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夜明け前

 

 静寂の中、小粒の雨が控えめに屋根を打つ。

 ガラス越しに窓の外を眺めると、薄雲の向こうからほんのりと(あけぼの)(いろ)が滲んでいた。


 南を向いたその窓からは、オーナーの部屋のバルコニーが見える。

 屋根のないそこは吹きさらしで、人の気配はない——と思いきや、ぼんやりと細長い影が立っているのがわかった。


「……オーナー?」


 まさか、と思った。

 小雨とはいえ、まだ雨も上がっていない空の下で、こんな時間に一人で外に出ているなんて。


 ただ事ではない様子に、私は寝巻きのまま自室を出てオーナーの部屋へと向かった。


「オーナー!? 開けますよ!」


 ノックもそこそこに、やや乱暴に扉を開けて中へ入る。

 部屋の照明は消えており、バルコニーに続く窓が半開きになったまま、カーテンが風に揺れていた。


「オーナー!」


 窓の隙間から私が顔を出すと、視線の先で人影がこちらを振り返った。


「絵馬……」


 地平線の向こうから滲む微光に照らされた彼は、髪も寝巻きもしっとりと濡れていた。


「オーナー、一体何をなさってるんですか!? 風邪をひいてしまいます!」


 バシャバシャと水飛沫を上げて私が近寄ると、彼はようやく「ああ」と思い出したように苦笑した。


「なんだか眠れなくてね。ここからの景色を見れば、少しは落ち着くかと思って」


 どうやら彼も私と同じで、妙な胸騒ぎがするらしい。

 しかしだからといって雨に打たれるのは体に良くないので、私は彼を連れて部屋に戻った。


 お互いの体からぽたぽたと落ちる雫が、絨毯に染みを作る。

 私がタオルを用意すると、オーナーは受け取ったそれに頬を埋めて言った。


「絵馬。ルナは、どうしてこの館を出て行ったんだと思う?」


 濡れた睫毛(まつげ)の奥から、色素の薄い瞳が私を捉える。


「え? それは……おじいさんが言っていたように、猫のプライド、ではないのですか?」


 猫のプライド。すなわち、自分の最期を誰にも見せたくないという意思。


 ルナさんに残された時間は少ない。

 だから彼女はその瞬間を迎える前にここを出て行ったのだと、おじいさんが言っていた。


「そうだね。彼女は自分の体が弱っていることに気づいていた。いずれ仕事も満足にできなくなって、場合によっては介助が必要になることも予測していた。だからきっと、僕らに迷惑をかけないために彼女はここを出て行ったんだ」


 誰よりも仕事熱心で、責任感の強いルナさん。そんな彼女が自分の仕事を満足にこなせなくなることは、きっと彼女のプライドが許さないのだろう。


「ルナは自分の世話を僕らに押し付けたくなかったんだ。僕らに迷惑がかかると思ったから。でも……たとえ彼女が僕らを頼ることになったとしても、僕らは迷惑だなんて思うか?」


 そう問いかけてくる彼の瞳には、釈然としないものが込められているように見える。

 

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