城門が閉まるぞ
藤吉郎が荷車を引いて行く道は、三月前、初めて南近江に来たときに油屋の荷車を押して通った道だった。
その時は、米原の宿場から佐和山の麓を抜けて川を渡り、関所を通って南近江へと入ったのだった 。
しかし、あの時に城などあったかな?
大二郎に聞くと葛籠の城はその関所の脇にあるらしいが、藤吉郎がいくら思い返しても城などあったようには思えなかった。
「まぁ行きゃあ分かるで。」
そう言われて先に進めば、関所の隣に確か葛籠の城はあった。
「これが城か。」
葛籠の城に着いて藤吉郎はハァと一つ溜め息を漏らした。
なるほど、これは確かに、行けば分る。
藤吉郎の目の前には、城というより、むしろ屋敷といった風な館があった。
城と言われなければ、屋敷にしか見えない、そんな城。
そうそう、そう言えば関所の隣に確かにあった。
てっきり関所番の屋敷かと思っておった。
とは言え、もちろん只の屋敷という訳でもない。
城と言われて見てみれば、堀は広く立派な空堀で、城壁も分厚く丈夫なもの、その向こうには背の高い見張り台がいくつもそびえ立っていた。
「まぁ、城っちゅうても色々じゃ。
いや儂等がおる観音寺城が立派すぎるんじゃ。
それにのぅ、ここらは昔から儂ら六角家と京極、浅井家が奪い合いを繰り返してきた土地じゃ。
大きな城を作ろうとすれば邪魔されてしまう。
それに上手く大きな城を作っても、万一それを敵に奪われてしもうては大惨事じゃ。
自分で自分の首を絞めるようなもんじゃからのぅ。
それで出来たのが城とも屋敷とも言えん葛籠の城っちゅうわけじゃ。」
大二郎が指し示す指の先には小高い佐和山が見えた。
その頂にある城は、敵方の、北近江の佐和山城。
今まで意識もしたことがない敵が、今、目に映る場所に居ることに藤吉郎はゴクリと生唾を飲み下した。
「どうした大猿よぅ。
なんじゃ敵を見て怖ぁなったんか。
そういやこの間の多賀の戦の時には、葛籠の城から敵兵の姿がはっきりと見えたそうじゃからな。」
大きな腹をユサユサと揺らしながら藤吉郎をからかう大二郎に、「怖くなんか無いわい!」と藤吉郎は声を上げた。
それから数刻の後、真っ赤な夕焼けが比良の山々の陰に隠れた頃、下働き衆は再び葛籠の城へと荷車を押していた。
「運んできた薪の数が少ない。もう一度薪を運んで来い。」と、葛籠の城主から命じられたのだ。
「もういっぺん運んで来いっちゃー、何ちゅう言い草じゃ。」
「おうよ、こっちも少ない人手でやっとるちゅうのに。」
思い出すのも腹が立つ。と葛籠の城主の悪口陰口を叩いていたのも始めの内、二度目に葛籠の城が見えた頃には、皆んな疲れから口を開く者もいなくなっていた。
ギシギシと音を立てて荷車がゆっくり前へ進む。
街道には篝火が立ち並び明るく夜道を照らし出していた。
この篝火の薪を運んでおるのか。
そう思えば「荷車四台では到底足らん」と言い放った城主の気も分からないでもなかった。
何しろ篝火は街道にずらりと並び、その先の葛籠の城は巨大な蝋燭の火のように闇夜に浮かび上がっていた。
「なるほどのぅ。夜を昼にする篝火か。
こりゃあ薪もすぐに尽きるはずじゃ。」
葛籠の城に近付く毎に数を増す篝火。
城の近くまで寄れば篝火は遂に街道を外れ野っ原の中にまで立てられていた。
「夜討ちや間者に用心しとるんじゃ。
これだけ明々としておれば草っ原に隠れておってもすぐに分かる。
まぁ、おかげさんで儂らの仕事が増えるんじゃがのぅ。」
葛籠の城の近くまで来て気力が湧いたか、さっきまで疲れ果てて口も利かなかった大二郎が憎まれ口を利くと、周りの者も口々にそうじゃそうじゃと囃し立てた。
さて、もう一息。と重い荷車の押し手を取って、エイセと踏ん張り顔を上げた時、不意に藤吉郎の胸の中に不安が広がった。
篝火の数が減っておらんか?
街道沿いに立ち並んだ篝火の彼方の事。
気のせいとも思えたが、さっきより篝火の灯が少なくなったような気がする。
風で火が消えたか、犬猪の仕業か。
首をひねり彼方の篝火に気を置けば、その間にも一つまた一つと篝火の灯が消えて夜の闇が染み広がっていく。
いや違う、これは犬猪の仕業などではない。
背筋に冷や汗が流れる。
「走れ!葛籠の城へ駆け込め!」
藤吉郎の思案を遮って佐平の声が上がった。
「走れ!走れ!薪など捨て置け!」「なんじゃ?」「阿呆!走れ!」「敵じゃ!夜討ちじゃ!」
堰を切ったかのよう走り始める下働き衆。
藤吉郎も荷車の取っ手を潜って城門へ走り始める。
「待て、待ってくれ。大猿。」
「何をしとる!早よう走れ!」
振り返れば大きく太った大二郎が腹の肉を揺らしながら、ノシリノシリと走っている。
「早よう、早よう走れ!城門が閉まるぞ!」
藤吉郎は踵を返して大二郎の手を取ると力一杯に手を引いた。
閉まり掛かけの城門。
怒鳴り声を上げる門番。
大二郎は数歩走っただけで「もう駄目じゃ」と、息が上がり足が重くなる。
「何を言っとるんじゃ!」と、負けずに藤吉郎が手を引き、大二郎と共に城内へ転がり込むと城門は音を立てて閉まった。




