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夢流れ  作者: 大和 政
第一章 猿夜叉伝
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戦境の城

 猿夜叉が沙々貴のお社から六角屋敷に戻った頃には日は西の空に傾き始めていた。

夕暮れの屋敷ではもう夕餉の支度が始まっていて、屋敷に戻ったばかりの猿夜叉もすぐさまに駆り出された。

「全く、上洛でお屋敷に人が居なくなればもっと楽ができると思っておったのにのぅ。」

 大二郎はいつもの呑気な口調で愚痴をこぼすと、大釜の中で米を研いで「よいせ」と大釜を釜戸の上に乗せて火にかけた。

確かに今火の入った釜戸は一つだけ、残りの二つの釜戸にはまきどころか鍋さえも置かれていなかった。

しかし、厨所にいる下働きは大二郎と藤吉郎、猿夜叉、他に五人だけ。

いつもなら夕餉の支度で活気付いているはずの厨所は閑散としていて、僅かな下働きたちが忙しく働き回っているだけだった。

「それに、女衆は何をしとるんじゃ。

馬の世話など早う切り上げて、夕餉の手伝いに来いなぁ。

大体なんで下働きまで京へ連れていかなならんのじゃ。」

 大二郎は慌ただしく薪に火を付けると、愚痴をこぼしながら今度はおかずを作り始めた。


「ほれ、藤吉郎。

これで夕餉の支度もあらかた済んだ。

これを京極様の屋敷まで持って行ってくれ。」

「わ、儂がか?」

「ほうじゃ。

あんのぅ殿様、北近江がのぅなるゆうて屋敷に籠もりっきりじゃ。

こっちに来てくれれば、儂等の手間も省けるちゅうのに、まったく難儀なお方じゃ。」

「そりゃ、北近江を無くすっちゅうたのは儂等の殿様じゃ。

京極様もこっちには来んじゃろうて。」

「ならば早よう南近江からから出て行けば良かろうに。」

 藤吉郎と大二郎の話に誰彼構わず横槍を突くと厨所にドッと笑い声が咲いた。

 と、その時、佐平が厨所に顔を出すと藤吉郎と大二郎を手招きして呼び寄せた。

「おお、大二郎に藤吉郎。

ちょっと悪いんだが、明日に葛籠の城へ行ってはくれんか。

葛籠へ薪を運ぶのに人手が足らんのだ。」




 明くる朝。

屋敷での朝の仕事を終えた下働き衆は、観音寺城の倉から四輪の荷車へと薪を運び出していた。

引き手二人に押し手二人、四人掛かりで動かす大きな荷車に薪を山盛りに積んで、「せーの」と声を合わせれば、ようやく荷車はギギギと鈍い音を立てて動き出した。

 その数は四台。

引き手と押し手と代わり手の都合二十人程下働き衆は、四台の荷車を一列にして中山道を北へと進んでいた。


 葛籠の城まではおよそ三里、普通に歩けばお昼前には着くだろう道のりも、大きな荷車を押してはなかなか前へは進まなかった。

日は高く登り、もう何度も押し手代わり手と交代して、下働き衆の誰もが額に大粒の汗を浮かべて、渾身の力を込めてようやく動き出す荷車。

一度動けば後は勢いで転がすだけで動く荷車だが、石を踏む度に勢いは殺されてすぐに止まってしまう。

結局、下働き衆は手を休める暇もなく荷車を押し続けるしかなかった。

「なんで、こんなに、薪が…いるんじゃ。」

前も見えない程に積み上げられた薪の影で、藤吉郎は力を込めて食いしばった歯の合間から声を上げると、隣で同じく顔を真っ赤にしてハァハァと肩で息をしている大二郎が答えた。

「これでも、今日は、少ない、方じゃ。

普段なら、荷車は、十ほどもある。」

「なん、と。

そんなに、運んで、どうするんじゃ。」

「それ、でも、薪は、一月ひとつきと、持たんのよ。」


 暫くして押し手を代わり手と代わって貰った藤吉郎と大二郎は噴き出す汗を拭いながら「ふぅ」とようやく一息をついた。

 押し手から解放されて大二郎の口調も自然と軽くなって、六角家に来てまだ三月みつきで分からない事も多い藤吉郎に、大二郎はいつもの通り大袈裟に身振り手振りで得意気に話を続けた。

「葛籠の城はのぅ、毎夜毎夜、城のアチコチで篝火を焚いとるんじゃ。

それも夜を昼にするぐらいの数の篝火じゃ。」

「夜を昼に…。

そりゃいくら薪があっても足りんのぅ。

しかしなんでそんな勿体ない事をするんじゃ。」

 藤吉郎の疑問はもっともだった。

なにしろこれだけ大きな荷車に山積みされた薪を、それもその十台分をたった一月ひとつきで燃やし切るのだから、藤吉郎には想像も着かないことだった。

「そりゃのぅ、葛籠の城は浅井との戦境の城じゃ。

油断しておれば、いつ浅井が攻めてくるやもしれん。

だから毎夜欠かさず城のアチコチで篝火を焚いておるのよ。」

「いや、それにしてもやり過ぎじゃろ。」

「ふふーん」

 藤吉郎の驚きの声を受けて大二郎の頬が緩んだ。

「大猿にも分からんことがあるんかのぅ。」と大二郎が意地悪く笑うと、「いやいや、儂なんか大二郎殿にはとうと敵わんて。」と藤吉郎がヨイショする。

「ほじゃ教えてやろう。

これは烽火のろしじゃ。

夜は暗くて煙なんぞ見えんじゃろ!?

じゃから煙の代わりに篝火を焚くんじゃ。

これなら夜でも合図を送れる。」

 自慢気に説く大二郎の説明に、それでも一つ藤吉郎は怪訝に首を捻った。

「しかしそれでも、なんで毎夜毎夜篝火を焚くんじゃ。

なにも毎夜焚かんでも、何か有ったときだけ焚けば良いじゃろう。

そうすりゃ、こんなに薪を無駄にすることもない。」

 と言いながら、藤吉郎は一瞬、その無駄な事をする意味を思案して、すぐその意味に気が付いた。

「…ああ、そうか。

火を付けるには時間が掛かる。

何かあってから火を付けたんでは間に合わん事もある。

が、消すのは一瞬じゃ。

常に火を焚きっぱなしにしておれば、敵が急に攻めてきてもすぐに合図を送れる。

灯が付いておれば異常なし。

灯が消えれば異変あり。と。」

 瞬く間に答えを導き出した藤吉郎に大二郎は目を真ん丸にして、藤吉郎の頭をクシャクシャと掻き擦った。

「おお、ほうじゃ、ほうじゃ。

大猿はやはり頭が切れるのぅ。

それに聞いたぞ。読み書き算盤もできるじゃろ?

佐平殿が言っとった。『藤吉郎は屋敷方衆になるかもしれん。』と。」

「えっ!それは真か?」

 今度は藤吉郎が目を丸くする番だった。

「おう、言うとった。

京へ上洛したら京の屋敷にも屋敷方が要る。

それも都で屋敷方が下手をしてはいかんから、手慣れた者から京へ送るらしい。

それでこっちの屋敷で手の足らん所を、誰かおらんかと探しとるらしい。」

「なんと…」

 予想外の事に言葉も無くした藤吉郎に「おい、引き手を代わってくれ。」と声が掛かれば、藤吉郎はもうモノを考える余裕もなく荷車の前へと駆け出した。

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