喪失と凋落
その男は苛立っていた。その男は、当主、と一族から呼ばれていた。
長い間、王族にお仕えする家系だったからこそ、由緒正しい身の上と思われており、一族の者達から、当主と呼ばれても、周りがそこまで違和感を抱かない、そういう身の上の男だった。
当主は、長く忠誠を誓う主をいたく失望させてしまった事を不甲斐なく思い、本当ならばその責任を全て背負い、命を断つ事も視野に入れたかった。
だが、現状が、当主にその逃げ道を許さなかったのだ。
「何故」
当主は人知れず呟いてしまった。本当に、何故。どうして。
いくら考えてみても、主を心より敬愛し、敬い、ひざまずいてどんな命令も果たしてきた、他の王族に仕える同じような家系の中でも、一目置かれる実力を持ち続けてきた、名誉ある、力ある彼の一族が、崩壊しつつある現在に至る原因が、理解できなかったのだ。
「何故」
いつからこの凋落は始まっていたのだ。その兆候はどこにあったのだ。
記憶を手繰り寄せ続けても、その答えになりそうな選択肢を見つけられない。
主の命令に背く事なく、心からただ、お仕えし続けていただけだ。
その心には一遍の曇もない。それは一族のほとんどの人間が同じはずだった。まだ齢五つの子供でも、主の素晴らしさを理解しており、そして主のこの上なく素晴らしい一人娘の姫君を敬愛し、そばに居られる年齢まで育ったならば、心より敬ってお仕えすると息巻く。
そんな、忠誠心に溢れていた、自分達を誇りに思っていた一族が、ここまでの凋落を。
「何故」
完全だった、はずだったのだ。完璧だった、と言えるはずだったのだ。
王位を簒奪するご意思は、あの長く王族や高位貴族にのみ伝えられていた神という名の怪物の管理のために、お望みにならなかったのだから、王位継承権こそ、そこまで高くはないが、あの金の帝国でも名高い美姫であった奥方様に見初められ、結ばれ、国王を除けば青の国でも随一の地位であらせられた主。
その主のために陰日向なくお仕えしてきた、我らの一族。
絶頂であった、はずなのだ。
「何故」
「いつから」
「どこで」
崩壊を始めた一族を立て直すために、今生きている一族にそれをなせる実力者が一人も居ない事で、死というお詫びすら許されていない当主は、苦悩し、孤独になった中で、呟く。
明確な答えという、彼にとっての救いは、いまだ現れない。
皆皆死んでいった。客観的に見たとしても、死んでいった。
あの、孫娘を探す事を命じられて。当主が、信頼する、実力の確かな一族の者達が。
中には、主のためにと、手を挙げて、進んで望んで、憎たらしく手間を掛けさせる孫娘を、探す事を選んだ者も数多いた。
全ては大切な主のために。そして主が、妻と同列で特別に大切にする姫様のために。
帝国云々の前に、主のためにと皆、心から動いたのだ。
忠誠心に間違いのない、頭の切れる、実力の確かな、優秀とみなされていた、判断力のある、危険を察知する事も非常に長けている者達が。
当主の息子も、そうだった。
「姫様のために、すぐに、あの醜く汚らしい孫娘を見つけ出してきます、父上!」
息子は指折りの優秀さで、そして美しい姫様を幼少の頃から見ており、彼女の憂いを晴らすために、と最初の頃に手を挙げた。
その心に、姫様への捨てきれない恋心があるのは知っていたが、それ以上の揺るがぬ忠誠心がそこにあったのだから、早く探してこいと送り出した。
術者が雷に打たれて死ぬものだから、早く探せと、雷除けの呪符を、腕の良い術師に依頼して、手渡してやった。
それが、息子へ最後に渡した道具になった。
息子は、王都を出てすぐの森の中で、雷に打たれて死んだ。避けようのない一閃が、息子の命を一瞬で奪った。
通りすがりの旅人が、それを目撃して寝込んだ。よほど雷が目の前で、人間に落ちて死んだのが、衝撃だったようだった。無理もなかった。
冷静に物事を考えられるその頭脳を、誰より高く評価していた愛娘が、雷除けを調べてまわり、王都にある、もっとも呪いを研究している王家の研究所で、これほどならばと太鼓判を押されるほどの、傑作と言われるであろう雷除けの護符を作った。
「お母様、ご安心ください! お兄様の無念も、主様の憂いも、この私が晴らしてみせましょう!」
そう言って、少し不安だと言う母親にも笑顔を見せて、術を使う人間ならば、遠巻きでもその守りの力を感じるくらいの護符を胸に、愛娘も孫娘探しに出た。
愛娘は、主の屋敷のそばに建てられている一族の屋敷の、その門から出る瞬間に、雷が落ちて死んだ。
目の前で、不安だと伝えた矢先に、愛娘が黒く焦げて即死した事で、母親は気が狂い、何故か、孫娘を探して殺すとわめき、走り出し、降り出した土砂降りの中で、激しく立て続けに落ちていた雷の一つに、命を奪われた。
誰も、何も、そうだ、何もかもが、雷からは何をしても逃れる事を許されていないように、孫娘を探すための人間は、雷によって死んでしまった。
当主は妻も、息子も娘も、息子の妻も、娘の婿も、果ては、まだうら若い孫達さえも、雷に打たれて死なせてしまった。
原因の呪いを調べようにも、もう、最初の孫娘探しの時に、一族の秘伝の術を継承する者達は、雷に全て打たれて死んでいた。
秘密を漏らさぬ、口の固い外の人間に頼もうにも、外の人間はこの頃にはもう、己の、そして守りたいもののために、どれだけ金を積んでも頷かなくなっていた。
あらゆる、一族が動くために申し分ない、一族を支えていた者達が、絶えていた。
非常に不名誉な事実だった。影の世界で、一目置かれて居た一族の、凋落だった。もう、失う前の頃と同じ働きは、かなわない。継承されていた技術も、秘伝の術も、次の世代に残せない状態に陥っていた。口伝だったものなど特にそうだった。それを伝える者が絶えてしまった結果、二度と復活が叶わない物と化した。
この状況になったあたりで、金の帝国の皇帝が、色よい返事すら返ってこないものだから、しびれを切らして圧力をかけてきていた。
戦争などが起きてしまったら、青の国は地図から消え去る。今の金の国の皇帝が、激しい気性だというのは、有名な話で、気に食わない国など、簡単に滅ぼす苛烈さを持っていると、青の国の国王も十分に理解していた。
ゆえに、とても事態を重く見た。事情が事情だった。もう、主の手に負えないところまで、色々なものが進んでいた。
青の国の国王は、己の使う影の一族にも、孫娘探しを命じた。
だが。
それを命じられて実行した者達の結末を、関わらせてしまった者達の結末を知っていた国王の手のもの達は、頷かなかった。
「その孫娘を探す事を選びましたら、我らはすべて滅びます。そうしたら、陛下、貴方様をお守りできません。お守りできないのですから、そのご命令を受ける事は、いたしかねます。我らはあなたのご命令ならと常に頷いてきました。しかし、陛下、貴方様をお守りできなくなるというのに、そのお言葉を聞けというのは、あまりにも我らにとって、あまりにも」
ここに来て、王族の使う家系のどれもが、『己の一族のお仕えする方を唯一無二の主として守り敬い慈しむ』という考えであった現実が、裏目に出てしまった。
それが叶わなくなる命令など、と、己の主の命令でも、頷かなくなったのだ。
家系のどれもが、たとえ国が滅びても、己の主だけはお守りする事を選び行動する、という道を選ぶと、言い放った。
本当に、国家存亡の危機になりかけていた。国が滅びたら今までの生活など叶わない。金の帝国の皇帝は、逃げ隠れするであろう従わない貴族や王族を探し回り、見せしめに殺すだろう。
影が頷けないならば。表なら。
領地を持つ貴族は、金の帝国が攻めてきたらどれだけの戦になるか分かっているだろう。
己の領地を守るために、領民を守るために、そして己の利益を守るために、孫娘を探すに違いない。
青の国の国王は、恥を偲んで、貴族という貴族に、主の孫娘探しを頼んだ。……ほぼ懇願だったらしい。
しかし。
探せば絶対に雷に殺される。
苦肉の策で、一般の者達にも依頼をかけた事が、裏目に出た結果だった。その噂はあらゆる地域と階層に広まっており、貴族は誰もその頼みに頷かなかった。彼等は彼等で守らなければならない物が多くあり、そして……必ず死ぬ結末が、その守らなければならない物を、守れなくすると理解している者ばかりだったのだ。
攻められたならば恭順を。隷属に近くとも、命があれば。
そんな事を視野に入れる貴族が、多くなってきていた。
「何故だ」
当主はお仕えする主以外の何もかもを失った。あんな、汚らしい姿の、毛色の違う、それも不細工の象徴と言われる赤毛の孫娘を探すために。
主は必死だ。よくよくわかる。この状況で必死にならないわけがない。国家存亡。自分達のあらゆるものの危機。迫りくるそれら。
一族が滅んでも、主と主の愛する家族だけはなんとしても、と思っても、もう、それだけの力が一族には残されていない。
金の帝国が攻め入ってきたら、主は間違いなく殺される。主を守ろうとする一族の全てが虫けらのように殺される。主一人だけでも守り通す、それだけの力すらもう、当主の一族にはない。
奥方様は、金の皇帝のお血筋だ。だが、冷遇されるだろう。何故頼みを聞かなかったのだと不興を買う。蝶よ花よと育てられてきた、そしてあらゆる者達から敬われてきた気高い方に、それは死よりも残酷な行為となる。
姫様は。
もっと、悪い。
当主は己の考えに体が震えた。主の未来などでは、冷酷な体も震えるのだ。
姫様は、お美しい。限りない美しさだ。好色な皇帝は、娘がだめならと姫様に体を捧げるように求めるだろう。
そもそも皇帝は、帝国に飾られた、姫様のうら若き頃に祖父である皇帝が描かせた肖像画に、長らく焦がれていたから、娘を求めたという情報が入ってきていたのだ。
しかし姫様を妃にとして迎え入れられないのは、姫様がその尊い純潔を、あんな男に騙されて捧げてしまったからだ。
金の帝国の、妃と呼ばれる正式に迎え入れられる女性は、後継者の問題があるため、処女でなければならないという、絶対の規定がある。
子供を産んだ姫様は、どれだけ美しく可憐で女神のようであっても、血筋が正しくても、たとえ祖父が皇帝の身の上であっても、その規定の結果、妃としては扱われない。
妃ならば、後宮でも守られる部分がある。だが、妃ではない妾は、時に欲をつのらせた者達が、口に出すのも憚られる蛮行に及ぶのだ。
金の帝国の男達は、妃には絶対に手を出さない。だが妾の場合はお目溢しがあると知っている。妃の子供は妃の血がどんなに卑しくとも後継者の序列に加わる。とても低い序列でも。
だが妾の子供は序列に引っかかることなど永遠にない。言い方は非常に悪いが、金の帝国の妾は、皇帝の慰み者なのだ。
ゆえに、時に妾は蛮行に及ばれる。妾ならばと手を伸ばされる。
三十路に達した姫様はそれでも比例なき美しさだ。その美しさゆえに、蛮行を繰り返される可能性がとても高いのだ。
そしてその大切にするべきお体も、皇帝に妾だからと遊ばれる。
そういった結末は、当主の一族の全てにとって、己の死よりも、一族の崩壊よりも、絶望する中身なのだ。
「孫娘を見つけなければ」
それしかすべてを救う道が残されていない。
誰か居なかったか。人を探す方法を、この際、ぎりぎり修めている一族は。
残されているのは、子供と、体が生まれつき弱いもの。だめだ、どちらも長くなる可能性のある孫娘捜索には不適合だ。
当主はまだかろうじて生き残っている一族の名簿を睨んで考えた。
……いた。
たった一人。ぎりぎり条件に適合する一族の者が。
それは、忠誠心は足りない。頭も悪い。要領も悪い。機転もきかない。冷静さも足りない。身体能力、悪い。突出した能力、なし。
一族が呆れ果てる、必要のない情などしかない。
だが、残された人間の中で、たった一人、子供でもなく、生まれつき体が弱いわけでもない、二十代の男。
一族誰もが見下していた。馬鹿にして蔑んできた。そういう欠陥品とされた男。
当主が頭をしたたかに殴り、怒り狂う他の一族に叩きのめされて、逃げ出す足すら失った男。
生きているのは、使い道が未だある可能性があったから。子守くらいは、出来たから。
今が使い道だった。死んだとしても記憶にすら残らない欠陥品。
「孫娘を探してこい。見つかるまで戻ってくる事は許されない」
あの時殺さなかった恩を返すように。
命じると、欠陥品はあのしたたかに殴った夜の後からそらすようになった目を、下に向けて頷いた。
「わかりました」
逃げ出そうとしても、一度探す命令についたならば、雷はこの欠陥品も逃さない。
そう思って命じた。これが戻る事などありえない。今までの状況からそう判断したのだ。
もうこうなったら、主とともに滅びるのも、一族の運命なのかもしれない。
そして滅びの時まで、主とともにあるのが、我らの果たすべきお役目。
あの欠陥品は死ぬ。お荷物がなくなったと考える物が減った事を喜ぶべきだ。
そう思っていた。
当主は己の判断は何も間違っていないと考えた。
だが。
「孫娘の居場所は、この港町です」
命じた当主も、その欠陥品の欠陥具合を理解してくださっていた主も、欠陥品が戻ってきた事実を頭が受け付けなくなりながら、命じた直後とは比べ物にならないほど、まっすぐに、怯えもせず、臆しもせずに、生意気な位に瞳を主に向ける欠陥品の報告を聞いていた。
「旦那様」
一呼吸。大きく息を吸い込んで、意を決したように言われたその後の報告内容を聞き。
主は倒れ、自分は一礼し下がる欠陥品の。
奪ったはずの足が、何もなかったように動くのを、理解できずに見つめ続けていた。
夫のもとに来た奥方様が、主が倒れて、立ったまま気を失ったような状態の当主を見て、大きく悲鳴を上げ、屋敷は大騒ぎになってしまった。




