それはきっと永遠の
兄貴の葬式は、すぐにした。
なんでかって言われたら、兄貴を、誰にも奪われたくなかったからだ。
兄貴の、その、体。神を腹の中にしまい込んで、何年も誰も見つけられないほど、上手に隠して、そして、神の御子が穢してしまった神の力を、浄化するほどの頑強さで、どんな人間でもなし得ないかもしれない、人間を超えた奇跡を使いこなした、手の施しようもないほどの死を、覆す奇跡の癒しの力を、たぶん人や魔物ではないな”何か”から借り受けられるほどの、体。
それは、その事実を知ってしまった欲深い人間にとって、極めつけに珍品で、その魂が死の世界に渡り、自身ではその力を使えない肉の塊に成り果てていても、強烈に、欲しくなる、体だ。
どんな手段を使ったって。どんな残酷な方法を選んだって。人間の道徳や道理を無視したって。
欲しい人間にとっては、欲しい、と行動に移してしまうだろう、代物だ。
それを、私は、その力を奇跡を、繰り返し目の当たりにする他なかった人生だから、たぶん、誰よりも分かってしまっていた。
お医者様は、そんな奇跡を知らないから、死んだ兄貴の事を気にかけてくれていたから、こう、提案してくれた。
「めったに言わない事だけれども、私の力不足も大きい。だから、共同墓地の、一番安くて小さな土地の代金を、肩代わりしよう。お兄さんを、そこで、安らかに眠らせてあげよう。君も、お墓がある方が、楽だろう?」
お医者様と二人で、必死に、兄貴に気付かれないように、試したあらゆる治療方法。時に普通じゃ支払えなくなる金額。
兄貴が、私を兄だと信じ込んで疑いもしないから、必死に、家の中で出来る、体の負担には見えない色んな内職をしているのを隠して、なんとか、支払い続けた金額の総額を、お医者様は知っていた。
お医者様が、言わないでいたけれど、その総額だって、破格の安さだって、知っていた。それは砂漠で一時、ギルドの受付をしていたから、その治療に使う色んな薬の材料の、流通額を知っていたから。
お医者様が、兄貴を、助けたくて、助けてくれたくて、治療代をそうしてくれていたのを、知ってしまっていた。
そう、お医者様は私が本当にかつかつで、港町の結構貧しい人だって、ちょっと無理をして、月払いにすれば、数年かかるけれども支払える、共同墓地の一番狭くて安い土地の代金の、その、一括で支払う頭金すら、支払えない経済状況だって知っていたから、そう提案してくれたのだ。
お医者様の、兄貴への、最後に出来る事だったのだろう。何をしても救えなかった、救う事が出来なかった患者への。
泣きそうな顔のお医者様の善意は、裏表のないものだった。
それでも、私は、兄貴の体の貴重さを、大陸一かもしれない珍しさを知っていたから、たとえ荼毘に付して骨だけにしたって、共同墓地に、そこにいると分かる場所に、兄貴の体を一部でも埋めてしまったら。
欲望で、何をしてもいいと思っている人が、その手先が、墓を暴いて掘り起こして荒らして、兄貴を、兄貴だった体を、奪うって、想像がついた。
想像がついてしまった、だから、だから。
やっと、大好きで大好きで、なんだって出来るくらいに、会いたくて会いたくて、でも、この世の絶対の理である、生き物の死を覆せないから、神様と契約して、繭になったから、そちら側に行く事も出来なくて、させてもらえなくて。身を切るよりも何倍も、何十倍も苦しくて辛くてたまらなかっただろう、兄貴が、やっと、本当にようやく、それだけ求めて焦がれて願ったお兄さんの、水神の御子のもとに行けたのに、行く事が出来たのに。
そんな兄貴の悲願を、何にも考えない屑に、邪魔されるのを、絶対に絶対に許せなかったから。
兄貴が、ようやく、お兄さんのもとに追いつけたのに、声が、手が、届く場所に行けたのに。
その体が珍しいから、すごいから、奇跡を操れたから、神様すら浄化したから。
そんなくだらない理由で、兄貴に訪れた安らかな時間を、奪わせたくなかった。
頭は一瞬で回転した。色んなものを考えて想像して予想したのは本当に一瞬だった。
兄貴を、”僕のリアス”をどんなものにも、誰にも、もう、二度と、奪われたくない。
お母さんにだって。
……お母さんが、まだ、兄貴を愛してしまっているなら、年齢差の事すら、脇において、愛してしまっているなら。
兄貴が死んだと知った時に、兄貴の体を連れ去っていき、自分の手の届く場所に埋葬するだろう。
愛する人が死んでもそばに居てほしい。
そんな心はよく分かる。今の私だってそれがある。
でも、だめだった。
お母さん相手でも、連れて行かれるわけにはいかなかった。
そして、誰にも連れて行かれないで済む、そして誰も怪しいなんて思わない方法を、私は、お医者様が最初の頃に一応、と用意してくれた弔いの手続きの書類で、知っていた。
「いいえ、本当に、お金もないので、大丈夫です。それに」
お医者様すら、いいや、兄貴を一年診続けてきたお医者様だからこそ、納得する言葉を唱えた。
「兄貴の大好きな上のお兄さんは、どうしてかは教えてもらえませんでしたが、この、港町の近くの、沖で船が沈んでしまって、それで、死んだそうなんです。お医者様」
物わかりの良い、兄を思う、妹を演じた。
「あんなになっても、それでも、お兄さんの事が、お兄さんの事だけが、大好きな兄貴を、お兄さんの一番近い場所で、眠らせてあげましょうよ」
お医者様は目元を抑えた。抑えてそれから念押しした。
「君はそれで、いいのかい」
「はい。私は、兄貴の、お兄ちゃんだから」
この港町で、一番早く、そして、一番安く、手伝う人もいらないで行える葬式は、死者を何にも包まないで、重しの石だけくくりつけて、神様がいらっしゃると言われている、沖に船で乗せていき、沈めるという方法だった。
共同墓地の土地代が、分割で支払えるようになってからは、滅多に行われない方法で、でも、本当にお金がない人が、それでも死者を弔いたいと願って行う、葬式だった。
これなら、誰にも、疑われない。理由付けだって完璧だ。私の腹の中身を見られない全ての人が、納得する。
『治療代でかつかつの妹が、治療もむなしく死んでしまった兄を、それでも弔いたくて、そして、そこで亡くなってしまったかわいそうな上のお兄さんに、ずっと会いたがっていた兄を、上のお兄さんのいるところに眠らせてあげた』
兄貴の体を欲しがるであろう、強欲な連中は、多分それに地団駄を踏むだろうが、兄貴にもう手出しなどできなくなる。
私の行動を、表立って責める事だって出来ない。そういう連中は、自分の表面上の評判に瑕をつけたがらない。
兄貴の体の貴重さを、知らなかったのだろう妹が、精一杯行った弔いを、非難する事は、無理だ。
馬鹿だとか愚かだとかは言うかもしれないが、私の行動を理解は出来る。
”僕のリアス”は、誰にも奪わせない。
そういった計算があったから、葬式は、特急で行った。本当に辛くて辛くて悲しくて、死者のそばに居て大事な人の死を感じたくなくて、急いでしまう、そういう遺族もいると知っている業者は、格安で行う代わりに、弔いに使う道具の一切を使わないでいいなら、と提案してくれた。
すぐに出来るならなんだって。
「お金が、用立てられなくて」
うつむくと、そうなんだね、と理解された。
兄貴を沈める沖まで一緒に行く間、ずっと手を握った。握り返される事は永遠にない。あの温かな体温だってない。力強さもやせ衰えた手では感じられない。
だとしても、兄貴の、”僕のリアス”の手だから。
兄貴がきっと望むだろうと、あの白い石の指輪を、左手の薬指にはめてあげた。肉のそげた兄貴の指には、どの指でもぶかぶかだった。私に渡す方は、ぴったりだったのに。
自分の指の大きさも、わからなかったんだろうな。
「妹さん、それは」
「兄貴の遺した、内緒の誕生日のお祝いだったんです。どこにつけても、いいじゃないですか」
しょうもない兄貴。この大きさじゃあ、人差し指にも中指にも、小指にも、もちろん、親指にも、入らないんですよ。だから。
「……女の子の、とくに妹の指の太さがわかる男は、あんまり居ないからねえ」
業者は訝る調子で聞いてきたけれど、そうかもしれないな、と呟いてくれた。嫌悪の色は、なかった。
それは、遺族が、死者の最後の贈り物を、どういう方法でも身につけたいと思う話を、知っているからだろう。
私は何も嘘はついていない。
本当は、兄貴が、大好きな兄ちゃんを、永遠に守ると誓うために用意した、お兄ちゃんへの誕生日の贈り物だったなんてのは、業者に言う事でもない。こっちの事情を、聞くつもりもないだろうから。
知らせなくても、教えなくてもいい事だ。
兄貴の体に重しがくくりつけられる。海辺でよく採れるありふれた石を、くくりつけやすい形に削っただけの大きな石。
「見ていて平気かい」
「平気じゃ、なくても。最後まで、兄貴を、見守りたいんです」
重しがくくりつけられていく過程で、錯乱する人もいるという。本当に、二度と、会えなくなるから。
やめて、つれていかないで、おねがい、と泣きわめく人もいると。
私は喉から出てきそうな言葉を全て、力いっぱい食いしばる歯で封じ込めて、そして、兄貴がお兄さんのところに沈められる。
その時だった。
「あれは、死肉を食らう鮫だ!」
「おいおい、滅多にここまで泳いでこないのに」
「あれだ、最近海流がちょっと変わった日があっただろう。今日もそうじゃないか」
わらわらと。兄貴の体が海の中に沈み切るその前に。
たくさんの、中型の鮫が泳いできて、そして。
「っ」
兄貴の体に、食らいついた。
「お嬢ちゃん、見るな!! 見るんじゃない、背中を向けろ!!」
「目を隠せ!!」
業者が一斉に叫ぶ。怒鳴る。指一本も動かさないで、餓えたのだろう鮫が、兄貴の体を食いちぎって噛みちぎってぼろぼろにしていって、ついには骨の一欠片も残さず食い尽くすのを、見ていた。
兄貴の、その、腸の中身だって、内臓だって、脳髄だって、私は見てしまった。
普通なら正気ではいられない。間違いなく。海に沈めたら海の生き物に食べられる事は誰だって納得するだろうけれども、目の前でそれを、それも愛する人を行われてしまったら、正気で居続けられる人間はそうそう居ない。
それなのに、私は、私は。
「あはは……あははははは!!! あはははは!!!」
笑った。笑い声が、出てきた。
兄貴の大事な、兄貴が信じる、兄貴が敬う、兄貴が裏切ったりしなかった、兄貴の神様が、”僕のリアス”に、最後の最後の、特別な温情をくださった。
そう、何故か、思った。
……感謝、してしまった。
これは業者も見た。海をどんなに探したとしたって、骨の一欠片すら残されないほどきれいに食べられた兄貴の体は、永遠に誰も見つけ出せない。
”僕のリアス”は、海の何処かに今も沈んでいるだろう、お兄さんと同じ場所で、眠れる。
なのに、立ち続けた体が、膝をつく。座り込んで、動けない。
「あはははははははは!!!」
「かわいそうに」
「あんなものを見てしまうなんて」
業者がそう、言っていた。




