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星降譚―STELLA NOMINA―  作者: うめこまち
第一部 灰は軽く、風に乗る

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56/163

三十歩と、右の風①

只今誠意執筆中_φ(ò_óˇ)ᕤ


どうストーリーが進んで行くか乞うご期待!!


現在は、第4部終盤の執筆に取り掛かっております!

残すは5、6、7部。

先はまだまだ長いですが、構想は終わっているので毎日楽しく執筆できております(●´ω`●)


皆様に少しでも楽しみに感じて頂ける作品になるよう私も楽しみながらやってきます!!

 杭を四十本並べた。


 それから風を見た。


 朝の風は弱い。路地から吹き上がってきて、空き地の縁で少しだけ渦を巻いて、抜けていく。


 だが、一か所だけ速いところがある。


 二十歩の的の手前。物干し綱が渡っている辺り。


 三番街は建物の隙間が狭い。狭いところを抜ける風は、そこだけ速くなる。空き地に面した長屋とその向かいの家のあいだ。二つの壁に挟まれた細い隙間。そこから吹き出す風が二十歩の的の手前で杭を一度横に押す。


 右から左へ。


 三年、毎朝その風を見てきた。


 今朝は少し違った。


 空き地に面した長屋がない。


 焼けて黒い低い山になった。二つの壁のうち一つがなくなった。


 隙間が隙間でなくなった。


 リュカは物干し綱を見た。焼け残った柱に誰かが結び直した綱。そこに洗った布が一枚干してある。


 布はほとんど揺れていなかった。


 ――弱くなった。


 壁が一枚なくなって、風が広がったのだ。狭いところを抜けないから、速くならない。


 その代わりに別のところが揺れていた。


 物干し綱の下から三十歩ほど先の空き地の縁。焼けた長屋の最後に残った柱が一本立っている。その柱の先の高さで焦げた布の切れ端がぱたぱたと鳴っていた。


 あそこを風が抜けている。


 残った壁と黒い山のあいだの新しい隙間。


---


 一巡目はいつも通りに撃った。


 二十歩。半歩右へずらして構える。三年の癖だ。


 振る。


 杭が的の中心から指一本右に刺さった。


 ――押されなかった。


 風が弱くなったぶん右へずらしすぎたのだ。


 半歩、戻した。振る。中心。


 三十五歩。ここは、風の影響がほとんどない代わりに落ちる。腕の振りの終わりをわずかに上へ逃がす。


 振る。刺さる。指半分、下。


 五十歩。的の一歩手前の地面を狙う。跳ねて根元に刺さる。


 四十本を撃って四十本を拾った。


 拾いながら、焼け残った柱の先の布を何度も見た。


 空き地の隅にリナンが立っていた。


 いつから来ていたのか分からなかった。翼を無理に畳まずに、少しだけ開いたまま、壁に背を預けて、こちらを見ていた。


 三週間ほど前初めてここに来た朝も、同じ場所に立っていた。あのときは、終わるまで一度も口を開かなかった。


 今朝は、杭を拾い終えたところで口を開いた。


「……一本目右でしたね」


「うん」


「前に見に来たときは右にずらして、真ん中でした」


 リュカは手を止めた。


 三週間前の一度きりを覚えていたのだと思った。


 あのとき、彼女は一度も口を開かなかった。口を開かずに、どこにずらして、どこに刺さったかを見ていたのだ。


「風が弱くなった」


「長屋がないから」


「……うん」


 リナンは黒い低い山のほうを見た。


 自分が隠れていた場所だ。


「あそこが風の通り道だったんですね」


「片方の壁だった」


「……壁がなくなって」


 リナンは言いかけてやめた。


 続きは言わなくても分かった。


 壁がなくなって、風の通り道が変わった。


 街が焼けて、変わったものは屋根と壁だけではなかった。


 三十歩ほどのところ。


 的のない距離だった。


 二十歩と三十五歩のあいだ。三年、そこに的を立てたことはない。


 そこを今風が抜けている。


 杭を一本だけ残して、三十歩のところに立ってみようかと思った。


 的はない。的がなければ、どこに刺さったか分からない。どこに刺さったか分からなければ、ずれも分からない。


 焼け残った柱に向かって撃てば柱が的になる。


 だが、あれは焼けた長屋の最後に残った一本だった。あの長屋に住んでいた誰かがまだあれを見上げているかもしれない。杭の穴を開けるわけにはいかない。


 リュカは撃たなかった。


 布の揺れ方だけをしばらく見ていた。


 右から左へ。三十歩先の柱の先の高さを。


---


 井戸へ水を汲みに行くとイサが井戸の縁に座っていた。


 手の布はもう薄いのに替わっている。綱はまだ引かないようにとミラに言われているらしく桶を膝の脇に置いたまま、東の空を見ていた。


「坊主」


「うん」


「朝、見たかい」


「何を」


「東の柱の穴の上」


 リュカは東を見た。


 結界柱の倒れた穴。摩天楼の腹と外の空とのあいだの柱と柱の隙間。


 今は何もいなかった。


「黒いのが二つ。ぐるぐる回ってた」


「……鳥?」


「鳥じゃないね」


 イサは東を見たまま言った。


「鎌翼《ファルクス》だよ」


 リュカはその名前を知っていた。


 聞いたことがあるだけだ。地上層の受け渡し場で荷を待つ間にバルが話していた。外の何も守られていない浮島や岩場に棲んでいる。翼の縁が鎌のように薄く尖っている。


 見たことはない。


 三年、この街で一度も見たことがない。


「昔うちの人と結界の外の岩場で見たことがある」


 イサは言った。


「岩場の縁の風が吹き上がってくるところにじっと浮いてるんだ。羽ばたかないで。下から来る風に乗って、ずっと同じ高さにいる」


「……同じ高さ」


「で下に何か動くものがいると、翼を畳んで、落ちてくる。まっすぐ」


 イサは、膝の上で手を縦に落としてみせた。


「落ちてくる途中で翼を広げて、脚を前に出す。そこで掴む」


「……」


「掴まれたら終わりだよ。脚の爪も、翼の縁も刃物みたいなもんだから」


 リュカは東の空を見た。


 柱と柱の隙間のそのまた向こう。


「結界の中には入ってこなかった。入れなかったんだね。今は柱が倒れてその結界もない」


「……入ってくる?」


「もう入ってきてるよ。上で回ってた」


 イサはようやくリュカのほうを見た。


「歯を見ときな」


「歯」


「うちの人が言ってたよ。獣は歯を見りゃ何を食うか分かるって」


 三週間ほど前にも同じことを言われた。ルフのときだ。


「鎌翼の嘴の裏には細かい歯が並んでる。あれは肉を裂く歯だ」


 イサは桶に手を伸ばした。


「焼けたところには焼けたものがある。焼けたものの匂いに寄ってくるんだよ」


---


 昼に宿の土間で鍋を煮た。


 二日目だった。


 豆はもうなかった。焼け跡から拾ってきた焦げた根菜が三つ。誰かが上で買ってきた干し魚が一枚。ネラの焦げた麦の残りの一握り。


 薄かった。


 ほとんど湯だった。


 リュカは朝のうちに、詰所の脇でパンを一つ買っていた。七シャルド。


 懐の硬貨は十三枚から六枚になった。


 パンはヴェスナに渡した。ヴェスナはそれを小さく千切って、鍋に入れた。一人で食べれば一日もつパンが二十人の湯に溶けていった。


 誰もそれが誰のパンなのかは訊かなかった。


 リュカも言わなかった。


 トトが焼け跡から拾ってきた鉄の器を三つ竈の脇に並べた。ミラが薬房の焼け跡の奥から割れていない小さな壺を一つ見つけて持ってきた。中に塩が少しだけ残っていた。


「母親の塩」


 ミラはそれだけ言って、壺を竈の脇に置いた。


 ヴェスナは、塩をひとつまみ鍋に落とした。


 湯の匂いが少しだけ変わった。


「明日は何を煮るんだい」


 トトが訊いた。


「さあね」


「今日でネラさんの麦もなくなるだろ」


「なくなるね」


「上から買うにも金が」


「ないね」


 ヴェスナは柄杓で湯をかき回した。


「なけりゃ湯だけ沸かす。昨日そう言ったろ」


「言ったけど」


「湯だけでも腹は温まる」


 トトは何か言いかけてやめた。


 ミラが竈の脇にしゃがんで、火の具合を見ていた。


「湯だけの日が続いたら、子供から痩せる」


 ミラは言った。


 声は平らだった。


「分かってるよ」


 ヴェスナも平らな声で答えた。


 それきり誰も明日の話をしなかった。


 それでも、匂いは路地に流れた。煮ている匂い。油のわずかな匂い。


 人が集まってきた。


 西の横丁の女が子供二人を連れてきた。上の子は左腕に布を巻いている。下の子は、もう女の裾ではなくリナンの翼の焦げていないほうの羽の先を握っていた。


 リナンは困ったような顔をして、握らせていた。


「空き地で待ってて」


 リナンが子供たちに言った。


「鍋できたら呼ぶから」


 上の子が頷いて、下の子の手を引いた。


 二人は宿の前を通って、空き地のほうへ歩いていった。


 空き地には的の杭が三本立っている。焼けて何もなくなった地面に子供が遊ぶ石がいくつか並んでいる。


 この街の子供は、空き地で石を並べて遊ぶ。三年、そうだった。


 焼けてもそうだった。


---


 鍋の湯が沸きかけていた。


 リュカは、土間の戸口で火種の残りを数えていた。


 外で音がした。


 高い音だった。


 笛のような。いや笛よりももっと細い。空気を薄いもので切る音。


 リュカは顔を上げた。


 空き地の上に影があった。


 二つ。


 ぐるぐると回っていた。


 摩天楼の腹と上の街の底板のあいだに細く覗く空。その切れ目は焼ける前と変わらない。変わったのは、切れ目の下にあった屋根の輪郭がなくなったことだけだ。路地のどこからでも、見上げれば、その細い空に届くようになった。


 その細い空の下を二つの影が低く回っていた。


 翼が長かった。


 広げると人の背丈の二倍はある。翼の前の縁が光を受けて、白く光った。


 薄い。刃物のように薄い。


 ――鎌翼。


 イサの言ったとおりだった。


 羽ばたいていない。翼を広げたまま、同じ高さをぐるぐると回っている。焼け跡の上を吹き上がってくる風に乗っているのだ。


 鍋の匂いもその風に乗って、上へ上がっている。


 ――焼けたものの匂いに寄ってくる。


 影の一つが回るのをやめた。


 翼を畳んだ。


 落ちてきた。


 空き地へ。


---


 リュカは走った。


 土間の戸口から空き地まで五十歩。


 数える前に足が数えていた。


 走りながら肩から袋を外した。投槍器を右手に。杭を三本左手に。


 袋の中の石には手を伸ばさなかった。


 音で散らすには遠すぎる。囮にするには時間がない。


 宿の前を抜けた。


 空き地の手前。物干し綱の下。


 そこで足を止めた。


 空き地の真ん中に子供が二人立っていた。


 石を並べていた手を止めて、上を見上げていた。


 落ちてくる影を。


 下の子が上の子の外套を掴んだ。上の子は、布を巻いた左腕を下の子の頭の上にかざしていた。


 腕一本で。


 布を巻いた痛む腕で。


 あの夜、リナンが翼でしたことと同じことを七つか八つの子供が腕一本でしていた。


 影は翼を広げ直した。


 子供の数歩手前の地面すれすれで身体を立てた。脚の爪が前に出た。


 ――三十歩。


 リュカは目で距離を測った。


 物干し綱の下から子供の手前の影まで。


 三十歩。


 的のない距離だった。


 三年、一度も撃ったことのない距離だった。


 二十歩なら半歩右。三十五歩なら、振りの終わりを上へ。五十歩なら、地面を狙って跳ねさせる。


 三十歩には何もなかった。


 決めていない距離だった。


 決めていないものは撃てない。


 ――撃てないじゃない。


 今朝、あの高さを風が抜けていくのを見た。


 焼け残った柱の先の布がぱたぱたと鳴っていた。


 三十歩先の柱の先の高さ。


 見たのだ。


 見たなら決められる。

読んで頂きありがとうございます。

引き続き1話ずつ毎日更新していきます。

現在4部まで出来ているので一年以上は連続更新できる予定です。


基本的には1日2-3部を18時と20時に分けて更新して行く予定としております!!


少しでも次が気になったり、楽しみにして頂ければ幸いです!


ブクマやお気に入り登録していただけますと今後の執筆の励みになります(´∀`*)

よろしければ是非応援頂けますと幸いです。

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