小夜③
伊千古 小夜
15歳
女
中学生
会場未到着
2022年8月24日 神奈川 午後1時18分
伊千古 小夜は項垂れていた。
消毒液の匂いが嫌いになった。
白い壁も。
静かな廊下も。
窓から見える夏の空も。
全部。
嫌いだった。
伊千古小夜は、病室の隅に置かれた丸椅子へ座りながら、ただ祖父の顔を見ていた。
祖父、小野夢 佑仟。
誰よりも元気で。
誰よりもよく笑って。
誰よりもよく喋って。
誰よりも食べる人だった。
そんな祖父が。今は眠っている。
胸が上下している。
機械が鳴っている。
点滴が揺れている。
それなのに。
祖父はそこにいない。
「・・・」
小夜は祖父の手に触れた。
温かい。
ちゃんと温かい。
なのに。
その手は、小夜の手を握り返してくれなかった。
ガラリ、と病室の扉が開いた。
医師だった。
後ろには父と母もいる。
医師はいつものように穏やかな声で話し始めた。
「少し、お話をさせてください」
小夜は椅子から立ち上がる。
父と母は無言だった。
何となく。
嫌な話なのだとわかった。
病室を出て、廊下の端、窓の前にて。
医師はゆっくりと話した。
「現在の状態ですが・・・脳の機能はほぼ失われています」
小夜は聞きたくなかった。
何度も聞いた話だった。
「今後、回復の可能性は極めて低いと考えています」
母が小さく頷く。
父は黙っている。
そして。
医師は少しだけ言葉を選ぶようにしてから。
「延命措置について、ご家族で話し合っていただく必要があります」
小夜は意味がわからなかった。
「え・・・?」
「人工呼吸器などを外すという選択もあります」
世界が止まった。
「待ってください」
自分の声だった。
小夜は医師を見ていた。
「おじいちゃん、生きてますよね?」
「・・・」
「だって、息してるじゃないですか」
「小夜……」
母が困ったような顔をする。
「起きるかもしれないじゃん!」
声が大きくなった。
「まだ起きてないだけじゃん!」
「小夜!」
父の声。
でも止まれない。
「なんでそんな話するの!?」
「まだ生きてるじゃん!!」
病院の廊下に響く声。
看護師がこちらを見ている。
誰かが足を止める。
でも。
そんなことはどうでもよかった。
「おじいちゃんはまだいるもん!!」
涙がぼたぼたと床へ落ちる。
母が肩を抱こうとして。
小夜は振り払った。
「嫌・・・」
ただ。
それだけだった。
2022年8月24日 午後5時47分
帰りの車の中は静かだった。
誰も喋らない。
窓の外の景色だけが流れていく。
赤信号。
コンビニ。
公園。
スーパー。
いつもの帰り道。
それなのに。
全部が遠かった。
家へ帰る。
靴を脱ぐ。
制服を着替える。
夕飯の匂いがする。
父も母も普通にしている。
テレビもついている。
なのに。
祖父だけがいない。
「小夜、ご飯」
「いらない」
自室へ戻る。
カーテンを閉める。
ベッドへ横になる。
机の上には。
去年、祖父と行った神社のお守り。
祖父が笑いながら。
「願い事は欲張るなよ」
と言ったことを思い出す。
「・・・ばか」
涙がまた出てきた。
起きてよ。
また。
お祭り行くって言ったじゃん。
そう思いながら。
小夜はいつの間にか眠っていた。
――――――――
気付くと。
知らない場所だった。
暗い。
夜みたいだった。
でも夜ではない気がする。
空は黒いのに。
どこか明るい。
地面は柔らかく。
土のようで。
砂のようで。
踏むと少し沈んだ。
「・・・?」
小夜は辺りを見回す。
知らない木。
知らない風。
知らない匂い。
どこか遠くで。
水の流れる音がする。
そして。
1本の大きな木が立っていた。
不思議な木だった。
その根元に。
何かが落ちていた。
丸い。
果物みたいだった。
りんごみたいで。
桃みたいで。
でも違う。
色も形も違う5つの実。
それはゆっくりと脈を打っていた。
どくん。
どくん。
心臓みたいに。
「・・・気持ち悪い」
小夜は一歩下がる。
すると。
遠くで誰かが笑った気がした。
老人のような。
子供のような。
男のような。
女のような。
よくわからない声。
風が吹く。
その瞬間。
地面に落ちていた実が。
ゆっくりと。
ひび割れた。
ぱきっ、ぱきっ、ぱきっ、ぱきっ
中から何かが出てくる。
人だった気もする。
違った気もする。
誰かが泣いている気もした。
誰かが笑っている気もした。
その時。
小夜の足元にも。
何かが転がってきた。
それは。
他に比べて少し大きい、黄色い実だった。
どくん。
どくん。
どくん。
心臓の音。
少しずつその音は遅くなっていく。
「なに、これ、なに・・・ここ。イヤ・・・帰りたい」
小夜はそう呟いた。
誰もいない。返事もない。
ただ1本の木だけが風に揺れていた。
どこか遠くで。
優しい老人の笑い声が聞こえた気がした。
「・・・おじいちゃん?」
返事はない。
風だけが吹いている。
そして。
小夜は思った。
変な夢だ。
本当に。
変な夢だ。
ぱき
伊千古 小夜
15歳
女
中学生
開始1秒




