第五十九話 バーデン領侵攻③
盾の壁を肉薄させて戦うこのような状況は、組織立った軍勢同士が衝突する際によく見られるもの。隊商を狙う盗賊団と護衛の傭兵団がぶつかり合う数十人規模の戦いから、ロドニア帝国軍と東の隣国やゴドロワ人の軍勢がぶつかり合う数千人規模の戦いまで、大小の戦場においてある意味では定番の光景として知られている。
この状況において、多くの場合では、先に敵側の盾の壁を崩した方が勝者となる。壁を崩されて戦列の中に入り込まれた側は、もはや組織的な抵抗を為すことが難しくなり、勢いづいた敵側に有利なかたちでの乱戦を強いられ、そのまま壊走を強いられることになる。
「怯むな! 訓練の成果を発揮しろ!」
「頭や首を狙え! 敵をぶっ殺せ!」
ジェラルドが戦士長として部下たちを鼓舞しながら、自らも激しく剣を振るう。そして戦列の二列目にいるオズワルドは、乱暴な言葉使いで吠えながら、巧みな槍捌きで味方の頭越しに敵を牽制する。
彼ら王の側近たちの言葉に励まされ、最前列の戦士たちは戦意を滾らせて敵軍との殺し合いをくり広げる。二列目の戦士と民兵たちは、自軍の守りの要である盾の壁を維持するために前列の味方を懸命に援護する。
一方の敵側も負けていない。ダグラスの抱える従士たちは決して弱兵ではないようで、リンダム王家に仕える戦士たちと対峙しても怯まない。そして彼が雇い入れた傭兵たちも、ごろつき同然の低質な戦力ではなく、雇い主のために本気で仕事をするまともな連中であるようで、盾の壁を保ちながら果敢に武器を振り回している。
敵軍の最前列の中央付近には、ダグラス当人が立っている。エドウィンとダグラスは、真正面で対峙しているわけではないが、視線を少し横に向ければ互いの表情が分かるほどの距離にいる。
「敵の戦列を突き破れええぇ! そうすれば我々の勝ちだぞおおぉ!」
ダグラスが自軍の戦列に向けて吠えながら、剣を振り下ろす。目の前にいる戦士の盾を何度も殴りつけ、ときには戦士の頭を守る兜を激しく打つ。
そうしながらこちらを睨みつけてきた敵将に、エドウィンは不敵な笑みを返し、負けじと叫ぶ。
「諸君、根性を見せろ! 勝利の後には褒美と名誉が待っているぞ!」
叫びながら、従士か傭兵かは分からないが目の前に立っている敵に戦斧を叩きつける。敵は円盾を上下させながら巧みにエドウィンの攻撃を防ぎ、手にしている槍を突き込んでくるが、エドウィンの方も己の円盾でその刺突を防ぎ、あるいは逸らす。
そしてエドウィンの後ろからは、ウォーレスが援護を為す。彼がエドウィンの頭越しに大きな槌を振り下ろすと、その一撃が肩を掠めただけで敵は怯み、続く一撃が兜のない頭にまともに当たると、血と脳漿を撒き散らしながら倒れる。
そうして敵側の最前列に空いた穴を、しかし左右に並んでいた敵がすぐさま狭め、二列目以降から進み出た新たな敵が完全に塞ぐ。なかなか素早い連携だった。
両軍の職業軍人と民兵たちは、それぞれ獣じみた咆哮や罵声を敵側に浴びせながら死闘をくり広げる。どちらの軍勢が精強か、この戦いに臨む士気が高いか、戦の神の審判に委ねるようなせめぎ合いが続く。
互いの盾の壁を挟んでいる状況では致命傷に繋がる攻撃をくり出すことは容易ではなく、端から見れば戦況は硬直するが、それも永遠のものではない。目の前の敵を下がらせることはできずとも怯ませる一撃が、殺すことはできずとも戦闘不能に追い込む一撃が、盾を粉砕することはできずとも亀裂を入れて壁に隙を作り出す一撃が積み重なり、やがて戦場の景色が変わり始める。
変化はリンダム王国軍から見れば左翼側、バーデン領軍から見れば右翼側にて起こった。
「陛下! 左翼側でこちらが敵軍を崩し始めました!」
成人男性の平均より背が高く、そのために周囲の状況を把握しやすいジェラルドが言った。左を向いても側近の語る状況変化は把握できなかったが、彼が言うのであればこちらの左翼が敵の右翼を押し始めたのは間違いないとエドウィンは判断した。
「……狙い通りだ」
言いながら、エドウィンは口の端を歪める。
たとえ敵軍が盾を並べたとしてもその防御は完璧ではなく、大量のクロスボウによる斉射は一定の戦果を示すはず。従士や傭兵から成る敵軍前衛に少なからぬ損害を与えることができれば、その後の前衛同士の戦いでは、敵側の盾の壁が先に限界を迎えて崩れるだろう。そのような狙いは見事に的中し、戦況はエドウィンの望んだとおりに推移している。
「我が軍が有利だ! 一気に押し込め!」
エドウィンの鼓舞に喊声で応えながら、王家に仕える戦士たちは前進を試みる。
一度戦列を崩した軍勢は、防御力が一気に落ちる。バーデン領軍の右翼は、リンダム王国軍の左翼に見る間に押し込まれていく。その戦況変化が次第に中央や右翼にも広がっていくのを、エドウィンは戦斧を振るいながら実感する。
盾の壁を並べながらの集団戦は、徐々に個と個がぶつかり合う乱戦へと変わっていく。こうなると、勢いづいた攻め手が圧倒的に有利。一度押し込まれて逃げ腰になった軍勢は、たとえ一部の勇敢な個人が奮戦したとしても、全体としては押され続ける。民兵はもちろん職業軍人であろうと怖気づき、あるいはもはや勝機が薄いと冷静に判断し、下がっていく。
このまま壊走に追い込み、勝利を決定づけてやる。エドウィンがそう考えながら、さらに自軍を鼓舞しようとした、そのとき。
「全軍後退する! 戦列を維持しながら下がれ!」
敵将ダグラスの声が戦場に響き、敵軍全体が退き始めた。
「二列目の傭兵どもは下がりながら右に広がれ! 右翼の従士たちを支えろ!」
続くダグラスの命令で、敵左翼の二列目にいた職業軍人たち――ダグラスの言葉から察するに傭兵たちが動き出す。敵右翼が先に崩れたのは、傭兵よりも実戦経験に乏しい従士が戦列を成していたことも影響しているのか。
敵側の行動を受けて、エドウィンの表情が歪み、口からは舌打ちが零れる。
「ちっ、上手いな」
苛立たしげな反応とは裏腹に、内心に抱くのは敵将への感嘆と敬意だった。
順当に戦況が推移すれば、もう間もなく敵軍は総崩れになって逃げ出し、こちらは一方的にその背中を追撃していた。意図的な後退を命じることで自軍の戦列の形を保ち、未だ秩序立っている左翼の二列目から危機的状況にある右翼へ兵力を移動させて防御力を回復させようとするのは、敵側にとって窮状をましなものにする唯一の選択肢。
もちろん、激しい攻勢を受けながらも軍勢の秩序を維持して後退させるのは並大抵のことではなく、一歩間違えればむしろ自軍の壊走を促す事態に繋がる。戦闘の最中での兵力移動も、下手をすれば戦列の中に混乱を生むばかりの悪手となる。
しかし成功すれば、自軍の損害を減らしながら後退を果たし、兵力をある程度保った状態での再戦の機会を得ることができる。必敗の壊走を為すよりは、この先の勝利を掴み得る選択と言える。
僅かな時間の中でその選択を為したダグラスの決断力と度胸は、称賛すべきものだった。目まぐるしく状況が変わる中で大胆な決断を為すというのは、誰にでもできることではない。これが凡庸な指揮官であれば、自分の能動的な決断が裏目に出ることを恐れ、目の前の戦いに拘泥し、だらだらと無駄な抵抗を為したことだろう。
敵将が勇敢な決断を下したのであれば、全力をもってそれを潰すのが礼儀。
「突き進め! 敵を蹴散らせ! 秩序立った後退など許すな!」
叫ぶように命じながら、エドウィンはまず己こそがその言葉に従って敵の戦列に襲いかかる。敵軍の後退によって彼我の戦列に数メートルの距離が開く中で、目の前の敵の顔を目がけて戦斧を投げつけ、敵が円盾を掲げてその攻撃を受け止めると、自らも円盾を構えながら突進して敵を後ろ向きに転ばせる。
そうして自ら先陣を切った勇猛な王に、周囲を囲んでいた戦士たちも勇んで続く。ジェラルドが即座にエドウィンに追いついてその死角を守り、さらに左右に並ぶ戦士たちが、そして後ろからはオズワルドやウォーレスなど二列目の戦士たちが続き、攻勢の勢いが周囲に伝播していく。戦士たちだけでなく、民兵たちも優勢の高揚に飲まれるように果敢に前進を為す。
敵側の不意の後退を受けての僅かな混乱から即座に立ち直り、ますます攻勢の激しさを増すリンダム王国軍を前に、壊走の危機から一度は脱したかに見えたバーデン領軍は再び崩れていく。
戦列の中央や左翼は態勢を整える前に押し込まれて戦列を乱し、右翼の援護に向かおうとしていた左翼二列目の傭兵たちはその混乱に飲まれて移動がかなわず、助けを得られなかった右翼はついに壊走し始める。
結果、意図的かつ大胆な後退によって戦況を改善しようとしたダグラスの目論見は失敗に終わる。彼が掴み取ろうとした再戦への希望の光は、急速に陰り、霧散する。彼は勇敢にも賭けに臨んだが、しかしその賭けに敗けた。
壊走の波は間もなく中央や左翼にも広がり、逃げ去るバーデン領軍の背にリンダム王国軍が追撃の牙を立てる。
そのような中で、しかしダグラス・バーデンはなおも抵抗を示す。逃げながら周囲の従士や傭兵を集結させたらしい彼は、戦士たちと共に追撃を為していたエドウィンに迫りくる。十人足らずの小勢ではあるが、組織立った攻撃を仕掛けてくる。
壊走と追撃の怒涛に紛れて敵将に近づき、大将首を獲っての一発逆転を狙う。それは彼にとって最後の一手、敵味方の戦列が崩れた乱戦の只中だからこそ生まれた新たな賭けの選択肢だった。壊走の只中でも周囲の職業軍人たちに言うことを聞かせ、即座に強襲に転じることができる勇将だからこそ掴める勝機だった。
「エドウィン・リンダム! その首をもらうぞ!」
「素晴らしい根性だ! さあかかってこい!」
エドウィンは喜色を浮かべながら円盾と剣を構え、鬼気迫る表情で挑みかかってくるダグラスを迎え撃つ。




