残った数と、消えた名①
只今誠意執筆中_φ(ò_óˇ)ᕤ
ようやくここから物語が動き出します!
どうストーリーが進んで行くか乞うご期待!!
現在は、第4部終盤の執筆に取り掛かっております!
残すは5、6、7部。
先はまだまだ長いですが、構想は終わっているので毎日楽しく執筆できております(●´ω`●)
皆様に少しでも楽しみに感じて頂ける作品になるよう私も楽しみながらやってきます!!
宿まで二十歩は歩けなかった。
黒い道は三歩目の先で終わっていた。
四歩目五歩目と赤いところを避けて、炭になった梁を踏んだ。割れなかった。
六歩目で足の裏が靴の底ごと熱を吸った。
熱いと思ったのではなかった。足の裏が自分のものではなくなった。
膝が折れた。
手をつこうとした。指の腹の水ぶくれが炭に触れる前に、腕のほうが言うことを聞かなかった。
肩から黒い山の上に落ちた。
炭の粉が舞った。
顔の横に焦げた瓦があった。瓦の向こうに宿の傾いた二階が横倒しに見えた。
その向こうに空き地の杭が三本。
横倒しになっても、三本とも立っていた。
「おい!」
後ろでトトの声がした。
足音が近づいてくる。二人ぶん。
――二十歩。
数えようとした。
数える前に目の前が暗くなった。
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声がした。
「……いる」
遠かった。水の底から聞くような声だった。
「その隣は」
「いる」
「向かいの」
「……いない」
リュカは目を開けた。
空が白かった。
摩天楼の腹と上の街の底板のあいだに細く覗く空。その隙間が明るすぎて、白く見えた。
焼け残った井戸の柱の影が足元で短くなっていた。
昼に近い。
背中が硬かった。石畳の上に寝ている。井戸の脇だった。
身体の上に何かが掛かっていた。焦げた外套の上にごわごわした布の切れ端。濡れて乾いて、また固くなった毛布の端だった。
起き上がろうとして、右手をついた。
指の腹がずきりと痛んだ。人差し指と中指に白い水ぶくれが二つ張っている。
掌の付け根で身体を起こした。
喉が張りついていた。
目の前に柄杓が突き出された。
柄杓を握っているのは、小さな男の子だった。十にもならない。昨夜井戸の脇で濡らし役をしていた子だ。
「水」
男の子が言った。
リュカは柄杓を受け取った。
掌の付け根で柄を挟んで飲んだ。
ぬるかった。
飲み終わると、男の子は柄杓を取り返して、何も言わずに、井戸の縁のほうへ走っていった。
走り方が少し変だった。膝を曲げて、足の裏で石畳を撫でるように。
水をこぼさない走り方だった。
柄杓は空なのに。
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足音が近づいてきて止まった。
「靴、脱いで」
ミラだった。片腕に新しい布を巻いている。右手に濡れた布の束を持っていた。
リュカは、焦げて反り返った靴を掌の付け根で引っ張って脱いだ。
足の裏が赤かった。土踏まずのあたりに指の腹と同じ白い水ぶくれが一つ張っていた。
ミラはしゃがんで足の裏を見た。触らなかった。
「潰れてない。いい。今日はそっちの足で踏まないで」
「はい」
「指は」
リュカは右手を見せた。
ミラはそれも見た。
「潰さないで。昨夜言ったとおり」
「はい」
ミラは濡れた布を一枚リュカの足の裏に当てて、立ち上がった。
それから、少しだけリュカの顔を見た。
何か言うかと思った。
言わなかった。
次の怪我人のほうへ歩いていった。
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「起きたか」
隣から声がした。
トトだった。煤はまだ顔に残っている。井戸の縁に背中を預けて、膝を抱えて座っていた。
「……俺」
「黒い山の上でぶっ倒れた。俺とかける役やってた人で運んだ」
「そうか」
「寝てた。昼まで」
「起こしてくれれば」
「イサさんが寝かしとけって」
トトは顎で井戸の向こうを示した。
イサが井戸の縁に座っていた。両手に布を巻いている。
「……親方は」
リュカが訊いた。
トトは、広場の真ん中のほうへ目をやった。
人が集まっていた。二十人か三十人。井戸を囲むように、立ったり座ったりしている。
その輪の真ん中にザヴが座っていた。
添え木を当てた脚を前に投げ出して、焼け残った家の壁に背を預けている。膝の上に紙を載せていた。
書いていた。
「籠断ったんだ」
トトが言った。
「朝、ドランさんが籠を下ろしたとき。親方目ぇ覚ましててさ。『俺は一人で籠一回ぶん食う。軽いのから運べ』って」
「……」
「頭打った人と脛焼いた人とあと何人か先に上がった。親方の番は昼過ぎだって」
トトは膝を抱えた腕に顎を載せた。
「で待ってるあいだに紙持ってこいって。炉の脇の石の箱に帳簿の紙が入ってるって。取りに行ったら焼けてなかった」
「……石の箱だから」
「石の箱だから」
トトは少しだけ笑いかけてやめた。
「ミラさんは手が離せねえから。ドランさんは坂の上だし。字書けるの親方しか残ってねえんだ」
リュカはザヴを見た。
脚は動かない。
だが、紙の上で手が動いていた。
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名前が読み上げられていた。
読み上げているのはザヴではなかった。輪の中の年配の女が一軒ずつ住んでいた者の名前を言う。言われた名前について、誰かが答える。
「マルタは」
「いる」
「その息子は」
「いる」
「隣の爺さんの」
答えが少し遅れた。
「……いない」
ザヴの手が紙の上で動いた。
輪の中で一人の男がうつむいた。
隣の女が男の背中に手を置いた。
置いただけで何も言わなかった。
「荷車のゴドは」
「いる」
答えたのは本人だった。
輪の西の端に年配の男が立っていた。煤で顔が黒い。宿の東隣の荷車を引く男だった。
「家はなくなった。荷車は残った」
「そうかい」
「荷車だけ残っても、しょうがねえけどな」
誰も笑わなかった。
男も笑わせるつもりで言ったのではなかった。
ザヴが書いた。
「粉屋のネラは」
「……」
「ネラ」
「朝、見たよ。東の横丁で」
「いるでいいかい」
「いる」
名前が呼ばれる。
「いる」か、「いない」か。
答えがあるたびにザヴが書く。
リュカは立ち上がった。
足の裏が痛んだ。靴の底が焦げて反り返っている。痛むほうの足に体重を載せないようにして、輪の端まで行った。
端で聞いていた。
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知らない名前ばかりだった。
三年で名前を知っていたのは五人だった。
ヴェスナ。ドラン。リナン。上から来た二人のロアンとアステナ。
灰白色の石を試していた十日のあいだに五人増えた。
ミラ。トト。イサ。ザヴ。それから、地上層のバル。
灯柱の男は、顔を知っているだけで名前は知らないままだ。
十人。
そのうちこの街に住んでいるのは、ヴェスナとミラとトトとイサとザヴ。宿に泊まっているリナンを入れても六人。
この街には百人以上住んでいる。
九十人以上の名前をリュカは知らない。
顔は知っている。三年、毎朝どこかで見てきた。井戸端で。坂で。路地の戸口で。
その顔に名前がついていく。
ついた名前が、「いる」と「いない」に分けられていく。
分けられてから初めて、その顔に名前があったことを知る。
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「カイは」
「いる。上に運ばれた」
女の声が答えた。
聞き覚えのある声だった。
リュカは声のほうを見た。
輪の東の端に女が一人立っていた。髪がほつれて目の下が黒い。
夜中に東の路地の奥で一つの名前を呼び続けていた声だった。
明け方に一度だけ呼んで、誰かが短く答えた声だった。
「頭を打ったけど、自分で歩いて戻ってきた。朝の籠で上がった。あたしも坂の上まで行ってきた」
「そうかい」
読み上げていた女が頷いた。
ザヴが書いた。
――東の男と女。
一つ減った。
額を黒く濡らしていた男の名前は、カイというらしかった。
膝に抱いていた女の名前は、分からないままだった。
分からないままで減った。
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途中で二番街の名が出た。
「油屋は」
誰かが言った。
「聞いてない」
「あそこから火が落ちてきたんだろ」
「そう聞いた」
「店ごと燃えたらしい」
ザヴの手が止まった。
読み上げていた女が首を振った。
「二番街の名はこっちじゃ数えないよ」
誰かがそう言って、それきりになった。
紙に書かれなかった。
リュカは黙っていた。
四日前あの店で油を六合買った。四十八シャルド。釣りが二枚。
昇降機切らすなよと言われた。
名前を訊かなかった。
訊いていれば、この紙に書いてくれと言えたかもしれない。
――言っても書かなかっただろうな。
別の街の人間だ。
この街の紙には、この街の名前しか書かない。
そういうものだった。
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「宿の。ヴェスナは」
読み上げていた女が言った。
答えがなかった。
輪の中の何人かが西を見た。黒い小山の向こうの傾いた宿のほうを。
「……見た者は」
誰も答えなかった。
ザヴの手が紙の上で止まったまま動かなかった。
「いないかい」
誰かが小さく言った。
「書くな」
ザヴが言った。
低い声だった。夜中に「炉は燃えん」と言ったのと同じ声だった。
「見た者がいないなら、いないとは書かん」
ザヴは、ヴェスナの名前の横を空けたままにした。
いるともいないとも書かなかった。
読み上げていた女は、しばらくザヴを見ていた。
それから、次の名前を呼んだ。
リュカは、紙の上の空いた場所を見ていた。
読めない。字は荷札の地名と数字しか読めない。
だが、そこだけ何も書かれていないことは分かった。
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――数えてる。
昨夜リュカは数えなかった。
何杯運んだのか。何杯かければ消えるのか。終わりが分からなかったからだ。
今朝は誰かが数えはじめた。
立っている家を数えて七軒。
今は名前を数えている。
終わったからだ。
終わったものは数えられる。
数えられるようになったとき、数えなければならないものがこんなにあった。
リュカは最後まで聞いた。
自分の名前は呼ばれなかった。
そこにいたからだ。
立って聞いていたからだ。
そこにいる者は呼ばれない。呼ばれるのは、そこにいるかどうか分からない者だけだ。
だから、呼ばれた名前の数だけ分からない者がいた。
答えが「いる」でも、「いない」でも、呼ばれるまでは分からなかった。
リュカが三年で知っていた名前は五つだった。
今日一度に百近い名前を聞いた。
そのほとんどを明日には、覚えていないだろう。
覚えていないのにその名前に「いない」がついたことだけは、覚えている気がした。
---
名簿が終わると輪がほどけた。
ザヴは書き終えた紙をミラに渡した。
ミラは、広場の東の端から戻ってきたところだった。片腕の布を替えている。右手に別の誰かの火傷に使った濡れ布を持っていた。
「預かって」
ザヴが言った。
「私、字、下手よ」
「読めりゃいい」
ミラは紙を記録の束の間に挟んだ。
坂の側の小路のほうからトトと男が二人戸板を一枚運んできた。
ザヴを戸板の上に移す。
膝の上と足首。二箇所を同時に。
昨夜と同じ持ち方を今度はトトが男たちに指示していた。
「せえのは要らねえ。俺が上げたら上げろ」
ザヴが戸板の上で一度だけトトを見た。
何も言わなかった。
戸板が持ち上がって、小路の入り口へ運ばれていった。石段を上がって、坂を上がって詰所へ。
昼過ぎの籠に間に合う時刻だった。
読んで頂きありがとうございます。
引き続き1話ずつ毎日更新していきます。
現在4部まで出来ているので一年以上は連続更新できる予定です。
基本的には1日2-3部を18時と20時に分けて更新して行く予定としております!!
少しでも次が気になったり、楽しみにして頂ければ幸いです!
ブクマやお気に入り登録していただけますと今後の執筆の励みになります(´∀`*)
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