第七話 走り続けろ!エンゼ・スラッシュ!
エンゼには一般人をエンゼ側がスカウトするパターンが存在する。最近ではあまり聞かないが数年前はかなり行なわれていた。ほとんどは見かけ倒しで終わるが時にとんでもない天才を発掘することもある。その例がエンゼ・スラッシュだ。主に北海道で活躍する彼女は音速レベルの抜刀術でデモネを一瞬で斬り捨て異次元のフットワークで縦横無尽に街を駆け巡る。これから書くのは彼女がエンゼになるまでの経緯である。
北海道某所。雪が人の腰ほどにまで降り積もる山の中に一軒の大きな屋敷があった。屋敷の表札には「天乃川ヶ原」と書かれており屋敷から醸し出される独特の厳粛な雰囲気は北海道でもよく知られている有名な場所だった。そんな屋敷の中庭で身も凍える寒さの中、ひたすらに真剣を振り続ける人物がいた。振り下ろされる真剣は舞い落ちる雪の結晶を真っ二つに切り裂く。3時間の素振りを終えて刀を拭き鞘に納めると屋敷の中に入り髪についた雪をはらい部屋着に着替えると自室へ向かった。彼女の名前は「天乃川ヶ原・アナスタシア・蛍丸」といい、由緒正しき流派である「天乃川ヶ原流」の次期正当継承者候補である。「天乃川ヶ原流」とは関ヶ原の戦いにて小早川に実力を認められ明治には北海道に「天乃川ヶ原流道場」を設立した。さらに第二次世界大戦では北海道に襲来した5000人の兵隊を全て日本刀で薙ぎ払い北海道の地を守った。しかし時代が進むにつれ日本の武道はどんどん廃れていき門下生も年々減少してしまっていた。今では蛍丸以外の継承者候補はいない。蛍丸は明日17歳になる。そして明日正式に継承者となるのだ。障子を開けると部屋の中には静寂だけが満ちていた。外では吹雪が唸りを上げているにもかかわらずこの屋敷の中だけは時間が止まっているようだった。蛍丸は濡れた髪を手拭いで軽く拭きながら床の間に立て掛けられた一本の刀へ視線を向ける。「天星」天乃川ヶ原流当主にのみ受け継がれる古刀であり、数百年もの間一度も折れたことがないどころか錆一つつかないとされる異質な刀だった。刀身には星空のような波紋が浮かび光の加減によって蒼く煌めく。「……明日か」蛍丸は静かに呟く。継承の儀は一生に一度しかない。正式な継承者となった瞬間から、天乃川ヶ原の名を背負い流派の全責任を負うことになる。逃げることも捨てることも許されない。コンコンと控えめな音が響いた。「入れ」障子が開き白髪混じりの老人が姿を現す。現当主「天乃川ヶ原玄十郎」蛍丸の祖父であり北海道に現存する最後の剣豪とも呼ばれる男だった。「鍛錬は終わったか」「ええ」「……手を見せろ」蛍丸が差し出した両手を見て玄十郎は目を細める。指先は凍傷寸前まで赤く腫れそれでも皮膚は硬く鍛え上げられていた。「悪くない…じゃがお主は剣士であると共に女性じゃ。この美しい手を大事にするんじゃぞ」短い言葉だった。しかし蛍丸にとってそれは何よりも重い評価だった。玄十郎は静かに障子を閉める。「明日の継承の儀だが……予定を変更する」「……変更?」「本来なら儀式だけで済ませるつもりだった。だが奴らが動いた」「まさか……」「北の山中で結界が破られた。封じていたものが消えている」玄十郎は低い声で続ける。「天乃川ヶ原流が代々斬り伏せ封印してきた鬼だ」吹雪が窓を激しく叩いた。まるで何かが屋敷を睨みつけているような不気味な風の音。蛍丸は無言で立ち上がると床の間の「天星」に手を伸ばした。だがその直前玄十郎は鋭く怒鳴る。「まだ触れるな」玄十郎の声が飛ぶ。「その刀は継承の儀を終えるまで抜いてはならん」「ですが鬼が出たなら…」「だからこそだ」玄十郎は蛍丸を真っ直ぐ見据えた。「お前はまだ未完成だ」その言葉に蛍丸の拳が小さく握られる。幼い頃から誰よりも鍛錬してきた。雪の日も熱を出した日も血反吐を吐いた日ですら刀を振り続けた。それでもなお未完成。玄十郎は背を向ける。「今夜は休め。明日お前は継承者になる。そして…」老人の視線が窓の外、吹雪の夜へ向いた。「天乃川ヶ原流最後の剣士として戦うことになる」障子が閉まる。部屋に残された蛍丸は静かに刀を見つめた。すると次の瞬間。屋敷のどこか遠くで金属同士が激突したような轟音が響き渡った。屋敷全体がわずかに震えた。蛍丸は反射的に立ち上がる。次の瞬間には部屋の隅に置いてあった脇差を掴み障子を勢いよく開け放っていた。廊下は静まり返っている。だが空気がおかしい。肌にまとわりつくような重圧。まるで屋敷そのものが息を潜めているようだった。「……結界か」天乃川ヶ原流の屋敷には代々張り巡らされた退魔結界が存在する。常人には見えないが異形が近づけば独特の圧迫感として現れる。そして今その結界が軋んでいた。再び音がした方向は中庭だった。蛍丸は迷わず走る。冷え切った木廊下を駆け抜け襖を開け放ちそのまま雪降る庭へ飛び出した。吹雪が視界を白に染める。だがその中央にそれはいた。二メートルを超える巨体。全身を黒い毛に覆われ額から湾曲した二本角が伸びている。口元からは獣のような牙が覗き赤黒い息が白い空気に混ざっていた。鬼。現代では「デモネ」とも呼ばれているらしい。そしてその鬼の前には一本の刀を構える玄十郎の姿があった。「下がれ蛍丸!!」怒号が飛ぶ。直後鬼が地面を砕きながら突進した。速い。巨体とは思えない速度だった。玄十郎は最小限の動きで迎え撃つ。恐ろしく速い抜刀をすると鬼の右腕が宙を舞った。しかし切断されたはずの腕が黒い煙を上げながら再生していく。蛍丸の表情が変わる。「再生……!?」「封印級だ!! ここ数十年の雑魚とは格が違う!!」鬼が咆哮を上げる。空気が震え積もった雪が爆発するように吹き飛んだ。その衝撃で蛍丸の身体が数歩下がる。強い。本能が警鐘を鳴らしていた。だが同時に胸の奥が熱を帯びる。恐怖ではなく剣士として強敵を前にした時にだけ湧き上がる感覚だった。鬼は玄十郎ではなく蛍丸を見た。赤い瞳が細く歪む。「……ミツケタ」低く濁った声で鬼が笑った。「ホタルマル」蛍丸の背筋に冷たいものが走る。「なぜ名前を知っている…!」鬼の姿が消える。「――っ!」反応した時には遅かった。鬼は既に蛍丸の目の前にいた。巨大な腕が振り下ろされる。蛍丸は脇差で受けるが凄まじい衝撃。「がっ……!!」身体ごと吹き飛ばされ雪の上を転がる。肺の空気が強制的に吐き出された。脇差の刀身には亀裂。一撃で半壊していた。鬼がゆっくり近づいてくる。雪を踏み潰すたび大地が軋む。「マダ、ヨワイ」鬼が口を裂く。「ソレデ、アノオカタト、オナジメヲシテイル」その言葉に玄十郎の顔色が変わった。「貴様……どこでその名を――」鬼は答えない。代わりにその身体から黒い瘴気が吹き荒れた。吹雪が逆巻きそして鬼の背後にぼんやりと巨大な何かの影が浮かび上がった。人ではないだが鬼ですらない。まるで夜そのものが形を持ったような異様な存在感。蛍丸は息を呑む。屋敷の奥の床の間に置かれていたはずの「天星」が独りでに鈍い蒼光を放ち始めた。「……天星が反応している?」蛍丸は雪の中でゆっくり立ち上がる。胸の奥が妙に熱い。まるで刀が自分を呼んでいるようだった。玄十郎も異変に気づいていた。「まさか……天星自ら継承者を選ぼうとしているのか……?」鬼は瘴気を撒き散らしながら笑う。「ホシノカタナ……マダ、ネムッテイル」次の瞬間、鬼が再び地面を砕き突進した。速い。先程よりさらに速い。玄十郎が迎え撃つが鬼は途中で軌道を変え一直線に蛍丸へ迫る。「しまっ――」巨大な拳が振り下ろされる。蛍丸は咄嗟に後ろへ飛ぶが避けきれない。衝撃が走り雪と土が爆発する。蛍丸の身体が吹き飛び屋敷の柱へ激突した。「かはっ……!!」肺から血が混じった息が漏れる。立てない。腕が痺れ視界が揺れる。鬼はゆっくり近づきながら口を歪めた。「ミカンセイ」その言葉が胸に突き刺さる。鬼ですら自分を未完成と呼ぶ。悔しさで歯が軋む。蛍丸は震える足で立ち上がり屋敷へ視線を向けた。そこには蒼く光る天星。抜かなければ。そう本能が叫んでいた。蛍丸は雪を踏み締め走り出す。鬼は追うが玄十郎が間へ入る。しかし鬼の一撃で弾き飛ばされた。「玄十郎様!?」老人の身体が庭石を砕きながら転がる。蛍丸は屋敷へ飛び込み床の間へ駆け寄った。そして天星の柄を握る。その瞬間凄まじい冷気が全身を貫いた。「――っ!?」抜けない。まるで刀そのものが拒絶している。蛍丸は歯を食いしばる。「抜け……!!」動かない。背後で轟音がなり鬼が屋敷の壁を突き破って侵入してきた。木材が吹き飛び吹雪が室内へ雪崩れ込む。鬼の赤い瞳が蛍丸を捉える。「ヤハリ……マダダ」巨大な腕が振り上がる。避けられない。玄十郎も間に合わない。もうダメだと諦めた時、屋敷の天井を突き破り何かが鬼へ直撃した。凄まじい衝撃で鬼の巨体が吹き飛ぶ。床板が軋み雪煙が舞う。「……なに?」蛍丸が目を見開く。煙の中から現れたのは一人の少女だった。白銀色のショートヘア。黒と蒼を基調とした戦闘服。銀色に輝く巨大な機械槍であるエンゼル・スピアーを肩に担ぎながら倒れた鬼を睨みつける。「まったく……北海道支部の結界反応見て来てみれば封印級デモネじゃん」彼女はゆっくり蛍丸へ視線を向けた。金色の瞳が細まる。「君、天乃川ヶ原家の子?」蛍丸は息を呑む。噂には聞いていたがこれがエンゼ。それもただのエンゼではない。少女の周囲には吹雪すら避けるほど濃密な力が渦巻いていた。鬼が瓦礫を吹き飛ばしながら立ち上がる。だが少女は一歩も引かない。むしろ笑った。「いいね。久々に骨ある相手」彼女は槍を回転させ床へ叩きつける。蒼い雷光が屋敷中を走った。「エンゼ協会特務第六席『エンゼ・ヴァルキリー』そのデモネ…ここで処理いたします!」そう言うとブーツについている羽が展開し蒼い閃光の残像が稲妻の如く駆け巡ると巨大な鬼は屋敷外の雪原に投げ飛ばされた。「グオオ!」鬼が空中を舞っている隙を逃さずスピアーで薙ぎ払い雪原に叩きつけると高速のラッシュを叩き込み鬼の身体を串刺しにしあっという間に討伐してしまった。吹雪の雪原に静寂が落ちた。先程まで暴れていた封印級デモネは胸を巨大な槍で貫かれたまま動かない。黒い肉体は灰のように崩れ始め瘴気となって空へ溶けていく。蛍丸はただ呆然と立ち尽くしていた。次元が違った。自分が一撃すら耐えきれなかった相手をあの少女はほんの数秒で圧倒したのだ。銀槍を肩に担いだ少女――ヴァルキリーは、軽く息を吐く。「……うん。討伐完了っと」彼女は槍をくるりと回転させると機械音を響かせながら背部ユニットへ収納した。すると右耳のエンゼル・リングが淡く点滅する。『こちら北海道支部管制室。対象デモネ反応の完全消失を確認。ヴァルキリー、応答してください』「はいはい、聞こえてるって」彼女は少し面倒そうに返事をする。『周辺被害は?』「屋敷半壊。結界損傷大。でも人的被害は……」ヴァルキリーは後ろを振り返る。雪の中、蛍丸が肩で息をしていた。玄十郎も血を流しながら立ち上がっている。「ギリ生存」『了解。なお対象は封印級に分類されます。単独発生は極めて異常――』通信がそこで途切れた。ヴァルキリーの表情が変わる。「……ちょっと?」直後だった。ゾクリと空気が凍る。先程デモネが消滅した場所。そこに黒い穴のようなものが浮かんでいた。吹雪がその周囲だけ避けている。いや空間そのものが歪んでいた。「……これかぁ」黒い穴の奥から何かがこちらを見ていた。姿は見えない。だが理解できる。先程の鬼とは比較にならない。存在そのものが異常だった。玄十郎の顔から血の気が引く。「まさか……あの堕ちた者か……!?」ヴァルキリーが振り返る。「知ってるの!?」「伝承でしか知らん……だが天乃川ヶ原流が数百年封じ続けてきた災厄の根源……!」黒い穴から腕が現れた。人間の十倍以上ある漆黒の腕。それが雪原へ触れ大地が音を立てて凍結する。ヴァルキリーが即座に前へ出る。「蛍丸!! 玄十郎さん連れて下がって!!」「でも――」「早く!! コイツは別格!!」叫ぶと同時にヴァルキリーの全身へ蒼雷が迸る。エンゼル・スピアーが変形。槍身が展開し巨大な砲撃形態へ切り替わる。「対災害級出力解放――!」空気が震える。雪原全体へ雷光が走った。「ヴァリアブルバスター!!」轟音と共に蒼い極大の雷撃が黒い腕へ直撃する。山が揺れ雪雲を貫くほどの閃光が昼を更に明るくする。しかし煙の中から現れた黒い腕はほぼ無傷だった。ヴァルキリーの目が見開かれる。「効かないなんて…」黒い腕が振るわれ衝撃だけが来た。ヴァルキリーの身体が吹き飛び雪原を何十メートルも転がる。「ヴァルキリーさん!!」蛍丸が叫ぶ。瓦礫の中でヴァルキリーは血を吐きながら立ち上がる。「はは……やば。こんなの本部の資料にも載ってないって……」その時だった。屋敷の中から、強烈な蒼光が溢れ出した。天星がまるで呼吸するように脈動していた。玄十郎が震える声で呟く。「……継承の時が来たか」蛍丸は振り返る。蒼く輝く刀。そして、自分の胸の奥で響く鼓動。「抜け」今度ははっきり聞こえた。蛍丸はゆっくり屋敷へ足を踏み入れる。後ろではヴァルキリーがたった一人で災厄を押し止めていた。血を流しながらそれでも立ち続けている。屋敷内で畳に転げ落ちた天星を握ると先程とは違い冷静になる。姿勢を整え深呼吸をしゆっくりと握ると慎重に鞘から抜こうとする。すると天星は重みをまとわせながらも確実にその姿を見せていった。全て抜き切ると天星は天の川のように青黒く煌めき無限の奥行きを見せる。天星の刃を見て鞘に納めると屋敷を飛び出した。一方そのころヴァルキリーはスピアーで必死に交戦していた。腕だけでもこの威力と戦闘力だと全身が出た場合この地は消し飛ぶ可能性がある。今ここで確実に止めなければいけない。「くそっ…こいつ強すぎる!」3mの厚さを誇る鉄板も貫くエンゼル・スピアーをもってしても太刀打ちできない。「ヴァルキリアドライブ!!」槍を前面に突き出しもう突進して腕を貫こうとしても簡単に薙ぎ払われてしまう。「もうだめね…こいつごと自爆するしか…」持っていたスイッチを押そうとしたその時、屋敷のほうから蛍丸がこちらへと走ってくる。その手には天星が握られていた。「蛍丸…お主まさか!!」「もう大丈夫…私がやるから…!」蛍丸は暴れ回る黒い腕を見つめると目を閉じ抜刀の構えを取る。昔ハンターハンターのノブナガやるろうに剣心の緋村剣心を見て以来、自らの戦闘スタイルを相手の間合いへ立ち入り交戦するのではなく、自らの間合いに引き入れ入った瞬間に斬るスタイルへと変化させた。正直自分は刀を連続で振るうのはあまり得意ではない。どちらかと言うと抜刀術が得意なのである。剣士としては致命的な弱点ではあるが抜刀術では誰にも負けない自信がある。玄十郎も蛍丸の目にも止まらぬ抜刀術を時間を飛ばされたような感覚と表現した。辺り一帯異様な静けさに包まれ腕が地面を叩きつけこちらに向けて振り下ろされそうになった瞬間。蛍丸は刀を抜き振り終えていた。刀に付いた黒い瘴気を振り払うと鞘へ納める。腕は次第にボロボロと崩壊し地面へ雪のように溶けて消えていった。玄十郎にはわからなかったがヴァルキリーは特殊なグラスを通してその光景をしっかりと記録していた。蛍丸は腕が振り下ろされる瞬間、天星を抜くと横に一振りした後、更に斬撃を5振りした。この間、流れた時間は僅か0.1秒。とても人間技とは思えない速さと正確さ。ヴァルキリーは啞然としつつも蛍丸の斬った腕に近付き浄化活動を行う。この手のデモネは現代のよりも厄介で下手な処理をするとまた復活するので必ず浄化し大地に還元させる必要があるのだ。蛍丸は天星を見つめ己の力を実感する。そこに玄十郎が近付くと肩に手を当てて小さくうなづく。言葉は無かったが今この瞬間この場所で蛍丸は天之川ヶ原継承者となったのだ。一方ヴァルキリーは協会に連絡を入れ蛍丸のことを報告した。吹雪は徐々に弱まり始めていた。だが天乃川ヶ原の屋敷周辺だけはまだ異様な緊張感に包まれている。ヴァルキリーは浄化装置を停止するとエンゼル・リングへ通信を繋ぐ。「こちらヴァルキリー。封印災害級反応の一部を消滅確認。追加報告がある」『……通信回復しました! ヴァルキリー、無事ですか!?』「半分くらいね。それより優先事項」ヴァルキリーは振り返る。雪原の中央。そこには天星を携え静かに立つ蛍丸の姿があった。蒼い刀身が月光を反射し吹雪の残滓すら寄せ付けない。「天乃川ヶ原流継承者――天乃川ヶ原・アナスタシア・蛍丸」『……はい?』「少なくともS級以上。いや……」ヴァルキリーは特殊グラスに記録された映像を再生する。0.1秒。常人では認識不可能な六連斬。しかもただ速いだけではなく黒い腕の核だけを完全に断ち切っていた。「たぶん特級認定候補」通信先が沈黙する。『……冗談を言ってる状況ではありません』「私もそう思う。でも事実」ヴァルキリーは真面目な声になる。「この子、人類側の切り札になるかもしれない」その言葉に蛍丸は眉をひそめた。ヴァルキリーが肩をすくめる。「でも実際見たでしょ? あれ」「私はただ斬っただけで…私自身エンゼさん達のように力はないです」「そのただが出来る人間がいないの」玄十郎が静かに前へ出る。「……エンゼ協会。お主らは蛍丸をどうするつもりじゃ」空気が少し変わった。ヴァルキリーも軽い態度を消す。「監視対象にはなると思う」「ほう」「でも同時に保護対象でもある」彼女は黒い穴が消えた場所を見る。「アレが出た時点で世界が変わる」雪原には巨大な凍結跡だけが残っていた。だが空気の奥にはまだ気配が残っている。完全には終わっていない。ヴァルキリーは小さく舌打ちした。「最悪だよ……堕ちた者が復活しかけてるなんて」蛍丸が聞き返す。「堕ちた者……とは?」ヴァルキリーは少し迷った後、口を開く。「今のデモネは元々連れ去られた人間だったり人間由来の成分から出来てるって話は知ってる?」蛍丸は首を横に振る。「エンゼ協会でも最高機密。でも昔、人類はある存在に触れた」「ある存在?」「空から落ちてきた黒い星」その瞬間蛍丸の持つ天星が微かに震えた。「……やっぱ反応するか」玄十郎の目が細くなる。「まさか天星は……」「うん。多分あの黒い星と関係してる」場が静まり返った。数百年受け継がれてきた天乃川ヶ原流。その象徴たる天星。もしその刀が災厄と同じ起源だとするのなら。蛍丸は静かに刀を握る。「……たとえ何だとしても関係ない」彼女の瞳は真っ直ぐだった。「私はこの刀で人を守る」ヴァルキリーは少し驚いた後、笑う。「それでいいわ」そして彼女は蛍丸へ小型端末を放った。蛍丸が受け取る。「?」「エンゼ協会特務直通回線。いつでもエンゼ協会に繋がるわ」「……必要ないですよ」「必要になるよ」ヴァルキリーは真剣な目で言った。「今日みたいなのが、これから何度も起きる」その言葉の直後。北海道の空全体が一瞬だけ黒く脈動した。まるで巨大な何かが空の向こうで目覚めたように。ヴァルキリーのエンゼル・リングへ警報が鳴り響く。『緊急警報! 道内各地で高濃度デモネ反応を確認!!』『札幌、旭川、函館――同時多発です!!』『数が異常です!!』「……ほら始まった」蛍丸が空を見る。吹雪の終わった夜空には黒い亀裂のようなものが幾つも浮かび始めていた。玄十郎は低く呟く。「封印が……全国規模で崩れ始めておる……」蛍丸は静かに天星へ手を添える。刀はまるで応えるように蒼く輝いた。その横でヴァルキリーが槍を再展開する。「蛍丸」「何」「――世界救う気ある?」ヴァルキリーは持っていたもう一つのエンゼル・リング「スラッシュ」を取り出し蛍丸の前に出した。そして蛍丸は静かに鞘を鳴らしリングを受け取った。「私にできるなら…やります」「蛍丸…お主エンゼになるのか…」「まだ決めたわけじゃないです…しかしそれでこの土地と国が守れるのならなってみたいです」「そうか…それがお主の選ぶ道か」「はい…天乃川ヶ原流を継ぐエンゼに…なります」リングを耳につけタップするとエンゼウェアが展開され始める。黒と紫を基調にした和風×サイバー×宇宙を融合した戦闘服で着物のような外套の内側には星空や銀河を思わせる模様が広がり、全身には発光する電子回路のようなラインが走っている。胸部には恒星のように輝くエネルギーコアを搭載し脚部は侍の具足と機械装甲を組み合わせた重装仕様。護符のような帯や装飾が宙に揺れ日本刀型の光刃を携える姿は宇宙を巡るサイバー剣客のような雰囲気を放っている。「…蛍丸…死ぬなよ」「はい…玄十郎様…」そう言うとヴァルキリーと共に北海道の地へと飛び立っていったのだった。




