一層目と、息②
只今誠意執筆中_φ(ò_óˇ)ᕤ
どうストーリーが進んで行くか乞うご期待!!
現在は、第4部終盤の執筆に取り掛かっております!
残すは5、6、7部。
先はまだまだ長いですが、構想は終わっているので毎日楽しく執筆できております(●´ω`●)
皆様に少しでも楽しみに感じて頂ける作品になるよう私も楽しみながらやってきます!!
塔だった。
焼けてから十七日目の夕方籠の中から三十数えるあいだだけ見たものだ。
あのときは細く見えた。雲の白い床から一本だけ立っていた。てっぺんが少しだけ欠けていた。
雲の上に出ている部分だけで摩天楼の腹の三倍あると見た。
その根元に今立っている。
近づいてみると細くはなかった。
太い。
根元の幅がどこまであるのか分からない。左に歩いても、右に歩いても、壁が続いている。
三番街がこの中に入る。
入って余る。
リュカは壁に手を当てた。
冷たかった。石ではない感じがした。石より滑る。
継ぎ目がなかった。
三年、荷を担いで街の壁を見てきた。壁には必ず継ぎ目がある。石を積むからだ。
この壁には積んだ跡がない。
「……どうやって積んだんでしょう」
リナンが言った。
「積んでない」
リュカは手を離した。
「積んだ跡がない」
「積まずにどうやって」
「分からない」
---
壁に沿って歩いた。
左へ歩いた。理由はない。左の手が壁に触れる側だったからだ。
二百歩ほどで壁が変わった。
彫ってあった。
字だ。
丸くて角がなくて、どこで一つが終わるのか分からない字。
リュカは外套の内側から紙を出した。
五枚のうち一枚。
炭で写した字だ。アステル区の灯柱の台座から自分で写した。
壁には字が何行もあった。
紙にあるのは一行だけだ。
リュカは紙を壁に当てて、上から下へ動かした。
三行目で止まった。
同じだった。
同じ字が同じ順に並んでいる。
紙のほうは炭が太くて、線がつぶれている。壁のほうは細い。
だが同じだった。
「……同じですか」
リナンが訊いた。
「三行目が同じだ」
リュカは紙を壁に当てたまま言った。
「灯柱の台座にあったのと同じ一行だ」
「読めますか」
「読めない」
リュカは紙を下ろした。
「一度も読めたことがない」
---
字の下に門があった。
壁が内側へ抜けている。
高さは人が三人重なるくらい。幅は荷馬車が二台並べる。
門の枠に同じ字が彫ってある。
中は暗かった。
リュカは門の前に立った。
立ってしばらく動かなかった。
「……入るんですか」
「入る」
「今」
「先に壁を見る」
リュカは門の右を見た。
壁が続いている。
二百歩ほど歩いた。
もう一つあった。
---
二つ目の門は閉じていた。
一つ目には扉がなかった。抜けているだけだった。
二つ目には石の扉がはまっている。枠と扉のあいだに線が一本あるだけでその線に指が入らない。
扉の面に字が彫ってあった。
一つ目の門とは違う字だ。だが、同じ種類の字だった。丸くて角がない。
それから、扉の真ん中に形が一つ彫ってあった。
三角だ。
上を向いた三角。
リュカはその三角を指でなぞった。
なぞってから手のひらを扉に当てた。
押した。
動かない。
もう一度押した。
肩を入れた。
足を石に踏ん張って、体重を載せた。
三年、十六貫を担いできた背中だ。
動かなかった。
「……開きませんね」
「開かない」
「押すと思いませんでした」
「押さないと、開かないかどうか分からない」
リュカは扉から離れた。
離れてから掌を見た。
埃もついていなかった。
押した跡が扉に残っていなかった。
---
「リュカくん」
「うん」
「なんで二つあるんでしょう」
「分からない」
「一つでいいですよね」
「一つでいい」
リュカは二つ目の扉を見ていた。
「一つでいいのに二つある」
「……はい」
「ということは二つ要るんだ」
リュカはそう言った。
「要る理由が俺には分からないだけだ」
リナンはしばらく扉を見ていた。
それから言った。
「開ける人がいるんでしょうか」
「いるなら開いてる」
「いないんですね」
「今はいない」
リュカはそこで少しだけ言い直した。
「今はだ」
---
一つ目の門に戻った。
戻る道でリュカは扉のことを考えた。
考えても分からない。分からないものは数えない。
だが場所は覚えた。
一つ目の門から右へ二百歩。
それは数えられる。
---
門をくぐった。
くぐるとき何も起きなかった。
止められもしなかった。
問われもしなかった。
三番街の詰所では四百シャルドを払わなければ籠に乗れない。
鑑定所では十シャルドを払わなければ石を見てもらえない。
ここでは何も要らなかった。
要らないということがリュカには、少し落ち着かなかった。
「……何もないですね」
リナンが言った。
「何もない」
「お金もいらないんですね」
「いらない」
リュカは後ろを振り返った。
門の外は白かった。
「金を取らないということは」
リュカは言った。
「入ったあとで取るんだ」
---
中は暗くなかった。
壁が光っていた。
強い光ではない。夕方の路地くらいだ。
どこから出ているのかは分からない。壁の面がそのまま薄く光っている。
壁に手を当てると、光は変わらなかった。
リュカの掌の下だけ光が消えるわけでもない。
掌を透かして光っていた。
---
息が変わった。
気づいたのは三十歩ほど入ってからだ。
喉の奥の水気がない。
地上層の空気は重い。吸うと喉に張りつく。三年吸って半年で慣れた。
塔の中の空気にはそれがない。
軽い。三番街の空気に少し似ていた。
少しだけだ。三番街には煤と油と人の匂いがあった。
ここには匂いがない。
何の匂いもしない空気をリュカは、吸ったことがなかった。
「……吸いやすいです」
リナンが言った。胸に手を当てている。
「里より吸いやすいかもしれません」
リュカはそこで一つ思った。
吸いやすい空気は歩くのが楽だ。
楽だと遠くまで行ける。
遠くまで行くと戻るのも遠くなる。
---
床は平らだった。
継ぎ目がない。
壁と床の境目も、線が一本あるだけだった。
その床に物があった。
リュカはしゃがんだ。
杭だった。
自分の杭ではない。もっと太い。鉄芯に木を巻いたものではなく全部が鉄だった。
折れていた。
半ばで斜めに折れている。
折れ口が古い。錆が出ていた。
リュカはそれを拾った。
拾って重さを量った。
自分の杭の三倍ほどある。
「……誰かのですか」
「誰かのだ」
「新しいですか」
「古い」
リュカは折れ口を指でなぞった。
「錆びてる。錆びるには時間がかかる」
---
杭は一本ではなかった。
十歩の範囲に七本あった。
全部、鉄だった。
全部折れていた。
折れ方が同じだった。半ばで斜めに。
リュカは七本を並べた。
並べてからその並びを見た。
七本とも、折れ口が同じ向きを向いていた。
同じ方向から同じ力がかかった。
上からだ。
---
杭の脇にもう一つあった。
骨だった。
布の切れ端が絡んでいた。色は分からない。
リュカは立ち上がった。
立ち上がってから上を見た。
塔の中は吹き抜けだった。
壁が上へ続いている。
どこまで続いているのかは見えない。上のほうで光が薄くなって、そこで終わっていた。
終わっているのではない。見えないだけだ。
「……落ちたんですね」
リナンが言った。
「落ちた」
「上から」
「上から」
リュカは骨を見た。
それから、七本の杭を見た。
杭は折れていた。骨は砕けていた。
順番が分かった。
杭が折れてそれから落ちた。
---
リュカは骨の脇に膝をついた。
数えた。
長い骨が二本。短い骨が十一。
十三だ。
人の骨が全部で何本あるのかは知らない。
十三より多いことは分かる。
足りないぶんはどこかへ行ったのだ。
---
ザッハは、根元を見た者の話は四十年一度も聞かなかったと言った。
その根元の中に錆びた杭と骨がある。
話がないのは、見た者がいないからではない。
出られなかった者の話は、誰も聞けないからだ。
――この人は根元を見た。
見たことを誰にも言えなかっただけだ。
---
リュカは立ち上がった。
布は出さなかった。四枚のうち二枚は足と翼に巻いてあり残りは傷と汗のためのものだ。
骨にかける布は持っていなかった。
代わりに七本の杭を骨の脇にまとめた。
並べたのを揃え直した。
折れ口を全部同じ向きにした。
それだけした。
「……何してるんですか」
「揃えた」
「なんで」
「分からない」
リュカはそう言った。
「揃えると少しましだ」
---
登る場所は壁の際だった。
床の縁から坂が出ていた。
幅は荷を担いだ人が一人通れるほど。
外側の手が壁に触れる。内側は何もない。
その坂が壁に沿って、右へ回りながら上がっていく。
ザッハが言ったとおりだった。
――道はない。階がある。中をぐるぐると上がっていく。
「……階ですかね」
リナンが言った。
「階だ」
リュカは坂に足を載せた。
段はなかった。
平らな坂がずっと続いているだけだった。
「段がないですね」
「ない」
「階なのに」
「爺さんは階だと言った」
リュカは坂の面を靴の先で撫でた。
「段があるとは言わなかった」
---
リュカはそこで困った。
石段は四十二段だ。数えればどれだけ上がったかが分かる。
段のない坂は歩数しか出ない。
千歩歩いても、どれだけ上がったかは歩数からは出てこない。
「リュカくん」
「うん」
「歩数数えますか」
「数える」
リュカは言った。
「数えるが高さにはならない」
「……じゃあ何を数えるんですか」
リュカは坂を見上げた。
壁に沿って、右へ回って、光の薄いところへ消えている。
登りきるまでの数は数えられない。
だが、減っていくものなら、数えられる。
水は三つ。干し魚は四枚。杭は十本。
それから。
「息だ」
リュカは言った。
---
「息」
「荷を担いで石段を上がると、四十二段で六十息だった。疲れてる日は七十息」
「……数えてたんですか」
「数えていた自覚はなかった」
リュカは坂に足を進めた。
「今、数えていたことに気づいた」
「息は疲れの数ですか」
「疲れの数だ」
リュカは二歩目を進めた。
「高さは分からない。だが、どれだけ使ったかは分かる」
---
ザッハはこうも言った。
――あそこで人を殺すのは仕掛けじゃない。自分の脚だ。
仕掛けを数えることはできない。
脚は数えられる。
「リナン」
「はい」
「息を数えろ」
「はい」
「途中で突き合わせる」
「合わなかったら」
「合わなかったほうが疲れてる」
リナンは頷いた。
頷いてから坂に足を載せた。
---
しばらく登って、リュカは後ろの音に気づいた。
しゅしゅと鳴っている。
振り返った。
リナンの左の翼の先が壁を擦っていた。
坂が狭い。壁側を歩くと翼が当たる。
「……当たってる」
「当たります」
リナンはあっさり言った。
「三年、どこでも当たってました」
リュカはその翼の先を見た。
擦り切れている。
先の羽が短くなって、軸だけになっているところがある。
路地で戸口で宿の梁の下で当たってきたのだ。
飛ぶなら当たらない。
飛ばないから当たる。
「内側を歩けるか」
「歩けますけど」
リナンはそこで言葉を止めた。
止めてから言った。
「……内側は下が見えます」
リュカはリナンの顔を見た。
見てそれ以上は訊かなかった。
訊かないほうがいいことは三年で覚えた。
代わりに立ち位置を替えた。
自分が壁側に寄って、リナンを半歩だけ内側に入れる。
自分の肩が壁を擦った。
外套の肩なら、擦れても減るだけだ。
リナンはしばらく何も言わなかった。
それから、小さく言った。
「……当たらなくなりました」
「うん」
「三年、替わってくれた人はいませんでした」
リュカは答えなかった。
答える言葉が思いつかなかった。
---
登った。
坂は緩かった。
緩いので登っている感じが薄い。
薄いのに息は増える。
これがザッハの言った危なさだとリュカは思った。
きつい坂ならきついと分かる。分かればやめる。
緩い坂はやめる理由をくれない。
---
百息ぶん登ってから下を見た。
床が思ったより近かった。
百息でこれだけかと思った。
思ってからそれが数として役に立つことに気づいた。
百息でこの高さ。
だとすれば千息で十倍だ。
十倍がどれくらいなのかは分からない。
だが比べられる。
---
二百息を過ぎたところで足を止めた。
外側の壁の面が一か所だけ色が違っていた。
違うというよりほんの少し濃い。
板ほどの大きさだ。
リュカはそこに手を当てなかった。
代わりに杭を一本出した。
十本のうち一本。トトが選んで、重さを量って、布に巻いてくれた十本のうちの一本だ。
その杭の先で壁を叩いた。
こんと鳴った。
濃いところの脇を叩いた。
こんと鳴った。
同じ音だった。
もう一度、濃いほうを叩いた。
こん。
同じだ。
リュカは杭を引いた。
それから、もう一度叩いた。
今度は強く叩いた。
音が違った。
高かった。澄んでいた。
---
リュカはそこで動かなかった。
澄んだ音は隙間の音だ。
昇降機の留め具が緩んでいるとき、指で弾くとその音がする。締め直すと鈍い詰まった音になる。
三年、その違いだけで留め具の緩みを言い当ててきた。
ドランに教わったのではない。
ドランが教えたのは止め方だ。音は誰にも教わっていない。
――音が違う。
三年、その一言だけを何十回もあの男に言ってきた。
言うたびにドランは工具箱を開けた。
だから、間違っていなかったのだ。
---
この壁には継ぎ目がない。
継ぎ目がないなら隙間もない。
隙間がないところで隙間の音がした。
リュカは、杭の先を濃いところの縁に当てた。
当てて少しだけ押した。
壁が動いた。
---
壁の面が剥がれるように、縁から浮いた。
浮いた隙間に杭の先が挟まった。
リュカは杭を離さなかった。
離さずに引いた。
抜けない。
挟まれた杭の向こうで何かが動いていた。
「リナン」
「はい」
「坂の内側に寄れ」
「落ちます」
「そうだった」
リュカはそう言って、杭から手を離した。
離した手でリナンの腕を掴んだ。
掴んで壁に押しつけた。
自分も壁に背をつけた。
坂の幅は人が一人ぶんだ。
二人で立つと肩が触れた。
それから上を見た。
---
壁が剥がれた。
剥がれたのは壁ではなかった。
厚みがある。
板ほどの厚みで幅は人の胴ほど。
それが壁から離れて落ちた。
落ちるとき広がった。
左右に薄いものが開いた。
翼だ。
石の色をした翼だった。
落ちながら、翼が風を掴んで、落ちる速さが変わった。
落ちるのではなく下りていた。
---
それは坂の上を横切った。
リュカが一歩前で立っていた場所を腰の高さで通った。
立っていれば押されていた。
押されれば内側へ落ちる。
内側には何もない。
通るとき音がした。
風の音だ。
高い音だった。夜に石の角を削っていた音と同じ音だった。
---
リュカは壁に背をつけたまま、それを見下ろした。
下りていく。
床に近づいてそこで翼を閉じた。
閉じるとまた板になった。
板が床に当たった。
音は石が石に当たる音だった。
それから、動かなくなった。
床の上で石の板が一枚落ちているだけに見えた。
---
「……リュカくん」
リナンが言った。
肩がまだ触れている。
「離してもらえますか。腕が」
「……悪い」
リュカは手を離した。
離してからリナンが先に壁についていたことに気づいた。
自分が押しつけるより前に。
「先に寄ってたのか」
「はい」
「なんで」
「風が先に来ました」
リナンはそう言った。
息が少し速かった。
「……翼があると、来るものが分かります。音より先です」
「音より先か」
「押されるので」
---
リュカは挟まれた杭を見た。
壁の面が元に戻っていた。
杭はまだ挟まっている。
半分ほど出ている。
リュカはそれを掴んで引いた。
抜けた。
抜けた杭を日に向けた。日はない。壁の光に向けた。
半ばで曲がっていた。
折れてはいない。曲がっただけだ。
鉄芯に木を巻いた杭だ。木は無事で芯が曲がっていた。
リュカはそれを布に戻さなかった。
曲がった杭は撃てない。芯が曲がっていれば、まっすぐ飛ばない。
撃てない杭は叩くのに使える。
これを叩く用にする。
布に巻いた九本は撃つためのものだ。
十本のうち一本。
曲がった一本も数に入れる。
---
下を見た。
床に石の板が一枚ある。
その脇に七本の折れた杭と十三の骨がある。
折れた杭は全部鉄だった。鉄の杭は曲がらない。硬いものは折れる。
リュカの杭は曲がった。
折れなかったのは、木を巻いてあるからだ。
トトが巻いた。焼ける前からずっと巻き直してきた。
リュカは、九本の布巻きを外套の内側に押し込んだ。
曲がった一本は手に持ったままにした。
---
投槍器は外套の下にある。
出さなかった。
出しても撃つ先がなかった。
壁を撃っても壁は減らない。
三年、撃つのは的か向かってくるものだった。
壁になっているものを撃つという考え方をしたことがない。
――次は先に出しておく。
リュカはそう決めた。
決めてから外套の下の革帯を指で一度だけ確かめた。
三年、そこにある。
「……あれ何ですか」
リナンが訊いた。
「分からない」
「壁だと思ってました」
「俺も思ってた」
リュカは上を見た。
坂がまだ続いている。
どこまでかは見えない。
「壁だと思ったものが動いた」
リュカは言った。
「だから、壁はもう壁だと思わない」
---
「名前あるんでしょうか」
リナンが言った。
「あるだろう」
「訊けませんね」
「訊けない」
リュカはそう言った。
バルは、東の岩場で人に会ったら名前を訊けと言った。
人には訊ける。
人でないものには訊けない。
名前があっても、言わないものは名前がないのと同じだ。
――いや。
リュカはそこで言い直した。
同じではない。
言わないだけだ。
---
「リュカくん」
「うん」
「何て呼びますか」
リュカは下を見た。
石の板が一枚落ちているように見える。
石の色で翼がある。
「……石の羽だ」
「石の羽」
「石の色で羽がある」
リナンは少し考えた。
「そのままですね」
「そのままだ」
リュカは言った。
「見たものしか言えない」
言ってからその言い方をどこかで聞いたことに気づいた。
鑑定所の先生だ。
――私は見たものしか言わない。
あの男はそれを規則として言った。
リュカのは規則ではない。ほかに言えるものを持っていないだけだ。
---
その呼び名が正しいかどうかは分からない。
どこかに本当の名があって、あの壁の字のどこかに書いてあるのかもしれない。
書いてあっても読めない。
読めないなら呼べない。
呼べないから自分で決める。
三年、名前は人から聞くものだった。荷札の字も、魔物の名も石の呼び方も誰かが先に決めていた。
自分で決めたのは初めてだった。
---
リュカは杭を持ち直した。
一歩進んで壁を叩いた。
こんと鳴った。
もう一歩進んで叩いた。
こん。
同じだった。
同じなら進む。
その次も叩いた。
同じだった。
進んだ。
---
「リュカくん」
「うん」
「一歩ずつ叩くんですか」
「叩く」
「遅くなります」
「遅くなる」
リュカは次の面を叩いた。
「遅くなるが落ちない」
リナンはしばらく黙っていた。
それから言った。
「……わたしも叩きます」
「杭は一本しか出してない」
「石で叩きます」
リナンはそう言って、腰の袋から石を出した。
道で拾った石だ。リュカが選ばなかった二つのうちの角の多いほう。
「持ってたのか」
「捨てるところがなかったので」
リナンは石の角で壁を叩いた。
こんと鳴った。
音は杭で叩いたときより鈍かった。
だが違いは分かった。
---
二人で叩きながら登った。
一歩叩いて一歩進む。
叩く分を入れると、一歩に二息かかった。
リュカは二息で数えなおした。
三百息ぶん登った。
叩いた面のうち音が違ったのは二つだった。
二つとも壁から離して通った。
通った場所は覚えた。
坂を上がりはじめてから百八十二歩目と二百四十七歩目。
覚えておけば帰りに使える。
帰りは下りる。下りるときも同じ場所を通る。
---
どこかで一層目が終わっているはずだった。
一層目という言い方をリュカは知らなかった。
ザッハは階があると言った。ぐるぐる上がると言った。
いくつあるかは言わなかった。
階と階の境目がどうなっているのかも、言わなかった。
誰も言わないなら、自分で決めるしかない。
骨のあった床を一つ目にする。
――一層目。
そう呼ぶことにした。
二つ目だった。
石の羽と一層目。
半日で二つ決めた。
決めると言えるようになる。
言えるようになると、リナンに伝えられる。
伝えられると、二人で同じものを指せる。
便利だった。
便利なのに落ち着かなかった。
決める者がここにいないから、自分が決めている。
それは、ここに誰もいないということだった。
---
五百息を過ぎたところで足が止まった。
坂が終わっていた。
終わって平らになっている。
平らなところは壁に沿って、輪のように広がっていた。
幅は荷馬車が一台入るほど。
その平らなところの先にまた坂が出ていた。
上へ続いている。
坂の出ている場所がずれているだけだった。
「……続いてます」
リナンが言った。
「続いてる」
「終わりじゃないんですね」
「終わりじゃない」
リュカは平らなところへ足を移した。
移してから振り返って、リナンに手を伸ばした。
リナンはその手を取らなかった。
取らずに自分で上がってきた。
上がってから言った。
「……手はあとで借ります」
「今じゃないのか」
「今は上がれました」
---
床に座った。
二人ともしばらく何も言わなかった。
息が戻るのを待っていた。
リュカは息の数を思い返した。
五百と少し。
二息で一歩だから、二百五十歩ほど進んだことになる。
二百五十歩。
宿から広場までが四十歩だ。その六回分を回りながら上がった。
どれだけ上がったのかは、歩数からは出てこない。
五百息ぶん使った。
それだけは出てくる。
「リナン」
「はい」
「いくつ数えた」
「……五百十二です」
「俺は五百八だ」
「四つ違います」
「四つ違うのは、どっちかが息を止めたんだ」
リュカは言った。
「止めたのは俺だ」
「なんで分かるんですか」
「あれが落ちてくるとき止めた」
リナンは頷いた。
「わたしは止めませんでした」
「なんで」
「翼で先に分かってたので」
リュカはリナンの肩を見た。
上下が速い。
数は四つしか違わないのに、息の速さが違う。
同じ数を短いあいだに使っている。
持ち上げると驚くほど軽い身体だ。骨が空だと本人が言っていた。
軽いから力はある。
軽いから続かない。
「リナン」
「はい」
「次の坂は俺が先に行く」
「……速さを落とすんですか」
「落とす」
「わたしのせいですか」
「二人で登るからだ」
リュカはそう言った。
「速い者の速さで登ると、遅い者が先に止まる。荷を二人で担ぐときと同じだ」
---
平らなところの端から下を覗いた。
遠かった。
下の床に落ちている石の板は、もう見えない。
骨も杭も見えない。
白っぽい点がいくつかあるように見えたがそれが骨なのかは分からなかった。
遠くの細かいものは見えないのだ。
リュカはそこで目を上げた。
上も同じだった。
どこまで続いているのか見えない。
下も上も見えない。
見えるのは、この平らなところと手の届く壁だけだった。
「……ここがどこだか分かりません」
リナンが言った。
「分からない」
「一番目ですか。二番目ですか」
「分からない」
リュカはそう言って少し考えた。
「一層目の上だ」
「一層目」
「骨のあった床が一層目だ」
リュカは言った。
「そこから五百息ぶん上がった」
「……それは二層目ですか」
「分からない」
リュカは壁の光を見た。
「分からないが一層目から五百息だ。それは数えた」
---
リナンが水袋を出した。
腰に下げた小さいほうだ。
二口飲んでリュカに渡した。
リュカは一口飲んだ。
飲んで返した。
「……一口ですか」
「一口だ」
「二口飲みましたわたし」
「飲んでいい」
リュカはそう言って言い直した。
「……よくない」
「え」
「水は三日ぶんだ。今日で三日目だ」
リナンは三つの水袋を見た。
小さいほうは軽くなっている。
「……足りませんね」
「足りない」
「上に水はありますか」
「分からない」
リュカはそう言った。
「バルさんは、二日で着かなかったら引き返せと言った。二日で着いた」
「着きました」
「着いたあとのことは言わなかった」
リナンは水袋の口を締めた。
「……数えます」
「水か」
「口の数です。何口飲んだか」
リナンは水袋を腰に戻した。
「合わなくなったら、どっちかが多く飲んでるので」
---
胸に手を当てた。
三十三個目の石がそこにある。
二日目だ。あと八日。
肌の温度になっていた。
外れるのは夜だ。
八日後の夜がこの中にあるのかどうかは、分からなかった。
壁は光っている。昼も夜もたぶん同じように光っている。
リュカはそれに気づいて、少し困った。
三年、日が落ちてから石を入れ替えてきた。
日が落ちない場所ではいつ入れ替えればいいのか。
---
リュカはそこで決めた。
――日が落ちないなら息で数える。
一万息で夜にする。
一万が一晩ぶんなのかは分からない。
分からないが決めておけば同じ間隔になる。
同じ間隔なら比べられる。
---
リナンが包みを担ぎ直した。
腰の上に載せて、胸の前で紐を結ぶ。
翼の布はまだ巻いてある。
「……登りますか」
「登る」
「あとどれくらいですか」
「分からない」
リュカは立ち上がった。
立ち上がって、次の坂の口で壁を叩いた。
こんと鳴った。
その先も叩いた。
こん。
同じだった。
「分からないが一歩ずつなら上がれる」
リュカはそう言って足を載せた。
読んで頂きありがとうございます。
引き続き1話ずつ毎日更新していきます。
現在4部まで出来ているので一年以上は連続更新できる予定です。
基本的には1日2-3部を18時と20時に分けて更新して行く予定としております!!
少しでも次が気になったり、楽しみにして頂ければ幸いです!
ブクマやお気に入り登録していただけますと今後の執筆の励みになります(´∀`*)
よろしければ是非応援頂けますと幸いです。




