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星降譚―STELLA NOMINA―  作者: うめこまち
第一部 灰は軽く、風に乗る

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57/168

三十歩と、右の風②

只今誠意執筆中_φ(ò_óˇ)ᕤ


どうストーリーが進んで行くか乞うご期待!!


現在は、第4部終盤の執筆に取り掛かっております!

残すは5、6、7部。

先はまだまだ長いですが、構想は終わっているので毎日楽しく執筆できております(●´ω`●)


皆様に少しでも楽しみに感じて頂ける作品になるよう私も楽しみながらやってきます!!

 構えた。


 杭を投槍器の溝に嵌めた。


 風を見た。


 今朝、物干し綱の布はほとんど揺れていなかった。


 三十歩先の焼け残った柱の先の布がぱたぱたと鳴っていた。


 今も鳴っている。


 右から左へ。


 あの高さを風が抜けている。


 杭はあの高さを通る。


 ――半歩、右。


 二十歩の的のために三年かけて身体に入れた半歩。


 今朝、二十歩ではずれた。


 三十歩ではずれないはずだ。


 振った。


 杭が空を裂いた。


 物干し綱の上を越えて、焼け残った柱の先の高さでほんのわずかに左へ流れた。


 流れて戻らなかった。


 影の翼の付け根に刺さった。


 狙ったのは胸だった。


 指二本ぶん上に逸れた。


 三十歩の落ち方を身体がまだ知らなかった。三十五歩なら振りの終わりを上へ逃がす。三十歩はその半分でよかったのだ。半分を逃がしすぎた。


 ――それでも刺さった。


 決めていない距離で刺さった。


---


 甲高い音がした。


 影が翼を打った。一度。二度。


 飛び上がれなかった。


 刺さった側の翼がうまく開かない。片方だけの翼が地面を打って、砂と灰が舞い上がった。


 子供のすぐ前で。


 上の子が下の子を抱えたまま、後ろへ倒れた。


「こっち!」


 リュカは叫んだ。


 上の子がこちらを見た。


 見て下の子の手を引いて、這うように、リュカのほうへ動きはじめた。


 影が首を回した。


 嘴が開いた。


 嘴の裏に細かい歯が並んでいた。


 ――肉を裂く歯だ。


 イサの声が耳の奥で鳴った。


 影は這っていく子供を見ていた。


 片方の翼を引きずりながら、脚で地面を蹴った。


---


 二本目を嵌めた。


 今度は、狙う場所が動いている。


 子供を追って、こちらへ近づいてくる。三十歩が二十八歩。二十六歩。


 近づくぶん風の高さから下りてくる。


 ――半歩じゃない。


 下りてきたぶん風に押されない。


 四分の一歩。


 身体をほんのわずかに戻した。


 見切り《サク》。


 影の重心を見た。


 目ではない。首でもない。脚の付け根の身体の重さが載っている場所。


 次にどちらへ跳ぶか。


 重さが右の脚に載った。


 ――左へ跳ぶ。


 跳ぶ前の一瞬。


 その一瞬が長かった。


 影の脚の爪が地面を掴む。灰が爪の間からわずかにこぼれる。翼を引きずった側の肩が少しだけ下がる。嘴が閉じる。


 閉じた嘴の中で細かい歯が擦れる音がした気がした。


 聞こえるはずのない音だった。


 振った。


 杭が影の胸に刺さった。


---


 影は倒れなかった。


 胸に杭を刺したまま首を振った。嘴を開いた。甲高い音が空き地の壁に跳ね返った。


 子供はもうリュカの足元まで来ていた。


 上の子が下の子をリュカの後ろへ押しやった。自分はその前に立った。布を巻いた左腕をまたかざしていた。


「後ろ」


 リュカは言った。


 上の子は動かなかった。


「後ろにいろ」


 上の子の肩を左手で後ろへ引いた。


 三本目を嵌めた。


 影がこちらへ跳んだ。


 片方の翼を引きずって。胸に杭を刺したまま。脚の爪を前に出して。


 近かった。


 十歩。


 八歩。


 正面から撃てば嘴に当たる。嘴は硬い。跳ね返る。


 ――跳ね返るなら。


 リュカは、影ではなく影の左の空き地の縁の焼け残った石垣を見た。


 崩れた面の平たい石。


 三年、毎朝その前にしゃがんで、掘ってきた石垣だ。どの石が平たくて、どの石が斜めか知っている。


 溝鼠を仕留めたときと同じだった。


 壁で跳ねさせる。


 石垣の平たい石の右の端へ。


 振った。


 杭が石垣に当たった。


 かんと硬い音がした。


 跳ねた。


 角度を変えて、影の嘴の付け根の下首の横に入った。


---


 影が止まった。


 脚の爪を前に出したまま。嘴を開いたまま。


 それから横に倒れた。


 砂と灰がもう一度舞い上がった。


 片方の翼が一度だけ地面を打った。


 それきり動かなかった。


---


 リュカは構えたまま、動かなかった。


 投槍器の溝にはもう杭がなかった。左手にもない。三本とも撃った。


 影の目を見た。


 瞳孔があった。


 細い縦の瞳孔。もう光を追っていなかった。


 ――ある。


 この世界の生き物には、みんな瞳孔がある。籠の上の猫にも溝鼠にもこの鎌翼にも。


 ないのはあの夜のものたちだけだった。


 上を見た。


 もう一つの影がまだ空を回っていた。


 低く。ゆっくり。


 リュカは足元の袋を見た。杭はあと三十七本。


 右手が袋の口に伸びた。


 四本目を抜いた。


 嵌めた。


 上を見上げたまま構えた。


 回っている影は柱の先よりずっと高い。五十歩の跳ねでも、届く高さではない。


 届かない。


 届かないと分かっていて、構えを解かなかった。


 影は回るのをやめなかった。


 だが、下りてこなかった。


 しばらく回って、それから東へ柱の穴のほうへ流れていった。


 見えなくなった。


---


 膝が少しだけ笑っていた。


 リュカは、それにしばらく気づかなかった。


 気づいたのは、投槍器を握った右手が震えていたからだった。


 指の腹の固くなりかけた水ぶくれが柄の溝に当たって、引きつっていた。


 あの夜も腕は震えた。


 石畳を持ち上げたあとだった。重さのせいだった。痺れて指が遅れて、それでも心のほうは震えていなかった。震える暇がなかった。


 今の震えは違った。


 重いものは何も持っていない。投槍器と杭三本ぶんの軽さだけだ。


 終わったからだと思った。


 終わったものは数えられる。


 撃ったのは三本。刺さったのは三本。


 数えられるようになってから手が震えはじめた。


---


 後ろで泣き声がした。


 下の子だった。


 上の子は泣いていなかった。布を巻いた左腕をまだかざしたままだった。


 その腕が震えていた。


 リュカは膝をついた。


 上の子と目の高さを合わせた。


「……もういい」


 上の子は腕を下ろさなかった。


「もう下ろしていい」


 ゆっくりと腕が下りた。


 下りた腕をもう片方の手で押さえた。痛むのだ。肘の少し上。


 足音が走ってきた。


 リナンだった。


 翼を半分開いたまま、壁を擦りながら、宿の前から走ってきた。焼けた羽の先がまた何本か折れていた。


 子供を見て止まった。


 二人とも立っている。


 リナンは膝から力が抜けたように、その場にしゃがんだ。


 子供の名前を二つ呼んだ。


 下の子がリナンの羽を掴んで、泣き声を上げた。


---


 人が集まってきた。


 鍋の匂いに寄ってきていた者たちが今度は、倒れた影を見に空き地の縁に並んだ。


 誰も近づかなかった。


「……石拾いの坊主が」


 誰かが小さく言った。


「杭で落としたって」


「あの杭で?」


「毎朝、ここで撃ってたやつだよ」


「あれ遊びじゃなかったのかい」


 誰も答えなかった。


 荷車のゴドが空き地の縁で荷車の把手を握ったまま、影を見ていた。


 何も言わなかった。


 長いこと見ていた。


 トトが火掻き棒を持って来た。影の脇まで行って、火掻き棒の先で翼をつついた。


 動かなかった。


「……死んでる」


「うん」


「お前がやったのか」


「うん」


 トトは影の胸と首を見た。


 杭が二本刺さっている。


「三本撃ったのか」


「三本」


「一本どこだ」


 リュカは翼の付け根を指さした。


 一本目の杭は、翼の付け根に刺さったままだった。


 トトはそれを抜こうとして、手を止めた。


「……おい」


「なに」


「これ」


 トトが翼の付け根から杭を引き抜いた。


 杭は半ばで折れていた。


 鎌翼の翼の骨に当たって、芯が曲がって、木が裂けていた。


---


 トトは、折れた杭をしばらく手のひらに載せていた。


「……六百、何本目だ」


「六百八十三。昨日までの六百四十と今朝の四十と今の三本」


「六百八十三本で一本」


「うん」


「撃って折れたんだな」


「撃って折れた」


 トトは折れた杭をリュカに返した。


「数に入れろ」


「入れる」


「千本まではまだある」


「ある」


 トトは影のほうへ戻って、今度は首の杭を抜いた。


 こちらは折れていなかった。石垣で一度跳ねて、角度を変えて入った杭。胸の杭も折れていなかった。


 トトは二本を並べて、リュカに渡した。


「跳ねさせたのか」


「石垣で」


「狙ってか」


「狙って」


 トトは何か言いかけてやめた。


 鼻の下を擦った。


---


 イサが人の列のあいだから出てきた。


 影の前にしゃがんだ。


 布を巻いた手で嘴を少しだけ開けた。


 細かい歯が並んでいた。


「……肉を裂く歯だよ」


 イサは言った。


「見ときなって言ったろ」


「見た」


 リュカは言った。


「見たから止めた」


 イサはリュカを見上げた。


 それから、何も言わずに、立ち上がった。


 腰を伸ばして東の空を見た。


 もう一つの影はもう見えなかった。


「……また来るよ」


「うん」


「焼けたものの匂いがする限り来る」


「うん」


 イサはそれだけ言って、井戸のほうへ戻っていった。


---


 ヴェスナが空き地の入り口に立っていた。


 腰に片手を当てて箒を持って。


 影を見てリュカを見て、子供二人を見て、リナンを見た。


 何も言わなかった。


 しばらくして、影の脇まで歩いてきて、見下ろした。


「……食えるのかいこれは」


 誰も答えなかった。


 トトが口を開けて閉じた。


 イサが井戸のほうから振り返って言った。


「食えるよ。硬いけどね。長く煮りゃいい」


「長く煮るのは得意な子がいるよ」


 ヴェスナはリナンを見た。


 リナンは下の子を抱えたまま、少しだけ目を丸くした。


「……はい」


「羽はむしりな。鎌の縁で指を切るよ」


「……はい」


 ヴェスナは箒を持ち直して、宿のほうへ戻っていった。


「鍋の湯冷めちまうよ」


---


 羽はリナンとリュカでむしった。


 土間の外の石畳の上で。


 ヴェスナの言ったとおり翼の縁の羽は、刃物のように薄かった。指の腹を使わずに、根元を掌で押さえて引き抜く。


 リナンは、自分の翼の焦げていないほうの羽をときどきちらりと見ていた。


 それから、またむしった。


「……羽ってこんなふうに生えてるんですね」


「知らなかったのか」


「自分のは自分じゃ見えないので」


 リナンは、むしった羽を一本だけ光にかざした。


 鎌の縁が白く光った。


「これで風を切るんですね」


「たぶん」


「わたしのは切れないです」


 リュカは手を止めた。


 リナンは羽をむしった山の上に置いた。


 それ以上は何も言わなかった。


 その日の鍋は薄くなかった。


 鎌翼の肉は硬かった。リナンが日が傾くまで火から下ろさずに煮た。急がないで。弱くしないで。鍋の底から小さな泡がぽつりぽつりと上がる加減をずっと守っていた。


 二十人を少し超える者が一杯ずつ食べた。


 二杯目はなかった。


 だが、一杯目は湯ではなかった。


 上の子は左腕を膝の上に置いて、右手だけで椀を持って食べた。


 食べながら、ときどきリュカのほうを見た。


 何も言わなかった。


 リュカも何も言わなかった。


 食べ終わる少し前に、上の子が椀を持って、リュカの前に来た。


 何も言わずに、椀の中の肉を一切れ指でつまんで、リュカの椀に移した。


 昨日下の子の皿に豆を三粒移したのと同じ手つきだった。


 リュカは椀の中の一切れを見た。


 それから、上の子を見た。


 上の子はもう背を向けて、リナンのほうへ戻っていくところだった。


 リュカはその一切れを最後に食べた。


 硬かった。


 長く煮てもまだ硬かった。


 ミラが上の子の腕の布を巻き直していた。


「かざしたの?」


「……うん」


「痛いのに」


「……うん」


 ミラは布の端を結んで、上の子の頭に一度だけ手を置いた。


 すぐに離した。


---


 日が落ちてからドランが坂の側の小路から下りてきた。


 宿の土間の戸口で足を止めた。


「鎌翼が出たって」


「出た」


 リュカは言った。


「一羽、落とした。もう一羽は東へ行った」


「落としたのか」


「落とした」


 ドランはしばらくリュカを見ていた。


 それから、土間の隅の羽をむしった残りの山を見た。刃物のように薄い鎌の縁の羽。


「……結界がねえと外のが入ってくる」


 ドランは言った。


「これからこういうのが増える」


「うん」


「荷もそのうち戻る。戻ったら上と下を行き来する。籠の外に出れば、こういうのに会う」


 ドランはそれ以上は言わなかった。


 護れとも。戦えとも。


 ただ、荷が戻ると言った。


「……荷いつ」


「まだだ」


 ドランは少しだけ間を置いた。


「戻っても前ほどは動かさん。籠の上り下りは減らす」


「なんで」


「減らさなきゃ持たん」


 何が持たないのかは言わなかった。


 ドランはそれだけ言って、また坂の上へ戻っていった。


 リュカは、坂の側の小路の暗がりをしばらく見ていた。


 護衛まがいのことを三年やってきた。荷を担いで層を行き来するとき、道中で溝鼠を追い払い酔った客を避け足場の悪いところで荷を守った。


 それは荷を守ることだった。


 今日は荷ではなかった。


 子供だった。


---


 屋根裏で杭を数えた。


 トトが巻き直した日のことを思い出した。


 鍛冶場の作業台で細い紐を芯の周りに隙間なく巻いていく指。巻き終えるたびにトトは杭を一本ずつ指で弾いて、音を聞いていた。


 四十本とも同じ音がした。


 あの作業台はあの夜燃えた。巻いた紐と一緒に。


 三十九本と折れた一本。


 折れた一本を膝の上に置いた。


 芯が曲がって、木が縦に裂けている。鎌翼の翼の骨に当たって折れた。


 トトが巻き直してから初めて折れた一本だった。


 六百八十三本で一本。


 ――撃って折れた。


 だから数に入れる。


 四十本と決まっている。


 ――一本、要る。


 新しいのは鍛冶場にはもうない。炉はあるが火がない。鞴もない。


 地上層の市に金物屋が台を出している。トトが前にそう言っていた。親方はあそこから芯を仕入れていたと。


 一本、五シャルド。


 懐の硬貨を数えた。


 十三枚からパンを一つ買って六枚。


 六枚あれば杭は一本買える。


 買ったら一枚。


 ――荷が戻れば。


 荷が戻れば下の市へ行ける。


 リュカは、折れた杭を袋の脇に立てかけた。


 シャツの胸に手を当てた。


 青い石。八日目。あと二日。


 肌の温度のままだった。


 今日三本を撃ったときも。石垣で跳ねさせたときも。影が倒れたときも。


 石は何もしなかった。


 杭がした。


 三年、毎朝撃ってきた杭が。三年、毎朝見てきた風が。三年、毎朝しゃがんできた石垣が。


 あの夜、石は効かなかった。


 五つ投げて、五つとも当たって、それだけだった。向かせることはできた。止めることはできなかった。


 今日の杭は止めた。


 石と杭の違いなのか。あの夜のものたちと今日の鎌翼の違いなのか。


 分からなかった。


 瞳孔のあるものには杭が届く。


 瞳孔のないものに、杭を撃ったことはまだない。


 あの夜、杭は屋根裏に置いてきた。取りに戻れなかった。


 撃っていたらどうだったのか。


 それは分からないままだった。


 ――三十歩。


 的のない距離だった。


 今日的ができた。


 リュカは目を閉じた。


 下の土間から低い音が三つ聞こえた。


 同じ三つが繰り返されていた。


 今夜は少しだけ長く続いた。

読んで頂きありがとうございます。

引き続き1話ずつ毎日更新していきます。

現在4部まで出来ているので一年以上は連続更新できる予定です。


基本的には1日2-3部を18時と20時に分けて更新して行く予定としております!!


少しでも次が気になったり、楽しみにして頂ければ幸いです!


ブクマやお気に入り登録していただけますと今後の執筆の励みになります(´∀`*)

よろしければ是非応援頂けますと幸いです。

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