行き当たりばったりの運任せ
ここがどこのお屋敷か。そんなことなど構っている余裕はない。
追っ手は背後に迫っている。
藤吉郎は「南無八幡大菩薩」と念じると、猿夜叉と息を合わせて屋敷の中へ飛び込んだ。
幸い飛び込んだ先は狭い屋敷の裏手側。
2人は転がるように屋敷の床下に姿を隠すとソウッとソウッと周囲を見渡した。
外は月明かりが煌々と夜闇を照らし出していて、近くにある草の葉の一本一本までもがハッキリと見える。
藤吉郎は物音一つ立てないよう息を潜めながら周囲を窺うと、後ろに控える猿夜叉に「大丈夫じゃ」と目配せをした。
気を抜けば思い出したかのように腕の傷が痛み出してくる。
まぁ、これも余裕の出てきた証拠か。と藤吉郎は息を吐いて緊張の糸を解きほぐすと、余裕の出てきた頭で早速次の手立ての算段を始めた。
ともかくじゃ。今は後手に回っておる。マズイ。が、慌てても仕方ない。
まずは落ち着いて無事にここから抜け出す策を練らねばならん。
期限は夜明けまで。夜明けまでにここから抜け出さなければ、明るくなれば益々抜け出す事は難しくなる。
いや、一層明日の夜までここに隠れておくか。そうすれば皆、儂らは遠くへ逃げたと思って隙が生まれるかもしれん。
いや、そう上手くはいかんか。
朝になればいよいよ儂らがおらん事が知れ渡る。
戦前に人質が逃げ出したとなれば一大事。
すぐに屋敷の者総出で探索が始まる。隠れおおす事などできんか。
ならばここは一か八か、今の間に観音寺城の城下町を駆け抜けるか。
もはや藤吉郎に策や算段という程のものは何も浮かんでこなかった。
行き当たりばったりの運任せ。
もうこれしか手はないように思えた。
もう兎にも角にも慌てても仕方ない。
どのみち最後は大捕物になるのだ、その時に備えて今は体を休めるとき。と藤吉郎は蜘蛛の巣の張る屋敷の床の下で足を伸ばすと、奇妙な事に気が付いた。
人の気配が無さ過ぎる。
床の下におるというのに人の話し声どころか足音さえ聞こえてこない。
これはどういうことじゃ。
藤吉郎は再び床下から顔を覗かせると、今度は注意深く念入りに周囲を見渡した。
月明かりに照らされた裏庭には人の気配はない。
屋敷の中を覗かせる縁側の方へ目をやっても、やはり人の気配はなかった。
それどころか屋敷の中には灯り一つ無く、物音一つしていなかった。
もしや屋敷には誰もおらんのか?
さらに藤吉郎は周囲を見渡し、そして見当をつけた。
「ここは京極様のお屋敷か。」
京極屋敷になら藤吉郎も何度か入った事があった。
朝餉の支度、服の洗濯。
仕事に追われて屋敷の間取りなど見る暇はなかったが、それでも大方の覚えはある。
おそらくは京極屋敷で間違いはなかった。
となると、京極様は国にお戻りになったか、お城に避難されたか。
考えれば京極髙吉がこの屋敷に残っている道理はなかった。
いや、屋敷に居ても不思議でないが、居なくても不思議でもない。
現に屋敷に人が居ないとなると、下働き衆や女衆を連れて城に逃げたのであろう。
これは僥倖。助かった。
心の底から気が抜けた藤吉郎の腹の虫がグーと鳴れば、後ろで猿夜叉が小さく笑った。
なんじゃ。猿夜叉お主も腹は減っておろうに。
そう言えば、今はもう夜明け前。昨日の昼の飯から何も食べてはおらん。
「猿夜叉、厨所の方へ行ってみるか。何か食い物があるかもしれん。」
「喉が渇いた。」
猿夜叉は返事の代わりに答えると、厨所へ向かう藤吉郎の後ろに続いた。
記憶を頼りに床下を厨所の方へと這っていく。
最後には一旦、床下から抜け出して勝手口から厨所の土間へと入るのだが、なるだけ姿は表に晒したくはない。
床の下を行ける所まで行くと藤吉郎は念入りに周囲を見渡して床下から表へと這い出ていった。
月明かりに身を晒してソウッと勝手口から土間の中を覗く。
月明かりの届かない土間は夜闇に包まれて、中の様子は分からない。
ジッとジッと焦らずに藤吉郎は夜闇に目が慣れるまで時間を掛けて中をのぞき込む。
その間、猿夜叉は屋敷の床の下から藤吉郎の姿が見つからないように、誰も来ないかと気を張り目を配る。
「猿夜叉。大丈夫じゃ。誰もおらん。」
中の様子を確認して2人は暗闇に包まれた厨所の中へと転がり込んだ。
戸口から淡い月明かりの差し込む厨所の土間。
薄明かりの土間も、目が慣れてくれば支障は無い。
並んだ釜戸に置きっぱなしの鍋。
支度台の上は綺麗さっぱりと何も無かったが、
土間の端にある水瓶の蓋を外せば中には波々と水が入っていた。
「どうじゃ、なにかあったか。」
水瓶の水を飲み干して、袖口で口を拭った藤吉郎が問うと、猿夜叉は「ない」と首を横に振った。
猿夜叉と代わり猿夜叉が水を掬っている間に、藤吉郎は厨所の鍋の蓋を開け、戸棚の隅まで物色していく。
「ともかく、腹が減っては戦はできん。
なにか食い物を見つけたら、サッサと口に入れて逃げ出すぞ。」
猿夜叉も藤吉郎ももう覚悟はできていた。
もう誰にも見つからずに逃げ出す事は不可能。
最後は足に物を言わせて逃げて逃げて逃げ延びるのみ。
2人の足が止まるのが先か、追っ手の足が止まるのが先か。
もはや自暴自棄とも言える手段しか、2人には残されていなかった。




