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神曲  作者: もてぃまー
29/30

伊織③

須藤 伊織

17歳

高校生

開始前

2022年8月24日 千葉 午後6時12分


須藤(すどう) 伊織(いおり)は完全に忘れていた。


あの妙な占い師のことを。

道端で突然、

「人間には三つのフィールドがあります」

などと言い始めた、どう考えても胡散臭い男。


悪夢の世界だとか。

存在してはいけない世界だとか。

そんな話をされた気がするが、夏休みという長大な時間は高校生の記憶を簡単に吹き飛ばす。

今の僕の頭の中にあるのは。


夏休みの宿題が終わっていないこと。

冷蔵庫のプリンが誰か(母)に食われたこと。

昨日発売した漫画の新刊。


主にその三つだった。


テレビからニュースが流れている。

ソファーに寝転がりながら、僕はぽりぽりと煎餅を(かじ)っていた。

台所では母が夕飯の後片付けをしている。


『先月発生した二童(にどう)町大量傷害事件について――』


「あー、まだやってるんだあれ」

ずっと同じニュースに嫌気がした僕は、一瞥(いちべつ)して視線を逸らした。


母も振り返らずに答える。

「だってあれだけの事件だもの」

「結局犯人わかんないんでしょ?」

「そうみたいねぇ」


ニュース映像には封鎖された商店街が映っている。


黄色いテープ。

警察車両。

インタビューを受ける住民。

画面下には

『原因不明の集団傷害』

と表示されていた。


「空から人が降ってきたとか言ってたよね」

「そんなわけないじゃない」

「でもニュースで言ってたじゃん」

「パニックになって見間違えたのよ」


少し考える。

もし本当に空から人が降ってきたなら。

それは少し面白い。


「実は宇宙人だったりして」

「馬鹿言ってないで宿題やりなさい」

「えー」

「えー、じゃない」

「夏休みって自由研究とかいう自由じゃない研究を強制される矛盾についてどう思います?」

「いいからやる」

「民主主義の敗北だ・・・」


そう呟きながら。

僕はしぶしぶ立ち上がった。


2022年8月24日 午後7時34分

机の上には数学。


英語。

国語。

社会。

理科。

そして伊織。



「・・・」


「・・・」


「・・・最低限でいいか」


人間には優先順位がある。

その点、僕は非常に合理的かつ効率的に消化する(すべ)を持っている。


全部やる必要はない。

怒られない程度にやればいい。

0点はまずい。

100点は面倒。

ならば50点。


人生において最も重要な数字である。


数学。途中式を省略。

英語。知らない単語は勘。

読書感想文。あらすじ九割。感想一割。


「うん。完璧。」

自分でも惚れ惚れ(ほれぼれ)するような手際の良さだ。

この絶妙な手抜き加減。

長年の経験によって培われた技術である。


その後。

宿題の上に漫画を広げた。

昨日買った新刊。


主人公が世界を救う話だ。

選ばれた少年が不思議な力を手に入れ、仲間と出会い、敵と戦う。


「いいよなあ……こういうの」

僕は思わずぼそりと呟いた。


世界が変わる。

何かが始まる。

そういう話は嫌いじゃない。

いや、むしろ好きだ。


もちろん現実ではそんなことは起きない。

明日も起きて、飯食って、ゲームして、怒られて、宿題やって、夏休みが終わる。

そんなものだ。


「ま、平和が一番だけど」

漫画を閉じた。


2022年8月24日 午後11時49分

部屋は暗い。

窓の外では虫が鳴いている。

遠くを走る車の音。

扇風機の回転音。


伊織は布団へ潜り込んだ。

目を閉じる。


眠気はすぐにやってきた。


そして。


――――――――


最初に思った。

「あ、これ夢だ」


理由は簡単だった。

空に月が三つある。しかも、全部違う方向へ動いている。


地面は黒い草原だった。

風が吹いている。なのに草は揺れない。


遠くに山がある。近くにも山がある。

でも見ているうちに位置が変わる。


「うわー、意味わかんねぇ」

思わず僕は笑った。


怖くはない。

夢だからだ。


少し歩く。すると。

遠くに木が見えた。


「うわ、でっか」

大きな木。

夜(?)なのに、ぼんやり光っている。


「これは・・・イベントが始まるやつだな」

適当にゲームに当てはめて考えながら、僕は木に近付く。


すると。

根元に何かが落ちていた。


丸い。

果物みたいだった。

少し光っている。


どくん。

どくん。

脈打っていた。


「うわ!気持ち悪っ!」

思わず叫びつつ、僕は慎重にしゃがみ込む。

指を伸ばして、その気持ち悪いアイテムAをつつこうとして。


何となくやめた。


風が吹く。

すると。遠くから人の声が聞こえた。


誰かが笑っている。

誰かが泣いている。

誰かが怒っている。


何人もいる気がする。

でも誰も見えない。


その時。

ぱき。ぱき。ぱき。ぱき。

小さな音が4回した。


つつこうとした実(?)にひびが入る。


中が光る。


誰かがいる気がした。

誰かが出てくる気がした。


僕はおっかなびっくり、まじまじとそれを眺める。

「・・・なんだこれ」

なんか。


すごいことが始まりそうじゃないか。

そんな予感。


もちろん夢だ。

どう考えても夢だ。


だけど。

もし。

もしここから。

漫画みたいな。ゲームみたいな。

とんでもない物語が始まるのだとしたら。


そう思うと少しだけ。

ほんの少しだけ。

面白そうだと思った。


どくん。

どくん。

脈打つような謎の音がする。

1つだけ、割れていない実が転がっていた。

その音は少しずつ間隔が長くなっていく。


風の音。

伊織は木を見上げた。


「これ、続きあるのかな」

誰も答えない。

月が三つ。

空を回っている。


「・・・なんかすげぇ夢だな」

そう思ったところで。


伊織の意識は、ゆっくりと暗闇へ沈んでいった。


ぱき。

須藤 伊織

17歳

高校生

開始1秒

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