衝撃は立て続けに
兄貴、と私が叫んだ時。兄貴はよう、と気楽そうに片手を上げた。こんな状況でも、こんな場面でも、兄貴の何もかもが変わらなさ過ぎて逆に驚きたくなる。
兄貴の心臓は鋼鉄製だと常々思っていたけれども、真面目にそんな気がしてくる。
「兄貴、何してんのこんなところで!」
駆け寄って問いかけると、兄貴の方が私を見下ろしてすぐに、俺は怒りましたって顔になった。
「何だその怪我! おい、背中向けろ、すぐにくっつけてやる。ああ、ああ、お前の背中にそんな刀傷つけて! これから盛の女が何やってんだよ」
「……」
説教をする兄貴は時々ある事で、でも大体お前が言うのか、という中身が多かった。早く寝ろだの、不摂生な生活するなだの、背伸びもほどほどにしろだの、そういうの。
でもこれはそれらと違っていて、だから私は大人しく背中を向けた。兄貴はこんなごつごつのなりをしているのに、繊細な回復魔法が使えるのだ。
それも、瀕死の人すら救う事も可能なほどの強力な、時代が時代だったら神様みたいに崇め奉られていたんじゃないかってくらいの力がある。
しかし兄貴はそれを商売にする意思がさらさらない。
前に家賃の払い忘れをした時に、手持ちがねえとぼやいていた時に、聞いた事が一回だけある。
「それ使ったら、お金に困らないんじゃないの? それはすごい力で、お金いっぱい手に入るよ」
子供が当たり前に聞きたくなったから問いかけたその言葉に、兄貴は大笑いをした。
「これはな、そういうのに使いませんって約束して、借りてんだ。借り物だから、とびきり丁寧に、大事に使わなくちゃな」
借り物の力。回復魔法に借り物も借りていない物もあるのかと、私はその後神殿の大図書館でたくさん調べたけれども、魔法のそれなりの専門書みたいな古い本にすら、そんな記述はどこにもなかった。
煙に巻かれたか、兄貴が兄貴の絶対不可侵の考えの中で、その超絶な力になりうる回復魔法を、お金のために使わないと決めたのを、子供が理解できないと勝手に思い込んでそう言ったんだな、と思う事にしてもう長い。
その力を、兄貴は使うと言っている。
そういうのはいいらしい。
兄貴の考えの中で使っていい物差しに当てはまったならそれでいいだろう。私は背中を向けた。
兄貴が背中に遠慮なく触れる。兄貴の魔法は温かいとされている回復魔法の普通と違い、とっても冷たい。冷たくて冷え冷えしていて、凍えそうだと使われた人の誰もが言う。
でも、使われた人達は絶対に助かるのだ。
その魔法が背中で私を若干凍えさせながらも、傷をくっつけてくれる。
「片耳どうしたぁ」
背中の怪我はもう大丈夫、よし、と思った矢先だ。兄貴がその、人様よりも大きな手で私の頭をひっつかみ、ぐいと傾けてそんな事を言った。
「どうしたら片耳引きちぎれんだよ。ったく、片耳どこに置き忘れた。兄ちゃん、そういうのくっつけるのには取れちまったのがねえとくっつけられねえし、おい皮膚完全に再生してんじゃねえか。これじゃあこの兄貴も、耳をつけられねえよ」
兄貴はそう言って機嫌が更に悪くなりましたって顔になった。この、表情のとても豊かな兄貴を見ていると、とても安心する。
兄貴がいるから大丈夫、と思うのは今までの刷り込みの結果だって分かっているけれども、安心できるのだからいいのだ。
だが。
「綺羅星。お前は本当に口を開くととんでもなくうるさいのう」
「荒野のジジイが何か言ってらあ」
「この口め。まったくこれだから水の神は趣味が変わっておられると荒野の御方が言うのだ。……にしてもおじょうちゃんは綺羅星の大事なのか」
老爺が私達のやり取りを聞いて、近付いてきてそんな事を聞いてきた。兄貴がとびきりだと言わんばかりの顔でにんまり笑って、私を抱え込んで言う。
「ジジイにはよこさねえ。こいつは俺様のとびっきりだ」
「兄貴、シスコンすぎるってたまに弟分さん達が言うのに、それ改善の気配ないよね」
「改善の気配がなくて結構だ! お前は可愛い俺の大事な人間なんだよ」
兄貴が何が悪いんだという調子で吠えるように言った、その時だ。
「そちらの方。お伺いをしても許されるのだろうか」
青の国の王様が、青白くなるほど緊張していますって顔で声をかけてきたのだ。
「あ? 俺ごときの身の上に、王様みてえななりの御仁が何を聞くんだ。聞いて面白い話の持ち合わせねえぞ」
兄貴はいつも通りの調子で、私を若干王様の目から隠すような素振りで言う。王様が相手でも、兄貴の偉そうな態度は変わらないらしい。
まあ、私が嫌われちゃった大事な王様相手にも、兄貴の態度は変わらないのだから、あの人より迫力のない相手に対して、圧される事なんてないって事かしれない。
その王様が、口を開く。
「あなたは、青の国が長年抱えてきた、滅ぼす事も支配する事もままならなかった、八百年前に造られたという人造の神を」
殺しなすったのか。
そう問いかけてきた王様の声は引きつって震えていた。そんな行為ができる相手なんて、人間じゃないと言わんばかりに。
兄貴はその声にも視線にも無頓着な調子で答えた。
「人間が作ったもんだぜ、神殺しにもなりゃしねえ。人間が作ったわけだから、祟られるわけもねえのを壊すのに、何が怖いんだ?」
「我々は長く滅ぼす事も出来ず、怒りをなだめる贄を捧げる他なかったというのに」
「はあ? この国の奴らは神様を信じねえのに神様もどきを作って、制御もできねえで怖がってってしたのか。ばっかじゃねえの。これだから神様ってのをちゃんと信じねえ連中はクソ野郎が揃うんだ」
兄貴は、兄貴の信じているという神様をとてもとても大事にしている。重んじて、敬愛して、尊敬して、信じている。
この発言はそれ故に言うのだ。兄貴はとっても呆れているのだ。
神殺しの大罪もないのに。祟られもしないのに。作ったはいいものの止められないで怖がって、問題を先延ばしにした青の国の権力者を。
それが抱えられた腕に少し入った力から伝わる気がした。
兄貴は、神様っていうのを信じないだけなら不愉快にも思わない。そういう考えのやつもいるよな、で終わらせる。
でも、信じないなりに道理を通せとは思うと前に言っていた。
信じねえなら祟りなんて考えるな。信じねえなら怖がるな。本当に信じないってのはそういう事だからな。
兄貴は、信じる道理と、信じない道理に対して、真っ直ぐな考えが一本貫かれている性格なのだ。
そんな兄貴の言葉に、王様が口を閉ざして下を向いた。返す言葉もないらしい。
「…アイーダ。行くぞ。お前がそんなぼろ着て刀傷つくって、ろくな事が砂漠で起きたわけじゃねえのは伝わった。だからどっか別の土地行くぞ」
「待って!!」
兄貴は私の状態をちゃんと見ていないわけではなかったらしい。次代の大神官が身にまとうわけもないぼろぼろの服を着て、片耳を失って、背中に刀傷ができている今、砂漠で私に関してよからぬ何かがあったと察してくれたのだ。
それゆえ別の土地に行く、とあっけらかんというのは、兄貴がそもそも根無し草よろしく動き回るからだろう。
兄貴には腰を据えての拠点がほとんどなかったらしいから。
そんな兄貴が、話は終わったのだという調子で私の肩を抱えて、大聖堂を出ていこうとする。
いろんな人達が、今しがたのすごい揺れで考えがまとまっていないからこそ、兄貴が好き勝手するのを呆然と見ているのか。
それとも王侯貴族は、人造の神様の秘密を知っていて、それを簡単に倒したらしい兄貴に、手出しするのが怖いのか。
ちょっと考えた矢先だった。
一人の女声の悲鳴のような声が兄貴の背中に投げられたのだ。
「あ? 誰だよ」
兄貴が、うるさそうに振り返る。私も、振り返った。
あの、えれー美人の花嫁さんが、体を小刻みに震わせて、感情の振り切れましたって顔で、言った。
「行かないで、リアス! アイーダ! お願い、もう一人にしないで!!」
リアス? 人の名前だ。でもリアスって言うのは誰だろう。誰からも聞いた事のないその名前を、兄貴は知っているのだろうか。
私は兄貴の大きな体を見上げて、見上げて、固まった。
兄貴の、普段の騒ぎとかとんでもない異常事態でも、固まらない表情が固まっていたのだ。
三白眼で目付きが悪い、と言われがちな瞳が極限まで見開かれて、兄貴の特筆するべき特徴である、漂白した純銀のように光という光を反射する、銀の目が見開かれて。
花嫁さんを見て、一度、その目が瞬いた。
「なんで、お前がおぼえてんだ」
兄貴が、らしくないとても小さなかすれた声でそう言った。
花嫁さんがその間に走り寄ってくる。重たいであろう花嫁衣装。金糸銀糸が大量に刺繍されていて、相当な重量だろう宝石飾りがついていて、彼女の頭からつま先から更にその先まで覆うとんでもない精緻なレースのヴェールに足を取られそうになりながら。
彼女はひたむきに走ってきた。
……いろんな事が立て続けに起きていて、考えがまとまりそうにない。だがこういう時こそ理論的に考えなければ。
私はこれまでの状況から発言を考えた。
銀髪の紫の瞳のえれー美人さんは、私を大事なアイーダと呼んだ。私を知っているらしい。
この美人さんの娘が、失踪したらしい。
失踪した娘と再会させる事をたてに結婚を迫られて承諾したらしい。
その美人さんが、大事なアイーダと私を呼んだ。この状況だと、娘に対しての呼びかけに近い。
この美人さんは、私を失踪した娘だと勘違いしている可能性が高い。
でも。
私は固まってしまった兄貴を眺めた。美人さんが重たい衣装でもやっと胸にすがれるほど近付けて、兄貴の胸にすがって泣いている。
兄貴は。それを、振り払わない。呆然と、銀の目が美人さんを見下ろしている。
いつも、違ったら即座に大声で否定して喚いて怒る兄貴が、美人さんの呼びかけた名前を、違うと言わない。
つまりは。
兄貴には、リアスという別名だった時期があったという事だ。
「お願い、お願い、二人とも、もう、私の前から居なくならないで。リアス、死んだと思っていたあなたが、また消えないで」
美人さんは泣いている。感情が完全に振り切れきった涙声だ。
子供がお願いをするように泣いている。
その美人さんを、兄貴が違うと振り払わない。
「神様」
兄貴がかすれきった声で言う。
「すべてから、俺は失われたのではなかったのですか。それが」
あなたの御子を殺した俺が、妻と子供を生き延びさせるための対価ではなかったのですか。
どうして、妻が、俺の名前を覚えているのですか。
俺の神様。お答えください。
兄貴はとても混乱している調子で、かすれた声で、兄貴が普段絶対に言わないとても丁寧な口調でつぶやく。
その時だった。
「ぐ」
兄貴が突然膝をついた。そして驚く美人さんと、私の目の前で、兄貴は。
穢れの欠片もないような、とても大きな、少し蛇にも似た、魔物とは桁も格も違うであろう何かを、吐き出した。
兄貴の体の中に居たとは、とても思えないほどの、大聖堂を埋め尽くさんばかりの巨体の何かを。




