て、オズワルドは盛大に顔をしかめる。
「けぇーっ! 偉くて背も高くて顔も良い男は羨ましいぜ! 愛の神エメレットの罰が当たっちまえばいいのに」
「何だよ、別に俺が悪いことをしたわけじゃないだろう」
「はいはい、そうだなちくしょう……まあ、せっかく選り取り見取りなんだから、いちばん相性が良いと思える女を選ぶこった。一生添い遂げる相手なんだからな」
ばしばしと肩を叩く親友に、レオフリックは苦笑しながら頷いた。
・・・・・・
賑やかな宴は、日暮れ近くまで続いた。
エドウィンがお開きを宣言すると、都や周辺の人里の住民たちはそれぞれの家に帰り、貴族領から来訪した大勢の客人たちは、宿として貸し出されている家々に戻った。それらの家は普段は独身戦士たちが集まり暮らしているものなので、寝床を一時失っている独身戦士たちは、王の館の広間か所帯持ちの戦士たちの家で長椅子や床に転がって眠りについた。
一部の酔っ払いたちは、広場で酔い潰れたままの姿で一夜を明かすこととなった。
翌日。都の住民たちが日常に戻って仕事に臨む一方で、客人たちは帰路の旅に備えて休息に努めた。そしてアンナは、都での最後の一日を家族と共に過ごした。
その日の夕方。アンナは館の裏手に置かれた長椅子に一人座り、夕陽に照らされる風景を眺めていた。自分で淹れたお茶の杯を手に、何をするでもなく静かな時を過ごしていた。
「やあ、アンナ」
そう声をかけられてアンナが振り返ると、そこに立っていたのはエドウィンだった。
「今日はゆっくり家族と過ごせたかい?」
「……はい。皆と一緒にご飯を食べて、たくさん話すことができました」
「そうか、それは何よりだ」
アンナは満足げな笑顔を浮かべて答え、エドウィンはそれに笑みを返しながら彼女の隣に腰を下ろす。
「本当に、若様にはすごく感謝しています。偉くて立派な人と結婚する夢を叶えてもらって……」
もう何度目かの礼を伝えてきた幼馴染の妹に、エドウィンは自身も風景に視線を向けながら鷹揚に頷く。
「見たところ、花婿のマーフィン殿とも仲良くできているようで何よりだよ。君にはただ偉いだけでなく、人柄も優れた伴侶を持ってもらいたかったからね」
「はい。マーフィンさんはすごく優しい人です。私のことを気遣ってくれて、幸せにするって約束してくれて……あの人となら、きっと良い夫婦になれると思います」
これから始まる新たな人生への期待に満ちた声でアンナは言い、そして二人の間にはひとときの沈黙が流れる。
「……私、小さい頃、若様のことが好きでした」
風景を向いたままアンナが続けた言葉が、沈黙を終わらせる。
「気づいていたさ。自分の命を救ってくれた恩人に、君が長いこと憧れを抱いていたことは……そして君は、十歳を過ぎて多感な時期に入ると、異性としての僕への興味を失くしただろう。自分の好みは僕のように尊大で調子の良い男ではなく、君の兄レオフリックのように生真面目で落ち着いた男だと気づいたんだろう」
「わあ、当たりです。さすがは若様」
エドウィンが返すと、アンナは楽しげに笑った。その反応にエドウィンも小さく噴き出し、二人でしばらくの間笑い合う。
「……あのグリフィズ殿の息子であれば、君の好みに近い青年だろうと予想したことも、彼の提案に対して君を推した理由のひとつだ。どうやら予想通りなようで何よりだよ」
そこまで語ったエドウィンは、アンナの方を振り返る。彼女もエドウィンに視線を向ける。
「王として、そして友人の一人として、君の幸せを心から願っているよ。都へ来る機会はこれからも度々あるだろう。そのときはまた楽しく語らおう」
「はい。ありがとうございます、若様」
満面の笑みで応えたアンナの頭を撫でようとして、しかしエドウィンは手を動かすことはなかった。彼女はもう大人で、夫を持つ立場であるのだから、そのような子供扱いをするべきではないと考えなおした。
アンナが館の中へ戻っていく一方で、エドウィンはその場に残る。長椅子に座ったまま、夜の帳が空に下りていく様をしばし眺める。
これで、自分を若様と呼んでくれる者が周囲から一人減る。彼女が生まれたときからその成長を見守ってきた、皆の妹のような存在だったアンナは、王家に近しい要人として貴族のもとへ嫁いでいく。明日には自分たちのもとを巣立っていく。
王となり、この地で年月を重ねる中で、色々なことが変わった。手に握る権力は増した。一方で義務や責任も増した。傭兵だった頃とは比べ物にならないほど大勢の配下を抱え、しかし彼らと接する際の距離感は変わった。最愛の家族を得た。新たな故郷を得た。快適な生活を得た。多くを手に入れ、一方で少なからぬものを失った。
自ら望んだ人生だ。自ら求め、覚悟した変化だ。全ては自分の行動の結果だ。それは分かっているし、後悔を抱くことはない。
ただ、時として感慨を覚えるだけだ。一個人の目から見れば、とても巨大でひどく波乱に満ちたこの人生に。
「ちちうえ~!」
そのとき。呼びかけを受けたエドウィンは、思案を止めて振り返る。館の裏口を出てこちらへ歩み寄ってくるのは、エゼルウルフと、アリスを腕に抱いたクレアだった。
「エドウィン様、夕食の準備ができたので呼びにきました……何か、考え事をなさっていたんですか?」
「……ああ、他愛もないことをね。もう終わったよ」
優しく微笑みながらクレアが発した問いに、エドウィンも笑顔を浮かべて答える。長椅子から立ち上がり、愛する家族のもとへ歩み寄ると、アリスの頭を撫で、エゼルウルフと手を繋ぎ、クレアと並んで館に戻る。
これからもきっと、多くのことが変わっていくのだろう。しかし、それこそが人生だ。どのような人生であろうと、時と共に変化を遂げていくものだ。
自分は自分の選んだ人生を生きていく。ただそれだけだ。
翌日。アンナは伴侶とその家族と共に、王の都を発っていった。彼女のそれまでの人生から、新たな人生へと旅立っていった。
ジェラルドとリンダとレオフリック、王の館でアンナと共に暮らした皆、そしてアンナを昔から知る多くの者たちと共に、エドウィンは彼女の出立を見送った。




