12 世界は天秤。傾く命の皿⑥古の。強者どもの饗宴。
『主——様! しっ——かり——せい主様!』
混濁していた意識を、ノイズ混じりのレーヴァの声が現実へと引き戻しました。
「大……丈夫です」
ここで気を失うわけにはいきません。
わたしを庇って、敵の拘束を受けたセラディスを助けなければ。
そして、ライザと合流し、ナンナリッタさんの行方を探す。
わたしには、まだやることがあります。
体の上に重くのしかかるガーディアンの体を、踏ん張ってどかそうとしました。
「ひぎっぐぅぅっ……ぁぁぁあ」
ちょっと乙女としてはあり得ない声が喉から出ています。力を込めるだけで、全身から悲鳴が上がりました。あまりの激痛に、一瞬で吐き気が込み上げてきます。
「おぇっ……ぁぁぁ……」
窒息しないように、首だけ横に向けて吐瀉物を出します。
胃液混じりの歯を食いしばり、焼けた喉を枯らし、なんとか金属の骸をどかしました。息も絶え絶えに起き上がり——そして。
わたしは、絶望を目の当たりにするのでした。
「そん——な」
通路の奥、そして来た道からも。
今、死ぬ思いで倒した強敵と同型のガーディアンが、群れをなして押し寄せてきていたのです。
広い通路を埋め尽くす量。
その歩みは、無機質で画一的。
まるで意志もたぬ軍隊のように。
着実に、こちらへ進軍してきます。
「……レーヴァ、わたしのエーテル残量は?」
あるはずの彼女の声も、聞こえなくなっていました。あまりにもエーテルを消費し過ぎていて、レーヴァとの接続もままならなくなっている様子。
自分が置かれている限りなく絶望的な状況は、火を見るよりも明らかでした。
体の機能はエーテルの補助無しには働かない程に低下、損傷。立っているだけでもいたずらにエーテルを消費し続けています。10分、いや数分後には、何もせずとも動けなくなるでしょう。
あの大群を相手取るには、あまりにも無謀でした。だからといって、黙っていてもただやられるだけ。
本当に——腹正しい程に、現実とはかくもままならぬもので。
なんという無情。
かといって、諦めるという選択肢はないのです。
わたしは、自分に強く言い聞かせます。
気力を振り絞れ。運命に抗えと。
この窮地を脱する方法を、考え続けなければなりません。
活路を見逃すな、突破口を見落とすな。
思考を手放すな。考えれば考えるほど、絶望がより際立つとしても——。
「………………」
……頭では、わかっているのです。
真に可能性が0になるのは、諦めたときなのだと。
しかし——それでも。
ほんの少し。
ほんのちょっぴり。
理不尽を体現したかのような光景に。
情け容赦のない現実に。
己の無力さに。
心が——折れそうでした。
わたしは、レーヴァを握り直します。
切っ先は、水平より下に。いつもは包丁のような軽さしかない彼女も、今は鉛の塊よりも重く。
周囲へ向ける視線は焦点が定まりません。動悸が止まらず、手足が震えていました。
やがて、わたしを包囲したガーディアン達が、寸分違わぬ動作で攻撃動作に入ります。その一糸乱れぬ統率は、機械特有の冷たい不気味さをたたえており、心の底から恐怖しました。
そして、一斉に、襲いくる死の脅威。
鈍色のエーテル達が視界を覆い、
打つ手なく、なす術もなく。
死——
それだけが頭を支配し、
暗く黒く、塗り潰され、
その中で、
瞬いた小さな、とても小さな光。
すがるように。
約束を。彼の名を。
ライザ———
———助けて。
その時、金色の光が煌めきました。
無数のガーディアンが弾けたように宙を舞い、
わたしの前には、見慣れた、大きな背中が。
彼は、背中越しに振り返り、いつもの朴訥とした調子で言うのです。
「今度は間に合った」
——ライザが、そこにいました。
「間に合ってないですよ、ばかぁ……」
涙が止まらないのは、きっと傷が痛むせいです。決して。ライザの顔を見たら安堵して緊張の糸が切れただなんて、そんな情け無い理由ではありません。
ズタボロのわたしの様子を見るなり、ライザの顔が僅かに曇ります。
「遅れてすまない」
その言葉に、嗚咽混じりにわたしは首を振りました。
「いえ、助けに来てくれてありがとうございます……」
涙を拭いました。
心強い援軍に、本当に安心している自分がいます。今はそれを人任せと責める気にもなりません。仲間がいるという暖かさが身も心も包み込んでいました。
「今傷を治す」
ライザがしゃがみ込み、わたしの傷を確認し始めました。
今にも死にそうなので、その申し出は大変ありがたいのですが、敵は以前こちらを包囲したまま。そんな悠長なことをしている余裕はないのではと、思わんこともないのです。
その証拠に、ガーディアンの一体がライザの背後から迫っていました。
「ライザ! 前!」
ライザは振り向くことなく言います。
「大丈夫だ」
力強い言葉に呼応するように、一条のエーテルが走りました。目に暖かな橙の光。ガーディアンが粉々に砕け、一つの影がわたし達の近くに着地します。
「いやあ、しくった。ラディさん一生の不覚。あの程度でここまで足止めされるなんて。この不始末は、オレの貞操をエルルちゃんに捧げることでしか償えないだろう。うん、きっとそうだ。そうに違いない」
セラディスが、肩を鳴らしながらキメ顔で言います。
得体の知れない乱入者が続き、ガーディアンの群れは完全に警戒状態へと移行した様子でした。不気味な頭部から注がれる視線達が、痛いくらいに突き刺さります。
それでもわたしは、颯爽と降り立ったセラディスに動揺を隠せません。
「せ、セラディス! 大丈夫——なんですか?」
「大丈夫だよ。ごめんね、エルルちゃん。俺が不甲斐ないばかりに、こんなに傷ついて……。責任を取るよ、結婚しよう」
「お前は馬鹿か」
セラディスの軽口を、ライザが背中越しに一刀両断。そのまま彼は、わたしのお腹へと手の平をあてがいます。
「あー、ライザさんやらしいんだー」
「黙れ」
ライザの治癒魔法が、わたしの体を包み込みました。何度目かにはなりますが、本当に気持ちいい。
「んっ……く……ぁんん……」
その上、どこかくすぐったさもあって、身を捩り思わず変な声が漏れ出てしまいます。
ものの数秒ほどで、明らかに体が楽になるのが分かりました。破滅的な痛みが消え、乱れた息も安定してきます。
「取り敢えずは応急処置だ。残りは、あとでゆっくりと治す」
「あ、あの、ライザさん……?」
頭にポンと手を置かれ、目を丸くするわたしです。
どぎまぎするこちらの気を知らずか、ライザは立ち上がり、周囲を一瞥。そして抑揚のない、けれど強い言葉で宣言するのです。
「こいつらをぶっ壊したあとでな」
そこに込められた確かな怒気を、わたしは感じ取ります。普段のライザが見せない一面に、不思議と胸が高鳴りました。
「お前も手伝え、セラディス」
「えー、男からの頼みなんて聞きたくない——って言いたいところだけど、さすがのラディさんもちょっと責任を感じてるので、仰せのままに」
そして、わたしの目の前で——両雄は並び立ちます。
ぞくり、と背中が震えました。武者震いのような何か。歴史的な瞬間に立ち会っているかのような、高揚感。今からわたしは、おそらくこの世界でも屈指の実力者の戦いを、間近で目撃できるのです。
今の自分では到底及ばない、遥か高みにあるステージ。
わたしは、この戦いを目に焼き付けなければならない。
ライザとセラディスが、背中合わせで、それぞれの得物を構えます。ライザは対の浮遊剣。セラディスは、両の中指に機械の指輪をはめ、そこから噴き出す橙のエーテルを拳に纏います。
「すっごい数だよねー、何体いるの? これ。ため息出ちゃう。だって、男の子だもん」
「知らん。だいたい何体いようが一緒だ」
「それもそっか。それにしても、こうしてると昔を思い出すよね」
「くだらない昔話に付き合っている暇はない——いくぞ。たかが人形、俺達の敵ではない」
その言葉が合図でした。
ライザとセラディスが、同時に動きます。
対するガーディアンも、向かってくる標的を殲滅せんと一斉に稼働。
激突する両陣営。
そこからはもう、圧巻でした。
踊り狂う浮遊剣、奔る徒手空拳。金色と橙のエーテルが乱れ咲き、次々とガーディアンが切り刻まれ、粉砕され、竜巻が吹き荒れるごとく撃破されていきます。
決して相手が弱いわけではありません。それは、わたしがこの身をもって痛いほどに体感しています。また彼等がもつ情報共有機能により、複数体による連携も完璧であり完全でした。
仮にわたしが全快の状態でも、対多数を相手取れば、10秒と命はないでしょう。
敵の力量は十二分。
ただ、二人が圧倒的に強過ぎるのです。
ライザの剣戟も、セラディスの拳撃も。『視る』ことだけにエーテルを集中しても、その動きの全てを追うことができません。
それでもわたしは己の眼に全神経を注ぎ、その光景を焼き付けるのでした。
わたしも——わたしだって、いつかはそこに——。
そう、年頃の少女のように恋焦がれるのです。




