第六十二話 バーデン領征服
バーデン領との戦争に勝利し、ダグラス・バーデンを追放した後に始まった戦後処理は、三年前にタイウェルやガレスを打倒した後と概ね同じ流れを辿った。
まずは、バーデン領民に対して、この地の征服とリンダム王国への併合の宣言が行われた。ダグラスの拠点だった大農場はもちろん、その付近の人里からも住民が集められ、彼らの前でエドウィンは王として宣言を成した。
バーデン領はこのときよりリンダム王国領土となり、そこに暮らす者たちはリンダム王国民となる。皆が王より庇護を与えられ、引き換えに民としての義務を――エドウィン・リンダムを王と認め、称え、服従し、その証として税を納める義務を負う。税はダグラスが課していたものよりも軽く、先の戦いで戦死者や重傷者を出した家には、当面の税の減免や免除などの配慮も為す。
そう聞かされた旧バーデン領民から、少なくとも露骨に反抗的な反応は示されなかった。エドウィンが民衆を見回すと、目立ったのはやはり安堵の表情だった。支配者が代わっても生活は特に悪くならず、むしろ楽になると示されて民が安心するのは、三年前の征服時と同じだった。
大勢の民に宣言を聞かせたので、以降は旧バーデン領内で徐々に話が広まっていくはず。戦後処理が一段落した後は、またかつてのように全ての人里を巡って王の威容を見せつければいい。そう思いながら、エドウィンが次に取りかかったのは、旧バーデン領の社会を把握することだった。
旧バーデン領内に存在する人里は、四十に届く程度。その他に、職人の暮らす家や祭司の管理する神殿が各地に点在している。それらの場所を含めた地理については、ダグラスの下で働いていた商人上がりの文官や統治の補佐を務めていた祭司などがよく知っているため、エドウィンは彼らを集めて情報を提供させた。その結果、各人里の位置や人口、産業といった旧バーデン領の概要を迅速に把握することが叶った。
それと並行して、ダグラスの傘下にいた職業軍人――ひとまず捕虜という扱いで武装解除されて監禁されていた、元従士と傭兵たちへの対応も行われた。
傭兵たちに関しては、雇い主を失った時点でバーデンの地に用はなく、かといってつい先日殺し合ったばかりのリンダム王家の戦士団に加わることには抵抗がある様子だったので、身代金代わりに多少の金品を奪った上で、国外に退去することを条件として解放した。彼らは人口が多く傭兵の需要がありそうなアロナ島南東部に向かうつもりだと語り、立ち去っていった。
彼ら傭兵から一部の金品を奪うに留めたのは、全ての財産を取り上げてしまうと、困窮した彼らがこのティリス川以南で盗賊などに堕ち、下手をすれば約束を破って王国領土内に戻り、治安を乱す可能性があったため。単なる温情ではなかった。
そして元従士たちに関しても、エドウィンは王家の戦士団に迎えることはせず、野に下らせることにした。
帝国軍のように巨大な組織であれば、打ち破った軍勢の兵たちを傘下に取り込むことは珍しくない。部隊を分けてしまえば軍内で揉め事が起こる心配もほとんどない。
しかしリンダム王家の戦士団は全員が互いの顔と名前を知っており、家族ぐるみで集団生活を送る、それこそ巨大なひとつの家族のような集団。彼らは今回の戦いで、この数年を共に生きてきた四人の家族を失った。そこへダグラスの元従士たちを加えてしまうと、軋轢が生まれるのは必然。家族を殺した者を新たな家族として迎えることが極めて難しいのは、考えるまでもなく分かる。
戦士たちも元従士たちもあくまで仕事として戦ったのであり、その結果として仲間が戦死したとしても敵を恨む道理はないが、個々の心情はそのような理屈だけで割り切れるものではない。下手に元従士たちを迎えれば、戦士団の中で対立が生まれ、都で血が流れることさえあり得る。
なのでエドウィンは、元従士たちをただの民に戻すことにした。その際、彼らの装備をはじめとした全財産を没収することと引き換えに、ダグラスが直営していた農地を分割して与え、彼ら全員を自作農とした。先の戦いで戦死した従士の遺族にも、家長を失って困窮しないよう、同じように農地を与えた。
衣食住の面倒を見てくれる主人が追放された今、彼らは現実問題として、新たな食い扶持を探さなければならない。伴侶や子を抱えている者は、自分だけでなく家族も養っていかなければならない。そして、ダグラスに付き従うことなく故郷の地に残った彼らは、つまりはダグラスに人生を捧げるほどの忠誠心までは持ち合わせていなかった者たち。
だからこそ、彼らはエドウィンから提示された待遇を喜んで受け入れた。以前の支配者への忠誠に区切りをつけ、子々孫々まで食い扶持に困らずに済む土地を与えてくれたエドウィンを新たな支配者として完全に受け入れた。
土地を与えられた元従士たちは困窮することはなく、つまりは盗賊などに落ちて王国の治安を乱す心配もない。ダグラスが消えたことで所有者不在となった二つの農場は、都から遠いために王家が管理するのは面倒なので、元従士たちを手懐けるために利用してもそう惜しくない。
これから元従士たちは、平時は王国の農業生産力の一端を担い、戦時には質の良い民兵として活躍してくれると期待できる。この措置は元従士たちに対する単なる温情ではなく、支配者であるエドウィンにとっても利点の多いものだった。
君臨の宣言。新領土の概要の把握。そして敵側にいた残存兵力の解体。決戦を終えてからおよそ一週間ほどでひとまずの戦後処理を済ませたエドウィンは、王の都に帰還を果たした。
「またしばらくは新領土の掌握に奔走することになるが……それも勝利あっての苦労だからね。甘んじて受け入れるさ」
「三年前と同じ、偉大な勝者ならではのご苦労ですね」
住み慣れた王の館の広間で久々にくつろぎながらエドウィンが言うと、傍らにぴったりと寄り添うクレアが微笑した。タイウェルに勝利した後の会話とよく似ているが、三年前とは違い、クレアの腕の中には王女アリスが、そしてエドウィンの膝の上には王子エゼルウルフがいる。
「ちちうえ。わるいひと、もうみんないなくなった?」
まだ赤ん坊のアリスは久しぶりに父の顔を見て楽しげにはしゃぐばかりだが、一方のエゼルウルフは、返答の難しい無邪気な質問を投げかけてくる。エドウィンは少しばかり困ったような笑顔を浮かべながら口を開く。
「どう説明すればいいものか……確かに、今回攻めてきた悪い人はいなくなったよ。だけど、いずれまた新たな悪い人が現れるだろう。悪い人というのはそういうものだ」
人の世において、永遠の平和を得た国は未だない。おそらくこの先も存在し得ない。敵を倒してもまた新たな敵が現れる。その現実を、エドウィンは三歳の嫡男が理解できる形で説明したつもりだったが、エゼルウルフは「ふうん?」と今ひとつ分かっていない様子で答えた。
そんな我が子の反応に苦笑を零しつつ、エドウィンは独り言ちるように語る。
「リンダム王国は三年にわたる沈黙を破った。我が国が旧バーデン領を獲得したことで、ティリス川以南の勢力図は大きく変わった……これできっと、他の各勢力も動きを見せる。次の敵が現れるのは案外早いだろうね。戦士団の規模を増強して鍛え、騎兵部隊の練度をさらに高め、装備をより一層充実させ、そうやって急ぎ備えを進めなければ」
王国領土の拡大に合わせて、エドウィンは戦士を総勢百人まで増やすつもりでいる。農家の次男以下など戦士になりたがっている者は多いので、頭数を揃えることには困らないだろうが、揃えた後は新参者たちが一人前の戦士となるよう鍛える必要がある。
戦士団が数と質の両面で精強さを維持し、新領土においても兵役制度が正しく機能すれば、リンダム王国はさらなる戦いでも必ず勝利できるとエドウィンは信じている。
「とはいえ、ひとまずは休息をとろう。幸いにもこれから冬が始まる。戦いの疲れを癒し、将来の戦いに備える時間はある」
「ええ、とてもお疲れになったでしょうから、今はゆっくりお休みになってください。私と子供たちと一緒に、今年も平穏な冬を過ごしましょう」
答えながら、クレアはエドウィンの肩に自身の頬をすり寄せる。エドウィンは彼女の方を向き、そして二人は優しい口づけを交わす。
「ちちうえとははうえ、きょうもなかむつまじいねぇ」
「あぅー」
両親の様を見たエゼルウルフが年齢に見合わない難しい表現を使い、アリスは意味も理解せず返し、そんな我が子たちを見てエドウィンはクレアと微笑み合う。
此度の戦争も、エドウィンは勝者として終えた。




