第六十七話 侵攻の足音(王国周辺地図あり)
季節が夏に移ったある日。エドウィンは館の広間で、他勢力との交易を終えて国外より帰還したばかりの御用商人ロイドと対面していた。
「東に並ぶ他勢力のうちのいくつかが、協働してリンダム王国への侵攻を企てている可能性があります。東の商人たちの間でそのような噂が広まり始めているそうです」
「……そうか」
相手がロイドなので今さら格式ばった謁見のかたちはとらず、広間で同じテーブルにつきながら彼の報告を受け、エドウィンは小さく笑む。
「その噂が本当だとしたら、なかなか面白い状況だな。決して仲が良いわけではない者同士で徒党を組もうとするとは。権勢を拡大した我が国がよほど怖くなったか」
ティリス川以南、リンダム王国の東に並ぶ各勢力は、その全てが仲良く交流しているわけではない。特に支配域を接する勢力同士は、境界線を巡って係争を抱えている例も多く、ときには武力を用いた争いを為すこともある。
だからこそ、これまでリンダム王国はティリス川以南において優勢を維持し、昨年の秋までの三年にわたる平穏を享受することができた。他勢力と一対一では有利なリンダム王国も、複数の勢力が結託して襲いかかってくれば決して油断はできないが、仲の良くない各勢力が互いを信用して協働し、支配域の守りを手薄にして軍事侵攻を行うのは難しい。だからこそ、どの勢力からも攻撃を仕掛けられることのない安寧の中で民力休養と軍備増強に努めることができた。
しかし、バーデン領を併合した今、エドウィンはティリス川以南において他勢力を圧倒する権勢を成した。それを受け、各勢力がこれまでの対立関係を一時忘れ、今だけは協力して恐るべき仮想敵であるリンダム王国を打倒しようと考えたとしても不思議はない。
「それに関して、もうひとつ気になる噂がございます。何でも、昨年追放されたダグラス・バーデンが、各勢力の仲介役として支配者たちの館を出入りしているとのことです。その話もあって、リンダム王国への侵攻計画の噂が立っているようです」
「ほう、ダグラス殿がそんな動きをしているのか。であれば、侵攻の企てが事実である可能性は高いだろうな。ますます面白い……自分は不当な侵攻を受けて支配域を奪われた。なのでエドウィン王打倒のために力を貸してほしい。バーデン領を奪還する手伝いをしてくれれば、それ以外のリンダム王国領土は参戦した各勢力で好きなように切り分けてくれて構わない。彼が各勢力の支配者に語ったのはそのようなところだろう。私が彼ならそう呼びかける」
「呼びかけられた側も都合がいいでしょうねぇ。隣人を助ける、という大義名分があればリンダム王国に堂々と侵攻できますし、各勢力が普段の対立から目を逸らして一時結託する上でも、皆で同じ大義名分を掲げていれば話が早いでしょうからぁ」
エドウィンの推測を補強するように、この場に同席している祭司長フィオナが言った。
「ロイド、その企てに与していると思われる勢力は?」
「ファーマス王国と属州キドウェルは確実です。その他に、おそらくコールフォード領も」
同じく報告の場に同席しているジェラルドが尋ねると、ロイドはそう答える。
ファーマス王国は、旧バーデン領の北側に支配域を持つ勢力。王国を自称しているが、人口規模は二千人程度と、さして大きくはない。属州キドウェルは旧バーデン領の東側、コールフォード領はファーマス王国の東側にそれぞれ支配域を持つ勢力。すなわち、現在のリンダム王国領土に近しい三つの勢力が動きを見せていることになる。
「仮にその三勢力が結託して戦いを挑んでくるとしたら、人口規模ではこちらとほぼ互角か……その程度であればあまり怖くはないな。動員兵力がそう変わらないとしても、つい昨年まで睨み合っていた勢力同士で協働する敵側の方が統率力の面で不利だろう。それに、こちらにはクロスボウもあるし、騎兵部隊も完成している」
十六騎から成る騎兵部隊は、冬の間もジェラルドの指導の下で集団戦闘訓練を重ね、さらに完成度を高めている。装備に関しても、ダグラスの軍勢に勝利した際に幾つかの鎖帷子や兜を手に入れたおかげもあり、近いうちに全員が鉄製防具を得る見込み。
数を揃えて運用経験も重ねているクロスボウと合わせれば、リンダム王国の戦力は領地規模に比して優れている。同規模の軍勢であれば敗けるはずがないとエドウィンは考えている。
「ロイド、有用な情報をもたらしてくれたことに心から感謝しよう。君のおかげで、我が国は早期に備えを始めることができる」
言いながらエドウィンが懐から取り出したのは、ロドニア金貨だった。
かつてのように制度の整った貨幣経済が崩壊した後も、貨幣は貴金属の塊として相応の価値を保っている。エドウィンは良い働きをした家臣や民への褒賞用に、こうして常に何枚かを持ち歩いている。
「これはこれは、誠に畏れ多きことと存じます。この身に余る光栄です」
ロイドは押し戴くようにして金貨を受け取り、にんまりとした笑みを浮かべる。
「今後はこの件について最優先で情報を集め、私に逐一報告してくれ。礼は弾もう」
「かしこまりました。国外の商人たちに顔が割れていない部下も使い、重点的に情報収集を行ってまりいましょう」
王家の御用商人として国内経済における影響力を年々高めているロイドは、今では幾人かの商人を傘下に従えており、組織的に仕事を行うようになっている。その組織力を活かし、商売と並行して王家のための情報収集を行うことも、彼の重要な役割としてすっかり定着している。
ロイドが丁寧に一礼して王の館を辞すのを見送った後、エドウィンは椅子の背にゆったりともたれながら喜色を浮かべる。
「他勢力の方から攻撃を仕掛けてきてくれるのであれば願ってもないことだ。返り討ちにして降伏させれば、そのまま支配域を奪うなり従属させるなり好きなように処すことができる……ダグラス殿には感謝しなければね。こちらが他勢力に攻め込む大義名分作りを為さずとも、正当防衛という最良の口実を作ってくれるのだから」
「若様、もしかしてダグラスがこういう立ち回りをしてくることを期待した上で、去年あいつを生かして追放したんですか?」
尋ねたのはオズワルドだった。エドウィンはそれに直接答えることはしなかったが、彼に視線を返しながら得意げに笑む。王のその反応を肯定と受け取ったオズワルドは「さすが若様!」と楽しげに言いながら自身の膝を叩いた。
「ロイドさんからの続報が待ち遠しいですね、エドウィン様」
「ああ、まったくだ。企ての噂が事実であることを神々に祈ろう」
隣に座るクレアに身体を寄せられたエドウィンは、彼女の肩を抱きながらそう語る。
複数の勢力が協働して動くとなれば、具体的な行動を計画し調整するにはそれなりの時間を要するはず。こちらは攻撃を受けての正当防衛という名目で戦うつもりである以上、敵側に先んじて動くことはできない。今しばらくは、戦いに備えながら他勢力の動きを待つ日々が続く。
・・・・・・
秋に入った頃、ロイドよりもたらされた東の情勢に関する続報は、良い報せと悪い報せの両方を含むものだった。
良い報せとしては、複数の勢力が協働してリンダム王国に攻め入る企てをしているという噂は事実だった。企てに参加している勢力の支配者たちが「ダグラス・バーデン将軍に助力し、領土的野心を隠さないリンダム王国の脅威を排除する」と表立って宣言しながら戦いの準備を始めているそうで、もはや噂の信憑性を疑う余地はなくなった。
そして悪い報せとしては――
「六勢力による連合?」
「はい。先にお伝えしていたファーマス王国と属州キドウェルとコールフォード領に加えて、グローサー王国、エルメン領、アルフォス領もリンダム王国への攻勢に参加する意思を示しているそうです。ダグラス・バーデンと、彼に全面的に協力しているロドリ・ファーマス国王が主導し、それに他の五勢力の支配者たちが参加するかたちで連合軍が結成されるとのことです」
例の如く広間のテーブルを囲みながら、エドウィンは驚きを示した。それに対し、ロイドが少々ばつが悪そうな顔で頷いた。
「ティリス川以南にある他勢力のほぼ全てが、リンダム王国に対抗するために手を組んだというわけですか……」
「すげえ話だ。よくもまあ話がまとまったもんですね」
半ば唖然としながらレオフリックが言い、その隣ではオズワルドが呆れ交じりの表情で感想を述べる。テーブルを挟んだ向かい側では、並んで座るフィオナとドーラが、発言こそしないものの深刻そうな表情で顔を見合わせる。
「エドウィン様……」
「……さすがに予想外だったな。我が国の権勢拡大にそこまで刺激されたか」
傍らのクレアから心配げな視線を向けられたエドウィンは、嘆息しながら語る。
現在のティリス川以南には、リンダム王国を含めて合計八つの勢力がある。かつてはもっと多くの勢力が並んでいたが、いくつもの争いの末に勝者が敗者から支配域を奪い、現在の状況に落ち着いた。
八勢力のうち四つは王国を名乗っており、三つは領主やら族長やらが治める領地を、そして一つは総督が治める属州を自称している。
リンダム王国を除く七勢力のうち、六勢力までが協働の意思を示しているというのは、驚くべき状況だった。エドウィンとしても、昨年のバーデン領併合がここまで劇的な反応を生むとは思っていなかった。
ダグラスに加えてファーマスの王が主導的な立場にいるのは、次にリンダム王国から征服される可能性が最も高い位置に支配域を持つために、一際焦っているのか。
「これもダグラス殿が懸命に立ち回ったからこその結果ということか。戦場においても素晴らしい根性の持ち主だったが、政治の面でもこれほど執念深いとは。まったく大した男だ……しかし、その執念深さをもってしてもエストラド王国だけは動かなかったのだね」
「はい。この情報も、エストラド王国の商人から教えてもらったものです。グリフィズ・エストラド国王のもとにもダグラス・バーデンが到来して連合への参加を訴え、他の勢力の支配者たちも使者や書簡を送って勧誘したそうですが、グリフィズ王はとうとう応じなかったそうです」
エストラド王国は、ティリス川以南の東端、アロナ島南西部と中央部を隔てるカレド山脈の麓を支配している勢力。エストラド王家の有する鉄鉱脈はティリス川以南における鉄需要の多くを満たしており、リンダム王国にとっても、鉄の輸入先として交易を重ねてきた重要な取引相手となっている。
「まあ、私がグリフィズ王の立場でもそうするだろうな。鉄鉱脈を押さえている以上、わざわざ他勢力の争いに首を突っ込んで兵力を失ったり敵を作ったりするよりも、中立を保ちながら鉄の輸出を続けて儲ける方がいい……エストラド王国が敵に回らなかったのは不幸中の幸いとしても、六勢力の連合というのは一大事だ。人口規模では我が国の倍以上になる」
アロナ島の人口は帝国もあまり正確に調べていなかったそうだが、大まかな目安として、ティリス川以南には三万人ほどが住んでいると言われている。そのうちリンダム王国が八千人ほどを、そしてエストラド王国が四千人ほどを擁しているという話なので、残る六勢力の人口を合わせると一万八千人程度ということになる。
動員できる兵力は人口規模に概ね比例する。数の上では、リンダム王国の不利は明らかだった。
「外征に臨む敵側の方が人口あたりの動員兵力は少なくなるはずですし、六勢力の連合軍となれば統率や結束の面ではこちらに劣るでしょうが……とはいえ、数の面で相当な不利を被るのは確実でしょう。間違いなく厳しい戦いになります」
眉根を寄せながら語ったのは、戦士長ジェラルドだった。彼の考察が正しいことは明らかで、だからこそこの場に集っている側近たちの誰からも反論は出ない。
「……まあ、仕方がない」
広間を沈黙が支配したのは僅かな時間。エドウィンがあっけらかんとした口調で言うと、皆の視線が王に集中する。
「六勢力が攻めてくる事態は今さら避けようがない。これも神々より与えられし試練だと思って臨むしかないだろう。こちらにはクロスボウや騎兵部隊があることだし、勝算は十分以上にある。ここで勝利を成せば、その後は各勢力が態勢を立て直す前に滅ぼすなり従属させるなりして、ティリス川以南の大半を我が支配下に置くこともできる。そう考えると、これは試練であると同時に好機であるとも言える。そうだろう?」
「……確かに、陛下の仰る通りです。勝って得られるものがこれほど大きな戦いもそうそうないでしょうね。六勢力を個別に征服していくよりも、よほど手っ取り早い」
エドウィンの問いかけに、ジェラルドが力強く笑みながら答えた。
「はははっ! 違いねえ! 寄せ集めの軍勢なんてぶち破ってやりましょう!」
「騎兵部隊の最初の実戦がそれほどの大戦になるなんて、隊長として光栄なことです」
続いてオズワルドが上機嫌を露わにしながら、そしてレオフリックが静かに自信をみなぎらせながらそれぞれ言った。
武門の側近たちの頼もしい反応を受け、エドウィンは満足げに笑う。
「早速戦いの準備を始めよう。各人里から民兵を召集し、軍事行動に必要な物資を集め、そして敵側の動向を探るんだ」
エドウィンのその宣言をもって、リンダム王国は戦時体制に入る。




