第八十三話 感慨①
それからおよそ一か月後。アンナの結婚式が王の都にて開かれた。
自身の嫡男とアンナの婚姻を見届けたグリフィズは、都の広場で大勢が見守る中、正式にリンダム王家への従属を誓い、以て王国貴族たる伯の称号を下賜された。儀式とその後の宴には既に王家に従属している五人の貴族たちも招かれており、王と六人の伯が一堂に会した場でエドウィンがティリス川以南の全地域の支配を宣言したことで、宴はアンナの嫁入りを祝うだけでなく、リンダム王国の完成を象徴するものとして政治的により重要な意味合いを帯びた。
「今日、一組の夫婦が生涯の愛を誓って結ばれ、そしてリンダム王家とエストラド家の揺るがぬ絆が生まれた! 王国にとってこれほどめでたい日は滅多にない! 王家の家臣も民も、貴族領からの来訪者一同も、皆存分に祝い楽しんでくれ! 好きなだけ食べて飲むのが、この場の全員に課された義務と思うがいい!」
山ほどの料理と酒が並んだ都の広場で演台に立ったエドウィンは、前方に集まる貴族たちを、その後ろに並ぶ王家と各貴族家の家臣たちを、さらにその後ろに集まっている都と周辺の人里の住民たちを、見回しながら高らかに呼びかける。そしてワインの注がれた銀製の杯を掲げ、自身の傍らに立たせているアンナと彼女の夫を手で示す。
「諸君、祝福の杯を掲げよう! 花婿と花嫁に!」
王に続いて一同が「花婿と花嫁に!」と唱和し、そして始まった宴は、それはそれは賑やかなものとなった。
全てが王家の奢りである豪勢な料理と大量の酒を、宴の出席者たちはその立場に関係なく、誰もが遠慮なく味わう。歓談の賑わいで広場の空気は温まり、浮かれて歌い踊る者や、宴の恒例として喧嘩騒ぎに興じる者も出てくる。そのうち身分や所属の境界線も薄れ、名前も知らない者同士で輪が作られていく。
「何だかんだで、貴族たちもその家臣たちも楽しんでくれているようだね。何よりだ」
「今日一日で、王国社会の融和が随分と深まりそうですね。とても素晴らしいことですわ」
しばらく広場を歩き回って多くの者と言葉を交わしたエドウィンとクレアは、一休みするために広場北端の最上座に移動し、屋外まで持ち出されている玉座と王妃の椅子に並んで座ると、ますます賑やかさを増していく宴の光景を眺めながら語らう。
料理と酒に囲まれた祝いの場では、誰もが普段よりも柔和な態度を見せるもの。昨年リンダム王家に従属した五人の貴族たちは、宴に招かれた立場として、笑顔を浮かべながら穏やかに王と歓談してくれた。リンダム王家がティリス川以南を掌握したことへの祝辞を述べ、久しぶりに再会した各家の人質が王家から厚遇されて過ごしていることへの感謝を語り、初対面である王妃クレアとにこやかに挨拶を交わしてくれた。
酒の杯を手にして祝宴の時間を共にした、という事実は馬鹿にならない意味を持つ。エドウィンと五人の貴族たちが昨年戦いをくり広げた事実が薄れ、互いの距離が縮まるまでにはまだ時間を要するだろうが、それでも今日のひとときを経たことで、緊張状態は幾らか和らいだ。
それは王と貴族たちだけでなく、各家の家臣たちも同じこと。オズワルドやデリック、ギルベルタやロイドなど社交的な者たちの活躍もあり、王家の家臣たちと、貴族の従者として来訪している家臣たちは、今や同じ王国の支配者層に仕える立場として良く交流できているようだった。
玉座の近くでは、互いに姻戚の立場となったジェラルドとグリフィズが友好的に語らっているのが見える。その隣では、晴れて夫婦となったアンナとエストラド伯家の嫡男も、何やら楽しげに会話している。結婚に際して初めて顔を合わせたアンナたちだが、幸いにも順調に距離を縮めることができているようで、花婿の人柄についてもエドウィンの予想通り心配無用の様子だった。
「ああ、クレア。本当に素晴らしいことだよ……これも全て、アンナが繋いでくれた縁だ。彼女には感謝しなければ」
夫となった優しげな青年に寄り添われ、幸せそうに笑うアンナの姿を見ながら、エドウィンは呟くように言った。
そのとき。広場の隅でリンダやヘルガに面倒を見られていた王女アリスの泣き声が、エドウィンたちのもとまで聞こえてきた。どうやら母の抱っこを所望して泣いているらしい彼女のもとへ、クレアはエドウィンと微苦笑を交わした後、急ぎ歩いていく。
入れ替わりでエドウィンに歩み寄ってきたのは、家令のドーラだった。彼女は手にしている小さな壷から、エドウィンの空になった杯へとワインを注いでくれる。
そうしながら、主君だけに聞こえるよう小声で尋ねてくる。
「……本当に、領土拡大はもうよろしいのですか?」
まるで念を押すような、彼女にしては珍しくどこか不安げな声色での問いを受け、エドウィンは微笑しながら視線を返す。
築き上げた国を、手に入れた王権を、庇護下にいる家族や家臣や民を守るためには力が必要。力を得るためにはより広い領土と多くの民が必要。そのような考えのもと、エドウィンはこれまで領土拡大に邁進してきた。これは王としての人生において必要な過程だったとエドウィンは信じて疑わないが、戦場で散り、道半ばで倒れる危険を常に伴う行いであることも自覚していた。
クレアに夢を見せ続けると、クレアが幸せな物語を生きていけるよう救世主であり続けると、エドウィンはかつてドーラに宣言した。いつ死ぬとも知れない征服行をこれで終えるというエドウィンの意向が本当なのか、クレアの幸福を何よりも重んじる彼女が確かめたがるのは理解できる話だった。
「ああ、前に語った通りだ。十分な領土は確保できたし、現時点でこれ以上領土を広げても、地理や政治の要因もあって、治める苦労が利益を上回る。将来の情勢次第では方針転換をするかもしれないし、エゼルウルフやその次代以降の王たちがさらなる領土拡大を目指す可能性もあるが、少なくとも建国以来続けてきた征服行は終わりだ……外敵がリンダム王国の平穏を脅かせば王の義務として対抗するが、野心のために意図的に戦いを巻き起こすことはない。そう約束するよ」
王としての覇道は、生涯終わることはない。しかし、征服によって領土を広げるだけが覇道ではない。王国の平穏を守ることで社会を富ませ、民を増やし、国力を高め、そうして増した権勢を以てさらに強力な武断統治を為すこともまた覇道である。
そう考えながらドーラに明言したエドウィンは、視線を愛する伴侶の方へ移す。アリスを抱きかかえるクレアの隣には、いつの間にかエゼルウルフも座っている。
「……加えて言えば、家族を思えばこそ、これ以上戦いを巻き起こしたくはない」
二人の我が子に愛しそうに語りかけているクレアを見つめながら、エドウィンは嘆息交じりに言った。
「これまで戦いに赴くたびに、クレアには不安な思いをさせてきた。必要でない戦いを巻き起こして、自分の命を危険に曝して、家族に不安を強いるような真似はしたくない。死んで家族を悲しませたくはない……だから、征服の日々は終わりだ」
語りながらエドウィンが思い出すのは、昨年の戦争の終幕。
家族が傍にいてくれたらそれだけでよかった。そう語ったパトリシアの泣き顔が、今もエドウィンの頭の中にはっきりと記憶されている。勝敗が逆で、あのように泣き崩れたのがクレアだったとしたら……という居心地の悪い想像を、エドウィンは今も脳裏から打ち消すことができずにいる。
「……御考え、よく理解いたしました。無礼なお尋ねをしたことを何卒お許しください」
「気にしなくていい。むしろ感謝しているよ。主君が暴走しないか気にかけてくれる重臣というのは、なかなか得難い存在だ」
深々と頭を下げるドーラにそう返したエドウィンは、玉座の背に体重を預け、宴の光景を満足げに眺めながらワインの杯を傾ける。




