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優しい世界じゃなくたって  作者: 家具付


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水のフィブラ

「きっかりはっきりとは知らねえよ、おれとおそろい。親父が誰だか知らねえし、おふくろはこの子が生まれた後どこでここまで育ったかしらねえだろうよ」


そんな言葉で納得されるものなのか? と流石に私でも思った。その適当な感じは何なのだ。その適当さで、世の中は渡り切れるほど甘くない……はずだ。

だが、バロのこの言葉で、受付の人も神官も、頷いて納得した調子になったのだ。

バロって、一体何をどれだけやらかして生きてきたんだろうか。

やらかした分だけ、この男が非常識だと、沢山の人に知られているような気さえしてくる。


「……それはありうる事だが、しかし、こんな事が偶然に起きるわけがない!! お前、まさかこうなるとわかっていて」


混乱していそうな神官の言葉に、バロが鼻で笑った。相手にもしていない調子で。


「変な疑いを持つなよ。わかってるだろ、おれの後先考えない性格で、これを見越せるわけがねえだろうが。ここにいる奴らは知ってんだろ全員」


異様な沈黙が、ギルドを満たして、そこでたった一人平然としているバロの頭のネジが、抜けてんじゃないかな、と砂漠の街の事情のわからない私でもちょっと思うほどだった。

そんな固まって凍って異常な位に静まり返ったギルドだったから、外に居た人も入る事をためらっているみたいだ。外も信じられないくらいに静かになっている。音一つないくらいに静かだ。どうしてだろう。空気を読むってやつだろうか。

しばしの沈黙の中で、なんとか自分を取り戻したのは神官の男性だった。彼はまじまじと私の顔を見て、こう言ってきたのだ。


「バロ、こうなってしまったからには、この女の子、お前の妹だという子の事を、大神殿の大神官様にも、王室にも伝えなければならない。それくらいは理解できるだろう、お前のその頭の中でも」


「えー、面倒くせえなあ」


なんだか、私でも只者じゃない人だとわかる名称の人の名前に、バロが嫌だなあと言う態度で返した。流石にそれって失礼な態度なんじゃないかなと思ったんだけれども、神官の方が大人だった。

そもそもの見た目で、バロは結構若そうだけれど。実際の年齢がいくつなのかは、聞いていないから知らないが。


「お前はいつでもそうだな、いつでも自分勝手のわがままだ。だがお前のわがままは、今回ばかりは通らないぞ」


「だろうなあ。水のフィブラが音を出しちまったからな」


「水の。ふぃぶら?」


私は知らない名前を繰り返した。水の。そこはわかる。水は水だ。でもふぃぶらってなんだろう。

今、音がなったのは……この大きな安全ピンだ。でも、安全ピンは安全ピンって名前じゃないのだろうか。

そう思っていた私が、どこをどう見たら、安全ピンって名前じゃない、特別そうな名前のものに見えてくるだろうか、と受付の机の上の、布の上に載せられていた安全ピンの事を、首を動かして見ていた時である。


「西じゃフィブラなんて聞かねえか。まあ結構流行遅れの時代遅れのものってあっちじゃ言われがちだからな」


「知らない」


「マントとかの、長くてかさばるものを留める飾りピンの事さ。で、これは水にまつわるご利益あらたかな留め具ってわけだ」


「魔法の道具なの?」


なんだかそんな感じがするものだから聞いてみたら、バロが頷いた。


「おう。砂漠じゃとびっきりの珍品だ」


「どんな魔法の効果があるの?」


「うまく行けば雨を呼ぶ」


「うまく行けばって、いかない事もあったら、役に立たないじゃないの」


「水のフィブラは水の神様の家の門構えのところで、ごめんくださいって声を掛ける道具なんだよ」


「神様のおうちに、門構えがあるの?」


王都の外れの、下町の人たちのための神殿で、神様のおうちの話なんて聞いた試しがない。

神殿が神様のおうちだとは説法で聞いたかもしれないけれど、覚えていない。


「わかりやすーいたとえの話だ」


バロのこれに、神官が頭が痛いという表情だ。どうも、結構、雑な説明みたい。


「ごめんくださいって声をかけたら、雨が降ったりするの?」


そんな簡単な話になるのだろうかと流石に疑った。


王都だと、門構えのところで声をかけたら、門番の人に伝言をして、家の中の人に声をかけてもらってって、たくさんの順番がある事は知っていた。おかみさんが、賃貸物件の修復その他のために、そういった事を管理しているお貴族様のところに行くと、いつも門番のところで待たされて、あんまり相手にしてもらえないって言っていたから。

相手にしてもらえたらって聞いた時に、門番の人が家の中の人に言付けて、家の中の人が更に話を聞いて欲しい人のところに伝言を届けるんだよって言っていた。

おかみさんは、その、話を聞いて欲しい人になかなか会えないって言っていたのも、私は覚えていた。

建物の建て替えとかはすごくお金が動くから、下町の賃貸管理者のおかみさんの声が、なかなか届かなくて、もっとお金の入るところの賃貸が優先されがちって言っていたのも覚えている。

そんな事を覚えていたから、門構えのところで声をかけただけで、雨が降るなんて結果になるとは思えなかったのだ。

そんなに簡単なワケがないだろうって感じで。

そういう私の疑問に、バロが続けた。


「さっき、きんきんした音が鳴っただろ? あれは、門構えのところに鳴らした人間の声が届きますよっていう合図なんだ」


「合図がないと届かないみたいな言い方してる」


「実際に届かねえんだからしょうがねえだろ。基準は知らねー。水のフィブラは水の神様に声が届く人間を選び取る道具であり、門構えまで声を運ぶ道具でもある」


「え、じゃあ、音を鳴らした私が、雨を降らせてってお願いしたら、その声は届くの?」


単純な事だったからそうやって聞くと、神官がとても難しい表情のまま、バロを視線で黙らせて言う。


「届いても、それを水の神が聞いてくださるかはわからないんだ。ただ、普通の祈りの儀式や雨乞いよりは、遥かに神の耳に願いが届くのは間違いがないんだけれどね」


「へえ。じゃあ……」


私はまた、水のフィブラだというそれを指でつついた。また、とても高い高い、澄み切った音が鳴る。


「ご飯をお腹いっぱい食べたい! だから雨が降ってほしい!」


「君! そんな事を言っては」


「この行き当たりばったりはお前の血縁だな、バロ!」


「褒めても何も出やしねえだろ」


「褒めてない!」


私は音が響いている間に、何も考えないでそう口に出した。雨が降らなくちゃ食べ物はしっかり育たない。長い間、毎日のパンに苦労している私にとって、雨がまともに降るという事は大事な問題だった。

それに、嘘でもなんでもないお願いじゃないと、神様だって聞いてくれないよな、とも思ったのだ。

私のお願いに、神官が引きつった声を出して、受付のロイドさんが呆れ果てた声で言う。


「神よ! 無礼な口調にお許しを!」


とうとう神官が膝をついて、神官だけが形を取る祈りの姿勢になって叫ぶ。私の言葉が相当に失礼に聞こえたみたいだった。

そんなに失礼かなとも思って、首を傾げていた時だ。


……しけった風が、吹いたのだ。それは、砂漠の建物の窓の外から、窓の中に、ふいに入ってきた。


「おい……」


「この気配は……」


ギルドの中の人達がざわつく。そして一斉に窓枠にへばりつく。中には外につながる扉を開け放つ人も居た。

外にいる人達も、ざわざわと動揺した声を上げている。空を指差す沢山の人達。皆が見上げる空は分厚い雲で鉛色。

水を纏う分厚い分厚い雲だった。


「空が」


「この季節外れの時期に、あんなに分厚い雲が」


「この季節にもう随分と降っていないのに? まさかそんな奇跡が?」


しけった風が吹いている。冷たい風が吹いている。息苦しいくらいに水っ気を含んだ空気が、ゆらゆら揺れる。

ぴちゃん、と。

空から水の雫が落ちてきて、そして。


「雨だ!」


「雨が降ってるぞ!」


「この街に、六年ぶりの雨だ!」


瞬く間に、雨だって誰の目にも明らかな量の雨が降ってきたのだった。

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