水と、夜明け②
只今誠意執筆中_φ(ò_óˇ)ᕤ
ようやくここから物語が動き出します!
どうストーリーが進んで行くか乞うご期待!!
現在は、第4部終盤の執筆に取り掛かっております!
残すは5、6、7部。
先はまだまだ長いですが、構想は終わっているので毎日楽しく執筆できております(●´ω`●)
皆様に少しでも楽しみに感じて頂ける作品になるよう私も楽しみながらやってきます!!
ミラがザヴのそばから声を上げた。
「顔濡らしなさい。かける人。布乾いたら替えて」
誰かがその声に従って、布を水に浸し直した。
ミラは立ち上がれなかった。ザヴの額に手を当てたまま、右腕だけを動かして、近くを通る者の腕を掴んでは火傷を見ていた。
「冷やして。水かけて。擦らないで」
短く言って手を離す。
薬はない。
手と声だけでミラは井戸端にいた。
リュカが桶を受け取りに井戸の縁へ戻ったとき、ミラの右手がリュカの手首を掴んだ。
「指」
「……水路で」
ミラは、リュカの人差し指と中指の腹を朝の光のない暗さの中で顔を近づけて見た。
「水疱になる。潰さないで。桶の取っ手指の腹で持たないで。掌の付け根で持って」
「はい」
「それと」
ミラは手首を離さずに言った。
「西行けなかったのね」
リュカは答えなかった。
ミラはそれで分かったようだった。
「……行って」
手首を離した。
「運んで。道ができたら行って」
リュカは、桶の取っ手を掌の付け根で握り直した。
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頭の上で大きな音がした。
井戸の屋根だった。
四本の柱に軽い板を載せただけの屋根。さっきから燃えていた板がとうとう支えの柱ごと傾いた。
「どけ!」
誰かが叫んだ。
イサが綱を持ったまま、井戸の縁から飛び退いた。
屋根が落ちた。
四本の柱のうち東の二本が折れて、屋根板が斜めに滑り落ちた。燃えた板が井戸の縁に当たって、跳ねて石畳の上に散らばった。
一枚だけ井戸の口に斜めに引っかかった。
燃えていた。
トトが濡れた前掛けを被ったまま、駆け寄った。
燃える板の端を前掛けで包んで掴んで、井戸の口から引き剥がした。石畳の上に投げた。
前掛けから湯気が上がった。
「……水、無事か」
トトが井戸を覗き込んだ。
イサが綱を引いた。
桶が上がってきた。
水が入っていた。
イサは何も言わずに、その水を差し出された鍋に移した。
屋根のなくなった井戸の上に煙の混じった夜が四角くではなく広く開いていた。
井戸は屋根がなくても、水を出した。
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小山の火は少しずつ低くなっていった。
水をかけた場所から黒く湯気を上げて、消えていく。消えた場所にかける男が一歩踏み込む。踏み込んでその先にかける。
一歩ずつ小山の上に黒い道ができていった。
だが、その先で火は西へ移り続けていた。
小山の向こう宿の東の軒先で揺れていた赤いものが屋根の上へ這い上がっていた。
リュカは見ていた。
見ながら走った。
見て止まっても水は運ばれない。
運ばなければ黒い道は延びない。
黒い道が延びなければ、宿へは行けない。
だから、見ながら走った。
一度、かける男の一人が黒い道の先へ踏み込みすぎた。
黒く見えた梁の端が踏んだ瞬間に割れて、下の熾火が噴き上がった。男が叫んで後ろへ倒れた。脛から下が赤く光る炭の中に落ちかけていた。
隣の男が男の襟を掴んで引きずり戻した。
リュカは、持っていた桶の水を男の脚にかけた。
じゅうと音がした。男が歯を食いしばった。
「冷やして!」
井戸の脇からミラの声が飛んだ。
「擦らないで! そのまま水!」
男は二人がかりで井戸端まで運ばれていった。
黒い道の先は、まだ人の重さを載せられるほど冷えていなかった。
リュカは空になった桶を見た。
あの先へ自分なら踏み込めるかと考えた。
足の裏で確かめてから体重を載せる踏み方なら、あの梁は踏まなかった。黒く見えても、割れる梁と割れない梁は踏む前に音が違う。
――まだだ。
まだ踏み込める場所まで道は延びていない。
リュカは井戸へ走った。
宿の屋根の火が少しずつ西へ広がっていく。
その先に空き地がある。
空き地に面して長屋がある。
長屋のいちばん西の端の軒の奥。
――まだそこにいるのか。
考えるのをやめられなかった。
だから、走り方をもう一度確かめた。膝を柔らかく。足の裏で撫でるように。こぼさないように。
考えるのをやめられないなら、せめて水はこぼさない。
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どれくらい経ったのか分からなかった。
腕が重くなっていた。
石畳を撫でるはずの足がときどきつまずいた。
桶の縁から水が跳ねる回数が増えた。
かける男の一人が小山の手前で膝をついた。立ち上がろうとして、立ち上がれなかった。別の男がその男の桶を取って、代わりにかけた。
東の路地から来た女の一人が水瓶を抱えたまま、壁に寄りかかって座り込んだ。
イサが綱を引いた。
桶が上がってこなかった。
イサはもう一度引いた。
綱は少しだけ動いて止まった。
イサの腕が震えていた。
剥けた掌が綱の上で滑っていた。
剥けた掌ではもう綱を掴めていなかった。握っているのではなく掌を綱に押し当てて、腕の重さで引いている。
トトが横から綱を掴んだ。二人で引いた。
桶が半分だけ上がって、また止まった。
井戸が涸れたのではなかった。
水はまだ底にあった。
汲む力が残っていなかった。
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列が崩れた。
誰が崩したのでもなかった。
一人が座り隣が座りその隣が器を置いた。
リュカは空の桶を持ったまま、井戸の縁の前に立っていた。
イサが綱から手を離した。
綱が井戸の口の中へするすると滑っていった。桶の重さに引かれて底のほうへ。
綱の端は、焼け残った西の柱の根元に結んである。滑った綱は、その結び目のところでぴんと張って止まった。
イサはそれを見送った。
それから、井戸の縁に背中を預けて、石畳の上に座った。
剥けた両手を膝の上で上に向けて置いた。
ミラがザヴのそばから這うようにして、イサの隣へ来た。
右手でイサの手首を持ち上げて掌を見た。
それから、転がっていた鍋の底に残っていた水を少しずつイサの掌にかけた。
イサは何も言わなかった。
ミラも何も言わなかった。
水が剥けた掌の上を流れて、指の間から石畳に落ちた。
かける男たちも、小山の手前から戻ってきた。前掛けや毛布を被ったまま、濡れた石畳の上に次々に腰を落とした。誰も何も言わなかった。息の音だけがしていた。
柄杓の男の子は老婆の隣に座って、柄杓を握ったまま、目を閉じていた。眠ったのか閉じているだけなのか分からなかった。
リュカも座った。
座ったつもりはなかった。膝が勝手に折れた。
桶が手から離れて、石畳の上に転がった。
からんと鳴った。
広場の石畳の上に昨夜も、桶が一つ転がっていた。
あれはトトが割って、ザヴの添え木になった。
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火はまだ燃えていた。
だが、燃えるものが減っていた。
小山は半分以上が黒くなっていた。残りの半分も、炎ではなく赤い熾火になっていた。熾火の上を細い煙が何本も立ち上っている。
屋根の上を這っていた火も、低くなっていた。
燃える板を燃やし尽くして、瓦の下に燃やすものがなくなったのだ。
消したのではなかった。
水をかけて消したのは、小山の黒い道の部分だけだった。
残りは燃えるものがなくなって、勝手に収まっていった。
リュカは座ったまま、それを見ていた。
何杯運んだのか分からない。
運んだ水がどれだけの火を消したのかも分からない。
分からないまま、火は終わりに近づいていた。
終わりが分からなかったものに、終わりが来ようとしていた。
来たのは数えたからではなかった。
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東の空が白んできた。
柱と柱の隙間の細い帯のような空。
そこが黒から灰色になった。
灰色から少しずつ白くなった。
白くなって、それからほんのわずかに色がついた。
色のある光だった。
夜のあいだに見たどの光とも違った。白と黒だけにする光でもない。金色に広がって消える光でもない。色の名前の分からない光でもない。
毎朝、見ている光だった。
日が昇った。
いつも通りに昇った。
昨日も、一昨日も三年間毎朝そうだったように。
街がどうなっていても関係なく。
リュカの右手がシャツの胸に行った。
布の下の青い石。
夜が明けた。三日目。あと七日。
数えるつもりはなかった。朝が来ると身体が勝手に数えた。
三年、毎朝そうしてきた。
石は肌の温度のままだった。
東の路地の奥で夜中に聞いた女の声がまた一つの名前を呼んだ。
今度は、一度だけだった。
呼んだあとに別の声が何か短く答えた。
何と答えたのかは聞こえなかった。
女の声はそれきり呼ばなかった。
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その光の中で街が見えた。
煙がまだ幾筋も上がっていた。夜のあいだは火の明かりで見えていたものが朝の光の中では黒い形として見えた。
屋根の形がなかった。
二十三軒の屋根が肩を寄せて並んでいたはずの路地の上に屋根の輪郭がところどころにしか残っていなかった。
井戸端で誰かが数えはじめた。
子供を毛布の老婆に預けていた男だった。座ったまま、鍋を膝に置いて、指をさしていた。
声に出して一軒ずつ。
東の外れのほうから西へ。
立っている家を指さして数える。
リュカは数えなかった。
声を聞いていた。
「……六。……七」
声が止まった。
「七軒だ」
誰かが言った。
隣の者が繰り返した。
「七軒」
その隣がまた繰り返した。
声は井戸端をぐるりと回って、座り込んだ者の間を一人ずつ伝わっていった。
七軒。
二十三軒のうち立っているのは七軒だった。
イサの家は立っていた。広場の東側の夜のあいだ燃えていなかった家だ。
子供たちの家は立っていなかった。広場に面した壁が一枚だけ残って、その向こうに朝の光が素通りしていた。
中に誰もいないことは夜のうちに見ていた。
誰もいなかった家がなくなった。
住んでいた者がどこにいるのかは、まだ分からなかった。
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トトが坂の側の小路のほうを見ていた。
小路の入り口の上には朝の光の中でも、煙がこもっていた。屋根越しに坂の高さのほうへ灰色の筋が何本も伸びている。
「……炉だけだ」
トトが誰にともなく言った。
「水を運ぶついでに小路の角から覗いた。石段の途中炉しか立ってない」
ミラがザヴの額から手を離さずに、小路の入り口を見た。
入り口から十歩の場所に薬房がある。広場からは見えない。
見えるのは、入り口の上に屋根越しに立ちのぼる細い煙だけだった。薬房のあった高さからまっすぐに一本。
ミラはその煙をしばらく見ていた。
何も言わなかった。
記録の束を抱えた右腕に少しだけ力が入ったのが見えた。
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リュカは西を見た。
入り口の西の脇の小山は、もう燃えていなかった。
黒い炭と焦げた梁と割れた瓦の山になって、薄い煙を上げている。その上に夜のあいだに水をかけて作った黒い道が小山の真ん中あたりまで延びていた。
真ん中から先は燃え尽きて、崩れて低くなっていた。
越えられる高さだった。
その向こうに宿が見えた。
二階建ての宿は形が変わっていた。
一階の壁が東側だけ黒く焼け落ちている。支えを失った二階が東へ傾いていた。傾いたまま、屋根の半分だけが残っていた。
屋根裏はその残った半分の下にあった。
毎朝、あの屋根裏の板の隙間から入る光で目を覚ましてきた。今朝は外からその屋根を見ていた。
杭の袋も投槍器もあの屋根の下にある。
土間は焼け落ちた一階にあった。
腰を打ったそれだけだとヴェスナは、割れた戸の向こうから言った。
リュカは覗かなかった。後でと思った。
その土間の横をあとで一度駆け抜けた。暗くて隅は見なかった。
土間の上に二階が傾いて、載っていた。
宿のさらに向こう。
朝の光が路地の奥までまっすぐに差し込んでいた。
夜のあいだは屋根と軒に遮られて、見えなかった場所だ。
屋根がなくなったので見えた。
空き地だった。
焼けた三軒の跡。崩れた石垣。
的の杭が三本立っていた。
二十歩、三十五歩、五十歩。
三年、毎朝四十本の杭を撃ち込んできた的だ。上のほうが同じ場所ばかりに当たって窪んでいるのをリュカは知っている。
三本とも立ったままだった。
もともと何もない場所だった。燃えるものも崩れるものもなかった。
だから、変わらなかった。
それがいちばん変な感じがした。
空き地に面して建っていた長屋は、見えなかった。
長屋のあった場所に黒い低い山があるだけだった。
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リュカは立ち上がろうとした。
膝が言うことを聞かなかった。
両手を石畳について、腕で身体を押し上げた。
掌が痛んだ。指の腹の火傷が石畳に擦れた。
立った。
足が震えていた。
確かめていないものは四つ。
ヴェスナ。
リナン。
子供たちの家。
東の男と女。
夜が明けても、一つも減っていなかった。
夜のあいだに減らせなかったものは朝になっても、そのまま残っていた。
日はそれを減らしてはくれない。
照らすだけだ。
リュカは西へ一歩出た。
二歩目でよろけた。
三歩目はよろけなかった。
背後でイサが転がった桶を拾い上げる音がした。
からんと。
それから、柱の結び目から沈んだ綱を手繰り寄せる濡れた音が続いた。
リュカは振り返らなかった。
黒い道の端に足をかけた。
熱が靴の底からまだ上がってきた。
夜のあいだに何十杯と水を叩きつけた場所だった。濡れて黒く固まって、踏むとぐずりと沈んだ。沈んだ下から湯気が細く立った。
燃えてはいなかった。
踏める。
二歩目も踏めた。
三歩目の先で黒い道が途切れて、燃え尽きて崩れた梁の上になった。梁は炭になって踏むと割れた。割れた中はまだ赤かった。
赤いところを避けて、黒いところだけを踏んだ。
荷を担いで、崩れかけた石段を下りるときと同じだった。足の裏で一つずつ確かめてから体重を載せる。
数えなかった。
宿まで二十歩。
それは数えなくても知っていた。
読んで頂きありがとうございます。
引き続き1話ずつ毎日更新していきます。
現在4部まで出来ているので一年以上は連続更新できる予定です。
基本的には1日2-3部を18時と20時に分けて更新して行く予定としております!!
少しでも次が気になったり、楽しみにして頂ければ幸いです!
ブクマやお気に入り登録していただけますと今後の執筆の励みになります(´∀`*)
よろしければ是非応援頂けますと幸いです。




