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夢流れ  作者: 大和 政
第一章 猿夜叉伝
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茶はないか

「のぅ、猿兄ぃ。公方様、子供じゃったな。」

「ああ」

「それにピカピカじゃった。」

「おう」

「猿兄ぃ?」

 公方様が陣の中に入り、下働き衆はホッと息をついた。

「よいこらせ。」腰を上げ背を伸ばす下働き衆たちの中で猿夜叉は藤吉郎に声を掛けた。

けれども藤吉郎の頭は今し方見た公方様の姿で一杯で、猿夜叉の声は藤吉郎の耳に届かなかった。

今、目の前で見た馬上の公方様。

その姿は自分と変わらない年頃で、しかし着ている服は絵巻物の天上人のようで。

まさか、公方様があのような方だとは…。


「おい、クソ猿ども。お前らのお陰で寿命が縮んだぞ。」

「ほうじゃ、ほうじゃ。それも目を落とさずに公方様のお姿を見おってからに。

手打ちにされてもおかしくなかったぞ。」

「しかし、ワシ等が公方様の姿を見られるとはのぅ。殿様、様々じゃ。」

 義藤が陣屋の奥に姿を消すと、下働き衆たちはゾロゾロと陣の外に出た。

そして、公方様の騎馬を陣の外に繋ぎ止めた佐平も下働き衆と合流すると、早速佐平は下働き衆を二手に分けた。


「まだや、まだ帰りなや。何人かは、この陣の片付けに残ってもらう。

それから残りの者は、屋敷に帰って宴の支度や。

屋敷には女衆も入って貰っとるが、手が足らん。早うに戻って、その手伝いや。」

「全く、今日は朝から忙しぃな。公方様が来るのも良し悪しや。」

 さっきまで義藤の姿を見られたことに感激していた者たちも、たちまち口々に愚痴をこぼして佐平の言葉に従った。

猿夜叉と藤吉郎は宴の支度。

背の低い二人に陣の後片付けと言っても然程さほどのことはできないと、佐平は二人にも屋敷に戻るように言った。

そうして猿夜叉と藤吉郎たちは屋敷に向かって歩き出し、残りのものは公方様が帰るまでの時間潰しと草むらに横になった時、

陣の中から定武が血相を変えて飛びだしてきた。


「茶じゃ、茶。公方様が茶を飲みたいと言っておる。」

 声を聞いて佐平が定武に駆け寄る。

「茶!?そのような用意はしておりません。」

「それは分かっておる。だから早う支度を整えるのじゃ。」

 こぼれ聞こえてくる二人の声を聞きながら藤吉郎は先程の義藤の姿を思い返した。

そういえば、草津から馬を駆けてここまできた義藤の額には汗が滲んでいたような気もする。


「佐平、ともかく沙々貴のお社に行け。」

 この陣から沙々貴のお社はすぐそばで、見れば鎮守の杜が風になびいていた。

「沙々貴のお社ならいくつか茶器もあろう、借りてこい。

あそこは六角家の氏神様じゃ、事情を話せば無理も聞いてくれる。」

 矢継ぎ早に指示を出して定武は陣の中に戻っていった。

そして佐平が定武の言葉通りに沙々貴のお社に駆け出すと、藤吉郎と猿夜叉もその後を追った。

「全く、ワシ等がおらんと何にも出来ん六角公方がいい気になりおって。」

 誰かが言った言葉にその場がワッと沸いた。

それから陣に残った者は周りから薪になる枯れ枝葉を集めて、佐平や藤吉郎、猿夜叉が手に手に茶器や鍋、水桶と持って沙々貴のお社から戻ってくる頃には、早速火を起こした。

茶釜などはない。

大きく興った火の上に鍋を置き、水を放り込む。

「どうじゃ、できたか?」


 待つ者の時間は長い。

藤吉郎たちが走り回っている内にも痺れを切らした定武が様子を伺いに来た。

「茶器は善し悪しなど分からんで、適当に見繕って持ってきました。」

 佐平が定武に差し出した箱の中には色も大きさもまちまちの茶碗が収まっていた。

「良し良しじゃ。湯の方はどうじゃ。公方様はもう長くお待ちじゃ。」

見ればその傍で大二郎が薪をくべて、水を張った鍋を火に掛けていた。

「沸かん、沸きませぬ。」

 下働き集が見守る中で鍋の水はようやくユラユラと湯気を立て始めたばかりだった。

「早うせんと公方様が待ってるんやで。」

「分かってる、せやけど湯が沸かんのや。仕方ないやろ。」

 汲んできた冬の井戸の水は、いつ凍ってもおかしくないほど凍てついていて、下働き衆がどんなに焦って火にくべてもなかなか沸き立たなかった。

「せやけど早うせんと…」

 その場の下働き集はどうしていいか分からずにいた。

そんな下働き集の合間を縫って藤吉郎は鍋の前に躍り出ると、

手にした茶碗にまだ沸騰していない湯を汲み入れた。


「定武様、これで茶を点てて下され。

ぬるいぐらいならマシじゃ。二の茶、三の茶と熱い茶を出せば良いと思うんじゃ。

それより、これ以上待たすのはマズい、言い訳が思い浮かばん。」

 藤吉郎の機転を感じ取った定武は藤吉郎から茶碗を引ったくって、

ドカッと地面に胡座を掻いてた。

そして茶碗に粉茶を放り込むと荒々しく茶筅ちゃせんで茶を立て始めた。

「定武様は、茶を点てられるのか?」

「おう、まぁな。京の公家どもは何にもできんくせに口ばかりは達者でな。

茶ぐらい点てられんとすぐに田舎侍などと陰口を叩きよる。

儂も、お館様が上洛するからには屋敷方としてはこれぐらいできんと参るのじゃ。」

 喋りながらも定武は見事な手際で茶を点てていた。

持ってきた茶器の中で一番大きな茶碗には、深い緑の茶とほどよい茶の泡。

定武はその大きな茶碗を両手で持ち上げると、早速義藤の待つ陣幕の中へと姿を消した。


 義藤は陣座に腰を下ろし頬杖をついて溜め息をついた。

「茶はないか」などと、我ながら何とも子供じみたことを言ったものだ。

もちろんこんな野っ原に茶などある筈がない。そんな事は分かりきっている。

それでも余はわざと「茶はないか」と義賢に尋ねたのだ。

無理難題を押し付けて、余が上位であることを示そうとしたのだ。

いや、もっと簡単に言えばただの嫌がらせだ。

余は、例え上辺だけであっても、六角家の主君、将軍足利義藤である。

そう証明したかったのだ。

 そして、余の命を受けて、義賢は「すぐさま用意致します」と頭を下げた。

それから、陣の奥が騒がしくなった。

おそらくは、どう茶の支度を整えるのか問答しておるのであろう。

フッ、何とも馬鹿々々しい。

たった一杯の茶の為に、六角家の当主が頭を下げ、大勢の下人どもが走り回る。

愉快ではないか、滑稽ではないか。


 余が、だ。


 そう思えば思うほど義藤は自分自身に嫌気がさしていた。

そうして茶を待つ間、義藤はしばらく義賢と二人きりとなった。

けれども親子ほどに年の離れた義藤と義賢の間に盛り上がる話題などない。

しかし「茶はないか」などと聞いた手前、茶を待たずに去る訳にもいかず、

続かない会話は自然とこの後の上洛の打ち合わせの事ばかりとなった。

その義賢の話によると、まずは今日、観音寺城で将軍を迎える饗宴が開かれ、その後は南近江のあちこちの領主に挨拶回りをするらしい。

そうして、各地の領主の協力を得て軍勢をまとめ、おそらくは一ヶ月の後、いよいよ余は京の都に上洛をするのだという。

そして、余が上洛を果たせば、天下は六角家のもの。

その一ヶ月が良いものか悪いものか余には分からん。


「良きに計らえ。」

 ただそう言って、義藤は空を見上げた。

冬の朝の空は、氷のように高く高く雲の彼方まで透き通っていた。

けれども義藤の身は、まるで鎖で繋がれたかのように地べた囚われていた。

鳥のように自由に雲の上にまで羽ばたきたい。

それが義藤の望みだった。


「お待たせ致しました。ただいまお茶をお持ちいたしました。」

 義藤がふと空に手の平を伸ばしかけたとき、陣幕の向こう側から野太い声が聞こえて、定武が入ってきた。

その両の手には瓜ほどの大きな茶碗、その茶碗には波々と茶が入っていた。

定武は義藤の前まで行くと膝をつき頭を下げて、茶碗を差し出した。

「うむ」と義藤は返事にもならないような声を発してその茶碗を掴み取った。

手にした茶碗はさほど熱くはなかった。

見れば茶から湯気が立つ様子もなく、口を近づけても熱気は感じなかった。

そして茶を口の中に運んでも、茶は僅かに温かいだけで、むしろヌルイと言った方が良いような温度だった。

ヌルイ茶は不味い。

舌の上に茶葉の苦みも渋みも残る。


「なんじゃこの茶は!!」

 義藤は一口、口に茶を含むと堪らずに声を上げた。

しかし、飲めば飲むほどに汗が噴き出る。

思えば草津の宿から観音寺城まで休む間もなく馬を走らせていたのだ。

義藤はその喉の渇きを思い出すと、もう茶の味など二の次にゴクゴクと茶を飲み干していった。


そうして義藤が一杯目の茶を飲み干した頃、二杯目の茶を持って、藤吉郎が恐る恐る陣幕の中に入ってきた。

二杯目の茶は、片手で持てる並の大きさの茶碗。

中にはユルユルと湯気が踊る茶の湯が入っていた。

「お湯が沸き始めたので二の茶を持ってきました。

茶は佐平殿が見よう見まねで点てたので上手いかどうかは分かりませぬが…」

 身を小さくして定武に耳打ちして、藤吉郎は定武に二の茶を手渡した。

それはさっきよりかは温かく、これなら飲んでも先程のようなしかめっ面を見ることはあるまいと、定武は義藤の元へにじり寄って二の茶を差し出した。


 確かに茶の湯は先程より幾分も温かかった。

たったそれだけの違いであっても、その湯は茶の旨味を引き出し始めていた。

舌の上には苦みも渋みも残っていたが、まだ飲むことはできる。

一杯目の茶は美味いも不味いも考えずに一気に飲み干したが、一息ついた今なら少しは味わう余裕も生まれた。

とはいえ、味わう程の味ではなかったが。

そんなことを考えながら二杯目の茶も飲み干すと、いつの間に陣幕の外に出ていた定武が陣の中へと帰ってきた。

手には三杯目の茶。


 手の平にすっぽりと入る小ぶりの茶碗の中には、湯気が立つ熱々の茶が入っていた。

「お待たせいたしました。ただいま茶の湯が入りました。」

 改めて定武が熱い茶を義藤に差し出す。

三杯目の茶は見事に茶の旨味を引き出していた。

義藤は一口その茶を腹に流し込むと、その熱は身体の隅々にまで広がった。


 なんと幼稚であったのか。

たった、たった一言、「茶はないか」と問うただけで、

幾人もの者たちが動き回る、

知恵を重ね余の意思を汲もうと必死になる者がおる。

そんな事も考えずに余はただ嫌がらせに問うたのだ。

もっと、もっと強く在らねばならん。

そうだ、余は将軍なのだから。

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