檀家制度の弊害
この時代の寺院がどうやって収入を得ているか。まずはそこを確認しよう。
かつての寺院は、自前の田畑や貴族や地元の有力者から寄進された荘園などの広大な土地を有していたが、戦国時代に入るとそれらは各地の大名(武士)に侵蝕され、ついには豊臣秀吉の太閤検地でほとんどがその所領を失った。
江戸時代に入ってそのうちの一部が幕府の発行する朱印状、大名が発行する黒印状による所領安堵という形で返還(これらをそれぞれの書状に応じ、朱印地、黒印地という)されたが、その石高はお世辞にも広いとは言えない。
朱印地に限っての計算となるが、最も広いもので大和興福寺(春日社領と合算)の二万二千二百石余で、単体だと高野山の二万千三百石。徳川に深く関わりのある芝の増上寺や上野の寛永寺、日光東照宮が一万石台で、そのほかは延暦寺(約五千石)、醍醐寺(約四千石)、東大寺(約二千二百石)などの有名な寺でも万石には程遠く、千石以上の朱印地を持つのは寺社合わせても全部で五十ほどしかない。
このほかに各地の大名が寄進した黒印地も存在するが、これは伊勢神宮のような例外を除けば基本は自領内の寺社が対象となるし、そちらも多くて数百から数千石程度で、地方の寺などでは所領安堵したという形だけ残したかったのか、申し訳程度に一石とか十石程度しか安堵してもらえなかった寺社がごまんといる。
領内の租税は免除されているので収入は全て寺のものとなるが、それだけで経営が成り立つはずもなく、自ら土地を開墾したり、大名や商家などからの寄進を受けてなんとか維持している状態である。とはいえいつ入るかも分からぬ寄進を待っているだけでは、遠からず干からびて自分が即身仏になってしまうわけで、定期的な収入源を確保しなくてはいけない。そこで大きく関わってくるのが、幕府によって整備された檀家制度と寺請制度である。
檀家とは、元々はサンスクリット語で寺や僧を援助する庇護者を意味する言葉の音をそのまま漢字に書き写した"檀越"の家という意味で、特定の寺院に所属し、自家の葬祭供養の一切を任せる対価としてお布施を払うというものだが、このような寺と檀家の関係を檀家制度といい、檀家が所属する寺を檀那寺という。これが現在の寺の主要な収入源となっている。
そしてここが大事なのだが、この国に住む者は武士だろうと町人だろうと農民だろうと、全てがどこかの寺の檀家になっている。それは「宗門人別改帳」を作成するためだ。
この時代はキリスト教が禁教となっており、民衆がキリスト教を信奉していないことを証明するため、幕府は仏教寺院にその証明を請け負わせ、誰がどの寺の檀家であるのかを記録した宗門改帳というものが作られた。後にこれが租税や賦役のために町村ごとに居住者の名前や年齢、家族構成などを記した人別改帳と合体して、宗門人別改帳となって今に至るのだが、キリスト教が禁教となって既に百年以上経過しているので、宗教的な意味合いはほとんど残っておらず、謂わば戸籍や租税台帳といった使われ方をしているものである。
なのにどうして、今でもどの宗派に属しているかを記録として残しているのかというと、どこの檀家であるかが己の身分保障と不可分なものとなっているから。寺請証文といって、「この人はウチの檀家です」という証明が寺から発行され、旅行の際はそれが身分確認に用いられたり、結婚や丁稚奉公で郷里を離れるときは、元の檀那寺から移住先の檀那寺へ引き継ぎの書類、未来的に言えば転出届と転入届みたいなものがやり取りされ、誰がどこに住んでいるかを管理するための制度に組み込まれているからだ。これを寺請制度という。
もし仮に、生活が苦しく夜逃げしたりして行方が分からなくなった者が出た場合、寺はその者の寺請証文の発行を拒否出来る。これは事実上の除名処分であり、追って宗門人別改帳からも削除されるのだが、こうなってしまった者が無宿と呼ばれる。無宿者となってしまえば、社会制度の枠組みの外に放り出されることとなるため、一般的な生活を送りたいのならば、どこかの檀家で居続けるしかない。そんなわけで寺院からしてみれば一定数の顧客を常に抱え続けることが出来る制度でもある。
こうして仏教勢力を施政に取り込むことは、幕府にとっては手間をかけずに宗教統制や戸籍管理が出来るというメリットはあるものの、一方で檀家にとっては大きな負担となる。
具体的に言えば、社会身分の保証という切り札を持たれているためか、寺院と檀家の力関係は圧倒的に前者が上。寺はお盆やお彼岸といったときの定期的な参詣、年忌法要の施行などが檀家の義務であると説き、都度お布施を納めさせるほか、寺院の改築費用や本山への上納金といった名目で檀家に経済的支援を強いるのである。
令和の世ではかなり薄まってきたが、地方や古くからある下町などでは未だにこの制度によって慣習化された行事も少なくない。俺も曾祖母の三十三回忌とやらに参列したことがあるが、自身が幼かったこともあって全く意味が分からなかった。こんなことを言うと罰当たりと言われるかもしれないが、俺にしてみれば自分が生まれる前に亡くなった人だし、その頃には故人の子世代(俺から見た祖父母の世代)にも鬼籍に入った人がいるくらいになっても法要をしなくてはいけないのかと思ったのが正直な感想だが、そもそもは江戸時代からの檀家制度がその起源と言えるだろう。
祖先を敬うとか信仰することを否定はしないが、そこが主な収入源となっている寺院が搾り取れるところから搾り取っているという印象しかない。さらに言えば本寺とその系譜に連なる末寺という関係も影響が大きい。本寺が物入り(というか、それが年がら年中なので始末が悪い)になると末寺からお金を吸い上げているから、檀家にさらなる負担を強いるという悪循環になっていると思われる。
さて、ならばこれをどうやって解消するかということだが、そのための手始めの一つとして、拝観料を徴収するという方法を提唱したい。
とはいえ檀家が檀那寺を参拝するのに拝観料を取るわけにはいかない。ここで対象とするのは、旅人たちが多く訪れ、参拝客の多い有名な寺院である。この京都には各宗派の本山、言わばその宗派のトップに位置する寺が多く存在し、創設された経緯もその威容も、そんじょそこらの寺とは比べ物にならないし、その別院や末寺でも本堂の作りが独特とか、庭園が素晴らしいとか、各地から参拝客が訪れるだけの理由を持つ寺が数多くある。そこを訪れる者たちからお布施、そして寺院管理の費用という名目で拝観料を徴収すれば、かなりの収入になろうかと思われる。
ちなみに檀家制度によって、寺請や葬送は必ず檀那寺で行わなければいけない決まりとはなっているが、何でもかんでも檀那寺でなければならないとすると檀家の不満が高まるから、そのガス抜きといった意味合いもあるのだろうか、それ以外の宗教的欲求、具体的には子の名付けや病気平癒の祈願、地鎮祭といった地域の宗教儀式などは違う寺で祈祷してもらったり、神社に参拝しても問題はない。そういったわけで京都を訪れる旅人は多くの寺を参拝していくわけだが、残念ながら昨今は宗教的な意味合いより、帰った後の土産話の一つに見物するといった観光目的、物見遊山の参拝客も少なくない。
当然ながら肝心のお布施という点においても、檀家とは違って納めない者もいる。俗な話になるが寺だって維持管理の費用はかかるわけで、手入れに金も人も使っているところへ入るなり見物するならば、その対価を払えというわけだ。無論見物料とは言えないので、寺院の保全管理費用としての喜捨という建付けだ。そしてこれは御開帳などで普段公開しない秘仏などをお披露目する際にも活用できる。
これで何が変わるかといえば、末寺から本寺への上納金の低減だ。先ほど述べた通り、今回拝観料を設定してもらいたい寺院の多くは、各宗派の本山かそれに近い立場の寺であり、本末の関係で言えば本の方に近いものばかり。自身で新たな収入を得る方法が見つかれば、下への圧力も弱まるかもしれない。余程強欲でなければ……という注釈付きだが、そこは町奉行所(京都の一般寺院は町奉行所の管轄)や寺社奉行(門跡などの格式ある寺院の管轄はこちら)が目を光らせることで対処してもらおう。今回に一番の目的は大仏殿改修の費用を集め、上皇宣下の一件で真仁法親王様の協力を取り付けることだが、どうせ大掛かりにやるなら、後々の役に立ちそうな方向へと持っていきたいと思っている。
とまあ、青写真は描いた。法親王様の許諾を得て、方広寺の眉間籠り仏や妙法院の秘宝を御開帳してもらい、その際に拝観料の徴収を試行する機会も得られた。あとは……生臭坊主たちがどういう反応を示すかだな。
なんか絶対に言ってくる奴が出てきそうだよな……




