38.知らない人の名前が出たのは伏線だったのだろうか
雨だったら行かない理由になったのに、と曇り空を見上げる。
気温は35度を大分下回っているが、だからといって心地よいというわけではない。むしろ湿度が高く蒸し暑く、冷房のない屋外の過ごしづらさは今夏一番ではないかという気すらする。
そんな気候の中、自室で文明の利器の力でダラダラと過ごさずに外出しているのは、夏祭りに行くためだった。しかも女子達と一緒にだ。それも女子はアイドル並で、男子は自分1人ときている。
リア充を通り越した何かに自分がなったように感じ、うれしさよりも恐ろしさが勝っていた。
とにかく異常だった。
連日、日本各地で40度近いどころか超えるような気温が続く今年の夏のように。
いや、異常な気温の高さの猛暑は、地球温暖化による気候変動と原因が判明しているが、週に1回以上のペースで複数の女子と遊ぶという今の自分に起きている事態は理由が不明だ。
モテるための努力をした結果、というのであれば納得できる。
だが、今の状況になるために何か努力したという記憶はない。本人が気づいていないだけで、すごい努力を実はしていたということもないと思う。
それなのに、この1カ月あまりの間にマンガとかラノベのハーレム主人公みたいな出来事が次々と起きた。
物語の主人公に選ばれた、などと喜べたら幸せなのだが、そう能天気にもなれない。
今は偶々うまくいっているにすぎない。自分の能力からすれば、このまま彼女達と行動を共にしていれば、どこかでボロを出すに決まっている。
そうならないように頑張ればいいのだが、決意して努力を始めても3日と続かないに違いなかった。
そもそも何を努力すればいいのかも分からない。
テストでいい点を取りたいとか、スポーツで活躍したい、絵が上手くなりたい、みたいなことであれば勉強や練習をすればいい。
だが、今の女子達に囲まれるハーレムみたいな状態を保つために、がんばることとは何なのだろうか。
女子からモテたいのであれば、流行の話題にをチェックして、外見や服装に気をつけることから始めればいいという気はする。
まずはスマホを買いに行くというのが一番か。
しかし、スマホではないことから出会って、多分だが仲良くなることができた。ならスマホにしたらダメなのではと考えてしまう。
そもそも、夏休みが終わっても、同じクラスの美咲さん以外と頻繁に会うことはあるのか。
会って仲良くしたいとは思う。
じゃあ、どうするとなると結局は分からず、同じ所をぐるぐる回る不毛な思考をするだけだった。
結論は出ることはなく、常連となった喫茶店にたどり着く。
今日も美咲さんのおじさんが、つまらなさそうに新聞か週刊誌を眺めているのだろうなと思いながら入店する。
「いらっしゃい。て、お前か」
いつものように、来店者の顔を見てがっかりするという店主として失格な態度をとる。
そしてカウンターに人がいた。美咲さんやその友人ではなく、喫茶店のきちんとしたお客がいるという初めて見る光景に驚き固まった。
「そんな態度だから客が来ねぇんだよ」
お客だと思われる人は呆れたように言う。
「こいつは、お客のようでお客じゃないからいいんです」
金銭を払わないのだから、その扱いをされるのは当然とはいえた。
「客じゃないって。清華ちゃんの友達か。もしかして彼氏とか」
初めて遭遇したお客さんは、どうやら美咲さんのことを知っているようだった。
「彼氏?こいつが。どう見たって違うでしょ」
実際に付き合っておらず、美咲さんと不釣り合いなのは確かなので反論はできない。
「清華は爽やかなスポーツマンみたいなのがタイプなんだから」
美咲さんの彼氏になるなら、そういった男子だよなと納得する。
どんなタイプが好きかを知っていたから、美咲さんのおじさんは最初に来店した時から「付き合っているのか」と聞いてこなかったのか。
「そうかぁ。付き合うなら、こーいう感じの奴じゃないかって気がするけどな」
常連客と思われるおじさんは、どこを見てその結論にたどり着いたのだろうか。
「自分勝手じゃない穏やかそうな感じの、清怜とは違うタイプが好みなんじゃねーのか」
清怜というのは文脈からして人名だとは思うが、誰かという心当たりはなかった。
「だとしても付き合うなら、もっと冴えた男だって」
冴えない男と言われてるようなもので、どういう顔をすればいいのか分からなかった。
「あー、悪い悪い。ほら座ってさ」
所在なさげに立っているのに気づいて、イスを引き隣に座るように促してくれる。
「それで君は、清華ちゃんの友達でいいのかな」
「……クラスメートですかね」
友達というのが正しいのか自信がなく、クラスメートという誰も否定できない関係を口にした。
「こんだけ夏休みに会ってて、ただのクラスメートのわけあるかよ。友達だろ」
カウンターの向こうから告げられる。
第三者から友達と太鼓判を押されて、そうなのかとなれれば楽だ。美咲さんだって「友達だよ」と言ってくれるだろう。
だけど、どうしても素直に頷けない。自分みたいなのが、美咲さんの友達だと受け入れることを躊躇ってしまう。
「お前が冴えないとかいうなら落ち込んでるじゃないか」
初対面の名前も知らないおじさんが同情してくれた。
「悪かったよ。ほら、好きなの奢ってやるから」
年齢が3倍近く違う子供相手に大人げなかった、というように気をつかってくれる。冴えないというのは同意しているので、落ち込んだ原因ではないんだけど。
「つうか、いつまでいるんすか。仕事の時間とか言ってたのに」
時計を見て、「あっ、やべぇ」と立ち上がりカウンター上に現金を置く。
「釣りはとっとけ」
「あった試しがないよ」
ツッコミを聞いている余裕がないようなのに、「またな」と変にかっこつけて店を後にした。
「全く」
だいぶ呆れた感じで、グラスを片付けると同時に現金を回収する。
「常連の人なんですか」
「あぁ。昔からの知り合い。悪い人じゃないけど、ロクな大人でもないから真似すんなよ」
真似するほどどんな人なのか理解できていなかったが、とりあえず頷いておく。
入れ替わりのようにカランコロンと来店の音をカウベルが鳴らし、美咲さんかと思いドアの方に視線をやる。
白色の胸元にリボンをあしらったブラウスと、ライトブルーのロングスカートをはいた美少女の姿があった。
「美咲清華さんはいらっしゃいますか?」
外見にぴったりな澄んだきれいな声だった。
これだけきれいで、かわいい美人な人なのだから、アイドルな部活仲間なのは間違いないだろう。
「まだ、いらっしゃらないです。はい」
おかしな敬語で、美咲さんのおじさんは受け答えをしている。
「一緒にお待ちになられてはどうでしょうか」
なぜか隣の席を指し示す。
思わず「どうして」と視線で問う。
「今日、約束してんだろ」
喫茶店で美咲さんと合流してお祭りに来るようにと、芳澤さんからはショートメールが送られてきてここにいる。ということは彼女もそうなのか。
不思議そうな顔で、こちらを見てくる姿に説明しないとと思わず立ち上がる。
「芳澤さんの所のお祭りに……」
行くのか、誘われているのか、どちらの表現が正解か分からず濁した。
「はい。あなたもなのですか?」
きっと芳澤さんが誰と行くのかとか伝えていないのだと察した。
「深山真白です。その、今日、お祭りに行くことになってて……」
この1カ月で女性相手の会話に少しだけだが慣れたからか、どうにか言葉をつむぐことができた。
「あなたが真白……さんでしたか。すいません女性だと思っていたので」
一緒に行く人間のことは教えていたが、その性別までは伝えていなかったということみたいだった。女性ぽい名前ではあるので勘違いしても仕方がない。
「私は綾瀬結奈です」
どこかで聞いた名前だった。
「バンドのボーカルやってる」
プロ並みの歌唱力で、デビュー確定みたいな、お金持ちの家のお嬢様で恐い高森さんと同じ学校に通っている人――そんな風なことを話していたのを思い出す。
「そうです。聞いていられましたか」
「はい……、いや、お名前は聞いていたけど、今日来ることは知らなかったです」
そういえば、美咲さんと芳澤さん以外は誰が来るのか分からなかった。
「あ、えーと、もう美咲さんも来ると思うから、とりあえず座って待っていれば」
いつまでも立たせているわけにもいかず着席するよう勧める。
綾瀬さんの放つ凛としたお嬢様オーラにあてられたのか、美咲さんのおじさんは「ご注文はどうなさいますか」と妙に恭しい態度で注文をとっていた。
黙って座っているだけで絵になる綾瀬さんに話し掛けることはできず、無言のまま時だけが流れていく。
供された紅茶のティーカップの音だけが響く。
「何か飲まれないのですか?」
自分に向けて発せられた言葉だと理解するまで少しの間が必要だった。
指摘されるまで、水しか出してもらっていないことに気づきもしなかった。奢るとか言われたことは、綾瀬さんの登場で2人とも忘れ去っていた。
「……水があるから」
喫茶店に来ておきながらどうなんだという回答ではあったが、綾瀬さんはあっさりと納得してくれたようだった。
再び静寂が店内に訪れる。
クラシックのBGMが店内には流れているのに、それをなぜか感じさせない静けさに包まれる。
気まずいというわけではない。
この静かさこそが正しい状態であると感じさせた。
ふと椎名さんが特殊能力を持っているとか言っているのを思い出す。あの時は、また椎名さんの妄想が始まったぐらいのものだったが、実際に綾瀬さんを目の前にすると特殊能力を有していてもおかしくないという気になった。
「おじさん、こんにちは」
来店を知らせるカウベルの音とともに、美咲さんの声が耳に届く。
やっと来てくれた、とホッとはしなかった。会話のない無音の状態が普通だったから。
「て、えっ、何で深山君が。それに綾瀬さんまでいるの」
どういうわけか美咲さんが驚いていた。




