5 愛はかくも語りき⑤それは何よりも大切な。幸せは遠く。
【Side:Liza】
「すいません、ありがとうございます。手伝っていただいて。ライザさんのおかげで今日はスムーズに終わりました」
予定していた往診も終わり、帰路に着く途中のことである。ライザの前を歩いていたエオルグが立ち止まったかと思うと、振り返り、そつのない笑みでそう言った。
「そうか。それはよかった」
別に自分が手伝ったところで何が変わったのかは不明だったが、それもこの男なりの処世術なのだろうと、ライザは解釈した。
「今日は私も少しくたびれました。どうです? 一杯。奢らせていただきますよ」
夕暮れも過ぎ、辺りにも夜の帳が降り始めている。エオルグが向けた視線の先には、テラス席が設けられた酒場が。仕事帰りの住人達で賑わう店先。ライザにとって騒がしい雰囲気はあまり好ましいものではなかったが、しかし。
エルルにいい土産を買って帰れるな。
そう判断し、ライザはエオルグの提案を受け入れた。
二人で店の中へ。板張りのシックな内装。店内の席もほとんどが埋まっていて、かなりの活気があった。
どうやらエオルグの行きつけらしく、店員は彼の顔を見るなり笑顔で会釈し、スムーズに席を案内。二人席にしては広めのテーブルに置かれたタブレットで、つつがなく注文を終えると、しばらく無言で待った。程なくしてビールが二つ、そしていくつかのつまみが運ばれてくる。
エオルグがコップを差し出してきたので、ライザもそれに従った。ガラスと氷と液体が奏でる風情のある音。口をつける。なるほど、確かに労働の後の酒は格別だ。エルル程ではないものの、ライザは酒の美味さというものを再確認する。
やがて、エオルグがにこやかに口を開いた。
「事件のことは、何か分かりそうですか?」
少し虚を突かれた思いだったが、ライザは決してそれを表に出さなかった。隠していたわけではなかったが、相手がそれを聞いてくるのが意外だったのだ。
辺りの喧騒が、今は遠い。ライザは、エオルグの目を見据えながら答える。
「何のことだ」
「いえ——ただ、随分熱心に調べておられたようなので……少しだけ、何故なのかなと、疑問に思いました」
エオルグは、笑顔を崩さなかった。
胡散臭いというのが、ライザが抱く感想。根拠があるわけではない。ただの言い掛かりに近い。しかし確信にも似た直感が告げる。
こいつのことは——あまり好きになれない。
「俺たちも旅行者だからな。自分の身を守る意味でも、事件のことを知っておきたかったんだ」
「そうでしたか」
エオルグが持つコップの中で、氷がからりと音を立てた。
ライザは、顔をしかめる。口に運んだビールが苦い。同じ酒なのに味が変わる。何が影響しているというのだろうか。エルルと飲んでいる時は、絶対になかったことだ。
少しの間、二人で酒を飲み進める。そして二杯目も空になろうかという頃、エオルグが言う。
「ライザさんは——今幸せですか?」
「宗教ならお断りだ。俺は神を信じない」
「いえいえ、そういうのではなく——すいません、どうやら酔っているようだ」
頭を振り、一息ついて、エオルグはとうとうと続ける。
「私はね、ライザさん。今とても幸せなんですよ。人生における過渡期とでも言いますか、やっと待ち望んだ未来へと進める——そんな時がようやく来たのです。全てが、そう——全てがうまくいっている」
「そうか、それはよかったな」
「ええ、その通り、本当によかった。娘が、医療学校に受かりましてね。何よりも大切な人が夢を掴もうとしているんです。こんな幸せなことはないでしょう」
その時、ライザの脳裏に過ぎるのは、朗らかに笑うエルルの姿。願うのは、自分の未来よりも——。
「よっぽど、娘とやらが大事なんだな」
「ええ、何よりも大切な宝物です」
その言葉には、得体の知れない迫力と決意が込められていた。
何よりも大切な宝物。その言葉を、ライザは何度も胸の中で反芻する。自分の未来よりも、自分の命よりも、世界よりも優先される存在。ライザにとってのそれは、決まりきっていた。自分ではない他人の中に、自らの存在意義を見出す。
ああ——なるほど。
だからこそ。
だからこその、この嫌悪感か。
「一つ、質問してもいいか」
「ええ、何なりと」
「見ず知らずの人間の命と、大切な者の命。二つに一つの選択が目の前にあった時、お前はどちらを選ぶ?」
「私は医者です。残念ながら、その問いには答えられません。しかしそうですね、敢えて言うのであれば——」
この嫌悪感の正体、それは。
「答えるまでもない質問ですね。あなたも、そう思いませんか?」
きっと、同族嫌悪なのだろう。
————
「ライザ。一つだけ、どうしてもあなたに言わなければならないことがあります」
「なんだ」
「愛しています」
「そうか」
酒場を後にし、診療所へと戻ってきた。既に帰っていたエルルに、土産の酒 (一升瓶を五本)を渡すと、彼女はキラキラとした笑顔でライザに軽口を叩く。
「出来ればその台詞は酒が絡まない時に聞きたいものだ」
「えー」
「えーじゃない」
唇を尖らせるエルルに、ライザはやれやれと肩を竦める。本当に、表情が豊かなやつだ。笑うにしろ、怒るにしろ、悲しむにしろ、ころころ顔に出る。それは、自分には絶対に無いもの。だからこそ——そこに魅力を感じるのかもしれない。
「せっかくだし、二人で飲もう。ナンナリッタだったか、あの娘にグラスと氷を貰ってきた。酌ぐらいして貰えるんだろう?」
「もちろんですよ! よかったですね、こんな美少女にお酌をして貰えて!」
部屋に備えられていたテーブルに、一式を並べる。椅子は一脚しかなかったので、ベッドを併用。
その後、たわいのない談笑をしながら、交互に酒を注ぎ合った。同じ酒を飲むにしても、相手が違うとここまで味が変わるのかと、ライザは感心する。
エルルを見る。本当に美味しそうに、嬉しそうに酒を飲んでいる。その様子を眺めているだけで、胸の奥が不思議と落ち着いた。
「…………」
——しかしまあ、それはそれとして。こんなどう見ても子どもにしか見えない小さな体に、酒がみるみるうちに吸い込まれていく様は、見ていて面白いな。尋常ではないペースで増えていく空の一升瓶を前に、ライザはそう思った。
そして。
「それで、何か事件のことはわかりましたか?」
エルルがそう切り出したのをきっかけに、情報共有を始める。お互いが仕入れた情報に、そこまで差異がないことを確認すると、彼女は眉間にシワを寄せて唸った。
「やはり、遺物は関係ないのかもしれませんね……」
「まだ何とも言えんがな」
「そうですねえ……ただまあ、いつまでもここに厄介になるわけにもいきませんし、明日一日調べてみて駄目なら、それで諦めましょうか」
「そうだな……」
その意見に反論はなかった。事件の影に遺物が存在しているかどうか、せめてそれだけでも判明しないと、いたずらに時を浪費するだけ。それはあまり得策ではないだろう。
「明日も別行動だ。俺が街に出て調べる」
「わたしは?」
「あの男——エオルグの様子を見張っていてくれ」
「エオルグさんを? それはまた、どうして?」
「特に根拠はない。説明できるような理由もな。だが—— いや、なんとなくだ」
「ふうん?」
訝しむように首を傾げるエルル。しかし、すぐに表情を綻ばせると、やれやれと頷く。
「——分かりました。何かあったら、すぐに端末に連絡しますね」
「ああ」
助かる。
そう言って、ライザは空になったエルルのグラスに酒を注いだ。あっという間に消える。注ぐ。消える。キリが無いので、途中でやめた。物欲しそうな目で、エルルがこちらを見てくる。手酌をしないのは、彼女なりにこちらへ気を遣っているのか。ライザが酒に手を伸ばそうとする度に、顔がぱあっと明るくなる。
本当に——不思議なやつだ。
一緒にいるだけで、まるで自分のような人間でも、少しはまともになれる気がしてくる。
どこまでも——眩しい。
「なあ——エルル」
「はい?」
「お前は、俺のことを——」
その先の言葉は出てこなかった。何を聞きたかったのか、それすらもわからない。
「……流石に少し酔ってきた。寝る」
残った一升瓶を持ち、ライザは立ち上がる。足にはきていないが、頭はややふらふらした。余計なことを口走る前に、退散しなければ。
「あの、ライザさん……? まだそれ、入ってますよ?」
「おやすみ」
未練がましい視線を背中に感じながら、部屋を後にした。
少し頭痛がする。アルコールが回る頭の中で、あの男のうわ言がぐるぐると巡っていた。
——ライザさんは、今幸せですか。
一笑に付したはずの問いだ。
なのに、心の奥底にこべりついている。
幸せ。
自分にとっての幸せ。
それは——なんだ。
そんなものが存在するのか。
存在して——いいのだろうか。
ライザの問い掛けに、答えるものはいなかった。
————
部屋に戻り、ベッドに腰掛ける。上着をぬぎ、一息ついた。
その時、部屋の扉がノックされる。
エルルが酒を催促しに来たのかと思い、無警戒に扉を開けた。
しかし。
そこに立っていたのは、招かれざる客。
「やあ、ペイルローブ以来かな? 愛しい愛しいお姉ちゃんが会いにきたよ」
金色の死神は、不敵に笑う。
「ラゼ——ル——」
最悪の夜の幕開けだった。




