永遠の繋がりと銀の配達人 ~⑥~
十年ぶりに帰る故郷は、見るも無残な有様だった。
かつては多くの軍人やその家族達で賑わいをみせていた街道は、路面が所々罅割れ、雑草に侵食されていた。
様々な商店が軒を連ねるメインストリートは無人の廃墟と化している。窓は割れ、店の看板は斜めに倒れ、カフェやレストランなどの若者が通うチェーン店も全てが朽ち果てている。
人の気配が微塵も無いゴーストタウンと化した廃墟を、二つの人影が歩き進める。
「俺の身の上話はこれで全てだ」
カイエンは幼少期の過去から、今日ここに至るまでの経緯を語り終えた。
途端にカイエンの喉奥から吐き気がこみ上げる。
あの日、あの瞬間、一日だって忘れた事がない彼女の死。
頭を撃ち抜かれ脳髄が飛び散った、刹那の記憶が脳裏に蘇る。
どれだけ耐えようとしても、この記憶だけは身体が素直に反応する。
心臓の鼓動が早鐘を討ち、動悸が収まらない。
片手を胸に当て、ぎゅっと締めつけながら呼吸を整える。はぁー、はぁー、はぁーと深呼吸を繰り返して堪える。夜風が吹き付け、冷風がカイエンを凪ぐ。
「死人は生者に何も語ってくれない」
静寂の世界に、ふと凛とした声が鳴った。隣で静観していたリシェルの口から、言葉が続く。
「命ある人が死んだ時、残された人は死者の思いを理解できない。最後に何を思って死んだのか見当もつかない。死んだ人が願った『幸せ』を、汲み取ることは尚更難しい」
普段淡々とした口調で会話をする彼女だが、今その口から出る言葉には、何かしらの『重み』を感じ取れた。
銀の双眸はこちらを見ているようで、だけど彼女視点では別な存在と話しているように思えた。
彼女は首元に下げた懐中時計に手を伸ばした。時計の針が停止した、表面が罅割れたそれを握る。
彼女の瞳が、カイエンを捉えた。
「あなたは、選択を間違えないで」
玲瓏な声音で彼女は言う。
「――『姉さん』が望んだ『幸せ』を」
リシェルがその場で踵を返し、着陸させた星舟の元へ引き返す。
「依頼完了」
彼女が呟いた一言が耳に入る。それはこの空を共に飛んだ、長い旅の終わりを意味するものだった。
そして、リシェルの足音が消えた廃墟には、再び無音の静寂が戻った。
基地周辺に広がる無人の町を、カイエンは無言で進む。
腰に下げたホルスターから自動拳銃を取り出し、安全装置を外す。
「終わりにしよう」
姉のいない世界は、やはり灰色だ。
――貴女がいないこの世界では、俺はどうやっても生きていけない。
胸が痛い。
あの時、戦場で頭を撃ち抜かれた姉さんを見た瞬間から。
心臓を針で貫かれたような痛みが、永遠と続く。
だけど苦しくない、貴女がいない苦しみに比べれば。
――どうして姉さんが死ななければいけなかったの?
何度も自分に問いかけた。
『あの時、本当に死ぬべきは自分自身だったのではないか?』
罪人を罰するように、カイエンは毎晩己を罰した。
――死ぬべきだったのはお前だ、お前が姉さんを殺したようなものだ!
そうやって何度も自分を追い込んだ。罪悪感に呑まれ、罪の意識から自殺するように自らの生きる目的を否定してきた。
それでも、今日まで死ぬことが出来なかったのは、最愛の彼女と交わした約束を果たすためだ。
「……いや、違うだろ?」
本当は、ただ死ぬのが怖かっただけだ。
姉との願いを叶えようと、依頼を受けてくれる相手を探して東奔西走してきた。
何度も依頼を断られ、新たな地に向かってはその繰り返し。
でも、もう逃げるのは終わりだ。
今、こうして故郷に帰還したのだから。
結局、カイエン・イスナジークというロクでもない弟の人生は、あの時、戦争が終結したと同時に停止していたのだ。
――終わるべきだ、こんな人生は。
――姉がいないこんな世界に、何の価値がある。
十年という時が過ぎた故郷を歩き続けていくと、目の前に一軒の古びた家が見えた。
いよいよ目的地に到着する。そこで、一人の男が死ぬだけだ。
悲しいことではない。泣いてくれる相手はおらず、友人なんて一人もいない男が死んだところで、誰が悲しむというのだ。
だからカイエンは、下げた腕を上げ、こめかみに銃口を押し当てる。
後は撃つだけ。
引き金を引く。
ただそれだけの単純な作業で全てが終わるのだ。
引き金に人差し指を入れる。
引け、引け、引け、引け、引け、引け、引け、引け、引け、引け、臆病者!
カタカタと震える手を必死に頭から離さず、血の気が引いた冷たい指を動かし――
他の家と比べるのもおこがましいほど、小さな、小さな一階建ての家が視界に入った。
『じゃじゃーん、ここが今日から私達が住む家でーす!』
瞬間。
視界に幼い少女と少年の姿が目に焼き付いた。
幻だ。だけどその映像ははっきりと記憶の中にある、彼女との他愛も無い、だけど一生色あせることのない宝物だ。
体の震えが止まる。手から拳銃が落ちるが、カイエンは我も忘れて走り出していた。
『狭っ! でもまぁ雨風凌げるだけマシね!』
立て付けが悪くなった玄関の扉を開け、中に入る。
無人の室内は惨状と言い表せるほど酷い光景だった。
大量の埃がテーブルやイスに積もり、壁には幾つも穴が空き、補修された跡が見受けられる。
『あーあ! また壁に穴開けたわね! この家壊れやすいんだから暴れないでよ!』
下らない喧嘩をこの場所で何度も繰り返した。
その都度、どちらかが泣き、もう片方が泣き止むまで慰めていた。
たった二人の家族。血は繋がらなくても、本物以上の絆で結ばれた姉弟がここに何年も住んでいた。
『食器洗いはどっちがやる?』『洗濯物を干す役目は?』『右の肉が大きいずるい!』『左の魚が大きいケチ!』『早く起きないと遅れるわよ!』『はぁ~疲れた、早く夕飯作ろう』『ねぇ見て、今日は満月が見えるよ!』
他愛の無いやり取りを何百、何千と繰り返した。
最後には二人して笑って、互いに謝った。
『約束しよう、カイエン』
彼女の声が脳裏に響いた。
カイエン。その名を呼んでくれた彼女の温かい音色が。
久しく忘れていた綺麗な声が、灰色の世界に色を与えてくれる。
凍って時が止まった心を、優しく溶かしてくれる。
――約束。
あの時、戦争に出兵する寸前。カイエンが姉と交わした最後の約束。
『戦争が終わったら、私達二人で一緒に、必ずこの場所に帰ってくること、いいわね!』
鮮明に覚えている。それは姉弟で交わした最後の約束だ。
そして、その約束があったからこそ、自分は今日まで生き続けた。
何度も死のうと思った。その度に彼女の笑顔が離れなかった。
まるで後を追うことを拒むように。姉が弟を守るように。
死して尚、姉は弟を守り続けていた。そして今も尚、愛し続けている。
「うぁ……うぐぅ……」
目元から涙が溢れ、視界の全てを遮った。
――嫌だ、嫌だ、嫌だ、止めてくれ!
堪えようと必死になっても、流れる雫は留まることを知らない。頬を伝い、顎先から床に滴り落ちる。
今、この瞬間。一瞬でも目を離せば、姉が、姉の声が消えてしまう――それが、何よりも怖かった。
「ねぇ……さん」
何度も呼んだ彼女の、弟だけに許されたその言葉を、カイエンは声を大にして叫ぶ。
「姉さんっ」
そう彼女を呼ぶたびに、姉は色んな表情で振り返ってくれた。
温かな、柔和な笑み。悪戯っ子のような無邪気な笑み。年相応のはしゃいだ笑み。時には涙目で。暗がりの夜道を歩くときは臆病な表情で。
――俺が。俺だけが知っている、何よりも大切な、彼女と過ごした時間を。
「死んで……」、ほしくなかった」
幸せな生活を共に歩みたかった。
――もしも、姉さんが生きていたらどんな人生を歩んでいただろうか。
素敵な女性だ。成人となり、やがて結婚し、幸せな家庭を築いて、子供と孫の成長を見守りながら余生を過ごしていたのだろうか。
同じ時を過ごして、笑いあって、順風満帆な人生を謳歌して、老人になったあなたのしわくちゃな手を握って、「おやすみなさい」と額にキスをして、人生の最期をこの目で見届けたかった。
でも、あなたは先に逝ってしまった。
弟を置いて一人ぼっちで。世界中何処を探したって見つからない遠い所へ。
一人先に、旅立ってしまった。
ごめんなさい、と一体どれだけの回数、姉に謝っただろう。答えを返してくれない死者に、自責の念をどれだけ吐いてきただろう。
「俺は……」
死にたい。死んでしまいたい。いっそ、この瞬間に、彼女と同じように頭を撃ち抜いて楽になれたら。
でも――今は生きたいと希う自分がいる。
生きて、生きて、生きて、生きて――姉の分まで精一杯人生を生きて、そして死にたい。
それが、残された自分の罪滅ぼしだから。
『カイエン!』
幼い少女の声が耳に入る。
涙でよく前が見えない。
唯一家族と呼べる姉の声が思い出される。
幻聴だろうと、幻覚だろうと構わない。
忘れもしない、まだ幼い頃に何度も聞いた彼女の声を。もう一度だけ。
この一瞬だけは、何物にも代えられない時間なのだ。
彼女が、傍にいてくれる。
最後の時間。
「長い間、留守にしてごめん、」
何度もそうしてきたように。
カイエンは上擦った声で。瞳から大粒の涙を流して、幼い子供のように微笑い、彼女の名を口にした。
「ただいま、姉さん」
告げた言葉に。
まぼろしの彼女は。
『おかえりなさい』
いつもと変わらない、満天の笑顔をで迎えてくれた。
その日。
小さな、小さな、一軒家に。
一人の弟が帰ってきた。




