それだけは踏んではならない
多分温度差はひどいですのでご注意を
大神殿からかっぱらった、神官見習いの衣装を一揃い。それも地味で、田舎から出てきた人が、大神殿で正式に神官になった際に、処分するためにおいたやつ。捨てられる手前の、拝借しても被害が少なそうなの。
それからそれに合わせた、経年劣化がある何の皮でできているのかもわからない大きめの鞄に、長旅に耐えうる靴。これらも完全に予備って感じの。
特定の持ち主が居ない風に見える物。
最後は神官見習いに見えるように首からぶら下げる、正式じゃない聖具。
それが、私の見た目だ。
これで神官見習いじゃありません、と言ってもよっぽど違和感を見つけるのが上手い人じゃないかぎり、信じないような、そんな、見た目。
私が逃げ切るために選んだのは、そういう立場に見える見た目だ。
「立ち振舞いってのが神官側なんだな、お前。細かいところが特にそうだぜ、ガキの頃から染まった感じが滲んでる」
「まあそうだと思う。神殿とか神官様とか、ものすごく身近だったわけだし」
私はそんな会話を、青い男と交わしながら抱えてもらっていた。抱えてもらっていたのは、大神殿のお膝元の街を抜けるまでの間。
それ以降は、こっちの歩幅に合わせて、でも日暮れまでにどこか寝床を調達できる集落に到着できるように、歩いたり、荷車に乗せてもらったりしているのだ。
「こいつ田舎からお参りに来たんだけどよ、なんかえれー人の結婚式で大神殿入れねえし、戻らにゃならない期限ってので、急いだはいいが調子悪くしたんだ」
自分は荷車に乗せてもらわないで、脇を歩くのに、私を荷車に乗せてもらう時に、言われた言葉だった。
近くの農村から来たという女の人は、私の顔を見て、言った男の顔を見て頷いてくれた。
「ああ、田舎から来るとありがちだなそりゃあ。来てお参りとかしたかったってのに、なんかの行事が重なってやりたい事も出来ないで、泣く泣く帰る人」
「だよなあ。えれー人の結婚式の日取りがわかってても、こちとら歩いたり荷車に乗せてもらったりだから、どれくらいで大神殿の街に来れるかなんて、お天気様次第だしよぉ」
「違いない」
荷車に乗せてもらって、私はけらけら笑う男と、驢馬で引く荷車に乗るおばさんの会話を聞いていた。
事実私はうまく立てない時間のほうがずっと長くて、この荷車で運んでもらう親切がとてもありがたい。優しいおばさんだ、騙してしまって本当にごめんなさい。
「見習いさんは、どっちの方面から来なさったんだ?」
「砂漠の、大河のほとりの方なんです。川を渡った荒野の大神殿に来られる機会なんて、本当にもう、今回限りってくらいだったんですけど」
「残念だったねえ。砂漠の大神殿の方は、あっちから来た商人が教えてくれたんだけど、次代様だっけ? とても残念な事故でお亡くなりになってから、火が消えたように喪に服してるって話だ。砂漠の方は喪が終わるまでは商売があんまり良くないっても聞いたよ。実際どうだい?」
「えっと、その。大神殿の方からすごく遠くて……王都のあれこれが、なかなか入ってこないくらいで、その」
私が誤魔化しきれない気がして、内心ですごく焦っていると、お喋りな口が割って入った。
「おいおいお姉ちゃん、世間の事も疎い修行ばっかりの神官見習いに、そんな世俗の事聞きまくってもわかんねえって。それよりおれとおしゃべりしようぜ、なんたってずっと黙って歩くのが苦手なんだよぉ」
「あっはっは! あんちゃん元気だねえ。確かにあんちゃんはものすごくあっちこっちに詳しいみたいだし、どこの村でもそのお喋りは大歓迎されるだろうね、うちの村も外の話が欲しいやつはいっぱいいるんだ」
「おう、じゃあべらべらと」
矛先がそれたと言うやつに違いない。ほっとして抱えてた足を抱え直す。庇われたんだ、と流石にわからないばかじゃないんだ。お礼を言ったら怪しまれるから、言えないけど。
「……」
私は黙って、驢馬と並走する男と、男と軽快なお喋りをするおばさんを見ていた。
時々、こっちの様子を確かめるよな感じで、水を固めた瞳が動く。
動いて、私の具合が悪くなさそうだと思うのか、一瞬だけ唇が、釣り上がる。視線は合わない。合わないように意識されているんだろう。見つめ合いすぎたら不審がられるとか、そういうのもわかるんだ。多分。
乗せてもらっている荷車はしっかりした技術の人が作ったのか、安定していて、無駄な歪みとかがたつきとかが少なくて、跳ね上がる揺れもあんまりない。
体の力が少し抜けてきた。本格的に眠ったらまずい。でも、頭がぼーっとするのも事実なんだ。
……少し目を閉じるだけ。そう、ほんのちょっとだけ。頭があんまりにもぼんやりするから。
そう思って、目を閉じたら、意識が薄く溶けていく。
溶けかけの意識がそれでも、おばさんと男の声を拾っている。子守唄みたいに。
二人が笑う声がする。男の方が何かを言う。
言い回しの響き方は、耳に馴染んだそれなのに。
これは 誰の、声、だ?
はっ、と意識が急に覚めていく。覚めたと同時に顔が動いたみたいで、視界が少し揺れた。
「でよぉ、この騒ぎの時にな? あいつらときたら」
「どこの若いのも似たような感じの騒ぎを起こすもんだねえ」
会話が続いている。何もおかしなやり取りじゃないと思う。
でも。
心臓が、嫌な音を立てているくらいに早鐘を打っているのが、胸に手を当てなくても分かった。
一番きらきらした綺麗な水の色を固めて形にしたみたいな、髪の毛と、瞳の男が軽く笑いながらおばさんと喋っている。
「……」
見たくないし、考えたくないと、意識も目もそらしていた現実に、向き合わなくちゃいけない時がきっと来たんだ。
いつまでも、見えないふりも、聞こえないふりも、考えないでいる事も、続けられないってわけなんだ。
「……」
言うべき言葉を、ちゃんと、伝えられるようにまとめておかなくちゃ。
強く手を握りしめて、どうか気付かないで、とその顔を見ていた。
「お姉ちゃん、いいのかい? お姉ちゃんの村は一つ前のだったんだろ?」
「いいんだよ。こっちの知り合いが、頼んでたものが出来たっても言ってたんだ。大神殿の街でお金を手に入れたら、すぐに交換しに行こうってずっと決めてたんだからね」
「へえ、祝い事のか」
「そうだよ。姪っ子の結婚式のお祝いなんだ。お祝いに作る飾り紐に、どうしても大粒のビーズをつけたくってね」
「そうですか。ご親切な御婦人と、その姪御さんに我らの神の加護がありますように」
おばさんは、自分の暮らしている村の先にある、少し大きな街まで荷車で連れてきてくれた。その大変な優しさと親切に心から感謝したい。
お金とか何か、と思ったのに、おばさんは、自分の用事のついでだからと、受け取ってくれる気配がない。
そうだせめて、神官見習いのふりをしているから、と神へのご加護を願う言葉を唱えて、砂漠で習った祈りの作法通りに、手を動かす。
私は元々は大神官になる予定があった生い立ちだ。神へのご加護を願う言葉と、祈りの作法は考えなくても口から出るし、体が動かせる。
おばさんは私を見て少し目を丸くした。
「おやまあ、砂漠の見習いさんは皆そんなに、皆綺麗にお祈りが出来るのかい? 大したもんだ」
「誰かと比べた事がないので、わかりませんが、他の経験豊かな方々の方が、素晴らしいでしょう」
「そうかい。姪っ子の旦那の親族にも、神官様がいるんだよ。結婚式が楽しみだね」
「村の神官の方が執り行うわけではないんですか?」
「村の神官様ももちろんやるけれど、その後に親族に神官様がいたら、追加で祝福とかのお祈りをするんだ。多分地域によって作法は結構違うだろうね、結婚式なんて特にそうだって、遠くから嫁に来た子が前に言ってたよ」
「そうでしたか。姪御さんの結婚式も、お天気に恵まれますように」
「違いない!」
おばさんはそう言って、目的の店の方に歩いていった。
それを二人で見送って、さて、と男が言う。
「今日の今日で、どこまで大神殿の騒ぎが伝わってるか聞いてみねえとなぁ。知らねえなら知らねえって顔してた方が間違いなく」
「あの」
「ん?」
おばさんを見送りながら、彼がこれからを私と話し合おうとしてくれた時。
とっさに袖を掴んで、私は彼に声をかけた。
声をかけられた彼が、こっちに顔を向けて、見下ろして、言葉を止めてくれる。
言わなくちゃ、いけない。
「こ、ここまで、本当に、本当に……心からありがとうございます。あのような頼みをしてしまいましたが、私はここからは、なんとか自分の力で動きます」
「は? 何だ、どうした、怒ってんのか? そんな改まって畏まった声で?」
「あなたは!」
大音量じゃないけれど、思ったより少し強い声が出た。その大きさに自分の身体が跳ねたけど、言わなくちゃいけない。
「あなたは、あなたは……私の、■■じゃない」
……私はちゃんと、名前とか単語を口にしたつもり、だった。
それなのに、口から出したはずの単語が、妙な雑音にしか思えなかった。
彼は私の■■じゃない。
どんなに姿が似ている気がしていたって。
言い回しや口調が、そっくりだからって。
声が、……声が、違うんだ。騒いでばっかりのあの声と、彼の声は、まるで違った。
何より。
■■は死んだんだ。還ってくる事など、天地がひっくり返ったとしてもありえない。それがこの世の理ってやつで。
……■■ってなんだ?
■■って、誰の名前を言いたいんだ?
自分の考えている事なのに、自分が伝えているはずの言葉がわからない。
急に息苦しくなりながら、私は緊張してるんだと自分を納得させて、言葉を続けた。
「親でも、兄妹でも、家族でもない方に、重ね重ねご迷惑をおかけし続けた事を、誠に申し訳なく思っております。今ここですぐに、なにかお返しできる事も、物もなくて、心から申し訳ないと思っております。そうだ、落ち着きましたらギルドに登録を行い、あなた宛に手紙か金品などをお渡し出来るように手続きを」
目を見てちゃんと喋っていたはずだったんだ。
どこで視線を私は一瞬でもそらしてしまっていたんだろうか。
「くっ……くくく……っ」
いつの間にか彼は、片手で顔を覆っていて、喉から不吉な響きの笑い声を漏らしていた。
顔を覆う手が動いて、瞳があらわになる。
「そうかぁ……おれぁ、親でも兄貴でもねえってか」
声は歪んでいるけれども、確かに嗤っていた。
嗤っていたというのに。
色んなものを諦めきったような、悲しい声のようにも聞こえた。
「来い」
「え?」
「とにかく来い」
「あ、ちょ」
声の正体を掴めないで固まった私の手首を掴み、彼が大股で歩き出す。歩幅を考えてくれていた先ほどとは大違いの、私の足がもつれても、転びかけてもお構いなしの、引きずるような歩き方だ。
私は何を間違えたんだろう。彼はリアスじゃないんだ。リアス以外に身内はどこにもいないんだから、この青い似た人は本当に他人で、でもとても優しいお人好しで、だから私の面倒事にこれ以上つき合せて時間を使わせるのが、ひたすら申し訳ないから、と荷車の上で出した結論だったのに。
「部屋一つ、三日」
「はいよ」
彼はこの街にも来た経験というものがあったのか、迷いもしないで宿屋らしきところに入って、一階の支払い所でそう言って、その場でお金を支払って、鍵をもらって、私を三階の安い部屋に引っ張っていった。三階が安いのは、屋根の下だから、暑い時は暑いし、寒い時は寒い建物の構造の問題だ。
この建物は見たところ三階建だったし。
理由もわからず、そんな現実逃避をしていた私は、部屋に引きずり込まれて……何をどうしたいのか聞こうとして、一向に手首を離す気配がない相手に、手首を離してほしいとも訴えようとして顔を上げたら。
「んっ!?」
柔らかい何かで口をふさがれて、形が歪むくらいに押し当てられて、ちょっと普通じゃないくらい相手の顔が近いから頭がまた混乱した。
何が起きてどうなってどういう経緯があって?
「ん、んー! んんー!! っ、あぐっ」
なにか大変な事が起きているとは流石に分かったから、掴まれていない方の手で相手の体を押し返そうとしたわけだが、体力が相当に落ちた後の弱っちい私と、どう考えても勝ち目がない位に屈強な体格の男では、押し返せるわけがなくて。
なにか声を、と無防備に開けてしまった口に、何かが入り込んできて、声も呼吸も奪われた。
「いいだろ、別に。おれぁお前の親でも兄妹でも家族でもねえ、血の繋がりなんて一滴もねえ男だ。……逃がした礼を、今身体で支払ってくれよ。おれの気が済むまで”ずっと”な」
息もたえだえ、頭もぼうっと霞むような状態で、もう相手の手が支えてくれなけりゃ立っていられないどころか、座ってる事すら多分難しくなった後に、感情がまるでわからない声で言われた言葉を聞いて、思った。
私は彼の、踏んではならないものを、土足で踏みにじったのだろうか……? と。
息をするのがやっとすぎる私は、それでも、逃げられなかった。
それで、相手の気が済むんだったら、命を取られるよりは、と。
妙に、納得をしてしまったせいだった。




