9 世界は天秤。傾く命の皿④古の。テセウスの船。
【Side:Liza】
ライザとラゼルの戦闘は苛烈を極めた。
互いに、この世界において屈指の実力者。そして魔法使い同士の戦いは、有史において数える程しか確認されていないが、そのどれも災害級の被害を周囲にもたらした。異空間での戦いは、少なくともカイゼンハイムの街にとって幸運といえる他なかったのだ。
両者が放ったエーテルが激しくせめぎ合い、戦場に金色の花を咲かせる。
ライザが放った数多の浮遊剣が、幾重にも重なる剣閃を描き、ラゼルへと襲い掛かった。速度は超。まさに閃光とも呼べる速さで刃が躍り狂う。
しかし。
光剣がラゼルを捉える直前、目標が消失する。
ライザが目を見開いたのは一瞬。背後に、死を感じた。咄嗟に防御壁を展開する。されど悪手。そんな暇があったのなら、何がなんでも回避を選択しなければならなかった。
ラゼルが繰り出したのは、ただの中段蹴りだった。身体を反転し、その回転力を威力に変える、外連のない技。だが、速度とそこに込められたエーテルがあまりにも桁違い過ぎた。
音よりも速く、ラゼルの蹴りがライザの右腕を撃ち抜く。防御壁は粉々に。金色のエーテル粒子を撒き散らしながら、ライザの体が吹っ飛んだ。床に叩きつけられ、跳ね返り、なおもその勢いは衰えず。人間の体が、紙切れのように舞う。
ライザは宙で体をよじり、なんとか体勢を立て直そうとする。攻撃を受けた右腕は吹き飛んだ。脇腹も爆ぜている。背骨だけがかろうじて繋がっている状態。既に肉体は再生を始めているが、その隙間すらも敵は潰してくる。
エーテルを逆方向に放出し、空中で姿勢を制御したライザの目に、死の化身が飛び込んできた。
50メートルは彼方。宙に浮かぶラゼルが掲げた小さな手のひら、その上空に形成されるのは巨大な槍。雷そのものが槍を模る、金色の魔法。耳をつんざく金切り音と共に、エーテルが収束していく。異空間すら歪む程に、超高密度に練り上げられた雷槍が、凄まじい速度で放たれた。
当たれば必殺。ライザの体は再生すら叶わぬ程に、一瞬で消し炭になる。
予断すら許されない、瞬き刹那。ライザは、虚空へと向かって手を伸ばした。その先には、自身が操っていた浮遊剣の一本。それは反射だった。考えたわけではない。試したこともない。生き残るたった一つの道を掴み取るかのように、ライザの手が虚空を握ると同時、彼の体がかき消えた。
次の瞬間、ライザは先程の浮遊剣の傍に出現。自身の浮遊剣を座標として使った、短距離跳躍——短距離が故に、エーテルの消費が少なく、戦闘に応用できる。そうライザは確信した。
上空を雷槍が通り過ぎた余波が、彼の体を空中で加速させる。
勝機はここしかなかった。
ラゼルが大技を放ち、次の一手までが滞る、このタイミング。
ライザは、最後の勝負に出る。
今出せる全ての浮遊剣を一斉に操作。それぞれが無秩序な軌道を描き、ラゼルへと迫った。その数、実に百本。
目を僅かに見開くラゼルを視界に捉えながら、ライザの体が瞬いた。一瞬のうちに、消失と出現を繰り返す、決死の連続跳躍。ラゼルにこちらの動きを補足させない為に。線ではなく点での移動は、生物の常識を大きく逸脱し、敵の感覚を狂わせる。
再生が終わったライザの右手に、最後の一振りが握られた。出来る限りのエーテルを込め、ラゼルの防御を貫く一撃を。
幾度目かの跳躍の後。
宙へ浮かぶラゼルの背後へと、ライザはその身を出現させる。
敵の視線が一瞬こちらに釣られるのを横目に、最後の跳躍を敢行した。
最終到達点は、ラゼルの真正面。
狙いは丹田。ヘソの下、全身を巡るエーテルはそこから湧き出る。
ライザにとっての利。敵が自身と同じ存在だからこそ、再生が不可能な部位を把握できた。
ライザが放つのは、全身全霊での刺突。音速を超越した一撃は、相手の反応よりも速く、確かに唯一の希望を掴み取った——はずだった。
攻撃が到達するまでの、薄氷の時の中。
ラゼルが、確かに笑ったのだ。
「——っ⁉︎」
ライザの背筋に悪寒が走った。光剣が突き刺さる直前、ラゼルの体が光の粒子と共に霧散する。
それで終わりではない。彼女の体を構成していた金色のエーテルが、鋭い刃となってライザに襲い掛かってきた。
脳が防御を求めて警告を発する。
しかし。
最後の望みを託した特攻。連続跳躍を経たライザの体にはもう、防御する力も、回避する余力も残ってなどいなかった。
死の影が、視界を覆い尽くす。
左腕が根本から切断された。右腕が二の腕から裂ける。足首、ふくらはぎ、太もも、両の脚はなますぎりのように細かく。痛み、痛み、痛み、痛み、痛み、痛み。激痛が、奥歯を割った。
なすすべもなく、ライザは落下する。
首を掠めた刃が、頸動脈を掻き切った。血が宙に紅の軌跡を描く。意識が薄れゆく中、ライザは金色の光を見た。
ラゼルの小さな体躯が目の前に。宝石のような瞳がこちらを見据え、口元に薄い笑みを浮かべながら。
ふわり、と。
柔らかな感触が、ライザの残された体を包み込んだ。
ラゼルが、優しくライザを抱き締める。
極限状態の中、その感覚だけが妙に懐かしい。
「ごめんね、ただの八つ当たり」
抵抗も出来ず、唇が重ねられる。
熱を失った体に染み渡る人の温もり。それは死へと供えられた徒花か。
姉から弟へ向けられたメッセージ。世界が急速に色を失う中、言葉なくライザは理解した。
伸ばそうとした手はもう無い。
ライザの意識は、そこで途切れた。
————
夢を見ているような心地だった。
自分が自分ではない感覚。視界は見えているはずなのに、目の前のことすら、どこか遠くの出来事に感じる。
今、自分は生きているのか、死んでいるのか、それすらも分からない。
自らと世界の境界線が、酷く曖昧だった。
「『テセウスの船』——」
血を分けた存在。二人で一人。
ラゼルの言葉が頭に流れ込んでくる。
「『ぼく達』の愛した“エルルはもういない″」
いつの間にか、彼女の姿が傍にあった。その手には、一本のナイフが握られている。それは、ペイルローブの街にてアーサーを異形化させた遺物——【祈る大罪の枝】だった。
刃に施された細やかな意匠。まるでインクを吸い上げるペン先のように、細い切れ込みが入った切っ先が、ライザへと向けられる。
「あんな紛い物を、エルルとは認めない。ぼくは——絶対に、“本物のエルルを取り戻す″」
“例え、何を犠牲にしても“。
強い決意が込められた言葉。それは、ライザが初めて聞いたラゼルの本心のように感じた。
そして。
ライザの丹田に、【祈る大罪の枝】が突き立てられる。
【祈る大罪の枝】を介して、ラゼルの莫大なエーテルが流れ込む。先のアーサーと同じ、本来ならば、エーテル波長が違うエーテル同士が体内で競合した時、それは異形化をもたらすが——。
ライザとラゼルは、元々二人で一つの存在。
完全に溶け合う、エーテルの波。
感覚が呼び起こされ、全能感が体を支配する中、
「ああ——それと」
ラゼルが、初めて見せる包み込むような笑み。
「ハッピーバースデー、弟。本当は今日、それを言いに来たんだ」
————
目覚めると、元いた場所に横たわっていた。診療所の一室、硬い木の感触を背中に感じながら、ライザは体を起こす。
ラゼルの姿はない。部屋の中は、何事もなかったかのように静まり返っていた。
ライザは立ち上がると、自身の体を確認する。手足がある。体のどこにも不調がない。むしろ、全身に力が漲っていた。
手を握りしめる。開く。それを何度か繰り返す。
現実だった。あの戦いも、その後の出来事も。
ラゼルの言葉の真意は不明。思惑も、未だ掴めない幻影のように。けれど、はっきりとしていることもある。彼女は去り際、この街で起きている事件の真相を語っていったのだ。
それが真実である補償はないが——不思議と、嘘だとは思えなかった。ライザが心のどこかで抱いていた憶測と、犯人が合致したからというのもあるだろう。
早く『あの男』の元へ向かわなければ、エルルに危害が及ぶかもしれない。
そう思い、ライザはエーテルを感知しようと意識を集中させた。が、何も感じられない。ラゼルからエーテルを注入された一時的な影響か、感覚にノイズが走る。
急いだ方がよさそうだと、ライザは気を引き締める。
エーテルを検知出来ない以上、跳躍は出来ず、もしもの為にとあの男にマーキングした『保険』は使えない。
けれど、ライザに焦りはなかった。真相から逆算した推測。おそらくは、この診療所のどこかにその場所への入口があるだろう。
ラゼルの思惑、真意。エルルのこと。懸念はあったが、立ち止まって考えていても答えは望めない。
今は、目の前のことに集中する。
この悲しき事件に終止符を。
ライザは、部屋を後にした。




