第五十五話 係争
このまま何事もなく統一暦四一二年が終わるだろうとエドウィンは考えていたが、しかし十月も半ばに入った頃、事件が起こった。
「今から三日前、南東のバーデン領との国境地帯で、羊の放牧をしに来たリンダム王国民とバーデン領民が鉢合わせしたそうです。どちらが放牧をするかで揉めて暴力沙汰になり、双方に怪我人が出ました。相手側の被害の詳細は分かりませんが、こちらの民には手足を折ったり片目を失明したりといった重傷者も何人か出ています」
王の館の広間。エドウィンとクレアと主だった家臣たちを前に詳細を報告するのは、徴税のために王国南東部を巡っていた際に、事件の当事者である国境地帯の村の住民たちから訴えを受けたというレオフリックだった。
「揉め事の現場となった放牧地は、帝国支配の時代から隣村との係争地となっていたそうで……」
「もしかしてあの場所か? 二十年ほど前の揉め事で死人が出たとかいう」
以前にも聞いた話を思い出しながらエドウィンが言うと、レオフリックは首肯する。
現在のリンダム王国は、東で二つの勢力と境界を接している。そのうち南側にあるのが、将軍ダグラス・バーデンを名乗る男が治めるバーデン領。
およそ三千人の人口を擁するバーデン領との境界は、南半分では細長い丘陵がそのまま天然の境界線となっている一方で、北半分は平地が広がり、明確な境界線はない。エドウィンとダグラスがそれぞれ支配する人里の間には平地や森が広がり、現地住民たちが長年の慣習に従ってそれらを放牧や採集のために利用している。
そのような国境地帯の一角に、リンダム王国に属する村とバーデン領に属する村が、使用権を巡って係争をくり広げてきた放牧地があるという。エドウィンは三年前の征服行の際、当事者である村の住民たちからその件を聞いていた。
事の発端は今より二十年ほども昔、ロドニア帝国がアロナ島を支配していた時代。ほぼ同時に放牧地にやってきた二つの村の住民たちが、どちらが先に羊を放牧させるかで揉めた。その年は例年よりも寒冷で、皆が家畜を少しでも早く太らせようと焦っており、どちらの村の住民も気が立っていたために、揉め事は暴力沙汰に発展した。男も女も皆が自衛用の杖や農具やナイフを振り回し、その結果、現在バーデン領に属する村の住民に死者が出てしまった。
そのときは帝国軍が介入し、現在リンダム王国に属する村から犠牲者の遺族に賠償金を支払うかたちで法的な結着がついた。しかし、当事者の多くが未だ生きていることもあり、二つの村の禍根は残ったままだという話だった。
今回の事件は、死者こそ出ていないものの、状況としては過去の事件とほぼ同じと言える。
「村同士に因縁があったのであれば、暴力を伴う揉め事が再び起こるのも理解できる話だが……前回の揉め事との違いは、それら二つの村が今は別々の支配者を戴いているということだね」
「なるほど。元はただの農村同士の係争が、国同士の係争に発展するってわけですか」
エドウィンの言葉を受けて、オズワルドが腕を組みながら納得した様子で語った。
「ああ、まさしくそういう話になる。今頃はダグラス将軍も自領の民から揉め事の報を受けて、対応を考えているだろうね……この一件、上手く利用すれば領土拡大のきっかけにできる。バーデン領に攻め入る大義名分として使える。そろそろ領土拡大を成したいと思っていた僕にとっては、実に好都合だ」
エドウィンは椅子の背に身体を預け、偉そうに足を組みながら、不敵な笑みを浮かべる。
「放牧地に同時に到着した民同士の喧嘩となれば、どちらが悪いとも言い難い。つまり、こちらが一方的に悪いと謗られる道理はない。だからこそ、僕は王として我が民を庇う。正当な権利をもって放牧地を利用しようとした我が民をバーデン領民が不当に傷つけたのだと主張し、加害者が謝罪と賠償を為すようダグラス将軍に毅然と求める」
クレアに寄り添われながら、集っている家臣たちに視線を巡らせ、エドウィンは考えを語る。
「彼がこちらの言い分を素直に受け入れるようであれば一件落着となるが、あちらも支配者としての面子がある。反発し、逆にこちらへ謝罪と賠償を要求してくる可能性は高い。僕は絶対に主張を変えない。こちらに理があると何度でも訴えてやる。その結果、ダグラス将軍がどこかの段階でしびれを切らし、行動を起こしてくれれば喜ばしい。彼が先に行動を起こせば、こちらは領土と民を守るという絶対的な正義のもとで軍勢を集め、バーデン領に堂々と攻め入ることができる」
「……いよいよ行動を起こしますか」
厳かに尋ねたジェラルドに、エドウィンは喜色を浮かべて頷く。
「ああ。我がリンダム王国は、三年の沈黙を破って領土拡大に臨む。本当はあと少しだけ待ち、きりよく来年から動き出すつもりだったが、まあ構わない。大義名分が目の前に転がってくるのであれば機を逃す理由はない。他勢力同士の争いを他人事として三年も見物させてもらったんだ。そろそろ主役として表舞台に立ってやろうじゃないか」
今より三年前、リンダム王国が現在の支配域を定めた頃には、ティリス川以南の他の場所でも新興の支配者たちが誕生し、各勢力がそれぞれ支配域を固めた。それらの勢力は表面上は穏便な交流を為しつつも、その裏では互いを仮想敵を見なしており、ときには対立して睨み合い、さらには武力を行使し、勝者が敗者の支配域を切りとったり併合したりする事態も何度も発生した。
このような状況の中でリンダム王国が三年にわたって平穏を維持できたのは、ティリス川以南の他の勢力と比べて一際大きな人口規模と軍事力を誇っているからこそ。精強な戦士団を抱え、数で勝る軍勢に圧勝した実績を持つキラケス人の王は、警戒の対象にはなれども狙い目の獲物とは見なされなかった。
それに加え、穏便な立ち回りに終始した自身の努力も平穏に幾らか寄与しているとエドウィンは考えている。これまでエドウィンは、周辺勢力の支配者との係争を徹底的に避け、定期的に挨拶の書簡を送り、そこには気前よく贈り物を添えた。平和的な交易を為し、共栄を訴えた。
しかし、人口規模と軍事力の優越、そして外交努力による穏便な関係を担保とする平穏も、永遠に続くものではない。あまりのんびりと構えていたら、いずれはリンダム王国を上回る強力な勢力が誕生し、脅威として立ちはだかるだろう。
だからこそ、有利な状況が保たれているうちに行動を起こしたいとエドウィンは思っていた。王国北部の傷が癒えて国力が十分に回復し、戦士団の装備が随分と充実して新参戦士たちの練度も高まり、騎兵部隊も完成しつつある今、そろそろ行動を起こす頃合いだと考えていた。
「まずは、ダグラス将軍にこちらの主張を伝える書簡をしたためよう。そうして彼の反応を見るんだ。書簡を届ける使者には、戦士ではなく祭司を充てよう……初めてタイウェル・ドゥムノスに接触したときを思い出すな」
後半は独り言のように言いながら、エドウィンは微笑を零した。
・・・・・・
ダグラス・バーデン将軍への書簡は即座に用意され、フィオナの傘下にいる祭司の手でバーデン領へと送られた。その数日後には、祭司はダグラスからの返信を携えて無事に帰還した。
ダグラスの返答は、エドウィンの要求に対する完全な拒絶だった。彼は逆に、自領の民こそが被害者であると主張し、リンダム王国側の事件の当事者たちが謝罪と賠償を為すことを強く要求してきた。
さらなる返信として、エドウィンはダグラスの要求への拒絶と、あらためて謝罪と賠償を要求する旨を伝えた。こちらに対して分かりやすく強硬な態度に出ている彼は、こうして何度かやり取りをすれば、しびれを切らして直接的な行動を起こすだろうと思いながら。
エドウィンのその予想は、思いのほか早く的中した。ダグラスは次の返信を為す代わりに、自身の手勢およそ二十人にリンダム王国との境界を越えさせ、事件の当事者たちの村に押し入らせ、力ずくで「賠償」の品々を得させた。金品や家畜を奪わせて持ち帰らせた。
「……なるほど、こう来たか」
王の都に駆け込んできた被害住民から事の次第を聞き、すぐに対処してやると伝えて広間から退室させた後。玉座にふんぞり返って足を組みながら、エドウィンは攻撃的な微笑を浮かべる。
「大義名分に加えて、勝ち目もあると考えたからこその蛮行でしょうか」
「ああ。ダグラス将軍は、今年になって雇ったという傭兵団をよほど頼りにしているらしい。でなければここまで強硬な手段は選ばないだろう」
ジェラルドの言葉に頷いて同意を示しながら、思い出すのは御用商人ロイドから以前に聞いたダグラスの動向だった。
エドウィンが常備兵力として戦士団を従えているように、どの勢力の支配者も規模の差はあれど武装した家臣団を擁している。ダグラスもその例に漏れず、従士団と称する四十人ほどの手勢を抱えているという。
そして今年の夏頃、彼が新たに三十人ほどの傭兵団を傘下に加えたという噂がエドウィンのもとにもたらされた。バーデン領よりもさらに東にある他勢力との交易に赴いた際、ロイドがそのような情報を得てきた。
話によると、その傭兵団はかつてのエドウィンたちと同じように、大陸からこのアロナ島へ渡ってきた。ただし何か確固たる計画があって移住したわけではなく、年々混乱が増していく大陸の帝国北部から逃れるために流れてきた傭兵たちの寄せ集め集団で、自分たちを雇ってくれる有力者を探し求めていたところ、ダグラスがそれに応えたという。
戦力を大幅に増強した為政者が次に考えるのは、支配域の拡大。おそらくダグラスはさらなる躍進の道を模索していたところ、今回の事件が起こったために、強敵であるリンダム王国に挑むような真似をする気になったのだろうとエドウィンは考える。
こちらに先んじて攻撃的な行動をとる大義名分の点でも、彼はここまで強硬な手段に出るだけの理屈を一応は持っている。今より二十年ほど前の揉め事において、死んだのは現在のバーデン領に属する村の民だった。かつて結果的に被害者となった側だからこそ、今回も被害者ぶって強気の態度に出やすいとあちらが考えたことは想像に難くない。
「ここまで舐めた真似をされては、もはや黙っているわけにはいかない。敵側の行動を誘うこちらの策は成功した。成功しすぎたくらいだ。我が領土を侵し、我が民の財産を奪ったダグラス将軍に愚行の報いを受けさせよう。リンダム王国は他者の侵攻を許さないと、エドウィン王は己の誇りを傷つけられることを許さないと、敵とこの世界そのものに示すんだ」
エドウィンが獰猛な笑みで言うと、武門の側近たちは力強く応えた。
その日、民兵の集結を命じる王命が王国各地に発せられた。




