第八十二話 友好の保障
「それにしても、都に迎える初めての賓客がグリフィズ王とはね。何だかんだでブレドリックの奴になるかと思っていたが」
「同感ですが、こちらから連絡する手間が省けて幸いと思いましょう」
足早に館に戻った後、客室用の家屋の手入れと夜に宴を開く準備をリンダとヘルガに頼み、広間に客人を迎える準備をドーラとアンナに頼んだ上で、エドウィンは傍らに立つジェラルドと言葉を交わした。
連合軍として敵対してきた各勢力を滅亡あるいは従属させた結果、リンダム王国はティリス川以南の大半を支配下に収めた。未だリンダム王国に下っていない唯一の勢力が、ティリス川以南の東端、アロナ島中央部との境界線であるカレド山脈沿いを支配するエストラド王国だった。
この勢力の支配者たるグリフィズ・エストラドに、エドウィンは冬明けから間もないうちに接触するつもりでいた。まずはグリフィズ王自ら進んで従属するよう促す書簡を送り、応じてもらえなければ武力による侵攻を仄めかして従属を要求し、それでも拒絶の態度を示されれば、適当な大義名分をこしらえた上で貴族たちの軍勢も伴って軍事侵攻を仕掛けるつもりでいた。
数日中にも書簡を持たせた使者を発たせようと考えていたからこそ、グリフィズ王の方から自ら訪ねてくるという報せは、まさに青天の霹靂だった。
間もなく身支度を整えたクレアが私室から出てくると、エドウィンは家臣たちに加えて王妃である彼女も連れ、船着き場の方へ向かう。先触れの話によると、エストラド領の面するティリス川上流から海まで船で移動して西の海に出た後、南の海へと回り込み、アイヴァー川を遡上してこの王の都までやってくるというグリフィズ・エストラドを出迎えるために。
船着き場でしばし待っていると、グリフィズを乗せた船が到来する。エドウィンが三隻所有しているのと同じような輸送船が一隻、エストラド王家の紋章旗を堂々と掲げながら接近し、桟橋の前で停止する。
供の者たちを連れて桟橋へ降り立ったのは、豪奢な外套を纏い、いくつもの装飾品を身につけた男だった。出迎えに同行している先触れの使者が「あちらが我が主君グリフィズ・エストラド国王陛下です」と説明するのに頷き、エドウィンは両手を広げながら鷹揚な態度で口を開く。
「グリフィズ・エストラド国王! ようこそ我がリンダム王国へ! 私は貴殿を賓客として歓迎しよう!」
クレアと並び、周囲にはジェラルドと祭司長フィオナ、そして親衛隊戦士たちを控えさせ、後ろには戦士団を整列させ、リンダム王国国王としての威厳を演出しながら言うと、それに対してグリフィズは柔和な表情で答える。
「歓迎に心から感謝する、エドウィン・リンダム国王」
グリフィズと互いに歩み寄り、握手を交わしたエドウィンは、自ら賓客を王の館へ案内する。王妃クレアを紹介し、王の都の賑わいをグリフィズから好評され、そのような会話を交わしながら館へ辿り着くと、広間で彼と向かい合ってテーブルにつく。
「エドウィン王、まずは突然の訪問をお詫びしたい。貴殿にはさぞ迷惑をかけたことと思う」
「いやいや、謝罪など不要だ。貴殿とは数年にわたり交易を行ってきた。これまで直接顔を合わせたことはなくとも、私は貴殿のことを、この新時代に共存共栄を成す友人と思っていた。その貴殿が来訪したとなれば、喜ぶことはあっても、迷惑と思うことなどあり得ない」
エドウィンが笑顔を作って語ると、グリフィズはやや恐縮した様子で「そう言ってもらえるとありがたい」と軽く頭を下げる。
その後はドーラが出してくれたお茶を飲みながら、軽い雑談を交わす。会話の距離感を掴み、場の空気もある程度温まったと判断した頃合いで、エドウィンは話題を今後のことに移す。
「さて、グリフィズ王。ここまで長旅で疲れていることだろう。要件は両国の友好関係の発展についての相談ということだったが、込み入った話は明日にして、夜に歓迎の宴を開くまで休んでもらっても……」
「……いや、気遣いには感謝するが、貴殿がよければ早速こちらの要件について話したい」
そう語ったグリフィズは、エドウィンが自分はそれでも構わないと答えると、本題を切り出す。
「率直に言おう。エドウィン王、私は貴殿に従属したい。他の各勢力の支配者たちが、リンダム王国の貴族となった話は聞いている。私も、王を名乗ることを止めてリンダム王国貴族となりたい……貴殿を国王陛下と呼ばせてほしい」
グリフィズの申し出を、エドウィンは表情を変えずに受け止めた。
この時期に彼が自ら来訪するという報せを受け、その要件が「両国の友好関係の発展」だと先触れの使者から告げられた時点で、エドウィンは彼からこのように言われることを可能性のひとつとして予想していた。
「そうか、それは誠にありがたい申し出だ。実は私の方も、貴殿に我が国への従属を提案させてもらおうと考えていた……しかし、何故自らそのような申し出を?」
エドウィンが問うと、グリフィズは柔和な表情を浮かべたままさらに語る、
「理由は二つある。まずもって、我がエストラド王国と、ティリス川以南の大半を支配下に収めたリンダム王国には、今や圧倒的な力の差がある。貴殿は我が国をも支配下に取り込むつもりであろうと、私の方も予想していた。力で敵わないのであれば抵抗は無意味であり、従属が運命づけられているのであれば、自発的に下ることで貴殿からの厚遇を求める方が懸命だと考えた……そしてもうひとつの理由としては、私はそもそも、王を名乗って独立した支配者であり続けることに、さほどのこだわりがない」
それを聞いたエドウィンは、小さく片眉を上げた。その反応に微苦笑を返しつつ、グリフィズは説明を続ける。
「これまでに送った書簡でも伝えていたが、私は元々、帝国軍と取引をする商人だった。帝国軍がアロナ島を去った後、彼らが管理していた鉄鉱山を掌握し、カレド山脈の麓の一帯まで支配の手を広げ、王を名乗るまでに至った……だが、この成り上がりは野心の表れというわけではない。秩序の崩壊したアロナ島で平穏に生き延びたい、その一心で為したことだった」
そこまで話すと、グリフィズは自嘲するように薄く笑み、嘆息する。
「これまでの平穏が失われた社会を生き延びるには力が必要だ。私は帝国軍との取引でそれなりに儲け、アロナ人商人としては成功している方だったが、その程度の立場ではまだ安泰とは言えないと感じた。家族や親族、友人、そして大前提として我が身の安全を末永く守るには、富と力を備えた地位ある人間になる必要があると考えた……だからこそ成り上がりを果たし、その結果として今日まで生き長らえてきた。これからも安泰の立場で生き長らえることが、私の唯一の望みだ」
「……なるほど。自分と周囲の者たちを守れるだけの地位が維持されるのであれば、自分より上位の支配者を戴くことにも抵抗はないというわけか。最終的にリンダム王国に併合されることになっても構わないと考えていたからこそ、貴殿は昨年の連合軍にも参加しなかったと」
エドウィンが納得しながら語ると、グリフィズは「そうだ」と首肯した。
「情勢がどのように推移するとしても、エストラド王国がリンダム王国に取り込まれるのはもはや必然。私はそれを厭わないが、できる限り己の都合にも適う条件のもとで取り込まれたいとは思っている。であれば、自ら下るのが最善だ。私がそうして従順な態度を示せば、貴殿はきっと報いてくれると信じてここへ来た」
真っすぐにこちらを見据えるグリフィズに、エドウィンは微笑を返す。
「グリフィズ王。貴殿から向けられる信頼、決して裏切らないと約束しよう」
「そう言ってもらえるとありがたい……他勢力の支配者たちがどのような条件で貴殿に従属したかは聞こえている。私も彼らと同じように、支配域の人口に応じて税を上納しよう。鉄でも食料でも貴殿の求める品をもって納めよう。戦時は人口に相応の兵力を率いて軍役を為し、従属の証として人質も預けよう。ただ、貴殿に敵対せず自ら下ることへの対価として、ひとつだけ要望を言わせてもらいたい」
そう言って反応を窺ってくるグリフィズに、エドウィンは鷹揚に頷いて話を続けるよう促す。グリフィズは目礼し、再び口を開く。
「私の地位――現在の支配域における特権が維持されることの保障が欲しい。特に鉄鉱山の権益を今後も保持できるという保障が。具体的には、貴殿の身内か、そうでなくとも貴殿にとって重要な立場の者をエストラド家に嫁入りさせてほしい。私の嫡男と結婚させ、以てリンダム王家とエストラド家の強固な友好の証としたい」
「……確かに、ティリス川以南における鉄の供給をほとんど独占している限り、貴家は安泰だろうな。将来的に鉄を巡る情勢がどうなっているかは未知数だが、少なくとも当面は貴家の経済的安泰は揺るがないだろう。私が個人的に大切な人間を貴家に嫁がせれば、王国における貴家の政治的な安泰も保障されるというわけか」
自分に近しい人間さえ大切にしない者が、社会において信用を得られないのは当然のこと。自身にとって重要な人間を嫁がせ、エストラド家をリンダム王家に近しい存在とすれば、エドウィンはもはや鉄鉱山を奪おうと軍事力を行使することはできない。そんなことをすれば、エストラド家に嫁入りした者が身の安全を保障されなくなるのはもちろん、自身とリンダム王家に対する家臣や貴族からの信用が決定的に失われ、それはすなわち統治体制の崩壊を意味する。
そのことを、エドウィンは当然に理解している。
「グリフィズ王。確か、貴殿の嫡男は数年前に成人したのだったな? きっと貴殿に似て人徳のある人物なのだろう」
「ああ、今年で二十歳になる。父親の私が言うのも何だが、穏やな気質で女性や子供にも優しい息子だ。将来の家長としては、いざというときのことを考えると頼りない気がしないでもないが、良き夫になることは保障する」
自身の嫡男の人柄をエドウィンが気にしたことにすぐさま気づいたらしいグリフィズは、自信ありげに答えた。
「そうか、貴殿がそう言うのであれば心配は要らないな。何よりのことと思う」
言いながら、エドウィンは思案を巡らせる。
グリフィズはいかにも商人上がりといった雰囲気で、彼自身も温和な人物に見える。顔立ちについても、昔は優男だったのだろうと思える程度には整っている。その息子であれば、極端な乱暴者や醜男という可能性は低い。
「……」
エドウィンは無言のまま、傍らのジェラルドの方を振り返る。エドウィンが最も頼り、最も信頼する側近は、自身も主君の方へ視線を向けると静かに頷く。
次に、エドウィンは広間の壁際を――そこに立っているアンナを見る。
ジェラルドの娘であり、レオフリックの妹であり、エドウィンにとっても妹のような存在である彼女は、視線を向けられた理由を正しく理解したようだった。表情で拒否が示されればエドウィンは話を進めるつもりはなかったが、むしろ彼女は嬉しそうな笑みを浮かべ、頷いた。
彼女が「この国の歴史に名前が残るような、偉くて立派な人と結婚したい」という夢を持っていることは、エドウィンも何度か聞いたので知っている。
「……アンナ、来てくれ」
彼女の明確な反応を確認した上でエドウィンが呼ぶと、アンナは「はい、国王陛下」と答えながら歩み寄り、隣に立ってグリフィズの方を向く。
「グリフィズ王、紹介しよう。彼女はアンナ。我が最側近である戦士長ジェラルドの娘で、今年で十九歳になる。貴殿の嫡男とは歳も近く、結婚相手として最適だろう」
エドウィンが手で示しながら語るのに合わせ、アンナはグリフィズに向けて丁寧に一礼する。
「血の繋がった兄弟のいない私にとって、共に育った彼女は妹も同然だ。そして、もし彼女を裏切り見捨てるような真似をすれば、私は戦士長の忠誠を失うだろう。最側近の忠誠にさえ報いない酷薄な王と見なされれば、配下の戦士全員が私への忠誠を捨てるだろう……私個人の心情的にも、政治的な観点から考えても、私がこのアンナの身の安全や幸福を顧みないことはあり得ない。貴家にとって、アンナを身内に迎えることはリンダム王家との確固たる絆の証となるはずだ」
そこまで語ったエドウィンは、次いで護衛の一人として並ぶレオフリックの方に手を向ける。
「そこに立っているジェラルドの嫡男レオフリックが戦士長の地位を継げば、アンナは王家に仕える戦士長の妹として引き続き政治的に重要な立場となる。我が嫡男エゼルウルフもレオフリックやアンナを家族同然と見なしているので、アンナの立場の重要性は、彼女の子の世代にも受け継がれよう……向こう二代にわたって得られる保障、貴殿の要望に十分応えられるものだと思うが、如何だろうか?」
「……これ以上ないほどありがたい話だ。エドウィン王、心より感謝する」
現状で得られる最良の結果だと判断したのか、グリフィズは悩む素振りもなく答え、深々と頭を下げる。顔を上げると、今度はエドウィンの周囲――アンナたちに順に視線を向ける。
「アンナ殿、そして戦士長殿とその嫡男殿も、どうか今後ともよろしく頼む。我が嫡男との結婚の後、エストラド家はアンナ殿を家族として大切に扱い、彼女に幸福な人生をもたらすことを神々に誓おう」
ジェラルドとレオフリックは、グリフィズの言葉に黙礼を返した。一方でアンナは、思案の表情を見せた後に口を開く。
「……ありがとうございます。でも、幸福な人生はただ与えてもらおうと待つものではなくて、自分で築くものだと思っています。私自身も頑張って、グリフィズ様のご嫡男と良い夫婦に、そしてエストラド家の皆様と良い家族になります」
その言葉を聞いたグリフィズは、少し驚いたような表情を浮かべ、そして優しい微笑で頷いた。
「素晴らしいご令嬢だ。君なら息子と仲良くなれるだろう」
グリフィズの言葉に、アンナはどこか照れたような、同時に誇らしげな笑顔で応えた。




