第七十六話 忘れ形見
ファーマス王家の拠点を制圧した翌日の午後。他の五勢力に送り込んだ使者たちの帰還を待ちつつ、新領土の支配宣言と領土内の概要の把握など恒例の戦後処理を開始したエドウィンは、時間を作ってダグラスの娘のもとへ赴いた。
女性戦士による監視のもと、ファーマス王家から奪い取った館の小屋のひとつに軟禁されていたダグラスの娘は、入室してきたエドウィンに憎悪のこもった視線を向ける。
「昨年以来だな、パトリシア・バーデン嬢。食事や寝床に不満はないだろうか?」
「……エドウィン王。いったい何の用?」
名をパトリシアという十代前半の少女にエドウィンが尋ねると、彼女は声にも憎悪を込めながら質問を返した。エドウィンはその問いには答えず微笑を浮かべると、彼女を連行してきた監視役の戦士を下がらせる。
そして、室内にはエドウィンとパトリシア、数歩離れた位置に護衛として控えるレオフリックだけが残る。
「パトリシア嬢、私を恨んでいるか?」
「……当たり前でしょう」
答える彼女の鋭い視線を受けながら、昨年ダグラスから向けられた視線によく似ているとエドウィンは思った。彼女の顔立ちも、可愛らしさの中にも父親の面影があるように思えた。
「あなたは私の父と兄を殺した。父を慕っていた従士たちも皆死んでしまった。これで恨まない方がどうかしてるわ」
「確かにその通りだ。馬鹿げた質問をしてすまなかった」
エドウィンが苦笑交じりに言うと、パトリシアの表情はますます険しくなる。
ダグラスと彼の嫡男ケネスに加えて、ダグラスに付き従って昨年バーデン領を追放された四人の従士たちも、どうやら全員戦死したらしいという報告はエドウィンも既に受けていた。彼らは最後まで主人と共にあり、あの戦場で華々しく散った。
「……私の母は私を生んだときに死んだ。父と兄も死んだ今、私は天涯孤独の身よ。あなたがそうしたの。だから私は、あなたが憎い。心の底から」
血でも吐きそうなほどの気迫をもって投げられたパトリシアの言葉を、エドウィンは平然と受け止める。全てを奪われた少女が向けてくる幼い憎悪に、若き王がたじろぐことも気分を害することもない。
「君が私を恨むのも尤もだ。その上で、どうかこれから私が語ることを信じてほしいのだが……」
そのように前置きした上で、エドウィンはパトリシアから視線を外して正面を向く。
「私はダグラス殿を尊敬していた。彼の為政者や指揮官としての能力、一度敗北しても諦めない不屈の精神、そして戦場で見せる度胸と覚悟に好感を抱いていた。彼は素晴らしい支配者で、偉大な男だった。私は一個人として彼が好きだったよ」
その言葉を聞いたパトリシアは、驚きに目を丸くする。よほど驚いたのか、彼女の表情からようやく憎悪の色が消える。
「私がダグラス殿と対立し、殺し合ったのは、私と彼が競争相手だったからだ。ロドニア帝国が崩壊し、アロナ島が新たな時代を迎える中で、私たちは成り上がりを果たした。己が一地域の支配者となることを志し、それを実現し、さらなる権勢拡大を図ろうとした。その中で互いの利害を衝突させ、そして互いに意図した上で競争に臨んだ。勝った側が奪い、敗けた側が失う競争に」
語りながら、エドウィンは昨年からのダグラスとの戦いを思い出して楽しげに笑む。
「敗けた側が地位や財産を、場合によっては命をも奪い取られる。そんな平等な条件を共有しながら、私たちは己の命運をかけて戦い、ダグラス殿が望んだが故に再戦にも臨み、その両方で私が勝った。だから私が奪った。逆に私が敗けていれば、今頃は彼から尽くを奪われていただろう。勝者を家族の仇と見て憎悪の表情を浮かべていたのは、君ではなく私の家族だったかもしれない」
「……」
エドウィンが横目に見ると、パトリシアは父の仇をじっと見据えながら、その仇が語る言葉の意味を考えている様子だった。
視線を再び前に戻し、エドウィンは言葉を続ける。
「私はダグラス殿の地位と財産を奪った。昨年は彼を生かして追放したが、此度の戦いでは命までを奪った。もし彼が生きて戦いを終えていたとしても、嫡男のケネス殿と揃って処刑したことだろう。敗北の後にはそうなることを、ダグラス殿も覚悟の上だったはずだ。彼と共に戦場に立ったケネス殿もそれは同じだったはずだ。相手から奪おうとする以上、敗ければ己が奪われる。彼らがそれを理解していなかったことはあり得ない……おそらく、君も頭では理解しているだろう。私がダグラス殿から全てを奪い、彼とその嫡男を殺めたからといって、憎む道理はないと。その上で、君の心が私への憎しみを抱かずにはいられないのだろう」
「……それは、」
口を開いたパトリシアを、エドウィンは手で制した。返答を求めているわけではないと伝えるように。
「……重ねて言うが、僕はダグラス殿が好きだった。彼は勇敢で、聡明で、偉大な敵だった。一切の世辞を抜きに賞賛すべき素晴らしい敵だった。僕にとって彼は、記念すべき最初の敵というわけではない。おそらく最後の敵でもないだろう。だがそれでも、生涯忘れない敵であることは間違いない……叶うことならば、彼とは支配域を近くに並べないかたちで出会いたかったよ。そうすれば互いを競争相手と定めることなく、尊敬し合う友人になることだってできただろう」
エドウィンが語り終えると、その場にしばしの沈黙が流れる。決して気まずいものではない。エドウィンは亡き好敵手を思い出し、パトリシアはおそらく父の仇の言葉をゆっくりと咀嚼する、穏やかな沈黙だった。
「……私はこれからどうなるの? 父と兄が生きていたら処刑したように、私も殺すの?」
「いや、殺さない」
棘のない、年相応の声色で、パトリシアは問うてきた。エドウィンはそれに即答した。
「ダグラス殿はバーデン家の家長として、己の意思で私との再戦に臨むことを選んだ。嫡男のケネス殿も、バーデン家に属する成人の一人として此度の侵攻に責任を持っていた。しかし君はまだ成人前で、家族の庇護下にいただけだ。君に命を以て果たすほどの責任があると見なすべきではないだろう……だから君は、家族との思い出を抱きながらこの先の人生を歩むといい」
そう語られたパトリシアは、安堵と不安が交ざり合ったような表情を見せる。
「でも、私……父さんも兄さんも死んでしまって、これからどう生きればいいのか分からない。何もかも失くしてしまって、ちゃんと生きていけるかどうかも分からない」
漠然とした未来を前に怯える彼女を安心させるように、エドウィンは笑いかける。
「心配ない。君の新しい人生は私が用意しよう……君は祭司になるといい。歴史を見れば、敗北した為政者の子女が、世俗と距離を置いて神々に奉仕することを条件に助命された例は多い。私もその例に倣うとしよう。祭司になれば平穏な生活を送ることはできるだろうから、君にとっても悪い話ではないはずだ」
少なくとも過酷ではない道を示されたパトリシアは、無言で頷き、エドウィンの提案を受け入れる姿勢を示した。
「それでいい。しばらくは戦後処理で忙しいが、それが一段落したら君が落ち着いて過ごせる環境を用意しよう……この戦争の全てに決着がついた後、ファーマス王家のものと併せて、ダグラス殿とケネス殿の葬儀を執り行う」
エドウィンの言葉で、パトリシアは再び驚きを表情に示す。
「二人の遺体は戦場から見つけることができたが、損壊が酷かったのでバーデン領に送った。今頃はバーデン家の拠点だった大農場の近くで眠りについているはずだ。君にはいずれ墓参りに行ってもらうとして、葬儀の場では遺品の武具を遺体代わりとしよう……葬儀はおそらく一、二週間後になるだろう。父と兄を悼みながら、聖職者として生きていく心の準備をしておくといい」
「……分かりました。ありがとうございます、国王陛下」
思うところがあったのか、口調を改めて答えた彼女に頷き、エドウィンは小屋から立ち去った。




