第五十二話 軍備増強
別の日。館の裏手の訓練場には、数十人の民兵が集まっていた。
リンダム王国ではしばらく平和が続いているが、その間も各人里からは年に一、二度ほど民兵が召集され、戦時に備えた訓練が行われている。この日は王国南西部、都の周辺の村や農場に動員がかけられ、集まった民兵たちが訓練の指導役である戦士長ジェラルドを前に並んでいる。
こうして召集に応じる民兵のうち、各人里に義務付けられた徴集兵は、村長や顔役や農場主、あるいはその家族親族など、各人里の中核にいる人物に固定化されている。兵役という重い義務を、しかし村や農場の有力者たちは他の農民たちに押しつけるのではなく、自分たちの身内から選んだ代表者に務めさせている。
「まあ、自然な流れだろう。兵役を務める者は他の者たちよりも重い義務を果たし、すなわち皆より大きな貢献を成すわけだから、自ら進んでその役割に臨めば、必然的に村や農場の中で発言力を増すことになる。各人里の有力者たちはそのことに気づき、兵役の義務を自分たちの立場の強化に利用することにしたのさ……彼らが兵役を独占しながら世代を重ねれば、いずれは王命に応じて兵力を提供することが、各人里の有力者の義務であり権利となるだろう。そして、彼らは他の民よりも明確に一段高い地位を得るようになる」
徴兵の現状について以前エドウィンはこのように語り、ジェラルドもそれに納得を覚えた。
王より戦士長の地位を賜り、リンダム王国の軍事力強化の実務を担っているジェラルドとしては、そうした立場の者たちが民兵になるのはむしろ歓迎すべきこと。各人里の有力者の家系ともなれば、まともな食事をとっているために健康で体力があり、幾らか教育を受けているので多少複雑な指示でも理解する頭があり、おまけに守るべき社会的立場があるので士気も高い。職業軍人たる戦士たちには及ばないが、民兵としては上質な部類の連中が揃う。
そうした徴集兵に勝手についてきた志願兵たち――いずれ実戦に参加し、戦利品を得て裕福になったり、武功を上げて戦士階級に成り上がったりすることを夢見る若者たちも、心身の出来はともかくやる気はあるので、戦時の数合わせになると思えば鍛える意味もある。そのような民兵が揃えば、訓練も意義あるものとなる。
訓練の内容は基本的に二つ。指揮役の戦士の指示に従ってクロスボウの射撃を行うことと、簡単な隊列を組んで槍を構え、集団戦闘の演習を行うこと。そうした定例の訓練を一通り行った後、この日は新たな試みがなされていた。
「これからお前たちに、鎧や兜を身につけた敵との戦い方を教える」
民兵たちの注目を集めながら語るジェラルドは、訓練指導の補佐役として隣に立っている戦士を自身の剣の切っ先で示す。
ジェラルドも鎖帷子を身につけて腰のベルトに予備武器の短剣を下げ、左手に円盾を構えている完全装備の状態だが、隣に立つ戦士は同じような装備に加え、頭には水滴型の兜を被っている。兜の正面側には目元から鼻までを保護する面が取りつけられており、さらに兜の縁からは鎖帷子がカーテン状に垂れ下がり、首回りや喉元までが守られている。
「これは今のアロナ島や大陸西部において、最上級の装備を身につけた軍人の姿だ。まずはこの鎖帷子について説明する……鎖帷子はその名の通り、鉄製の小さな輪を鎖のように連ねて作られている鎧だ。帝国軍人や、もしかしたら富裕層の用心棒が身につけているのを見たことがある者もいるだろう」
戦士長の言葉を受け、民兵たちは覚えがあるのか頷き合う。士気の高い彼らは、皆が真剣な表情で説明を聞いている。
「百年も二百年も昔の帝国軍には鉄板を繋ぎ合わせた鎧も多くあったそうだが、今の大陸西部やその周辺地域では、専らこの鎖帷子が主流だ」
鎖帷子が普及した背景には、帝国軍の財政事情が理由としてあると、ジェラルドは歴史好きのエドウィンから聞かされたことがある。
鉄板を繋ぎ合わせた鎧は製造に高度な技術が必要で、着用者個人の体格に合わせた微調整もしなければならない。しかし鎖帷子は、手間はかかるものの技術的には比較的容易に組み立てられる上に、服のように柔軟な作りをしているため、標準的な成人男性の体格に合わせて作れば、極端に大柄だったり小柄だったりする者以外は問題なく着用することができる。着用者の体格に最適化させるために大きさを調整する際も、鉄の輪を繋ぎ直すだけで済む。
そのため、国が衰退して多くの板金鎧を製造したり管理したりする余裕のなくなった帝国軍においては、作りやすく使い勝手も良い鎖帷子こそが標準的な鎧となり、崩壊以前の帝国領土の全域――すなわち大陸西部やその周辺地域に普及したのだという。
そうした雑学は、しかし今この場では不要なのでジェラルドは説明を省く。
「鎖帷子は作りこそ布の服のように柔軟だが、鉄でできているだけあって防御力は相当に高い。鋭い刃を持つ軍用の斧や剣で斬りつけても、鉄の輪を切断することは難しい。槍で突いても、鉄製の鏃を備えた矢を放ってもそう簡単には貫けない。貫けたとしてもそこで攻撃の威力が殺されて、致命傷にはなかなか繋がらない」
鎖帷子を着用していると、胴体に攻撃を受けた場合に死ぬ確率が七割から八割ほど下がる。それは、職業軍人の間ではよく知られている定説だった。
「兜の方も、身を守る上でかなりの効果がある。このように喉や首回りまで覆う兜となればさらに有効だ。戦死に繋がる傷の多くは頭か首か胴体に負うものと言われているので、こうして鎖帷子と兜を身につければ、人間の弱点のうちかなりの範囲を守ることができる……つまり相手取って戦う側にとって、鎖帷子と兜を身につけた戦士はなかなか死なない敵ということになる。盾による防御を潜り抜けて攻撃を当てたとしても、その大半が効かないのだからな。こんな奴が自分を殺そうと迫ってくるところを想像してみろ。相当恐ろしいはずだ」
ジェラルドが言うと、民兵たちはいずれも恐怖を感じている表情になる。完全装備で立っている戦士は、いかにも強そうに見えることはもちろん、顔までが覆われているために人相が分からず、表情も読めず、そのためかなりの威圧感がある。
「この数年でリンダム王国の周辺にも大きな勢力が増えた。そうした勢力の指導者は、俺たちの国王陛下がそうであるように、まともな装備をしたまともな軍人を何人も抱えていることだろう。お前たちがそのような敵と対峙することもあり得る。だからこそ、今日こうして訓練の場を設けた……このような敵を相手に勝ち目のある戦いをしたい場合、最も確実なのは、戦うこちら側も鎖帷子や兜を装備することだ。とはいえ、お前たちにはとても無理な話だろう。何世代も後、リンダム王国が今よりも遥かに発展した時代には民兵もこうした装備を身につけられるようになるかもしれないが、現時点では不可能だ」
鉄製の武器や防具は総じて高価で、持っていればそれだけで一財産となる。槍や斧や短剣であっても、軍用の上質なものは庶民ではなかなか手が届かない。製造に大量の鉄と高度な技術を必要とする剣に至っては、現金収入の多い傭兵でも、平均的な稼ぎの一年分かそれ以上を全て注ぎ込んでようやく手に入れられるほど高価なもの。
鎖帷子の価値はそうした武器よりもさらに高く、剣の数本分に匹敵する。エドウィンの鎖帷子のように、黒染めにして襟や袖に装飾を施した豪華な仕様のものはより高価になる。
若き傭兵団長だったエドウィンがそのように贅沢な鎖帷子を持つことができていたのは、自身の傭兵団を立ち上げて大金を稼ぐという成功を収めた父ケンウルフから財産として受け継いだからに他ならない。
兜も鎖帷子ほどではないが、全体が鉄製で形も凝っているため、相当な贅沢品。まともな鉄製武器さえそうそう持てない辺境の農民が鎖帷子や兜を所有するなど、一生かけて財産を貯めても不可能なことだった。
「なので現実的な対応策としては、お前たち民兵はこのような強敵には近づかず、代わりに同じように重装備の味方に相手をしてもらうという手がある。王家の戦士団のうち、王族の護衛や王の館の警備を担う親衛隊は手練れ揃いであり、今ではこの重装備を全員が持っている。他の戦士たちにもこうした装備が少しずつ普及している。同じような装備を纏った敵が相手でも、不利になることなく戦える」
リンダム王家に仕える戦士団の装備事情は、この三年をかけて着実に良くなっている。
御用鍛冶職人デリックと彼の弟子たちは引き続き仕事に励んでおり、さらには寛大で有能なリンダム王の噂を聞きつけて庇護を求める武具鍛冶職人も新たに二人現れ、装備の製造体制はより整った。また、他勢力との継続的な交易を行っているエドウィンは、鉄鉱石の鉱脈を保有している勢力から良質な鉄を輸入し、装備の原材料を安定して確保できるようになった。
その結果、今では年に五、六着ほどの鎖帷子と同数の兜が作られるようになっている。
こうして着実に数を増やしている高価な装備を優先的に与えられるのは、戦士団の中でもより重要な立場にある者たち。七十人の大所帯となった戦士団の中で、戦士たちの扱いに関しては役割や能力ごとに差が生まれている。
最上位の立場にいるのが、王族の護衛や王の館の警備を務める親衛隊。これはエドウィンが元々率いていた傭兵団に長く所属していた古参の配下たち――エドウィンの亡父ケンウルフが傭兵団長だった頃からの顔ぶれによって組織されている。ジェラルドたち側近も含めて現時点では総勢十二人いる彼らは、エドウィンから絶対的な信頼を置かれ、命を預けられている。
また、三年間で徐々に育成が進んでいる騎兵部隊に所属する戦士たちも、他の戦士たちより上位の扱いを受けている。現在ジェラルドによって鍛えられている戦士は、レオフリックを含めて十六人。そのうち数人は親衛隊にも属している。王家の所有する軍馬も徐々に数が揃い、それに伴って騎兵たちの訓練時間も増え、この冬にはエドウィンによって実戦部隊としての一応の完成が宣言される見込み。
鎖帷子と兜はまず親衛隊の戦士たちに行き渡り、現在は騎兵部隊の戦士たちへの下賜が始まっている。騎兵としての能力を身につけた褒賞という名目でこれらの装備を彼らに与え、遅くとも再来年のうちには完全装備の騎兵部隊として運用できるようにしたいというのがエドウィンの考え。
また、以前はエドウィンとジェラルドの他に数人しか装備していなかった剣も徐々に数が増え、所有を望む者には熟練戦士から優先的に、奉公への対価として与えられるようになっている。
切れ味の鋭い剣は振った刃が当たるだけで敵の皮膚や肉を切り裂くことができるため、槍や戦斧と比べても敵に致命傷を与えやすく、武器の中でも特に攻撃力が高い。だからこそ、高価であることも相まって最上級の装備のひとつとされている。
鎖帷子や兜、剣といった装備が普及するにつれて、戦士団は王家の常備兵力としてますます強力な存在となっている。
「だが、ここでもひとつ問題がある。お前たちがこのような強敵と対峙したとき、近くにそう都合よく重装備の味方がいるとは限らない。そうなると、お前たちだけで立ち向かうことになる。戦い方は単純だ。大勢で囲め」
重装備の強敵と戦う己の姿を想像したのか、緊張を覚えている様子の民兵たちに、ジェラルドはそう語った。
「このような重装備を持っている敵となれば、まず間違いなく手練れの軍人だろう。装備に加えて能力でも勝る敵となれば、一対一ではそもそも敵うまい。だからこそ数で勝れ……二人が正面に立って牽制し、もう二人が側面や後方の死角から攻撃しろ」
ジェラルドの説明に合わせて、訓練場の隅に控えていた軽装の戦士たちが四人、訓練用の木槍を手に重装備の戦士を囲む。
「二人がかりならば、手練れが相手でも時間稼ぎの牽制程度は務まるはずだ。相手を倒す必要はない。ただ得物を振り回し、相手が近づけないようにすればいい。その間に別の者が死角から攻撃するわけだが、この攻撃役も二人がかりでやれ。手練れの中には死角からの攻撃に気配だけで気づくような奴もいるが、さすがに二人がかりの牽制を凌ぎながら二人がかりの奇襲まで防げるような奴はいない。だから、四人で挑むのが最も確実だ」
四人の軽装の戦士たちは、ジェラルドの説明する戦い方を実演してみせる。重装備の戦士の正面に二人が立って実戦さながらの鋭い牽制をくり出し、残る二人が左側面と真後ろに回り、死角からの奇襲を仕掛ける。
重装備の戦士は正面からの牽制は上手く受け流し、側面からの攻撃にも対応してみせたが、その上で後ろからの攻撃を凌ぐことはできず、背中を突かれる。
相手が少しよろけたその隙を逃さず、今度は側面に立つ戦士が木槍を振るい、重装備の戦士の兜を打つ。さらに体勢を崩した重装備の戦士は、そのまま四方から四本の木槍で叩かれ、突かれ、その場に倒れてみせる。
「鎖帷子を着ている相手にも、武器を叩きつけたり突き込んだりしたときの衝撃は伝わる。鉄製の兜にも、まともに攻撃を当てれば相手の脳を揺さぶることができる。攻撃を当てて怯ませ、その後は数の有利を活かして袋叩きにしろ。鉄製の装備に守られていない手足を狙うか、頭や胴体に衝撃を与え、死にはしなくても立ち上がれなくなるよう痛めつけてやれ……全員理解したな? それでは、順番にやってみろ」
「なあ戦士長、やられ役は途中で他の奴に替えてくれよ。俺だけ民兵どもに殴られて何度も死ぬのは御免だぜ」
そのとき。軽快な動きで立ち上がる重装備の戦士の、兜の中から聞こえたのはオズワルドの声だった。
「ああ、分かっている。途中で交代させるから安心しろ……おい、そこの端から四人、こっちへ来い。まずはお前たちが戦ってみろ」
ジェラルドが指差すと、最前列に並んでいた民兵のうち四人が前に出てくる。彼らは訓練用の木槍を構え、訓練相手であるオズワルドを囲む。
「……さて、これが後々どれほど効くか」
模擬戦が始まった様を見据えながら、ジェラルドは独り言ちる。
今は平穏が続いているが、いずれそう遠くないうちに再び戦争が起こるだろう。この不安定な時代においては、自分たち建国の世代が生きている間に何度も戦う機会があるだろう。その際、敵が以前より強くなることはあっても、弱くなることはそうそうない。
リンダム王国の軍事力は国力に比して高いが、圧倒的というわけではない。さらに強くなるために様々な施策を成しているが、主君エドウィンもよく言っているように、それらが永遠に一方的な有利をもたらしてくれるわけではない。
だからこそ、こうした地道な努力が欠かせない。王が考えたことを、自分が実務指揮官として実行し、この国を強くするための歩みを進めなければならない。




