第四十八話 北の隣人③
「あぁ、やっと終わった……まったく気色の悪い奴だった」
しばし酒を飲み交わし、今後も定期的に使者を送り合って交流していくことを約束した後。船に乗って帰路につきながら、エドウィンは言った。その表情には嫌悪の色が浮かんでいる。
「あれっ? 相手の王様のことがお気に召さなかったんで? 随分と楽しそうに語らってたみたいですけど」
「表向きはそうしていたが、内心ではずっと奴のことを不気味に感じていたさ。あれほどまでに歪んだ劣等感と自尊心を抱えた変態を、どうして好きになれるだろうか」
会談の様子を船上から見ていたらしいギルベルタに、エドウィンは不貞腐れたような顔でそう答える。
辺境の被征服民たるアロナ人として、自分を蔑み冷遇する帝国に対して憎しみを募らせる。それと同時に帝国への憧れをも抱き、被征服民の立場が特に不利な帝国軍内で異例の昇進を果たすほどに努力を重ね、支配者層の末端に加わる。
結果として、どこまでもロドニア人至上主義の特権階級が支配する帝国への強烈な劣等感と、自分は偉大な帝国に認められたのだという自尊心を心の内に同居させ、アロナ人であることにこだわりながら帝国軍の装束で新たな支配者として振る舞う。
その様はまさに矛盾。歩き喋り思考する矛盾。人間は矛盾を抱く生き物だと昔の偉い哲学者は言ったそうだが、それにしてもブレドリックの有り様は異常と言わざるを得ない。
そんな不気味な奴でありながら、軍人や為政者として有能であることは疑いようがない。アロナ人の身で砦の司令官にまで上り詰めるというのはやはりただ事ではなく、せいぜい十数人の配下しか持たない状況から僅か二年ほどでティリス川下流域の北側一帯を掌握したというのも、大したことであるのは間違いない。
だからこそ、余計に癪に障る。おそらくは、あのような異常者がこちらと同程度かそれ以上の才覚を持ち、見事な成り上がりを果たしているからこそ、無性に癪に障る。
「とはいえ、上手く付き合っていくしかありますまい」
「分かっているとも。奴との争いは避け、逆に仲良くした方がいいのは明らかだ。政治的にも、軍事的にも、経済の面でも」
傍らに座るジェラルドの言葉に、エドウィンはため息交じりに答える。
下流の幅が数百メートルにもなるティリス川は、軍事行動において大きな要害。軍勢が渡るのであれば多くの船が必要であり、川を越えて北へ攻め込むのは苦労が大きい。なのでリンダム王国とベルノニア王国は、敵対するのではなく友好を結び、それぞれティリス川の南と北で勢力を広げながら共存共栄を図るのが最善。
また、ベルノニア王国は領土内に岩塩の鉱脈を有しているそうで、仲良くしておけば塩の輸入が叶い、必需品である塩の国内需要を安定的に満たすことができる。
そうした事情もあり、たとえ個人的に癪に障る相手であろうと、エドウィンはブレドリックと交流し続けるしかない。
「まあいいさ。外交というものは、嫌い合う者同士で握手を交わすことだと歴史書で読んだことがある。これも王の仕事である以上、顔に笑みを貼りつけながら務めてみせよう」
そう語るエドウィンと家臣たちを乗せ、船は長大なティリス川を下っていく。
・・・・・・
「ようやく終わった……まったく嫌な小僧だった」
エドウィン王と笑顔で語らい、今後も友好的な交流を続けていくことを誓い合った後。供の者たちを引き連れて帰路につきながら、ブレドリックは馬上でぼやいた。うんざりしていると言わんばかりの表情を浮かべながら。
「おや、あの若者のことはあまりお気に召しませんでしたか? ご歓談はそれなりに盛り上がっていた様子でしたが」
「表向きはそうしていたが、内心には常に不快感があった。あのように野心と自惚れにまみれた若造を、どうして好くことがあろうか」
文官や相談役として便利に使っている初老の祭司に問われ、ブレドリックは馬の背に揺られながらそう答える。
キラケス地方と言えば、大陸の帝国本土の北部中央。アロナ島から見れば、海を挟んで南東に位置する。そのような場所で生まれ育って傭兵をやっていた者が、支配者不在のアロナ島が狙い目だったからといって、勝手に土地を支配して王になろうと考えて兵力と船を用意し、本当に海を渡って建国を成してしまうとは。まったく馬鹿げた行動力と言える。大きな賭けに平然と臨めたのは若いが故の無謀さか。あるいは根無し草の傭兵風情であったが故の軽率さか。
おまけに奴の振る舞いからは、自分が権力者となったことへの喜びが溢れんばかり。護衛たちに己を讃えさせて悦に入っていたあの顔ときたら。大勢が自分にひれ伏すことが楽しくてたまらないといった様子だった。ブレドリックに言わせれば、あまりにも幼稚が過ぎる。あれではまるで子供の王様ごっこだ。
一人の人間としてはそのような愚か者でありながら、一国の支配者や庇護者としての有能さは認めざるを得ない。酒を飲みながら奴が自慢げに語った征服行の手法も、領土の統治方法も、遺憾ながらよくできていた。どうやら随分と王様ごっこが上手い子供らしい。
また、余所者のキラケス人である奴はてっきりアロナ人の民に圧政を敷いているのかと思っていたが、どうやらその逆に、寛大な統治を行って民心を掴んでいる様子。どうやら本気で、この島でアロナ人に囲まれながら王として生きていくつもりらしい。故郷を愛する誇り高きアロナ人の一人としては、旧来よりこの島に暮らす民を正しく庇護する彼の姿勢は高く評価するしかない。
そのように認めざるを得ない点も多いからこそ、余計に癪に障る。おそらくは、あのような異常者がこちらと同程度かそれ以上の才覚を持ち、見事な成り上がりを果たしているからこそ、無性に癪に障る。
「ですが、上手く付き合っていくしかないでしょうな」
「分かっている。奴とは争わず、こうして築かれた友好を保っていくのが最善だ。政治的にも、軍事的にも、経済の面でも」
帝国軍時代の副官である側近に言われ、ブレドリックはため息交じりに答える。
ティリス川を越えて南へ領土を広げるのは現実的ではない。なのでベルノニア王国とリンダム王国は、敵対するのではなく友好を結び、それぞれティリス川の北と南で勢力を広げながら共存共栄を図るのが最も賢い付き合い方。
また、リンダム王国は領土内に多くの牧草地と森を擁しているそうなので、ベルノニア王家直轄の岩塩鉱脈から得られる塩と引き換えに、家畜や森から得られる恵みを輸入できる。ティリス川以南よりも山がちな地形が多く、困窮するほどではないが食料の生産量にあまり余裕のないこちらとしては、余剰の食料を得て王家の軍事力を維持しやすくなるのでありがたい話。
そうした事情もあり、たとえ個人的に癪に障る相手であろうと、ブレドリックはエドウィンと交流し続けるしかない。
「まあよい。あのような若造に表面上は友好的に接することなど、帝国軍内で蔑視を受け冷遇された日々と比べれば何ということはない。それが我が国を守り育てるために必要なことならば、喜んで奴の友人を演じてやろう」
語るブレドリックを中心とし、王の一行は北へと進んでいく。
これから動乱の時代へと足を踏み入れる世界の中で、領土を並べるリンダム王国とベルノニア王国が、その君主である自分たちが、否応なしに深く関わり合うことを。
彼も、そしてエドウィンも、未だ知る由もない。




