牢獄
目が覚めた。覚めて死んでいない自分に気づいて驚いた。
あんなに血を吐いたのに、私生きてるんだ……誰かが気づいてすぐに応急処置とかをしてくれたのかな。
そんな事を思って起き上がった私は、周りの異常性に気付いた。
「え」
「おや新入りさん、あんたもこのまま目覚めなければよかったのになあ」
周りの誰もが濁った瞳で座り込み、膝を抱えてブツブツうめいたりしている。
その誰もの衣装がぼろぼろに擦り切れていて、いつかの遠い昔に私が孤児院から着ていた衣装よりもひどい有様だ。
「ここはどこ? 私に何が」
「ここは生贄を閉じ込めておくための牢獄さ。生贄なんて前時代的だなと思ってたんだが、自分の身の上になると本当なのだと絶句したくなる」
そう喋っているのは、瞳の濁った老爺だった。見えない分悲惨さがないのかもしれないが、答えになってない。
「生贄って何に対しての。というかこんなに何人もの人をどうやって集めてきたの」
「ここにいるのは大河を不正に渡る船が沈んで、青の国のあたりで拾い集められた人間たちさ。素性もないような奴らで、だから生贄にしてもどことも揉めない」
「私船に乗った記憶ないんだけど」
頭が痛む。自分の状況が一層わからなくて、髪の毛を耳にかけようとして、そこがすかっと空振りをしたから何が起きているのか余計にわからなくなった。
「え、え、え?」
私は片耳のあった場所を何度も触った。ない。なんかえぐられたみたいな引き攣れた皮膚と穴がある。耳の穴だとはわかる。何がどうして。
「どうしたんだい」
「耳がない」
「ああ、あんた、いい服を着ていたし、色々飾り物を仰々しくつけていて、金になるって奴らが言っていたな。どうせ違法に船に乗るくらいだから誰も探さないだろうって、身ぐるみ剥がされてたっけな。確か耳の飾りの一部がうまく取れないから、と耳を削ぐ話が出ていた」
「え、両耳!? あ、片方はあった」
慌てて片方の耳も確認すると、ちゃんと耳があった。削られたのは片方だけらしい、良かった。いや、良くない。
「あんたもしかしたら、連れさらわれた良いところのお嬢ちゃんだったのかもな。でもそんなのももうわからない。皆生贄にされて死ぬんだからな」
からからと楽天的な盲目の老爺の笑い声が、他の人達の異常な状態と違いすぎて変だ。このおじいさんかなり頭のネジ吹っ飛んでる気がする。
「さっきから生贄生贄って何に対しての生贄なの」
「青の国の地下にいる怪物に与える餌って聞いてるな。……とんでもない怪物だって話だ」
私はそれを聞いて理由がわからなくなった。だって冷静に考えればそうだろう。
「どうして生贄になる人間にその話が流れてくるわけ? そんなのを聞いたら怖くて逃げ出そうとするじゃない」
「あっはっは」
老人は乾いた笑い声を上げて笑った。何もかもを諦めてしまったような声で、でも確かに笑ったのだ。
「そうさな、普通はそう思うかもしれない。だがな。この青の国の怪物は、悲嘆に暮れる人間の魂を殊の外貪るらしくてな」
「それ、おじいさんが生き残っている事と関係があったりする?」
「声の印象よりも察しの良いお嬢ちゃんだな。そうさ。わしはその怪物の姿が見えないものだから、ずっと食われないままなのさ」
「……ふうん」
つまりこの老爺は長い間その怪物に近付いたけれども、生き残り続けた運命だったというわけなのか。
だがそれは本当だろうか。このひとがなにか大事なことを隠している可能性も否定できない。
王様から邪魔者扱いされた私にとって、誰も彼もをすぐに信じることはとても出来ない真似事だ。
バロはべつだ。バロは信じられる。あの兄貴は私が毒殺されたなんて聞いたらどういう選択肢を選ぶんだろう。
……死んだと思ってちょっとくらいは泣いてくれるだろうか。あの感情の起伏の激しい男は、妹分のために一滴くらいは涙を流してくれるだろうか。
それとも殺した王様に怒り狂って大暴れするんだろうか。もうわからない。
「お前達、食事だ」
老爺との会話をしていて、考え事をしていた時、不意に牢獄の鉄格子が開いて、そこからカンテラ一つ分の明かりとともに食事なのだろう皿に置かれたパンであろうものがよこされた。
「ねえ、私達このまま理由のわからないものに食われて死ぬの」
兵士に慎重に問いかけた。持ってきた兵士は一人だけ。
「そうなるな。あれは人間が大好物なんだ。お嬢ちゃんみたいな気の強いのよりも、嘆き悲しむののほうがお好みだがな」
「……へえ、面白いこと聞いた」
私の行動は早かった。意外なほど無防備に食事を床においた兵士が、鉄格子の向こうに出ていこうと背中を向けた瞬間に。
がつん、と。
私はパンを乗せていた皿が金属製だったのをいいことに、容赦なくそれを相手の後頭部に振り下ろしたのだ。
それも平たくないところで遠慮なく。
結構いい音がして、兵士が何が起きたのかわからない状態でばたりと倒れて痙攣する。
「私さあ、善人もお優しい女の子も今やめる事にしたの。自分が生き残るのを一番に考えるバロみたいな女になる事にしたの。……生き延びてやろうじゃないか」
「お、おじょうちゃん!?」
「一応中にいる人達にも言っておく! 死にたいやつだけここで食われるために生きていやがれ! 私は生き延びるためにここを出る! 抗う未来に興味があるやつは動け!」
私は怒鳴り、床に落ちたパンを引っ掴んで口に放り込み、咀嚼しながら兵士の服の中の鍵を拝借して、兵士の持っていたそこそこ短い剣を掴み、兵士を牢獄の中にぶん投げてカンテラを引っ掴んだ。
「おじょうちゃん! わしも連れて行ってくれ!」
「分かった!」
私の咆哮に何かを思ったらしい先程の老爺が立ち上がる。カンテラで見えた、盲目の瞳の中に、炎のような生きるための心が見えた気がした私は、彼の手を掴み、走り出した。
牢の鉄格子の中にいる他の人達の選択肢なんてものに気をかけるのは出来ない。時間が許さない。私は生き延びるんだ、そのためにここを脱出する必要があるのだ。
私は老爺の手を掴んだまま走る。彼は意外と体力が残っていたみたいで、走り続けている。
「牢獄から怪物のところに行く経路は覚えている。その途中に外の回廊に出るのを空気の匂いで感じていた」
「それってどっち!」
「こっちだ!」
「分かった、右、左、右右」
「おじょうちゃん、道がわかるのか!?」
「外の空気の匂いがわかる!」
「おじょうちゃんは……一体何なんだ……普通そんなものを感じられるようには」
「とんでもない兄貴を持っていると結構変な特技も身につくだけ!」
どこかに閉じ込められた時、空気の確保ができるかどうかを判断しろ、という謎の言葉により鍛えられた特技だ。それにより私は外の空気がどこから流れているかわかるのだ。
「おじいちゃん、私の事信じて!」
「信じるさ!」
走って走って走って、ついにたどり着いたのは。
「おじいちゃん静かにして」
「どうした」
「牢獄への出入り口だ。兵士がたくさんいる」
「女の子と爺さんじゃ勝ち目がないな」
「うーん、おじいちゃんが重くなければいける」
「は?」
「おじいちゃん耳が鋭いでしょ、しっかり耳塞いで。この狭くて閉塞した空間だから、私相手を結構無力化できる」
「そんな方法がどこに」
「おじいちゃん信じて」
「いいじゃないか、あんたからはさっきから希望の炎の匂いがする」
おじいちゃんが耳をしっかり塞いでくれる。私は老爺をそこに残して、ぱっと通路に出た。
「な、何だお前は!」
兵士達が動揺したように叫ぶ。私は大きく息を吸い込んだ。そして。
「あああああああああ!!!!!! あああああああああああ!!!!!」
こんな狭い場所で出していい声量じゃない声で吠えた。




