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星降譚―STELLA NOMINA―  作者: うめこまち
第一部 灰は軽く、風に乗る

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63/168

一本と、五シャルド②

只今誠意執筆中_φ(ò_óˇ)ᕤ


どうストーリーが進んで行くか乞うご期待!!


現在は、第4部終盤の執筆に取り掛かっております!

残すは5、6、7部。

先はまだまだ長いですが、構想は終わっているので毎日楽しく執筆できております(●´ω`●)


皆様に少しでも楽しみに感じて頂ける作品になるよう私も楽しみながらやってきます!!

 宿に戻ったのは、昼を少し過ぎた頃だった。


 パンを二つヴェスナに渡した。


 ヴェスナはパンを見て、それからリュカを見た。


「……二つ」


「二つ」


「いくらだい」


「三つずつ」


 ヴェスナは少しだけ目を細めた。


「下じゃ三かい」


「三」


「上の七はぼったくりだね」


 ヴェスナはパンを受け取って、竈の脇の焼け残った棚に置いた。


 空だった棚にパンが二つ載った。


 棚はまだ空に近かった。


 だが空ではなかった。


「膠を少し」


「膠?」


「投槍器の革が」


 リュカはほつれた革帯を見せた。


 ヴェスナは、竈の脇の壁の窪みの黒い塊を顎で示した。


「好きなだけ使いな。戸の蝶番はもう要らないからね」


 戸は焼けてなくなっていた。


---


 空き地へ行った。


 石垣の崩れた面の前に、しゃがんだ。


 三年、毎朝しゃがんできた場所だ。


 投槍器を膝の上に置いて、ほつれた革帯をそっとめくった。


 古い膠が茶色く粉のようになって剥がれた。


 剥がれた下の木を指の腹で撫でた。


 三年前自分で貼った跡だった。


 膠の塊を小刀の先で少しだけ削り取った。黒い固い欠片。指先ほど。


 これを溶かす。


 溶かすには温める。


 懐に手を入れた。


 火種石が一つ入っていた。


 三日前詰所の脇で二つ買った。一つはヴェスナが竈に割った。もう一つは、懐に入れたままになっていた。


 取り出した。


 掌の上で火種石は鈍い赤に光っていた。石の中に熾火が閉じ込められているような赤。


 割れば火が出る。


 火が出れば膠はすぐに溶ける。


 すぐに溶ければすぐに貼れる。今日の午後のうちに、縫い終えられる。


 明日の朝の一巡に間に合う。


 リュカは火種石を掌の上に載せたまま、しばらく動かなかった。


---


 割るという動きを手が知っていた。


 膝の上で石の縁を硬いものに一度当てる。それだけだ。三年、何百回も見てきた。ヴェスナが毎朝竈の前でやっている。


 簡単だった。


 手が動かなかった。


 赤い光を見ていた。


 石の中で何かがゆっくり揺れている。


 割ればこの光は外に出る。火になる。膠を溶かして、燃え尽きて灰になる。


 それで終わる。


 この石はそれで終わる。


 リュカは火種石を握った。


 握ると掌の内側がほんのりと温かかった。


 ――温かい。


 割らなくても少しだけ温かい。


 リュカは火種石を握ったまま、もう片方の手で膠の欠片を火種石と掌のあいだに挟んだ。


 握り込んだ。


---


 溶けるのに長くかかった。


 石が割らないまま出している熱は、ほんのわずかだった。掌の熱と合わせても、膠はなかなか柔らかくならなかった。


 日なたに移った。


 空き地の石垣の上。昼過ぎの日が摩天楼の腹と上の街の底板のあいだの細い空からわずかに差し込む場所。


 そこに膠の欠片を載せた火種石を置いて、上から掌をかぶせた。


 待った。


 石が宿るのを十日待つ。それを二十八回やってきた。今、二十九回目の十日目だった。


 膠が溶けるのを待つのはそれに比べれば、何でもなかった。


 足音がした。


 ざっと擦れて少し止まる。


 リナンが石垣の脇に来て、しゃがんだ。


 リュカの掌の下の火種石を見た。石と掌のあいだから、赤い光がわずかに漏れていた。


「……それ火種石ですよね」


「うん」


「割らないんですか」


「割らない」


 リナンは少し首を傾げた。


「割ったらすぐ溶けますよね」


「溶ける」


「……」


 リナンはそれ以上は訊かなかった。


 訊かずに隣にしゃがんだまま、リュカの掌の下の赤い光を一緒に見ていた。


 しばらくして、リナンがぽつりと言った。


「……わたしも割るのちょっと嫌です」


「なんで」


「きれいなので」


 リュカはリナンを見た。


 リナンは赤い光を見ていた。


 ――きれいだから。


 石を拾いはじめた頃誰かに訊かれて、そう答えたことがあった気がした。


 リュカは何も言わなかった。


 それでいいと思った。


 坂の側の小路のほうからトトが焦げた鍋の蓋を担いで通りかかった。


 二人がしゃがんでいるのを見て、足を止めた。


「何してんだ」


「膠を溶かしてる」


「割らねえで?」


「割らないで」


 トトは、火種石とリュカの掌と日の高さを順に見た。


「……炉が焚けりゃ一瞬なんだけどな」


「焚けないだろ」


「焚けねえ」


 トトは鍋の蓋を担ぎ直した。


「親方なら怒るぞ。膠は温度だ日向で溶かすなって」


「親方はいない」


「……いねえな」


 トトはそれだけ言って、宿のほうへ歩いていった。


 日が少し傾いた。


 掌の下で膠がぬるりと動いた。


---


 溶けた膠を小刀の先ですくって、革帯の剥がれたところに塗った。


 薄く。均等に。


 革を木に押しつけた。


 指の腹ではなく掌の付け根で。


 押しつけたまましばらく待つ。


 それから、針に糸を通した。


 三年前と同じ針だった。外套のポケットを三年で二度縫い直した針。


 切れた二目のその両隣の目から縫い直す。


 古い糸を抜いて新しい糸を通す。糸に引いた蝋が指先で少しだけ溶けて、滑りがよくなる。


 一目。


 二目。


 四目。


 六目。


 三年前この針と麻袋をほどいた糸で同じところを縫った。あのときは十二で指がもっと細かった。一目縫うたびに糸が絡まった。


 今は絡まらなかった。


 八目で縫い終えた。


 糸の端を歯で切った。


 投槍器を握った。


 手の形に凹んだ握りが掌にぴったりと収まった。


 革帯が手首に吸いつくように巻きついた。


 ずれなかった。


---


 新しい杭を嵌めた。


 巻いた木の色が明るい。


 二十歩の的に向かって構えた。


 風を見た。


 物干し綱の布は、今日もほとんど揺れていない。三十歩先の焼けた長屋の最後の柱の先で焦げた布がぱたぱたと鳴っている。


 二十歩はずらさない。


 振った。


 杭が的の窪みに入った。


 新しい杭の最初の一本だった。


 音はほかの杭と同じだった。


 とん。


---


 火種石は懐に戻した。


 割らなかった。


 赤い光は今も石の中にあった。


 膠を溶かすのに、日の傾く時間をまるごと使った。


 割れば四半刻で済んだ。


 なぜ割らなかったのかは、自分でもうまく言えなかった。


 もったいないとは少し違った。


 二シャルドを惜しんだのではなかった。今日五シャルドを値切ろうとして、顔が熱くなった。二シャルドの石一つを惜しむ気持ちなら、あのときもっと熱くなっていたはずだ。


 そうではなかった。


 割れば終わる。


 それだけだった。


 石が終わるのが嫌だった。


---


 夜、宿の土間で鍋を煮た。


 今日はパンが二つ入った。


 ヴェスナが小さく千切って、湯の中に落とした。


 二十人ほどの椀にパンの欠片が少しずつ浮いた。


 ミラが土間に来ていた。イサの掌と上の子の腕の布を替えていた。


 セイルが梁の上で今日聞いた音を順番に繰り返していた。


 籠の綱の音。バルの「今日も一つか」。


 市の喧騒。


 それから、金物の台の男の声。


「四?」


 大きな声だった。


「一本、五だ。焼ける前から五だ」


 リュカは椀を持ったまま止まった。


「足りないなら買うな。金ができてから来い」


 土間が静かになった。


 ヴェスナが鍋をかき回す手を止めた。


 トトが椀から顔を上げた。


 ミラが布を巻く手を止めて、梁を見上げた。


 セイルは首を傾げた。


 それから、リュカの声で言った。


「……足ります」


 小さな声だった。


 自分の声だった。


 あのときよりもっと小さく聞こえた。


---


 誰も何も言わなかった。


 リュカは椀を見下ろしていた。


 顔がまた熱くなった。


 セイルは、それきり市の音には戻らなかった。


 少しの間があって、それからザッハの声で話を始めた。


「あれはなわしがまだ髭が顎の先までしかなかった頃の話だ」


 土間の空気が少しだけほどけた。


 ヴェスナがまた鍋をかき回しはじめた。


 トトが椀に顔を戻した。


 ミラが布の端を結んだ。


 誰も何も訊かなかった。


 セイルがザッハの話を続けていた。北の岩場。降らなくなった石。


 二十年前の細い柱一本。


 それが終わったところで土間の隅からヴェスナの声がした。


「そうだよ、あの柱」


 鍋をかき回しながら、誰にでもなく言った。


「あの柱一本で繋がってたんだよ、この街は」


 セイルはそれも拾った。


 台のきしむ音のあとにヴェスナの声で、「そうだよ、あの柱」と言った。


 四の話が始まると、リナンが椀を持つ手を止めた。


 願わなかった一族の話が終わるまで動かなかった。


---


 屋根裏で杭を数えた。


 四十本。


 三十九本の古い杭と一本の明るい色の新しい杭。


 それから折れた一本。数に入れた一本。袋の脇に立てかけてある。


 投槍器の革帯を指でなぞった。


 八目の新しい縫い目。


 ずれなかった。


 懐に手を入れた。


 硬貨が五枚。


 火種石が一つ。


 割らずに持っている。


 シャツの胸に手を当てた。


 青い石。十日目。


 今日で十日。


 肌の温度のままだった。


 朝から何も起きなかった。値切って断られたときも。膠が溶けるのを待っていたときも。新しい杭が的に刺さったときも。


 何も。


 ――外れ。


 二十九個目。


 リュカは、青い石をシャツの胸から出した。


 暗がりの中で色は見えなかった。形だけを指で確かめた。


 小さくて角が取れている。片側に小さな窪みがある。


 袋の口を開けて、その中に落とした。


 からんと鳴った。


 二十四個。


 五つ減った袋に一つ戻った。


 明日は次の石を選ぶ。


 下の土間でセイルがザッハの声で話を終えた。


「一冊も売れん」


 それきり静かになった。


 リュカは目を閉じた。


 昼に市で言った自分の声をもう一度だけ思い出した。


 顔はもう熱くなかった。

読んで頂きありがとうございます。

引き続き1話ずつ毎日更新していきます。

現在4部まで出来ているので一年以上は連続更新できる予定です。


基本的には1日2-3部を18時と20時に分けて更新して行く予定としております!!


少しでも次が気になったり、楽しみにして頂ければ幸いです!


ブクマやお気に入り登録していただけますと今後の執筆の励みになります(´∀`*)

よろしければ是非応援頂けますと幸いです。

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