ゆめ (4)
相当に病んでます
目が、覚めた。
「まただ」
頭が痛い。ひどい痛みというよりも、じくじくと天気が悪い時に疼くような、そんな鈍くて少し、鬱陶しい痛み。
何日も、かけて、誰かの視点で、異様なまでに鮮烈な夢を見ている。
誰か、というと他人事のような響きがするけれども、他人事のはずのその夢の中での、心の動きはどう考えても、私自身のそれなのだ。
あの夢の中で、私は誰かそのもので、……イッサ、という若い男の視点と心で、物事を見ている。
イッサ。それは誰だろう。
イッサ。どこかで聞いた事のある響きのような気がする。
記憶を探ってもどうにも思い出せない。本当に些細な会話で聞いたとか、そんな感じなのだろう。
兄ちゃん。
夢の中で向けられているその声の、響きも、感情も、この一年で耳と心にあまりにも馴染んだものとそっくりで、いっそ自分の妄想ならここまでのものが作れる、自分の想像力に感服したいほどだった。
ふっと、私の目は薬入れに向かった。
一日になんども服用してしまっている、大事な薬が、正気でいるための薬が、後一日でなくなってしまう。
貰いに行こう、と自然と思った。今日は頭が痛いけれども起き上がれた。
しかし、明日はまた、リアスを失った苦しみのあまりに、動けないかもしれない。
そのまま動き続けられなくなったら、色々面倒な事になる。
貰いに行ける体調の時に、薬をもらうのは普通だ。一人暮らしならなおさら。
「……」
薬の代金は残っている。家具とかを売ったから。本格的に家の中をすっからかんにする前に、多少お金を稼げるくらいまで回復しなければならなくて、そのためには薬を今は頼るべきだと、判断した。
久しぶりに水で顔を洗う。洗ってから、鏡の中の、長く櫛すら入れていない髪の毛に目が向いた。
人前に出るのに、髪の毛がぐちゃぐちゃではいけない。梳いて、編もう。
そんなにきれいな艶もない赤毛に櫛を入れる。後は手が勝手に馴染んだ形に髪型を作った。
不意に、だ。
兄ちゃんと、お揃いの髪型を思いついたんだ。兄ちゃんが髪が長くて女の子っぽいのが気になっても、おれとお揃いだから、胸張ってくれよ。
「っ!」
聞こえるはずのない、どうしても聞きたくてたまらない声が、少し若返った、そういう声が頭に響いた。
「リアス……?」
声が震えてしまう。すがってはいけない希望で、後ろを振り返る。
「はっ……」
当たり前だけれども、後ろに、待ち人は、居ない。
薬が切れたら、幻聴まで聞こえるようになっているのか。症状が本格的に悪化している可能性がある。それもお医者様に相談しなければ。
気を取り直すために、もう一度顔を洗う。顔を拭く。
「……こんな髪型、いつ覚えたんだっけ」
意外と細かい編み込みで、しかし毛先はまとめられていない、不思議な髪型を私の指は作っていた。
まあいいか。なんとなくでこうなったのかもしれない。適当ってそういう事だ。
とりあえず着替えて、通い慣れた診療所へ、向かった。
症状を説明すると、お医者様は厳しい顔つきになった。怒っているわけではない。一年この顔を見てきたから、それくらいはわかる。
「かなり悲しい事が、立て続けにやってきているからだろうな。心が相当に疲弊しているんだろう。少し、薬を強くしたほうがいいかもしれないな。今よりも若干眠くなって起き上がれなくなってしまう可能性があるんだが……」
「それを試します。またおかしいと感じるようになったら、来ますね」
「そうしてくれ。そうだ、気が楽になるかどうかは、人次第なんだが……」
お医者様がいたわるように言う。
「夢は、夢だ、アイーダさん」
「はい」
どうしてだろうか。
十六年自分のものだったその名前が、知らない人間の名前のように聞こえたのは。
新しい、効果がやや強くなった薬を飲んで、寝台の上に転がる。診療所に行くのも疲れ切ってしまったのは、食べる事もかなり億劫になったからだろう。
食べたいと思わないのは、まだ心がうまく動かないから。そうに違いない。
「ふああ」
欠伸が漏れた。眠くなる薬だと言っていたとおりに、眠気が襲ってくる。
兄ちゃん。目を閉じても、なんにも怖くないぜ。おれが守るから。
都合の良い言葉が、欲しい声で聞こえて、意識が暗くなる。
今それの種類を聞かれたら、間違いなく友情と答えられるだろう。
それは、複数の友達を得たからだ。幼馴染という親友を知っているからだ。
だが、十四年もの長い間、友達を一人も作れない環境で寝込んでいたあの頃の自分は、その友情という感情を、うまく処理できなかった。
異国から来たとびっきりの美人さん。会話が知的で、何を話しても鋭い意見交換が出来て、ちょっと容赦のない指摘をたまにする。
西の、見た事のない世界の、関わる事などほとんどなさそうな階級の文化を、時に皮肉を交えて話してくれる、外から来た女の子。
御子という畏れ敬われる身の上にいきなりなってしまって、友達を作る前に跪かれるようになった身の上にとって、その容赦の無さが楽しかった。
忌憚のないやり取りが、愉快だった。
それから、笑うのが楽しくて、笑ってくれる笑顔が楽しかった。
今ならよく分かる。友達とおしゃべりして、友達が笑うと自分も楽しくなって嬉しくなって、心の中があったかくなる。
それは友情で、恋愛じゃ、なかった。
友達に笑っていてほしい。友達に幸せで居てほしい。力になれる事があったら、協力したい。
もっともっと友達の事が知りたい。
それを、周りは初恋だと呼んだ。恋を知らないものだから、それが初恋というものなのか、と納得した。
笑ってご機嫌の自分を見て、リアスがうれしそうに目を細める。
「兄ちゃん、最近すっごい楽しそうで、おれも嬉しい」
「リリーブランカの笑顔を見ていると、僕も幸せな気持ちになるんだ」
「そっか、あの美人の笑顔を見ると、兄ちゃんも幸せになるのか、いい事聞いた」
自分の言葉を聞いて、リアスもリリーブランカの事を笑顔にしようとする事が増えた。
この子はいくつになっても、ちょっとずれてるんだよな。でも、それくらい優しい、いい子なんだよな。
微笑ましくて、その微笑ましい笑顔にするための努力で、ついつい笑ってしまっているリリーブランカを見ると、ふわふわとしたいい気持になった。
この、リリーブランカというのも、友達につけたあだ名だった。
とびきりきれいなこの美人に、周りがご利益あらたかだという御子の祝福を少しあげたくて、幸せになってくれるように、と美しいあだ名をつけたのだ。
純白の、リリーさん。そういう意味の。
下心は何もなかった。本当に嘘偽りなく、ただ、友達と楽しい時間をたくさん過ごしたかった。
本当に、それだけ。
「砂漠の日差しは、布をかぶっていても、私にとって強すぎるようなのです。……ひどい火傷のようになってしまって」
「確かに、この日焼けは日差しに負けている証拠だ。痛みは? どれくらいから痛い? どれくらいの布をかぶってもだめ?」
ある日、そういう会話になった。事実リリーブランカの皮膚は、真っ赤で、焼けただれたようで、とても痛そうだったから、心から心配した。
「どこに行きましょう。もう、貴族社会に戻ろうとも思わないのですけれども」
「ううん」
少しだけ考えた。頭の中に、暗記した地図を描いて、思いついた。
「青の国と、砂漠の間にある、大河にある、港町とか」
「どうしてでしょう?」
「そこは船がたくさん出ているから、日焼けを治している間は隠れて、またどこへなりとも船で向かえると思うんだ。それに、一度戻ったと思われれば、またそこから行方をくらませる事もそんなに難しくないんじゃないだろうか」
逃げた場所にまた戻る。そういうのは、意外と見つかりにくくなるものだと聞いていたから、そう提案をしたのだ。
「いい考えかもしれません。それにこの港町なら、以前お父様と立ち寄った事もありますし」
「じゃあ、船酔いしないようにね」
「あなたも行きませんか?」
思わぬ誘いに目を丸くした。リリーブランカは微笑んでいる。
「僕も?」
「あなたも。あなた、海が見たいと夢を以前、語っていたではありませんか。それに、二十歳になったら神殿に戻るのでしょう? 十九歳になったのだと街の方が噂していましたよ。少しの時間、夢を叶えてもよろしいのではなくて?」
ありふれた会話だった。十九歳の男に、そういうのは、そんなにおかしい中身ではなかったし、リリーブランカは痛みの発作を起こしたり、熱で倒れる自分を見ていないから、ちょっとひ弱程度に考えていたと思われる。
「甘い囁きだね。そうだね、……ちょっとだけなら」
「では、決まりですね」
期間は一年。神殿にはきちんと二十歳になったら戻る。そう、神殿と取り決めをした時に、リアスが当然のように言い出した。
「おれも一緒に行くからな、兄貴」
すっかり口調が、カシミーアの冒険譚で読んだ調子になっていた。背伸びをしたい男の子の心理だな、と、微笑ましく思えた。
「リアスも一年、やりたい事をしても」
「じゃあ兄貴と一緒に行くのがやりたい事だ。それに兄貴、ずるいだろ、兄貴だけ海を見に行くなんてよぉ」
ふくれっ面が、この上ないくらい可愛かった。
こうして、港町に、三人で向かったのだ。
港町での生活は、しばらくはとても平和だった。リリーブランカは当然一人で生活をした。さすがに若い男二人と同居したら、彼女が変な噂を立てられる。借りた家は近所にした。
熱も発作も、体を襲う激痛も、頻発しなくなっていた。たまにそれが起きて、リアスが痛みを引き受けてくれていた。
港町は知らないものだらけで、見た事のないものばかりで、楽しかったし面白かったし、色々な考えの人に出会えて、とても貴重な時間だった。
意外と青の国では、神を信じない人の割合が多いのも、驚いた。
「なんで神様信じないんだ、こっちの人達は」
「お見かけした事も、感じた事もないんだろうね。でもリアス、それを怒っちゃいけないよ。そういう考えの人なんだなって、受け入れる寛容さはとても大事だから」
「そっか。なんかわかった」
神様信じないの、不信心だとちょっとご機嫌を斜めにした弟に、そう教えると、よく噛み砕いて頷いた。
リアスは船に興味を持って、船の関連のアルバイトを始めた。働き者の素直な子。そういう評価だった。
自分は、自宅で、恋文の代筆を請け負った。誘ったのは、紹介所で名前を書いた時に、それを横目で見たそういう業者が、筆跡があまりにも優雅で美しかったからなのだと後から教えてくれた。
「こんなところでお目にかかるわけがないくらいの優雅さと美しさと何から何まで揃った筆跡で、度肝を抜いた」
どこの誰が先生なんだ、と驚かれた。
恋文の代筆を頼んでくるのは、割と上流に近い中流の家から、本当の上流までだった。そちら側は、口説く恋文の筆跡が汚いと、鼻にもかけてもらえない現実があったらしい。
そして、水神の御子が書く恋文は、ご利益あらたかだったらしく、縁結びの達人の代筆者と思われるようになってしまっていた。
本当にそれくらい、決まらないはずの縁談が決まるようになっていたらしい。
恋文を書く時、書いた人も書かれた人も幸せになりますように、と心の中で祈っていたからかもしれなかった。
そういう文章に触れるようになって、自分がリリーブランカに向ける感情は、少し恋愛と違う方向かもしれない、と疑いを持つようになっていた。
港町での生活が三ヶ月ほど経過したあたりで、時々、リアスの帰りが遅くなる日があった。
「リアス、また先輩に居酒屋に連れて行かれそうになったとかかい? まだ未成年なんだから、お酒はだめだよ」
「違うぜ、兄貴。リリーさんがなんかよくわかんねえけど、不安定ってやつなんだ。そばに居てほしいって言うから、ちょっと一緒にいる」
「リリーブランカが?」
日中の彼女は平気そうな顔で、お針子の仕事を頑張っているようだったから意外だったけれども、女ばかりの場所で、気苦労があるのかもしれないな、と気にしなかった。
すべてを知ってから思うのだ。この頃にもっとしつこく詳細を聞いていれば、まだ、と。
そんな後悔は遅い。歯車は狂いながら回ったのだ。
それに。
リアスを見る。年齢以上に大きく元気に育ってくれた体。その中にある、優しい魂。なるほど、そばに居てほしいと気弱になっても安心できそうな気持ちが、しないでもない。
リリーブランカは男性の視線に苦しめられてきたわけだから、まだまだ子供の弟に、少しだけ力を貸してほしいんだろうなと、考えて納得した。
ちょっとだけ、自分も頼ってくれても、とさみしくも思った。友達が弟を頼るんだから、複雑で当たり前の感情の向きだった。
四ヶ月目の事だった。
「兄貴、大事な話があるんだ。すげー今後の事で大事な大事な」
真面目ったらしい珍しい顔をして、リアスが向き合って報告してきた。
「おれ、リリーさんとの間に、赤ちゃんができたんだ。だから、リリーさんと結婚する」
思考を放棄しそうになった。弟はやっと十四歳だ。リリーさんは十八歳だ。
子供に手を出すんじゃない。そして妊娠なんてなんで。
衝撃は相当だった。だが、兄として聞かなければという責任感に襲われた。
「いつからそう言う行為をするようになったんだ」
「え? 二ヶ月くらい前から?」
「リアス、とても大事な事だから、兄ちゃん不躾だけど、聞くよ、怒ったりするなよ」
「兄貴の大事な質問で、怒るわけねえだろうが」
本当に大事な事だったから、聞いた。覚悟を決めた気分だった。一生分の覚悟を。
「リアス、リアスはリリーブランカを愛しているから、そういう事をしたんだよね?」
「え? 違うぜ?」
即答に、時が止まったか凍りついたような気分になった。
それに気づく調子もなく、弟は素直に答える。
「なんか、顔色悪くて、家に引っ張り込まれて、上に跨がられて、死にそうな顔で抱いてっていうから、苦しそうだな、かわいそうなんだなって」
「なんで」
「え、村じゃいつも、誰彼構わず盛ってたじゃねえか。そんなに変なのか?」
守れなかった。守り通せなかった。この子を、守る事が叶わなかった。
この子は、知らない。気付いていない。
”自分が非道な暴力を振るわれていた”という現実に、気付いていない。理解もしていない。
そうだ、どうして思い至らなかったんだ。
この子に、真っ当な倫理観を教える人は、今まで一人も現れなかった。この子は長く自分の看病をしていて、友達も作れないで、大人から導かれないで、ずっと兄だけしか考えていなかった子だ。
この子が見てきた世界は、倫理観が吹っ飛んでいたのだろう、故郷の鄙びた村なのだ。
そして、砂金が出た事でわらわらやってきた人々の、倫理観その他が、品行方正とかではないのは間違いなかった。
自分のせいだ。自分が、教えなかった。教えてくれる場所に導かなかった。
この子が暴力を受けたのは、自分が生きていたせいだ。
血の気は音を立てて引いた気分だった。
たとえば。
本当にたとえば。
この子が、幼いながらも、リリーブランカに愛情を覚えていて、本物の初恋をしていて、それで、リリーブランカの願いを聞いて、子供を作ってしまっていたならば。
自分はここで、十四歳の子供に、好き同士でも本当はそういう事をしちゃいけないし、年上の方の暴力になるんだと教えて伝えて、リリーブランカを呼び出して、弟の実年齢を説明し、説教し、それでも、心から思い合ってしまっているなら、と渋々結婚を認めてあげた顔をして、弟の年齢を全員で黙って三人だけの秘密にして。
長く兄の事しか考えなかったリアスが、愛する女性を見つけた事実を、寿げたのだ。
兄ちゃんはさみしい。ちょっと悲しい。でも、お前が幸せになれるなら、それがいい。幸せになるんだよ。
そう、言えた。断言しよう、言い切れた。
なのに、そうでは、ないのだ。
この子は誰も気付けなかったけれども、あまりにも無知だったのだ。いくら文字を覚えて医学書を読んでいても、性的暴行の説明なんてないだろう。人体のあれこれは理解しているだろうし、妊娠する方法だって知っているだろう。
でも、医学書に、十四の子供がそういう事をしちゃいけないというのは、載らない。
皆当たり前の常識だと思っている事だ。普通の人の暗黙の了解だ。
それを、この子は知らないまま、こんなに大きな体で、年齢を間違われてしまうくらいに、大きく早々と育ってしまったのだ。
きっと。
いや、間違いなく。
リリーブランカは、リアスの年齢を、十八歳とか、それくらいだと盛大に勘違いしている。リアスはそう思われるくらいに、体が大きく立派に育っている。
お前がさせられた事は、人がやっちゃいけない事だよ。
言おうとした。喉から、声が出てこない。
「っ、あ」
「兄貴? 兄貴!?」
立て続けに聞いて気付いた衝撃が強すぎて、体も頭も受け付けなくて、ここのところ滅多に訪れなくなっていた、体が千切れそうな激痛を伴う発作が、起きた。
「兄貴!! しっかりしろ、すぐに!」
「リアス? イッサさん? パンの差し入れをもらったのです。一緒に……」
間が悪い。よく近所のパンを売る店から、差し入れをもらって一緒に食べていたリリーブランカが、いつもの調子で家の戸口を開けて入ってきて、倒れてうずくまる自分と、その手を握り、痛みを引き受ける術を使うリアスを、目撃した。
「……え?」
その時の真っ青になった顔を、その時は、発作で倒れている人間を初めて見たからだと思った。
実際はそうではなかった。
翌日、リアスがアルバイトに向かった後すぐに、リリーブランカが険しすぎる顔でやってきた。
「あなた、あんなに最低だったんですね」
「え?」
軽蔑しきった顔を向けられて、聡明な彼女の言う言葉の意味が伝わらなくて、怪訝な顔をすると、彼女はあるとんでもない真実を教えてくれた。
「まさか、全てご存知で行っていたのではないのですか? リアスに使わせていた術の正体を?」
「リリーブランカ、あの術は青の国で最近発表された術とは聞いているけれど、あの、意味が」
「お可哀想に。本当にご存知ではないご様子ですね。あの術は、現在禁止術に登録されております」
眉が跳ねた。禁止術という意味位は知っている。
「何故禁止術に? そんなに危ない術だったと?」
リリーブランカはため息を付いた。救えない人と言わんばかりに。
「あの術は痛みを術者に受け渡す位はご理解しておられまして?」
「ああ」
「では、受け渡された術者が、受け渡す方が感じる痛みの、およそ五倍から数十倍に増幅した痛みを感じるという事は?」
目を、見開いた。
うそだ、と思った。リアスは縫い針でちくっと、と言った。
しかし、リリーブランカがそんなくだらなくて、調べたらすぐに間違いだと分かる嘘をつくわけもない。
どちらが本当だ。いいやそんなのを調べるのは簡単だ。禁止術登録表を見せてもらえればあっという間に。
リリーブランカの言葉は止まらない。瞳には、愛する人を害する敵に対する憎悪が燃え上がっている。
「そして何よりの問題は、痛みを受け渡された術者が、その痛みに体を蝕まれて、命を縮める事です」
あなた、弟を殺すつもりがおありですか?
この言葉に目の前が真っ暗になった。気を失ったかもしれない。次に意識がはっきりした時にはもう、リリーブランカは居なくなっていた。
確認しなくては、今すぐに。
その逸る心で、そういった事がすぐに分かる照会可能なギルドに駆け込み、リリーブランカの言葉が正しいと、証明されてしまった。
自分は、自分の健康のために、何より大事な弟を、殺すところだったのだ。
いやだ、だめだ、そんな事は認めない。自分が自分を許さない。
覚悟を決めた。決意した。
「リアス。兄ちゃん、もうあの術使いたくないからな」
「えっ? いきなり兄貴、どうしたんだよ」
「とにかく!! もう絶対に絶対に、あの術使おうとするんじゃないぞ、誰にもだぞ!!」
激しい言葉になった。リアスは、普通の調子じゃない言葉に驚きながらも、頷いた。
刺激して、色々悪化したら大変だと思ったに違いなかった。
これで、発作が減ったままだったらまだ良かった。これで一年という期間が終わって、自分だけ砂漠に戻れたならば。
そういう終わり方にならなかったのだ。
毎日、弟を守れなかったという死ぬほどの後悔を覚えたからか。
体はたちまち高熱を繰り返し、激痛を覚え、そして一度痛みから解放されたせいなのか、その痛みに耐えきれなくなった肉体は、恐ろしいくらいに急速に弱っていったのだ。
「兄貴、術を」
「使わない!! 使ったら死んでやるからな!」
根比べかもしれなかった。死んでやると本気で脅すと、リアスはうつむいていたそうな顔をして、でも頷いた。
死ぬと言われたら、弟は、それ以上言えなくなったのだ。ひどい言葉をぶつけているけれども。
リアスを守れるなら、そんな感情の爆発も、ひどい言葉も、出来たし言えた。
そんなごたごたが日常的になってしまって、年齢の問題を言う事はできなくなっていた。
港町で生活して六ヶ月目。自分は衰弱して寝込みがちで、でも、砂漠と違って働きに行かなくてはならないリアスが、働きに出た。
この状態で、砂漠に戻る選択肢の方が危なかった。大河を渡る船の中で、発作その他が起きてしまったら、死ぬ可能性の方がかなり高かった。
……砂漠に状況を知らせたら、リアスに術を強制的にでも使えと、御子を死なせるなと言うであろう、あちら側の考えが見えたから、状況を知らせるわけにはいかなかった。弟を殺させるわけにはいかないのだ。
決定的な事が起きてしまったその日も、高熱で寝込んでいた。目を閉じて、痛みをなんとかやり過ごす。昔は慣れていたのに、弟を得て、あの術で楽になって、自分の体は甘ったれになったのだ。
もうそれがなくなっただけ、前に戻っただけ、本当にそれだけなのだと自分に言い聞かせた後に、考えてしまうのは、自分の馬鹿さ加減と、周りを見なかった盲目さと、弟を守れなかった後悔ばかりだった。
そんな日に、リリーブランカがやってきた。
目は蔑みに満ちていた。腹部はすこし、丸くなっていた。
どうして来たのだろう。リアスに会いに? 今日はあの子はお仕事だ。帰ってくるのはたぶん。
あれこれ、当たり障りのない、妊婦を刺激しない言葉を言おうとした時。
「いい気味ですね」
辛辣な声が美しい唇から放たれた。
返す言葉が何もない。そうだ、これは実にいい気味と言うやつに違いない。
「あの人を都合のいいように使っていたんですもの。天罰ですわ。あなたがたの大好きな神様の下す」
そう思われても仕方がない行為を、自分は大事な弟にしていた。し続けていた。何年も。
何を言われても、受け止めようと思っていた。
リリーブランカが、椅子に座り、愛しげに胎を撫でて、自分を見つめて、優越感に浸った顔で言う。
「結婚式まで、もつかしら。自分を使い潰そうとしていた兄であっても、あの人、港町の作法である、一年の喪に服してしまいそうですから。そうなったらこのお腹のが、婚外子になってしまいますわ。一度婚外子になってしまったら、その後きちんと結婚しても、この子の立場は婚外子のまま担ってしまったまま。この子がいらない不幸を背負ってしまいます」
貴族的な考え方だ。子供を婚外子にする事をこの上なく嫌う、上流階級のありふれた考え方だ。彼女はこういう生き方の中で暮らしてきていたのだろう。
そもそも婚約者に裏切られた人だから、そういった事に余計に拒否感があるに違いない。
それに、そうなったら、弟も不幸になってしまうだろう。
気合と根性で、穏やかな声を意識して、伝えた。
「結婚式まで、は、なんとか生にしがみつくさ」
「そうしてくださる? あなた一気に弱っていくものですから。このままぱたんとお逝きになりそうで不安でしたの」
「そうだね」
子供が生まれる前にと、相当な速度で婚礼の儀式の準備を弟とリリーブランカは進めていた。それでも、もしかしたら、自分の命が尽きる方が早いという可能性があった。
妊娠して不安定な気持ちになっていそうな彼女が、こんな言葉をぶつけてくるのも、仕方がない事かもしれないのだ。
妊婦を興奮させてはいけない。
そしてこちらの言葉に満足したのか、リリーブランカが微笑んでこう告げてきた。
「安心してくださいな。あなたがこの世から消え去ってしまった後も、家族で寄り添って支え合って長い人生を歩んでいきますから。あなたは何も心配をしないでいいのですよ」
「……」
「辛い時も、悲しい時も、もちろん嬉しい時も幸せな時も」
何も、もう、言えなくなっていた。
そこで、弟が帰ってきた。リリーブランカが、誰もが向けて欲しがるその美しい笑顔を、弟だけに向けて言う。
「おかえりなさい、あなた」
「おー。兄貴の事見に来てくれてたのか。ありがとうな。ああ、でも夜道が暗いなあ、えーっと」
「リアス。お嫁さんを家まで送っていくんだよ。こんな美人で、ましてお前の子供がお腹にいるんだ。兄ちゃん、奥さんと子供を大事にできない男は嫌いだ」
兄が寝ているからと迷う弟に、言い聞かせる気持ちでそう言った。ここで自分の方を優先する事をさせたら、妊娠して不安定な気持ちになりやすいリリーブランカに、もしもの事があるかもしれなかったので。
「わかった、寝ててくれよ、兄貴」
「今日は具合がましだから大丈夫だよ」
「おう」
弟がリリーブランカを家まで送り届けに行く。リリーブランカはその後、きっと夕食を共にと言うだろう。
そして、兄の言葉を聞いた弟は、奥さんを優先させる。
「ひゅっ」
呼吸がおかしかった。
どうして、と考えたくなかった何かが喚き散らしていた。
どうして。
どうして。
自分は、あの子と並んで歩けない。並んで生き続けられない。同じ時間を歩けない。
なのに。
”あの女”はそれが出来る。
笑いあって、子供を作り、寄り添い合い、支え合って、長く長く生きていける。
なんで、どうして、どうして何一つ叶わない。
わかっていたわかっていたわかっていた。
自分があの子と並んで生きていけない事なんてわかりきっていた。
でもそれでも。
なんでなんでなんでなんでなんで。
体がまともだったならば。濃すぎる血で狂ったこの体でなければ。まともな体だったならば。
……この狂った血の運命すら撤回する、常ならぬ強力な力がこの手にあれば。
弟に並んで歩ける。支えあえる。
何からも守り通せる。
「神の力がありさえすれば」
叶う。
叶えよう。
今すぐに!!!
心は壊れきっていた。箍という箍が外れきっていた。
衝動のままに声が出てくる。
リリーブランカが砂漠で交流をしていた頃に話していた禁術。神を従えるというそれ。
その言葉を覚えていた。
「☓☓☓☓ ☓☓☓☓ ☓☓☓☓!!」
手に入れさせてください、僕の神様。それが僕はどうしても欲しいのです!!!!
現実は残酷だ。
唱えても、何も、変わらなかった。
本当に何も。
悲しみのあまりか、罪悪感からか、意識がぼやける。
瞳を閉じた。
申し訳ありません、僕の神様。僕はこれほどに醜く汚く穢れております。
兄貴。
笑っているリアスの顔と声が聞こえた気がして、涙がこぼれた。
精神の均衡がおかしくなり始めていた。まともと狂気を行き交って、リアスを相手に怒鳴ったり叫んだり喚いたりする時があれば、ひたすらに泣き続けて謝る時もあった。
手を伸ばして支えようとするその腕も温かい手のひらも拒んだ。申し訳なくて、まともな時もおかしい時も、拒み続けていた。
体は衰弱しきっていて、死にかけていた十四歳の頃を思い出すようだった。
医者は打つ手がないと言った。なんで今まで生きていたのかが逆に不思議だ、どんな方法を使っていたのだと聞かれてしまい、禁術を教えてしまったら、リアスを牢獄に連れて行かれる可能性があったから、言う事など出来るわけがなかった。
青の国は、特に禁術の使用に厳しいのだ。
物を投げつけた日があった。殴りつけて髪の毛を引っ張った日があった。
吼えた日が、泣いた日が、喚いた日が、蹴飛ばした日が、あった。
「兄貴、大丈夫だ」
リアスはまともな時に謝ると、いつでもそう言ってにこにこと笑った。
「兄貴、今日の調子は良さそうだ!」
馬鹿な、子。
死にたかった。死んでしまいたかった。でも、結婚式が終わるまでは死にたくなかった。弟の普通の幸せを、邪魔したくないとまともな時は思えたのだ。
ついに結婚式当日がやってきた。特急で結婚式を行ってくれるが、流行と時代遅れの小さな神殿で、女性達にはとても不人気で、それでも、本当に急いでという人を快く受け入れてくれる神殿だった。
急ぎ足だから、白い礼服は借り物だった。普通は手縫いで女性が作るそうだった。
リリーブランカは不満げで、でも腹が膨れきる前にと我慢している様子だった。
「きれいな衣装は、子供が生まれてから三人で着ようぜ」
「はい!」
代替案に、彼女は頬を染めてうれしそうだった。
婚礼は静かに進んだ。神殿の祝詞はなるほど、古く格式張ったもので、最近の流行の儀式は一切ない。女性に不人気なのも納得だった。
婚礼の後は招待した人をもてなす宴で、弟の方は仕事が入っていて同僚も上司もあまり呼べなかったけれども、リリーブランカの方は、仲間も憧れていた男性もわらわらいた。
仲間は、自分の恋敵がいなくなってくれるから、喜んで参加してくれていた様子だった。子供のいる人妻なら、好きな人をよほどでない限り奪われないだろうから。
それを、死にそうな顔色で見届けた。
弟にも、きちんと
「おめでとう、幸せになるようにね」
と、取り繕ってそういった。兄が祝ってくれるから、弟はうれしそうにした。
「おう! ちゃんと嫁さんも子供も守るぜ!」
僕は? などとは二度と言えない立場になってしまっていた。
宴を横目に、自分は海を目指していた。
……ぎりぎり、婚礼まで、もってくれたこの体は、すでに限界に達していた。
本当は、もう、命が尽きていなければおかしかった。
あの狂気のような行動を、神を支配しようという狂気をした後、我に返ってから必死に謝り、それから、まともな時は死に物狂いで願い続けたのだ。
どうか、どうか、結婚式が終わるまで、この命を尽きさせないでください。お願いします、これで最後です。
神は慈悲を与えてくださっていた。式が終わると、体から力が抜け始めていた。
「……」
海を目指したのは、きちんとした理由があった。砂漠では婚礼の儀式の後に、水が多い場所で、我らの神に、夫婦に祝福を授けてくださるようにと、神官が祈りを捧げて願うのだ。
「これは、兄ちゃんの」
さいごの、お前への贈り物だよ、リアス。
最後の最後。本当に最後になる、兄から弟への、贈り物。
歴代随一の祈りの力があるとさえ砂漠で言われていた、今は堕ちてしまった、神の御子が、それでも捧げる弟への祝福の祈り。
良いお兄ちゃんだったんだ、と思い出してほしくて、その道を選んだのだ。
「あんた! 大丈夫か!」
「はい。よくあるんです、日常です」
通りすがりに、血を吐いてうずくまった時に、心配されたが、笑顔で言った。
「お兄さん、無理だよ、もう誰か家族を」
「いいえ、どうしても、どうしても行かなければ」
立てなくて這いずっているところを見た人に言われても、譲らない顔をした。
「あんちゃん、顔色ひどいぞ」
「いつもひどいんで」
目眩で、建物の壁に凭れている時も、それでごまかした。
そうしてやっと、港についた。沖に行ってくれないかと交渉した。なんとか貯めていたお金を全部出した。
「お兄さん、何をするんだい?」
「お祝いごとの最後の儀式なんです。砂漠では、そういう場所で、結婚した夫婦への幸せを、神官がお祈りするんです。今日、僕の大事な弟が、結婚したんです、だからどうしても」
「そうかい、お兄さん、真面目な神官さんなんだね。乗せていってあげるよ、沖までだろ?」
「はい、ありがとうございます」
沖までに、祈るために心をなんとか鎮めた。波の音が、おかしくなった心を少し穏やかにしてくれる。
沖に到着して、甲板に出て、祈りの体勢で座り込み、目を閉じ、心の中で唱え慣れた祈りを、唱え始めた。
発作が、来た。人生最後の発作だった。
普段とは比べられないほどの咳と、血が口からこぼれた。今までの激痛などお子様のそれだと言わんばかりの痛みが、体中を巡り、息が荒くなり、祈りの体勢から崩れて倒れ込み、体を丸めて咳をし続けた。
「お兄さん!?」
異常な状態に、近づきたくても、血からなにか感染したら、と船を出してくれた人が二の足を踏む。
意識がぼやけてきたその時。
「兄貴! ……兄ちゃん!!!!!」
聞こえるはずがなかった声が、悲痛に響いた。何か、いや、高速で走る船の音があっという間に自分の乗る船の横につく。忙しない足音。
「兄ちゃん!!」
倒れたまま目を開けると、血の気が完全に引いて蒼白な、リアスが自分のそばに居た。
お前のほうが死にそうだと言いたいほどの顔色だ。
宴は。リリーブランカは、お嫁さんはどうしたんだ。なんで。お前は。どうして。
ぐるぐると言いたい事が頭を回った。
悲痛な顔のリアスが、兄の血溜まりに膝をつき、白い借り物の婚礼衣装を真っ赤に汚す事を無視して、言う。
「兄貴、大丈夫じゃないだろ! 安心してくれ、大丈夫だ。やっぱりあの術を使おう! 痛いのが戻ってきちまって、だから具合も悪いし、気持ちもぐらぐらするんだ! 兄貴、大丈夫、すぐに良くなる、いつも使ってた時みたいに。なあ兄貴」
おれのことなんて、考えないで。
聞いた瞬間に、頭が真っ白になっていた。誰かが悲鳴を上げている。叫んでいる。
「……あ」
弟を、刺していた。それも繰り返し、繰り返し、御子が持つ聖なる、祈りの力が高ければ高いほど、鋭くなり、あらゆるものを簡単に切り裂けるようになる聖なる短剣で。
リアスは、抵抗してこない。まっすぐに、兄を見つめている。
いやだ。体が、言うことを聞かない気がした。
いやだ。なんで。
リアス、なんで抵抗しないんだ!!!
頭も体も何もかもが滅茶苦茶な状態だった。弟は死に至りそうな場所を複数刺されているのに、抵抗してこないのが、余計に頭をめちゃくちゃにした。
涙がこぼれた。その時だった。
「兄ちゃん」
大きな体が、温かい体が、自分を包み込むように抱きしめていた。
血まみれで。殺されかけているのに。
声は、穏やかに低く、そして優しかった。
「大丈夫」
「あ……」
「大丈夫。おれは大丈夫。兄ちゃんは、頭が混乱しちまうくらいに、痛くて、わけがわからなくなってんだ。兄ちゃんはおかしくない。痛い、それだけなんだ。すごく痛いんだ。それだけ。
なあ、兄ちゃん。わがままして、あの術をやらないなんて、もう言わないでくれよ。
そんなに辛くて苦しいのに、おれのお祝いのお祈りをしに来てくれたんだろう? 兄ちゃん、本当に、おれに甘いのも大概にしてくれよ。
心配してるあの術の痛みはな、本当に、ちょっと針で刺したくらいなんだ。
兄ちゃんが不安に思うような事は、なんんも、ないんだ。
兄ちゃんが幸せなら、それがいいんだ」
優しく言い聞かせる声に、息が詰まった。そして……理解したくない事を、悟ってしまった。
このままだと、自分は、弟も、弟の妻も、弟の子供も、間違いなく殺してしまう。
弟は、もうためらいなくあの術を使ってしまうだろう。
そうなったら、自分は延命してしまう。あの禁術は、禁術登録表が正確な事を記載しているのならば、延命の作用すらあった。
延命した自分は、この抱えた狂気をどこかで必ず爆発させて、今と同じ事を引き起こし、殺し回ってしまう。
だめだ。妻も子供もどうでもいい。でも、この男だけは、殺したくない。
何が何でも、どんな方法を使っても、この男だけは。リアス、お前だけは。
手が震えた。今の弟は、兄が刺しすぎたから、術を使うだけの集中力がないから、使えないでいるだけ。港に戻ってすぐに治療を受けたらその足で、あの禁術を使ってしまう。
港に自分は戻ってはならない。
ああ、お前を殺すというなら、まだ、ましな方を。
お前を、生かす方法を。
呼吸が震えた。伝えなければ。これを。
「リアス、兄ちゃんは、兄ちゃんは。”人殺し”にならないのが、一番の幸せなんだ。一緒に居たお前なら、兄ちゃんの言いたい事、わかるだろう?」
呼吸を意識しなければ、まともな呼吸すら出来ない。
それであっても。
「リアス。兄ちゃんの一番の幸せのために、お前とおそろいの傷を今ここで、兄ちゃんにくれないか」
弟の体にできた傷は、弟でなければ致命傷だ。そして、弱りきったこの体ならば、即死の傷になる。
リアスはそれを聞いて、目を極限まで見開いた。震えてかすれた声が、問う。
「それが、兄ちゃんの、本当の幸せ?」
笑え。にっこりと、優しい顔で。
「そうだよ、リアス。兄ちゃんを、世界一の幸せな男にして」
弟が、大きく息を吸い込んだ、吸い込んで吐き出した。歯が、食いしばられた。
「うん」
リアスが、自分の血にまみれた、兄の手の中の短剣を取る。
「目を閉じて、兄ちゃん」
「閉じないよ。……お前の顔を、最期まで目に焼き付けたいんだ」
「そっか」
力技で、弟は、自分の体と同じ位置に、短剣を深々と突き刺した。
ぼろぼろと涙がこぼれるリアスの顔を、ずっと、意識がなくなるまで、自分は、見ていた。
ごめんね、と言えなかった。




