支配された婚礼
金の帝国の妃を迎え入れる婚礼の儀式を執り行うのは、初代皇帝の生まれた荒野の大地に古くからある神殿だ。
そこで今日、階位こそ低いものの、正式な妃の一人として、現代でもっとも絶世の美女であると目されている、青の国のリリー姫の一人娘が、迎え入れられる。
そういう話を聞いたという女性が、こちらをちらりと見て鼻で笑った。
「お父様に似ていらっしゃるんですねえ」
その中の皮肉と侮蔑が、まるでわからないわけがない。言い返そうと思う口は、どれだけ力を込めて顎をこじ開けようとしても、頑として開かない。
「ふふ、どれだけのお化粧をしても、純白の婚礼衣装に身を包んでも、ねえ」
「そのお育ちのいやしさは、隠せないのが残念でたまりませんわ」
「それも、赤毛で! 赤色の髪は、古から伝わる悪い賢者の象徴、不美人の象徴なのに。皇帝陛下もお可哀想な事」
「仕方がありませんわ! リリー姫の一人娘、とお聞きになっていらっしゃったのですよ? それも、一年以上もお返事をおまたせしているのだから、目も眩むまばゆい美少女であるがゆえに、祖父でいらしゃるリリー姫のお父様が、孫娘可愛さに渋っているとお噂でしたもの」
「蓋を開けたらこれですもの」
「これでは、逆にお返事ができないのも道理ですわぁ」
そんな厭味ったらしい言葉を投げてくるのであれば、貴方がたがその妃に立候補すればよろしいのでは、と言いたい口は、どうやっても開かない。
開けと思っても、この口は動く気配を見せず、そして婚礼支度の準備が進む間、椅子に座らされた身体は動かせない。
ただ、姿勢を伸ばして、黙して座っているだけ。
何も言わないし、泣きもしないのだ。だんだんと面白くなくなってきた様子で、でもくすくすと女性達は自分達の方が容姿では、間違いなく優れているという客観的な事実に基づく、優越感に浸りながら笑って、言う。
「さあ、花嫁様。お時間が来ますわ」
「ふふふ、皇帝陛下がその顔を隠すヴェールを取った後、あなたを斬り殺さない事をお祈りしましょうね」
「皇帝陛下は苛烈な御方でいらっしゃいますから、やってきた花嫁があまりにもお考えと違ったら、腰の剣を抜き放ってしまうかもしれませんわ」
くすくす、くすくす、くすくす。
女性達は笑い、そして、とんとんと、軽い調子で花嫁の控室の扉を叩いた女性の神官に、返事をする。
「お支度が整いましてよ」
「ありがとうございます。それでは、花嫁様、お手を」
神官の女性が手を差し出してくる。それを拒否しようとする心と裏腹に、手はしとやかな風情で女性の手をとり、するりとした身ごなしで立ち上がった。
どうやって、自分の意思で動けばいいのか、を今、自分は必死になって考えていた。
幼い記憶しか持たないあの時のリアス相手だけれども、約束をしたのだ。
自分の身体を抱きしめるのも、裸を見るのも、あの子だけ。
そんな、ちっぽけな可愛らしい約束すら、守れない自分を、心底呪いたいと、思った。
婚礼の儀式は華やかなものなのだろう。荘厳な音楽と、数多の諸侯と、絶世の美女の一人娘を見たいと願った数多の国の貴族たちが、ひしめき合って興奮しているのが、ヴェールに顔を隠されて、神官の手から母方の祖父の手に委ねられて、真紅の絨毯が敷き詰められた道を歩く間、伝わってきている。
「おい、今回のヴェールは前の儀式の時より、随分分厚いな」
「ものすごい美少女だから、道中で一目惚れをした不届き者が、問題を起こすのを避けるためじゃないだろうか」
「なるほど、それくらいの事は有り得そうだな」
「ヴェールが分厚くて、花嫁の顔も髪の毛も殆ど見えないのが、逆に神秘的な雰囲気ですよね」
「慎み深いのかしら、少しうつむきがちなのも、リリー姫の娘だと思うと一層素敵だわ」
幻想を誰も彼もが口にする。実際は、この父親に似た顔と、燃える赤毛を隠すため。
うつむきがちなのは、そういう姿勢を取らされているから。たったのそれだけ。
儀式の前に、この地に来るまで、暴れなければよかったのか。吼えなければよかったのか。
ではどうやって拒絶の意思を示すというのだろう。
儀式が始まる前に、その拒絶に手を焼き、儀式を取りやめる選択肢を、皇帝が考えてくれればよかったのに。
いけない、他責思考は良くない。
上げない声は誰も聞こえない。
だが張り上げた声を誰も拾い上げなければ、どちらも同じ意味なのだと、今回の事で嫌というほど理解させられた。
誰も聞く耳を持たないまま、婚礼の儀式まで、進み続けていたのだから。
母親を名乗るあの銀の美女も、困り果てたという表情で言っていた。
「アイーダ、本当に素敵な御縁なのですよ? 大陸の女性の誰もが一度は夢見る婚礼なのですよ? 妾ではなくて、妃の地位というのは、本当に素晴らしいものなのですよ?」
彼女の価値観の中ではそうなのだろう。話ができた時、自分は彼女に訴えた。
「家に帰りたい。港町の家に」
彼女は本当に困り果てた顔をした。自分を見つめる使用人達の目は心底冷たいものだったが、皇帝の妃になる身の上に、下手な事が出来ないのを、悔しがっているのは、耳に入ってきていた。
「あなたの本当のお家は、ここですよ、かわいいアイーダ」
「ちがう、ここじゃない。家に帰りたい」
必死に伝えた。ひどい言葉を伝えないように、帰りたいという意思を一生懸命に丁寧に。
それを、銀の彼女は聞き入れてはくれなかった。
悲しそうな、寂しそうな、そんな顔で見ていたけれども、その瞳の中に、女としての嫉妬が燃えているのが、真正面から見ると伝わってきていて、どこに嫉妬するのかがまるでわからなかった。
それは自分が、疎いという事なのかも、わからない。嫉妬は下手に突かないほうがいいのだ。指摘された腹立たしさで、更に悪化する女性を、何人も見てきていた。
「そして、あなたのお家はこれから、金の帝国の後宮の一角になるのですよ。名誉で素晴らしい、夢のような事なのですよ、アイーダ」
名誉も夢もどうだっていい。あの家にただ、帰らせてほしかった。
逃げても逃げても、追いかけられた。叫んでも声は届かない。
鎮静剤を何度も無理やり飲み込まされて、大人しくさせられた。
それをどれだけ繰り返しても、諦めなかった結果、こうして、身体を強力な術者の力で、支配されるに至ったのだ。
どれが最善だったのだろう。どこが最善だったのだろう。
考えてみてもわからないのは、自分が愚かだからだろうか。
ただ、リアスと過ごした小さな部屋に、戻りたい、それっぱかりの事だったのに。
真紅の絨毯が終わる。荒野の神殿にいる、そこの大神官が祭壇の前に立っている。経験を十分に積んでいるのだろう立ち振舞なのは、間違いなかった。
そして、その祭壇の前に、どの国よりもなお強いと言われている、強大な金の帝国を支配する身の上である、皇帝が豪華な衣装で堂々とした振る舞いで、立っていた。
転ばないようにと、ヴェールの内側から外を見る事が出来る魔法が、被せられた宝冠にかけられていたのだろう。
周りは、よく見える。
無論、皇帝もよく見えた。
客観的に見ると、大変な男ぶりである。そう、堂々とした男が好みの女性ならば、うっとりと頬を染めて見惚れて、囁かれたら簡単に身体を投げ出しそうなくらいの、魅力的な風貌の、そんな男。
金の帝国の王族が持つ、漆黒の髪の、白い肌の男。そこに、赤色の瞳がはめられていて、赤と白と黒という、鮮烈な色彩の印象を与える、大変な美男子。
なるほど、誰もが憧れると言われるのも、好色だと言われるのも、理解は出来そうな見た目だ。
歩き続けながら、歩かされ続けながら、皮肉なふうに思ったのは、必死の現実逃避なのかもしれない。
婚礼の儀式を、撤回する方法が、自分の経験や今の現状から、見つけ出せないからか。
そうこうする間に、祖父が自分を祭壇の前に立たせ、優雅な仕草で一礼する。鷹揚な態度で、皇帝が頷く。祖父が、ある程度の距離まで下がる。それは銀の彼女と同じ、花嫁の親族の位置で、かなり祭壇から近い。
「これより、婚礼の儀式を執り行う」
厳かな発声で、荒野の大神官が婚礼の儀式の始まりを告げた。
途端に頭の中が、濁っていく。
濁らされていく。意識まで支配しようとでも言うのか。自分が何か抵抗する意思を持つ事、それすら術は許そうとしないと言わんばかりだ。
意識が、濁らされる。思考が、鈍っていく。
目の前が、歪んだ像を、作っていく。
舌打ちが出来たならばすぐにしていた。逃げられる身体ならば、すぐさま踵を返した。
それの何もかもが、術に支配された全てによって、許されなくなる。
この心まで。
この、心まで、支配されてなるものか。
思考を留めるために意識を集中する。深く深く。術に、抗う。
そのせいなのか、いっそう支配された視界がゆがむ。歪んだ像が、あまりにも求めている姿を、映し出していく。
燃える赤毛。同じ茶色の、おそろいの色を喜んでいた、自分と違う三白眼。よく笑う、楽しそうな口元は大きく、顔の作りは荒い。
感情がすぐに出る太い眉。村で作った傷跡の白い部分。
リアス、だった。リアスが、バロと名乗っていた時のそれ。
揺らぐな。大きく息を吸う。息を吸うのだけは、支配されない。術はそんな面倒はしない。
だから、呼吸だけは、まだ、自由だ。
「―――、―――。―、―?」
「誓います」
大神官の声は、意味を持った言葉ではもう認識できなくなっている。返答する声までもが、求めていた声で、でも。
違う。
あの声は、ざらりざらりとした響きをついぞ変えなくて、抑揚もどこか辺境の土地を連想させる物があって、でも特別に暖かい。
だが今の声は、洗練されたとても滑らかな響きで、何もかもが都会的だ。
だから、違う。
そんな事を思う間に、大神官がまた何かを唱えている。おそらく、夫婦の誓いとやらを今行っているのだから、自分の側にも同じような問いかけをしているに違いない。
「――?」
大神官の声が返答を求める。口が、いやおうなく、無理やり、開かされる。
誓いますと言わされる。そう答えたら、もう、何もかもが、失われる。
答えれば、この思考も完全に奪われる。術に全てを奪われる。
ちっぽけな約束も、優しい記憶も、心からの後悔も、全てだ。
なるものか。
その意思で、歯を、歯を、力の限り、食いしばった。
開こうとする顎を、歯が欠けようがなんだろうがと、食いしばる。開かせない。
神殿の誓いの場に、沈黙が、降りた。
一秒。二秒。……一分。
術との根比べだった。術者が疲れ果てるか、自分が支配されるか。
術の支配がいっそう強くなる。目の前の皇帝が、リアスにしか認識できなくなっていく。
リアスだ、リアスだから、誓っても。
そんな思考がにじみ、口が開きそうになる。だが。
あれは自分の大事なリアスではない。口は開かせない。
歪んだ像を映す視界に、曇る思考に、いびつな認識に、全てに、抗った。
「はっはっは! 花嫁は緊張のあまり、返答も出来ないご様子だ。大神官どの、儀式の続きをお願いしてもよろしいだろうか?」
言葉が、分かった。リアスの姿で、リアスの声で、違う人間が笑いながら大神官に、返答がなくとも続きをと求めた。
周りの空気は安堵した調子だった。ここで皇帝が怒り狂ったら、何が飛び出すかわからない、そんな気持ちだったのだろう。
「はい。では、荒野の神が坐すこの場で執り行うもっとも聖なる儀式である、婚礼の、誓いの接吻を」
皇帝相手にああだこうだと無駄に争うつもりは、この大神官にはないらしい。しかし動揺などない様子なので、同じような緊張した花嫁を見慣れているのかもしれなかった。あり得る話だった。
皇帝の手が、大神官に言われる手順で、自分の分厚い、顔も髪の色も見せないヴェールを、持ち上げる。
誰もが期待で声を潜めている中で、ヴェールが、取り払われた。
現れた顔のあまりにも美女とかけ離れたものに、驚きの声が小さく漏れている。
目の前の男もまた、かすかに驚いている様子だった。だが、ここで儀式を止めるような、愚かしさは見せない。さすが皇帝、その辺の匙加減はよくご存知というものだろう。
皇帝が逃さないために、頬に手を添えて、顔を寄せてくる。
口がそこで、ようやく、こじ開けられた。
声を喉から、やっと出した。
「ふれるな」
皇帝の動きが、ぴたりと止まった。目が、ありえないものを見るように見開かれていた。
誰もが、凍ったように黙っている。
何かが、倒れる音が、響いた。
その途端に、身体を縛ったなにかが外れたような気がした。
その軽さのままに、宝冠とヴェールを掴み、放り捨てる。
もう、リアスの顔にはどこをどう見ても見えなくなった、皇帝を睨み据える。
赤く塗られて気持ちの悪い、唇を開く。
「ふれるな」
こちらに、何を感じ取ったのだろう。皇帝が弾かれたように手を離して、よろよろと数歩、後ろに下がった。
ざわめきを、やっと、まともに耳が拾うようになった。




