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神曲  作者: もてぃまー
30/30

揚介④

柏 揚介

17歳

高校生

開始前

2022年8月24日 千葉 午後5時28分


(かしわ) 揚介(ようすけ)は部屋の中央に立っていた。


夕方の孤児院は騒がしい。

食堂からは夕飯の匂い。

廊下からは走る足音。

テレビの音。

誰かの泣き声。

誰かの笑い声。


「揚介ー!」

小さな男の子が駆け寄ってくる。

揚介は無言でその頭を軽く叩いた。


「いてぇ!」

「走るな」

「だって腹減った!」

「走るな」

「今日のごはんってなあに?」

「知らん」


言いながら厨房を覗く。カレーのにおいがした。


年配の女性職員が振り返る。

「あら揚介、食器並べてくれる?」

「・・・」


赤いパーカー姿の少年は、面倒臭そうにしながら皿を並べ始める。

幼い子供達は揚介の周囲をうろうろしている。

抱き着く子。

宿題を見せる子。

喧嘩の報告をする子。


「揚介!」

「・・・」

ちらりと呼ばれた方に目をやる。


「ゴキブリ出た!」

「殺せ」

「無理!」

「じゃあ逃げろ」

「ひどい!」


子供達の抗議を聞き流しながら、揚介は窓の外を見る。

夕日。

住宅街。

電柱。

蝉の声。

平和だった。


2022年8月24日 午後8時16分


消灯時間が近い。

子供達は順番に風呂へ入り、それぞれの部屋へ戻っていく。

職員も少ない時間帯。


建物の中は急に静かになる。

揚介は三階の廊下を歩いていた。


洗濯物を取り込み忘れたことを思い出したからだ。

窓の外は夜。風はない。


パチ。

廊下の照明が消えた。

非常灯だけがぼんやり光る。


「・・・」


パチ。

また明かりがつく。


パチ。

消える。


パチ。

点く。


そのたびに。

廊下が少しずつ変わっていた。


壁紙が剥がれている。

床が汚れている。

天井が高くなっている。


「・・・」


パチ。

照明が消える。今度は長かった。


闇。

完全な闇。

そして。

再び灯りがついた時。


そこは孤児院ではなかった。


廊下は異様に長く、天井は見えない。壁は湿っている。

どこからか水滴の音がする。


ぽた。ぽた。ぽた。

「・・・」


揚介はポケットへ手を突っ込む。


その時。

廊下の奥。

何かが立っていた。

女だった。

白い服。

長い髪。

首がない。

首から上が、存在しない。

その代わり、胸の中央に巨大な目があった。

目が動く。揚介を見る。


次の瞬間。


ギィィィィィィィィィィ!!


耳を裂くような絶叫。

壁から。

床から。

天井から。

無数の腕が生えてくる。


爪が、指が、黒い手が。揚介を掴もうと伸びる。

同時に、奥の女がこちらに向かって走り始めた。


首のない体が、胸の目だけを見開いて。


アアアアアアアアアアア!!!


「・・・」

揚介は歩いた。


迫る女。

伸びる腕。

飛びかかる影。


その全てを無視する。

女が目の前へ迫る。胸の目が大きく開く。


その瞬間。


その巨大な眼球に向かって。


思い切り拳を叩き込んだ。


目が潰れ、肉が弾け、見えないくらい遥か上にある天井から絶叫が上がる。

床が揺れる。


だが止まらない。

今度は女の腕を掴み、無数の手が生えている謎の材質の壁に思い切り叩きつける。

轟音が響く。コンクリートのような何かの材質が砕ける。


「帰れ」

低い声と共に、壁に半ばめり込んだ肢体のケツを思い切り蹴り飛ばした。


建物全体が震える。

無数の腕が引っ込む。

絶叫が止まる。


女が崩れる。

黒い泥となって床へ溶けていった。


そして、静寂。


ぽた。

ぽた。

水滴の音だけ。


「・・・」

ぐるりと周囲を見渡すが、風景が孤児院に戻らない。


揚介は床へ腰を下ろした。

とりあえず眠い。

今日は1日中、学校で補修を受けさせられていたから。


壁に背を預ける。

「起きたら帰るか・・・」

そう呟いて。


揚介は目を閉じた。


――――――――


夢を見た。

そう思った。


いつものあれではない。

それは、何となくわかった。


空がある。風がある。

静かだ。


大きな木が生えている。

どこかで見たことがある気がした。


地面に何かが落ちている。


丸い。

脈打っている。

心臓みたいだった。


どくん。

どくん。

どくん。

風が吹く。


誰かの声。

男。

女。

老人。

子供。

笑い声。

泣き声。

何人もいる。


だが、誰もいない。


「・・・」

いつものであれば、殺せば終わる。

無理なら逃げればいい。


だが、これはたぶん違う。

敵意がない。

悪意もない。


ただ。

何かが終わって。

何かが始まる。

そんな気配だけがある。


ぱき。ぱき。ぱき。ぱき。


小さな音。

木の根元のそれに、ひびが入る。


光が漏れる。

揚介は黙ってそれ見ていた。

何かが出てきそうだった。

誰かがいる気がした。


だが、そこまでだった。


風が吹く。遠くで誰かが笑う。


「・・・」

月はない。

空は暗い。

それなのに不思議と明るい。


どくん。

どくん。

どくん。

1つだけ残った実のようなものが、音の間隔を開けていく。


「・・・」

揚介は目を閉じた。


その時。

どこか遠くから。

微かな風が吹いた。


その風は。

自身を、ゆっくりと、どこかへ運んでいくような


ぱき

柏 揚介

17歳

高校生

開始1秒

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