第十三話 理性と欲
一つ目の村を服従させた要領で、エドウィンは残る二つの人里にも赴き、住民たちに王への服従を誓わせた。抵抗など起こるはずもなく、人口五十人に満たない農場が、次いで人口八十人ほどの漁村が、それぞれ新たな支配者に首を垂れた。
この征服行のついでに、話し合いに応じて自身への服従を誓った三つの村にも立ち寄り、住民たちに新たな支配者となる自分の顔を見せ、挨拶がてらに言葉をかけた。善き王になることを約束すると皆に呼びかけ、自分に頭を下げさせ、以て征服の完了とした。
こうして各人里を支配下に収めることと並行して、エドウィンはアイヴァー川下流域の西側の各地に点在する職人たち――鍛冶師や木工職人、革細工職人、大工などを訪ねて回った。
こうした職人たちは、農具や生活道具の製作と修繕を周辺の農民から引き受け、食料などを対価に受け取って生活している。多くの場合、彼らは村や農場から少し距離を置いて家屋と工房を構えている。
職人がどこかの人里に住まないのは、小さな村や農場がひとつだけでは職人の一家が食べていけるほどの仕事を得られず、複数の人里から仕事を受けるとなれば、それらのどこにも属さず中立な存在として暮らす方が何かと都合が良いため。
そして、農民と職人はある意味で「別の存在」だという意識が双方にあるため。職人たちとしては、生き方が全く異なるために馴染みにくい農民たちの近くで暮らすよりも、多少の距離を置いた方が、揉め事を避けられる上に気も楽だという。
しかし、これから王となる上では、何かと仕事を命じることになるであろう職人たちが各地に点在していると便利が悪い。また、専門技術を持つ貴重な職人たちが人里から孤立して暮らしているというのは、非常時のことを考えると不安も多い。なので、最初の支配域となるアイヴァー川下流域の西側に住んでいる職人たちは、皆まとめて近くに置く方が都合が良い。そう考えたエドウィンは、彼ら職人にも服従を求めつつ、いずれ王の館の近くに移り住むことを提案した。
王の直接の庇護下で、いくつもの職人家が集まって暮らせば、農民たちとの揉め事もそうそう起こらず、居心地も悪くない。人里に住む不利益を解消してやり、移住者には家と工房も新たに与えてやると語ると、職人たちはエドウィンの提案に概ね好意的な反応を示した。
同じ要領でフィオナ以外の祭司たちも支配下に収め、そうしてアイヴァー川下流域の西側を掌握し終え、後は建国と即位の儀式に必要な諸々の完成を待つばかりとなったある日の夜。館に暮らす皆で夕食をとり、食後のお茶も飲み終え、広間では側近たちが装備の手入れをしたり、ドーラが布作りをしたりと、皆が思い思いに過ごしていた。
「それにしても、これほど早く建国の目途が立つなんて、大陸を発ったときは思ってもみなかったよ。これもクレアの協力のおかげだ」
「私がエドウィン様のために尽くすのは当然のことです。だってエドウィン様は、神々が遣わしてくださった救世主様ですから」
大陸から持ち込んだお気に入りの歴史書を読みながらエドウィンが言うと、隣に座るクレアはとろりとした表情でそう答え、艶やかに微笑する。
まともに戦える人間が極めて少なくなった辺境。大きな勢力が未だ存在しない無防備な社会。この二つの条件が揃ったアロナ島だからこそ、エドウィンは数十人程度の兵力を用いて早期に己の支配域を築くことができた。己の持ち得る力ではこのような場所でしか勝機がないと分かっていたからこそ狙いを定め、そして狙い通り何らの障害にも阻まれることなく一地域に己の覇を成した。
とはいえ、これほど順調に事が進むのはさすがに予想外だった。絶対的な協力者として建国の足場となる土地と民を提供し、そして婚約者として理解と愛を捧げてくれるクレアは、エドウィンにとって恩人と言うべき存在だった。
「僕たちを出会わせてくださった神々に感謝しないとね……間もなく僕は王になる。その後は婚姻の儀式を執り行って、そしたら君は永遠に僕のものだ」
「……はい。でも、気持ちの上では、私はもうあなたのものだと思っています。あなたと出会った瞬間から、私の身も心も全部」
クレアはとろりとした表情のまま、両手で自身の身体を抱きながら言った。
「…………」
彼女の表情と仕草はなんとも艶めかしく、エドウィンは彼女に視線を向けながら、しばらく思案の表情で黙り込む。その様子にクレアが小首を傾げた頃、思案を終えて口を開く。
「……クレア。僕は国を作って王となり、君を正式に妃に迎えてから、初夜に君とベッドの中で肌を重ねるつもりだった」
エドウィンの言葉に、クレアは目を丸くして息を呑み、顔を赤くする。
「即位を成した王が妃を迎え、その夜に真に初夜を迎えて身も心も結ばれる方が、建国の物語として聞こえが良いと思ってね。だから、君と正式に夫婦になるまでは我慢しようと思っていたんだ……だけど、どうやらもう無理みたいだ。僕はもう一時たりとも自分を抑えられない」
あとほんの一、二週間。我慢した方がいいと分かっている。が、もう我慢できない。
そう結論づけたエドウィンは、極めて真剣な表情で語り、クレアの肩にそっと手を置く。手が肩に触れた瞬間、クレアは「んっ」と声を漏らし、その自分の声に動揺したのか目を泳がせる。
「クレア。今から君の部屋に行こうか」
「…………はい」
顔を寄せ、優しく囁くようにエドウィンが言うと、クレアは熱い吐息を零しながら頷いた。
エドウィンは書物をテーブルに置いて立ち上がり、クレアの手を取って彼女も立たせる。そのまま彼女の肩を抱きながら、二人で広間の奥の扉へ向かう。
広間の奥にある二部屋のうち、かつてクレアの父が私室として使っていた小さな部屋を、今はクレアが自身の私室として使っている。その他の者たちは、もうひとつの大部屋の方を衝立などで仕切り、寝起きの場としている。
エドウィンは館の実質的な主となってからも、クレアに配慮して、なおかつ自分の理性を保つため、彼女の私室へは立ち入らずに側近たちと大部屋で寝起きしてきた。しかし今夜は、彼女と共に小さな部屋の方へ入る。
「……理性の神からお叱りを受けるかもね」
「……今夜は、愛の神の信奉者ということにしましょう」
エドウィンが呟くように言うと、クレアはクスッと笑って答えた。
・・・・・・
そうして二人が館の奥に消えた後。
「へへっ、思ったよりは持ちこたえたな。俺ぁ三日と我慢できねえと思ってたぜ」
「あまり言ってやるな。若様も年頃だし、気質を考えるとな」
サベルトが下品に笑いながら言うと、ジェラルドがため息交じりに答える。
雑談を交わしながら装備の手入れをしていた二人とも、エドウィンとクレアが漂わせる露骨に甘い雰囲気には気づいていた。エドウィンたちの会話こそよく聞こえなかったが、互いに身体を密着させながら別室に入っていった男女がこれから何をするのかなど、考えるまでもなく分かる。
王になる者として、王妃となる女性を相手に節度ある行動をとる。クレアとは結婚するまで肌を重ねない。エドウィンはそう宣言していたが、側近たちとしては、果たして彼がそのような宣言を守れるものだろうかと疑わしく思っていた。野心のみならずその手の欲望も強く、傭兵時代は仕事を終えると娼館で派手に遊ぶことも多かったエドウィンが、クレアのような見目麗しい女性からあれほどまでに慕われ、館にいるときは四六時中ずっと寄り添われ、長く我慢できるわけがない。サベルトなどは仲間内にそう言い放っていた。
結果、どうやらサベルトが正しかった。他の皆も薄々こうなると予想していたので、誰もまったく驚かない。
「大丈夫ですよ。若様はベッドで女性に乱暴な振る舞いをする人じゃありません」
「……そう、ですか」
心配そうな表情で広間の奥の扉を見つめていたドーラが、レオフリックの言葉を受けて一応は安堵しつつも複雑そうな顔になる。
「ドーラさん、レオフリックの話は本当だぜ。何せ若様は、傭兵時代に通ってた娼館じゃあ『紳士さん』なんて呼ばれてたらしいからさ」
「オズワルドお前、こんなときに娼館の話なんてするものじゃないだろう」
こちらもエドウィンの若き側近である、サベルトの息子オズワルドの言葉に、レオフリックは顔をしかめる。二人とも、それぞれ父親であるジェラルドとサベルトと同じような性格をしていることで仲間からは知られている。
「勘弁してやってくれ。俺たちは少し前まで傭兵だったが、傭兵というのは上品とは言い難い生き物だからな」
オズワルドを庇うようにジェラルドが言い、ドーラは微苦笑交じりに頷いた。
ちなみに、実質的に壁一枚を挟んだ向こうで未来の王と妃が肌を重ねているという事実を前に、誰も気まずさを覚えることはない。大抵は一間しかない平民の家屋や、傭兵御用達の安宿においては、衝立一枚だけを挟んで、場合によっては視線を遮るものもないすぐ隣のベッドで、誰かが愛を交わすこともある。それを考えれば、むしろまともな壁があるのは贅沢な話だった。




