「もう駄目じゃ。」
土の匂いがする。木々の梢を揺らす風の音が聞こえる。
暖かい。
腕に力を込めれば誰かに背負われていることが分かった。
「おお、猿夜叉。目を覚ましたか。」
「猿兄。ここは?」
目を覚ませば猿夜叉は真っ暗闇の雑木林の中にいた。
「まだ、城の下の雑木林の中じゃ。
お主は、城から抜け出すときに山から転げ落ちて気を失っておったのじゃ。
気が付いて良かった。
いかん。猿夜叉。背から下りて藪の中に身を隠せ。」
雑木林の木々の合間から揺れ動く松明の灯がいくつも見える。
「おったかぁ。」
「おらぁん」
「早う見つけんと、人質が逃げ出したと知れると儂ら皆、打ち首じゃぞ。」
雑木林の中を二人を探す城番の声が響いていた。
「奥じゃ、もっと林の奥に隠れるんじゃ。」
月の光は雑木林の木々の梢に遮られて、目の前は真っ暗闇だった。
二人は手探りで藪をかぎ分け、木の根に足を取られながら闇の中を逃げ隠れた。
「夜が明ける前には街を抜けるつもりじゃったのに。
これでは拙い。」
二人が隠れている雑木林は、観音寺城の築城に伐り出され、城下の屋敷を建てるのに伐り出され、観音寺城と城下の合間に僅かに残された小さな林だった。
今は夜の闇に紛れて身を隠すことはできても、日が昇ればたちまち見つかってしまう。
「猿兄。街へは逃げれんか?」
「無理じゃ。先程ほど近くまで逃げたが戦の準備で人が大勢おった。
あれではすぐに見つかってしまう。」
「でも、これではすぐに見つかってしまう。」
「分かっておる。」
藪の中に潜みながら藤吉郎は小声で答えた。
木々の合間から見える松明は二人に近づき遠のきながらその数を増やしていた。
急いで逃げようにも真っ暗闇で何も見えない。焦れば大きな物音を立てる。
背後には徐々に松明の灯が近づいてきていた。
早う。早う。
焦る気持ちを押し殺して、必死に暗闇の中を手探りで這うように進む猿夜叉の手に固い大きな石が触れた。
その隣にもその隣にも大きな石が立ち並んで、二人の行く手を塞いでいる。
「猿兄。これ・・・。」
震える声で問いかける猿夜叉の声に、藤吉郎は泣き出しそうな声で「お屋敷じゃ」とだけ答えた。
雑木林は広くない。
二人は追っ手から逃れようと雑木林の中を彷徨って、遂には屋敷の裏手にまで追いやられていたのだった。
追っての城番はすぐそこまで迫っている。
もう逃げ場などどこにもない。
「もう駄目じゃ。」
屋敷の石垣を前に崩れ落ちへたり込む藤吉郎。
その藤吉郎の肩を猿夜叉がグイッと引いた。
「猿兄。あれ。」
猿夜叉が指さした先には月明かりに照らされた大木があった。
「無駄じゃ。屋敷の中には人がおる。たちどころに見つかってしまうわ。」
「猿兄。ここにおっても見つかるだけ。」
へたり込む藤吉郎藤吉郎の肩を引く猿夜叉の手は熱く力強かった。
「諦めたら終わりじゃ。逃げて、逃げて、逃げて。捕まるまで逃げるんじゃ。」
これがあの猿夜叉か。
三月程前まで、亀松丸様に追い回されベソをかき逃げ回っていた猿夜叉か。
「猿兄。早う。」
引かれる手の強さに「おお」と答えて藤吉郎は腰を上げた。
「そうじゃな。儂が諦めてどうするんじゃ。」
屋敷の塀の向こうには大きな月が顔を出し、その月明かりが大木の幹、大きな枝を照らしていた。
これならば登れる。
しかし、その分儂らの姿も丸見えじゃ。
「えい、一か八かじゃ。」
二人は大木の幹にまでにじり寄ると、息を合わせてその幹にしがみついた。
両手両足に力を込め、木をよじ登る。
身の軽い猿夜叉がスルスルと太い枝まで登り切ると、次は猿兄の番じゃと手招きをした。
「よし」と藤吉郎が力を込めた瞬間。
ブッチリと何かが避けた音が聞こえ、右腕に激痛が走った。
「傷が・・・開いた・・・」苦悶の表情を浮かべて木にしがみつく藤吉郎。
脂汗が吹き出し、のたうち回りそうな激痛を辛抱しても木にしがみつくのが精一杯。
とても木に登れそうにはなかった。
「儂はもういい。早う行け。」
「嫌じゃ。早う。もう一息じゃ。」
「無理・・・じゃ。儂は諦めてお主だけでも・・・逃げよ。」
そんな藤吉郎の言葉を無視して猿夜叉は枝に腹這いになって両手を藤吉郎に差し出した。
「猿兄。掴まって。」
「無理じゃ。お主まで下に落ちるぞ。」
追っ手は直ぐそばに居る。
下に落ちればその物音ですぐに居場所が分かるだろう。
そうなれば二人とも捕まってしまう。
「嫌じゃ。猿兄は儂を牢から出してくれた。だから、捕まるなら一緒じゃ。」
「ならば、猿夜叉しっかりとしがみついておれよ。」
そこまで言うのなら、もう猿夜叉は一人で逃げたりはせんのだろう。
観念して藤吉郎は猿夜叉の手を取った。
力の入らない右腕を猿夜叉に任せて、残りの左手と両足をずり上げながら、傷の痛みに悲鳴が上がりそうなのを必死に堪えながら、脂汗を浮かべてようやく藤吉郎は木の枝へと登り上がった。
枝の先には屋敷の塀があり、その先の屋敷には人気はなかった。
二人は塀を乗り越えて屋敷の中へと隠れると、ようやく一息ついたのだった。




